シーメンス事件 | 日本のお姉さん

シーメンス事件

ようちゃん、おすすめ記事。↓

渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第903号

シーメンス事件
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         古澤 襄

シーメンス事件といっても知る人は少なくなった。大正3年にドイツの
シーメンス社の行った日本海軍高官への贈賄事件で、海軍長老の

山本権 兵衛首相が率いる山本内閣が瓦解している。

明治海軍が建軍以来、海軍力を強化するためにイギリス、ドイツなどか
ら艦船や装備品の購入が相次ぎ、膨大な軍需品の発注をめぐって、

外国企業間の競争が激しかった。

発注者の日本海軍高級将校に会社側がリベートを贈ったことが、ドイツ
のベルリン公判廷での判決文で明らかになり、第31帝国議会で問題

となった。

この事件で藤井光五郎機関少将(艦政本部第四部長)、松本和中将

(元 呉鎮守府司令長官)、沢崎寛猛大佐が検挙され、日本代理店

である三井物産など産業界と軍部との癒着構造も白日のもとに

晒された。

国家の軍事力を拡大・強化する過程でシーメンス事件は、どの国でも起
こりうる。山本権兵衛首相は清廉潔白な人物だったが、その内閣の下で
も事件が起こっている。

戦後日本は防衛力を拡充・強化してきたが、シーメンス事件規模の大き
な贈収賄事件はまだ発生していない。

ひとつには日本の防衛費の中で人件費が世界的に見ても高水準にある
ことがあげられる。防衛費は低く抑えられるから、相対的に装備費の比
率が低くならざるをえない。

さらには防衛庁が単独官庁として機能していなかった事情もある。制約
された機構の中で贈収賄事件が起こっても規模が小さい。

しかし、北朝鮮による弾道ミサイル発射や核実験が相次ぎ、日本の安全
保障を保つために防衛力の整備・強化が必要になった
。弾道ミサイル攻
撃に対応するため、ペトリオットPACー3やSMー3搭載イージス艦
の早期配備が課題となっている。

小泉内閣が2003年に決定した「日本版弾道ミサイル防衛(BMD)」
システムは、翌年から調達が開始され、2007年度から順次運用に入る。
来年夏に予定されている次期主力戦闘機(FX)の選定で、防衛省はF
22の導入を検討している。

レーダに捕捉されない最新鋭のF22は、その機密保持のために米議会は
海外販売を禁止したが
、製造元であるロッキード・マーティン社は対日
輸出をあきらめていない。

最新鋭の武器・装備の生産は、機密保持と海外販売によるコスト削減の
相関関係を持っている。日本の装備品価格が欧米に比較して割高な

のは、
武器輸出三原則で、海外販売を禁じているため、国内販売に限定されて
コスト高となっている。欧米では海外販売を行うから、生産台数が多く
コストを下げられる。

F22の一機の調達価格は約1億3000万ドル(152億円)といわれるが、

機密保持のために海外販売ができず米国内用の183機しか生産して

いない。
Fー4の40億円、Fー15の120億円を遙かに上回るF22の生産コストを下
げるには、海外販売がロッキード・マーティン社の必要命題となる。

米議会の海外販売を禁止する決議の撤回を求めて、議員に対する働きか
けをしているのは容易に想像できる。構造的には米国のおけるシーメン
ス事件の温床になりかねない要素があるのではないか。

防衛庁時代の日本の防衛費は4兆8000億円規模。小泉内閣は

防衛費にも 聖域がないとして前年度比で増加率を削減をしたが、

それでも膨大な予算となった。

防衛省という独立官庁になって、自民党の国防族も予算獲得に動く

であろう。小池防衛相と守屋事務次官のバトルが繰り広げられている

が、防衛庁長官経験者の多くは、防衛省の実力者・守屋事務次官の

肩を持っている。

なり立ての素人女性大臣よりも4年間の実績がある守屋事務次官の肩を
持つのは、ある意味で当然の成り行きかもしれない。それだけ日本の防
衛力強化は重要な段階にさしかかっているといえよう。

小泉内閣の防衛費は削減されたというが、内閣官房予算の情報収集

衛星 (軍事偵察衛星)関連経費612億円、別枠計上された

米軍再編調整関連費、
危機管理体制充実強化経費などの別枠経費を加えれば、

実質増加予算となっている。

この知恵は守屋事務次官において他はない。防衛省になって初の

予算要求をするに当たって、防衛省のドン・守屋事務次官が欠かせ

ないという見方もある。

防衛庁の発足以来、シビリアン・コントロールの名の下に制服組に対す
る内局の優位が必要といわれてきたが、むしろ膨大な予算を預かる

内局、 そのトップに立つ防衛事務次官のウエートが高まっていること

の方が重要なのではないか。

その意味では小池防衛相は孤軍奮闘、険しい表情になる。私は留任

の可能性は5分とみている。

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「始末に困る人」に惑う
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        平井 修一

小沢ジチロウは天下を取って何をしたいのだろう、どういう日本にした
いのだろう。青写真が見えない。

自爆テロで日本の改革・維新派をぶっつぶして、明治以来の共産主義独
裁国家のような公務員天国、官僚王国を保守しようとしている
。そうし
てどんな社会を築きたいのか、明確なメッセージが全然見えない。

見えるのは「バラマキ」だが、それは選挙向けの「撒き餌」、一種の
「詐略」(詐欺・謀略)で、本気だとはとても思えない。

明治維新は尊皇攘夷のエネルギーで幕府を倒した。薩長土肥は天下を

握 るや文明開化で一気に開国した。攘夷の気分、世論の勢いに乗じて

西洋化、近代化を図った。詐略である。

この「詐略」を、西郷先生はどう思っているのか。先生の言葉を小生は
こう解釈している。

「奇計(巧みな作戦)、詭計(謀略)、姦計(邪道な作戦)などの詐略
は、平時にはすべきではない。良い結果を生まず、必ず悔いることにな
る。ただ、戦時では詐略は必要不可欠だ。

しかし、平時に詐略を用いていると、戦時での詐略の効果はない。平時
に誠を貫くからこそ、戦時のここ一番というときに詐略は効果をあげる
のだ」

農民など弱者の閉塞感、同時に我が世の天国を離れたくない官僚・

公務員 の危機感に詐略で応えて小沢は参院選挙という戦時を制した。

その後はどうするのか。西郷先生はこうも言っている。

「詐略を用い人を籠絡して事をなすのは本来は恥ずべきことだ。ことに
あたっては公平至誠が大事であり、それがなければ人材は集まらない」

「命も要らない、名誉も要らない、官位も金も要らないという人は始末
に困るものだが、始末に困る人でなければ国家の大業は成し遂げられな
い」

小沢は天下を取ってどうしたいのか、国家の大業を言え。大日本帝国
(帝の国)にトドメを刺して国連の信託統治国のようにしたいのか。中
共の属国にしたいのか。
マッカーサー憲法を恥と思わないのか。

安倍も「始末に困る人」として自爆の覚悟で政局に臨め。安倍の来年が
あるかどうかわからないのだから15日を除いて靖国参拝の機会は未だ

あるといえるのか。



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政界再編成の願望
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          渡部亮次郎

以下は1年以上前に配信した原稿だが、情勢はさっぱり変わっていない。
敢えて再掲する。

私自身、公明党に頼る自民党が情けなく、モザイクのようなルツボのよ
うな民主党にはもっと頼りたくない
。何とか死ぬ前に晴れ晴れと支持で
きる政党に出合う事はできないものだろうか。

アメリカが好きか、嫌いか、嫌いではない。再軍備賛成か嫌いか、賛成。
憲法改正賛成、教育基本法改正賛成、宗教団体の政界進出大反対

核武装賛成。そういう政党が出来ないだろうか。

日本が中国大陸で苦戦した末にアメリカに飛び掛った時は5歳。間もなく
6歳になって4月から学校に行ったら「国民学校」となっていた。虚弱児
童で、3年生までは、よく吹雪に飛ばされて小川に落ちた。

腎臓が弱く、味噌汁を禁止された。飲みにくい水薬を飲み続けて味噌汁
が飲めるようになってから急に元気になった。国民学校3年生、戦雲が
急を告げている事は子供心にも分かった。

奥羽山脈を越えて太平洋岸の岩手県釜石へのアメリカ軍の艦砲射撃

の振 動が日本海岸にまでつたわってくるんだもの。

日本の狭さをこのとき実 感した。

当時の釜石製鉄所が壊滅した。

昭和20(1945)7月14日午後、カーンという変ったエンジン音をさせてア
メリカの艦載機が3機飛んできた。太平洋上の航空母艦からである。き
うり畑に隠れて見上げていると突然煙を吐いて1機が急降下した。

「落ちた、落ちた」と喜んだら違った。ダダダダッ。奥羽本線の貨物列
車の機関車に射撃を加えたのだった。
他に八郎潟のどこかも射撃され、
死傷者が出たらしかった。

それから丁度1ヵ月後の夜、自宅から数キロ離れた秋田市土崎港にある
日本石油秋田製油所が米軍機の大群に襲われた。1995年5月に入手

した 『米軍資料 日本空襲の全貌 マリアナ基地B29部隊』と言う本に

記録が 残っている。

参加部隊は第315航空団、出撃機数141機、投下爆弾953・9トン

損失機数0。成果は未確認。敵機を視認せず。重砲貧弱、不正確な

対空砲 火に遭遇、平均燃料残量1345ガロン。

悠々の帰還だったわけだ。

そりゃそうだよ、日本は既にギブアップを通告していたのだもの。アメ
リカは底にズルさを隠していること、2006年3月のWBCにおける審判の

イ ンチキを見るまでもないわけだ。

話が大分それてしまったが、敗戦の結果、日本政府が試みようとして試
みられなかった農地解放が占領軍によって簡単に実現してしまった。

都会に住みながら地方の小作人に農地を貸して、収穫物を手中にしてい
た不在地主は所有農地の全てを小作人に取られた。私の親戚でも田圃を
かなり小作に出していた薬屋の大叔父がショックで自殺した。

とはいえ、小作人だった大部分の農家は、これからは生産した作物は

全 て自分のものとなったから増産に励んだ。所有欲こそはマルクスの

読みきれぬ経済要素であった。

登場した吉田茂内閣は国防の全てをアメリカ軍に託す日米安保条約を

締 結。その前にマッカーサー元帥から押し付けられたいわゆる

平和憲法を 恭々しく拝受。天皇国家でなく、只の国に落ちぶれて恥じる

ところが無 かった。

農民は自転車を買いラジオを買い、やがては男の子を東京の大学

入れ るまでになった。地主に納めていたものも自分のものになったの

だから、 化学肥料の導入とあいまって田圃の収穫が実質4倍ぐらい

になったのだ。

こうした農村を取り込んで自民党が殆ど戦後一貫して政権を獲り続けて
きたわけだが、ここ10年ぐらいは「無党派層」の増大が顕著になった。自
民、民主、公明、共産、社民とあるが、それでも吸収できない層が大きくな
っているのである。

片山内閣はあったが、それ以外は細川、羽田、村山すべて自民系と言っ
ておかしくはない。細川も羽田も元はと言えば自民出身者だし、村山内
閣に至っては看板だけだった。

つまり、保守勢力は這う戦後の60年以上を政治的に支配し続けてきた。
また、そのために公明党と組んだり、社会党に衣を借りたりしているう
ちに、今日のように公明党に事実上、支配されるようになってしまった。

教育基本法改正で「愛国心」をボツにされたり、防衛「省」の昇格にブ
レーキをかけられたり、一番問題なのは憲法改正にムレーキをかけられ
て文句が言えない。
換骨奪胎もいいところだ。

自民党はピザパイにたとえれば基礎をなす生地であるにも拘らず、公明
党はチーズなどの具だけで自らを売っている。自民党はいい面の皮だ。


公明党を通じて在日韓国・朝鮮人の意図が自民党を深く蝕んでいる

公 明党が彼らの参政権にいかに真剣か考えても見給え。

自民党が公明党と連立を続ける事はそれだけ、日本が日本でなくなっ

てゆく過程である。

かくいう私は自民党政権の外務大臣や厚生大臣の秘書官までやり、

自民 党の固い支持者と見られがちだが、公明と組んでいることが

なによりも不満。自民党への投票は厭々なのだ。

さればとて昔の社会党が嫌いだから民主党も支持できない。無党派層と
はいいながら厭々自民党に投票している。実に情けない公民なのである。

実際のところ、自民党政権はかなり前に破綻している。田中角栄の描い
た公共事業ばら撒き行政のツケが来た時に破綻した。

たとえば全国各地 に造った年金資金の城。

あれの全ての破綻が明らかになった時を以って
自民党政治は破綻したのだ。

対処させられた小泉政権は国民を騙し騙ししながら5年という、日本にし
ては長期政権を保ってきたが規制緩和の美名に隠れて負債だけを膨ら

ます政権に過ぎなかった。

ならば次に政権を担当する安倍晋三は、この負債を消化する効果的な方
法を所持しているか。あるワケがない。あるとすればそれは手品に過ぎ
ないからである。

次に小澤一郎に策ありや。あるわけが無い。あれば元々小泉政権の

出現を許すわけがなかったではないか。

800とか900兆円という国の借金。実は重ねて言うが、これらのすべてが
「日本列島改造論」の決算、田中政治を止められなかった自民党政治の
決算書。国という人格があるわけじゃない、我々の借金なのだ。

翻って民主党。それにもかかわらず、新党首小澤一郎は人事は田中流、

選挙対策も田中流と、30年前の過去に戻って日本列島改造論を再び

展開しそ うな勢いだ。

要するに、戦後の政治家はイデオロギーなく哲学無く、時と場合の民心
の赴くところに従った、欲望の処理策こそが政治だと誤解してきたから
こんな体たらくになった。私も誇りを捨てて無党派層?
(文中敬称略)2006・04・16



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忠犬ハチ公物語(3)
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           飯田 昭一

(前号より続き)
http://www.tamagoya.ne.jp/showa/archives/2007/08/110.php

[筆者注記 秋田犬に関する私見]

以上に書いたことは「忠犬ハチ公」に関する一般的の事柄ですが、既に
80年以上も経過している訳ですから、実際に見聞きした人は殆ど生存
していない状況では、「伝説」の話になり勝ちですね。あまりに有名に
成り過ぎていますから、話が美化されているようにも思えます。

私は戦前は幼かった関係で、飼っていたのは「シェパード」でしたが、
当時から日本犬・・特に大型の秋田犬が欲しくて仕方がありませんでし
た。詳しくは又後に書きますが、自分で飼えるようになったのは戦後の
ことです。

秋田犬専門で多いときは子犬を含めて15頭もいました。ですからそれ
なりの研究もしてきました。それで「忠犬ハチ公」の事についても、秋
田犬としての私見を書いて見ようと思います。

確かに「秋田犬は一主にしか仕えない」と云う性格はあります。幼犬の
時から一人の人が面倒見がよく、常に一緒に生活すれば主人と他の

人で は態度が違って来ます。主人の云うことは絶対です。ですから

「ハチ公」 の行動は確かに秋田犬の基本的な習性は持っていたと

思います。

でも云われているように「純粋の秋田犬」であり、血統書まで付いてい
た・・とは疑問です。大正時代の秋田県大館あたりの秋田犬は殆ど放し
飼いであり、マタギ猟に使われていました。

つまり大型の猟に、例えば熊とかイノシシだとか鹿などの狩猟に使われ
て居て、普段は大きな木の根のあたりに残飯をぶちまけ、そして味噌汁
なんかを掛けて、肉類は猟があったときだけ食べさせて貰えると云う、
今の愛犬家には考えられないような状態でした。

それに大館城主が「闘犬」好きであったことから、此の地方の人達も
「闘犬」を好んで、強い犬を作ろうとして、やたらに他犬種を混ぜてし
まったのです。ですから明治、大正時代には純粋の秋田犬はいなくなっ
たと云われて居ます。

明治33年に大正天皇が未だ皇太子の時代に、秋田犬が2頭献上されたと
云い、今其の写真が手元にありますが、画像が悪くはっきりとは見えま
せん。此の犬は大正3年に大正博覧会に出陳されたとありますが、定か
ではありません。

國に於いても大正の初期から秋田犬の保護に対する世論が高まって、大
正8年に渡瀬庄三郎博士が中心となって、種族保存に対する法律が施行
されました。

それで博士が大正9年に大館地方に調査に来られたが、秋田犬のタイプ
があまりに雑多で天然記念物に指定することは出来なかったと云います。
このことは大正11年の動物学会において「日本犬の起源について」を
発表しましたが、一番の議論の焦点は秋田犬であったと云われています。

又、昭和に入ってから日本犬に対する世論が高まって、昭和2年5月に
「秋田犬保存会」が設立され、昭和3年6月には「日本犬保存会」が設
立されました。

此の「日本犬保存会」は秋田犬ばかりでなく、北海道犬、柴犬、甲斐犬、
四国犬、紀州犬などの保護に当たりました
。このほかに越の犬、とか樺
太犬、高安犬なども居ましたが、現代では絶滅したか見ることも出来な
い犬種もあったようです。

その後昭和6年春に東大教授の鏑木外岐雄理学博士が団長となって

再度 大館地方に調査をされて保存の意義を感じ、初めて「秋田犬」と

云う種族に対して「天然記念物」に指定したそうです。

その時昭和6年7月に指定した対象犬に泉茂家氏の「金号」(牡)・「松
風号」(牝)、一関氏の(牝)、青柳氏の(牝)、高橋氏の(牡、牝)、田山氏
の(牡、牝)等の数頭であったと云います。

ですがこの中に「忠犬ハチ公」の生家とされる斉藤義一氏の名前がない
のはどうしてでしょうか?昭和6年に鏑木博士が天然記念物に指定した
頃にはまだ「忠犬ハチ公」は生存していた筈ですけどね。そしてこの頃
から「秋田犬」と名称が変わった・・と云います。

これらが事実とすれば 、大正12年に生まれた「忠犬ハチ公」は「秋田犬」
ではなかったことになり、その地方の土着犬と他の犬との雑犬であった
ことになります。

確かに一主に仕えた行動を見れば「秋田犬」の素質は持って居たとは

思い ますが、ここで「忠犬ハチ公」についてどうこう云うのではなく、

純粋 な「秋田犬」であったのかどうか・・と云うことです。

そうだとすれば「ハチ公」の父犬が「大子内号」だとすれば、「大子内
号」の父犬が「一文字号」と成る訳ですね。

「昭和一桁生まれの「ひとりごと」 [111] 忠犬ハチ公物語(3)」
著作者名:飯田昭一氏の許可を得て転載。
元記事URL:
http://www.tamagoya.ne.jp/showa/archives/2007/08/111.php