防衛次官人事問題(続x5) | 日本のお姉さん

防衛次官人事問題(続x5)

ようちゃん、おすすめ記事。↓

太田述正コラム#2008(2007.8.19)<防衛次官人事問題(続x5)>

始めに

 読者の方から、朝日新聞の社説は同社のウェッブ上に公開されている

というご指摘がありました(コラム#2004参照)。

asahi.comの一番上のバーに確かに「社 説」と出ていますね。
 私の見落としでした。

 ところで、太田ブログへのアクセス状況を見ても、防衛次官人事問題

には皆さん相当ご関心があるようですが、本件に関してこれまでコメント

どころか、質問 も出ないところをみると、喧嘩をヤジウマ的に面白がって

ご覧になっている、と いう域を超えていないのではないでしょうか。
 6月の軍事愛好家の皆さんとの議論で盛り上がった時も、軍事装備に

強い関心 がある軍事愛好家の皆さんですら、防衛問題、安全保障

問題には余り関心がない ように感じましたが、防衛次官人事問題を

契機に、ぜひ皆さん、防衛問題、安全 保障問題に関心をお寄せいた

だきたいと思います。

2 防衛次官人事問題の再総括

 2002年の外務次官人事問題(コラム#15)の時は、外務省不祥事の

頻発という背 景の下、田中真紀子外相対鈴木宗男議員の抗争という

第一幕を経て、外務次官人 事問題・・同外相対野上外務次官の抗争

・・という第二幕が開けたわけですが、
この第一幕を田中氏の経世会憎しという感情、第二幕を田中氏と

野上氏の個人的不和、という観点だけで総括することはできません。
 第一幕には、対ロシア外交を重視するか否か、そのためにも二島

返還論論で行くのか(鈴木)既定路線の四島返還論に固執するのか

(外務省主流・田中)、と いう外交政策上の対立がからんでいましたし、

第二幕には、従来通り米国べった りで行くのか(外務省主流)対中外交

をより重視するのか(田中)、という外交 政策上の対立がからんでいた

からです。
 (以上、典拠省略。)

 ところが、今回の防衛次官人事問題では、塩崎官房長官と小池防衛

相の不和、 小池氏と守屋防衛次官の不和、防衛省内の防衛省

プロパーと他官庁出身者の抗争 、更には私の指摘したところの官僚

機構内の旧大蔵省系と旧内務省系の抗争、が 背景としてあるところ、

そこに防衛政策上の対立がからんでいるという報道は皆 無です。


 これは、(外交政策に関しては、米国が日本の外交政策について

定める大枠の 中で、若干のマヌーバーの余地はあるけれど、)防衛

政策に関しては、憲法9条 及びその政府解釈で自らの手を完全に縛

っているため、マヌーバーの余地が全く ないことを反映しています。
 では、防衛官僚・・正確には文系防衛官僚・・は何をやっているの

でしょうか 。
 防衛省所管業務に係る、米国の意向と日本における利害関係者

(陸海空自衛隊 ・防衛産業・防衛関係国会議員・基地地元住民等)の

意向の調整だけです。
 
 その上で、今回の防衛次官人事問題を一言で再総括すると、

守屋氏は、陸海空 自衛隊(=官)と防衛産業(=業)と防衛関係国会

議員(=政)に関しては、彼ら のアナクロ的三位一体的防衛利権癒着

構造に手をつけなかったが故に彼らから絶 大な人気を博し(注1)、

そのおかげで次官在任足かけ5年という「偉業」を達成 できたものの、

それ以外の2者、すなわち宗主国米国たる「頂点」と基地地元住民たる

「末端」・・とりわけ沖縄県や基地地元自治体・・の不興を買っており

( 注2)、上記調整を行う責任を果たしていないとして小池氏によっ

馘首された、 ということでしょう。

 (注1)山崎自民党安全保障調査会長の小池氏非難発言

(コラム#2000)や森元 首相の、「辞めなければならないと(守屋氏が)

自分で分かっていて、『武士の 最後の華だ』と切腹しようとしたら、

小池氏が後ろから刀で切りつ けた感じだ・ ・(女性の)小池氏に言って

いいのか分からないが、武士(もののふ)のたしな みがない・・

<守屋氏は>とても立派な人だ。沖縄(の基地)問題に生涯をささ げて

きた」(

「<防衛に係る >日米関係はかなり危機的な状況にある・・」(4頁)、

「日米安保は文字どお り空洞化してしまっている。」(20頁)と警告を

発している。そこでも説明した ように、元凶は、おしなべて無能でやる気

がなく、ウソを平気でつく防衛官僚だ 。

当然のことながら、基地地元住民と防衛官僚との関係もよい訳がない。

防衛官僚は、しこたま国民のカネを貢いでいるというのに、米軍にも

地元住民にも不興 を買い、軽蔑されているのだ。

3 防衛省による文系キャリア採用を止めよ

 旧大蔵省出身の飯原一樹氏は、2001年7月に防衛庁に出向し、2年

後の2003年 8月には防衛局長に就任しています。
 また、同じく旧大蔵省出身の中江公人氏は、今年年7月に防衛省に

出向し、経 理装備局長に就任し、今回の人事の関連で近々官房長に

就任する予定です。

 以上からだけでも、防衛省以外の省庁の出身者でも即日(筆頭局長

の)官房長 になれるし、即日(防衛庁時代の二つの局を一つにした)

経理装備局長にもなれ るし、(最も専門性を要すると考えられる)防衛

局長にだって習熟期間が2年も あればなれることが分かります。


 残りの、人事教育局長だって、また防衛施設庁が解体されて新設さ

れる地方企 画局だってさほどの専門性は要しませんし、また、私見

では運用企画局は廃止し てその機能は統合幕僚監部に移せばよいこ

とを考慮すると、防衛省の局長(、そ して局長から昇格する次官、)に

防衛省プロパーがつく必要などないことは明ら かでしょう。


 局長ですらそうなのですから、ヒラ防衛参事官や官房審議官、課長

そして課員 に防衛省プロパーがつく必要なんてなおさらないはずです。

 (以上は、文系のキャリアの話であり、理系のキャリアは、防衛装備に

係る技 術の特殊性に鑑み、防衛省採用者は必要です。)
 
 以前(コラム#2002で)指摘したように、防衛省内の勤務でプロパーの

キャリア が能力識見を磨き人格を陶冶するのは容易なことではありま

せん。ですから、他 省庁で勤務したり海外経験を積んだりすることが

不可欠なのですが、それなら他 省庁で採用され養成されたキャリアの

出向を受け容れた方が手っ取り早いという ものです。

 守屋氏は、他省庁出身者の排除に熱心だったようですが、組織エゴに

とらわれ た愚かな発想です。彼はむしろ、防衛省による文系キャリアの

採用廃止に踏み切 るべきだったのであり、西川氏の次官就任に、

西川氏が警察庁出身であるが故に 反対して防衛庁採用の山崎氏の

次官就任を推したこと自体がおかしかっただけで なく、よりにもよって

山崎氏を推すなどもってのほかであった、と言いたいですね。

4 終わりに

 ただし、日本が米国の保護国であることを脱し、防衛省が、上述の

調整業務だ けではなく、本来の意味での防衛政策の企画・実施業務を

も手がけなければなら なくなった段階で、防衛省が再び文系キャリアを

採用することまでも私は否定す るものではなりません。


 その暁には、防衛政策の企画・実施業務の一環として、諸外国に対

する(武器 輸出等の)安全保障援助の企画・実施業務も行われること

となり、プロパーのキ ャリアが能力識見を磨き、人格を陶冶する機会が

防衛省内での勤務でも十分与え られるであろうし、そもそもこれらの

業務にはそれなりの専門性が求められるか らです。


 ただしその場合、他省庁からの出向者の受け入れは引き続き不可欠

ですし、ま た、自衛官の防衛政策の企画・実施業務への広汎な

参画を実現する必要もあると 思います。
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 (私の考えや当コラムに対するコメントをお寄せになった場合、お断り

するこ となく、私のブログの掲示板や当コラムに転載することがありま

す。なおその際 、時候の挨拶的な部分を削除したり、筆者のアイデン

ティティーを隠すために必 要な範囲で、文章に手を入れたり部分的に

文章を削除したりさせていただきます 。
ブログ:

次官(1944 年9月23日生、東北大法卒)との間の意見相違によって、

約10日間も混乱し続 けました。

 (注1) 防衛省の事務次官人事の対立の骨子
 小池大臣: 守屋次官を退任させて、情報保全に強い西川徹矢・

官房長(警 察庁出身)を推挙  守屋次官: 山崎信之郎・運用企

画局長(防衛省生え抜きの事務官僚)を推 挙

◇ 省庁の幹部人事に関しては、基本的には担当大臣が握っている

訳ですが、 1997年5月に人事検討会議(官房長官と官房副長官で

構成、現在は塩崎・的場 ・下村・鈴木の四氏)を設置し、その会議を

経由する慣例を定めています。

◇ 小池大臣が、人事検討会議を経由しないで、人事を決定しようと

した、と の理由によって、守屋次官が反旗を掲げ、塩崎官房長官も

不快感を表し、安倍 晋三首相の裁定を待つまでに、抗争が及んだもの

であります。

◇ 結末としては、小池大臣・守屋次官両者の推挙を全て「没」にし、

2007年 8月17日、増田弘平・人事教育局長(新世代防衛事務官僚

1期生、1975年入庁 、東大法卒56歳、守屋次官の4年後輩)を、

次期の事務次官に当てることを内 定しました。

◇ 防衛省は、海外からの圧力・攻勢・侵攻に対して、「武力」をもって

迎え 撃つ「軍事組織」であります。従って、内部抗争や手続き問題で、

右往左往す べきではありません。

◇ 出身省庁間で、事務次官の就任闘争をする等は、最低・最悪の

防衛体制と 言わざるを得ません。

 (注2) 防衛事務次官の就任年月と出身省庁
1988.6 西広整輝=防衛庁、1990.7 依田智治=警察庁、
1991.10 日吉 章=大蔵省、1993.6 畠山 蕃=大蔵省、
1995.4 村田直昭=防衛庁、1997.7 秋山昌広=大蔵省、
1998.11 江間清二=防衛庁、2000.1 佐藤 謙=大蔵省、
2002.1 伊藤康成=防衛庁、2003.8 守屋武昌=防衛庁、


◇ 現行の法令・慣行に制約されないで、日本の国防を担うにふさわ

しい防衛 省幹部組織のあるべき姿を、次の通り提言致します。

 1、軍事組織に「事務次官」は不要です。事務系の幹部が幅を効か

せていて は、機動的な防衛出動等に際して、時間的な遅れを生じる

恐れがあります。
 2、防衛大学出身の愛国者たる制服組が、内部(事務系部局)の

局長クラス 以上の幹部をも占有する方向へ移行します。
 3、今後は、事務系統(背広組)のキャリア官僚の採用を中止し、

防衛大学 の人文社会科学系の中に、法律(日本法及び国際法)の専

門幹部要員を養成す る必要があります。
 4、事務次官会議に出席すべき要員は、統合幕僚監部から出すべき

です。

(日本の進路★No.0316、防衛省人事の将来構想、完)
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日本の進路★0316★070819★防衛省人事の将来構想
防衛省人事の将来構想、軍隊に事務次官は不要
                     林 凛明 ns21c@csc.jp


◇ 防衛省の事務次官人事が、小池百合子防衛大臣と守屋武昌事務
http://www.sankei.co.jp/seiji/seisaku/070817/ssk070817003.htm
。8月18日アクセス)という発言のウラ事情をよくよくお考えいただきたい。
 (注2)2001年に上梓した拙著『防衛庁再生宣言』で既に私は、