靖国は国家の柱の一つ
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▼靖国は国家の柱の一つ(The planet earth)
「靖国の意味を多角的に 」8月17日8時0分配信 産経新聞
劇画誌「ガロ」で知られる青林堂が『日本人なら知っておきたい靖国問題』を出版した。靖国神社崇敬奉賛会主催の勉強会やセミナーで行われた講義・討議・質疑応答などの速記録を再構成したものである。登場するのは大原康男、小林よしのり、小堀桂一郎、高森明勅、中西輝政、西尾幹二、長谷川三千子、百地章という、かねてから靖国問題に心を寄せ発言してきた8氏。
歴史解釈にとどまらず、法律論、文明論、国防論、外交論、国家論といった観点から靖国問題を読み解いてゆく。この多様さは従来の靖国本になかったものだ。 専門分野の異なる8氏だが、「どこの国にとっても、やはり戦没者の慰霊と顕彰ということは、国を支える根幹の営みであり、これが崩れるとすべてがおしまいになる」(中西氏)という基本認識で一致。その意味で中国が対日戦略において靖国に照準を合わせているのは理にかなったことだといえる。
靖国をめぐってとかく問題とされる政教分離と「A級戦犯」合祀(ごうし)についても、古来わが国を貫く民族精神を踏まえた説得力のある見解が披瀝(ひれき)される。
高森氏は「政教分離というのはあくまで信教の自由を守るための手段の一つ」と述べ、「政治家がいわゆる『A級戦犯』の分祀を靖国神社に迫るのは明白な政教分離違反、憲法違反」と言い切る。また「戦没者に対する慰霊、追悼、顕彰、感謝ということと、この戦争(大東亜戦争)をどう評価するのかという歴史評価というのは別次元のもの」という指摘は傾聴に値する。
小林氏は「アメリカなどに頼らずに、自分たちの国の運命を切り開かなければならなかった。その時の国民、その時の指導者というのは大変だったと思う。だから、今、だれがA級戦犯でだれが作戦を間違ったというようなことは言いたくない」「現代の我々が安楽いすに座って、それを安易に裁断して、自分一人が快をむさぼるようなことだけは決してしてはいけない」と、現代から過去を裁断する愚を犯してはならないと強調する。
中国の執拗(しつよう)な干渉について大原氏は「日本人固有の宗教感情、道徳感情に対する文化干渉」と前置きしたうえで「中国は『墓を暴く文化』なんです。ここでは明らかに『墓を暴く文化』を我々に押しつけている」と指摘する。
巻末の資料集も簡にして要を得た内容である。(桑原聡) 最終更新:8月17日8時0分
親米保守だけではバランスを欠くから反米保守も参加しないといけないが、その中で反米保守の長(?)の西尾幹二が加わっているだけで随分違う。産経の正論(2007/04/27)でも安倍首相の政治姿勢を批判していたし、時の政府だけでなく米中どちらでも影響したら日本の中の靖国は語れない。新聞もTVも総理大臣の靖国参拝に反対が多数だから、少数派であるこの人たちに頑張ってもらいたい。このメンバーで靖国では小林よしのりが一番人気か?中国が総理大臣の参拝は問題だと言い始めて、それまでは参拝に何の疑問を持たなかった人が、中国に合わせるようにしたのは、その人が日本が困るのではなく中国が困り、その人も反対しないと困るからだろう。 韓国は中国の尻馬に乗っているだけで、中国と合わせて行動するだろう。このような人たちと同じく信念を曲げない総理大臣が今の日本に必要だと思う。
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ようちゃんの意見。↓
★靖国神社には大東亜戦争,第二次大戦の戦没軍人だけが
奉られてるのでは無い!
http://
日清・日露戦争や又明治維新前後の内戦
西南戦争ほか 台湾出兵ほか 北清事変(義和団事変)
第1次世界大戦・シベリア出兵 済南事変(山東出兵)など
多数の明治期から近代日本の建国に献身された方々が居るのです!!
それに軍人だけでは無い!!
「日本商船隊戦時遭難史」 戦時船舶輸送に従事した方
,調査海洋船舶での魚雷で落命された方。従軍医師,記者も居るのです。
日本の建国の為に生命を消失された方を慰労する思いで作られた・
★戦犯は居ないのです!!
Let's Blow! 毒吐き@てっく http://
サンフランシスコ講和条約には、わざわざ11条という例外規定があった。
1952年(昭和27年)4月28日サンフランシスコ平和条約発効
第11条(戦争犯罪)
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
で、我が国はどうしたか
1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
1953年(昭和28年)8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
戦犯の国内での扱いに関して、それまで極東国際軍事裁判などで戦犯とされた者は国内法上の受刑者と同等に扱われており、遺族年金や恩給の対象とされていなかったが、1952年(昭和27年)5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となった。
これにより1952年(昭和27年)4月施行された「戦傷病者戦没者遺族等援護法」も一部改正され、戦犯としての拘留逮捕者について「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する事になった。戦犯刑死を一般に法務死と呼ぶことも多い。
1952年(昭和27年)6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、1952年(昭和27年)12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、そして戦犯赦免釈放を求める国民運動は加熱し署名数は4,000万を数えたと言われる。これを受けて1953年(昭和28年)8月3日「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決された。そして「恩給改正法」では受刑者本人の恩給支給期間に拘禁期間を通算すると規定され、1955年(昭和30年)には「 戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がされた。
それからね、戦争した国に対しては・・・
国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きにもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年に、BC級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放された。
いや、東京裁判の「判決」は受け入れると、サンフランシスコ講和条約に署名したからね、その11条にしたがって、外国に交渉して、赦免を認めさせた
我が国には「戦犯」などいない
で、小沢はこう言うとる
「戦争を指導した人たちは靖国に本来祀(まつ)られるべきではない。戦争で亡くなった御霊を祀る本来の靖国神社に帰すべきだ」
あほか?
あの、東京裁判っていう、勝者の復讐劇。
我が国の国体を、そして陛下を、野蛮な連合国から守るための戦い―戦争だったんぢゃ!
アメリカの手で、巣鴨プリズンに入れられ、復讐劇にかけられた我が国の指導者だった方たちは、従容として死に臨まれたでもね、それは判決に納得したからじゃなく、日本の国家と国民に対する敗戦の責任をお感じになったから
獄中で病死した東郷茂徳閣下はこう詠まれた
「我はここに 慎み居れり 但(ただ)しこれ 御国に対する ものとこそ知れ」
東条英機閣下はこう「身を千々に 砕きさくとも 償(つぐな)えじ 栄ゆる御世を 堕(おと)せし此の身は」
昭和20年9月11日、アメリカ軍憲兵が東条閣下を逮捕した時、日本側はこれに抗議して、以降戦犯の逮捕は占領軍の命令に従って日本側が行うこととした。そして、閣議では戦犯の裁判も日本の手で行うことをGHQ(連合国軍総司令部)に要求することを決定した。ところが、この決定に先帝陛下(昭和天皇)から異議がでた「昨日までひたすら忠誠を尽くした臣僚を、朕(ちん)の名において処刑することは、朕においては忍びない」とこれに対して重光葵閣下が、占領軍がこれに同意する可能性はないが、日本の主権を擁護するため要求せざるを得ないとご説明して、やっと陛下は「わかった」と仰せになった
先帝陛下(昭和天皇)にとって、東条閣下を含む、俗に言うA級(A区分、A種)戦犯にされた方々は、全て忠良な臣僚その方々を、分祀しろだの、政権を獲ったらすぐにやるだの・・・小沢よ、おまいは我が国から出て行け!おまいらなんかに、絶対に政権など獲らせるもんか大体、戦争ってもんは、講和条約が締結されて、主権が回復するまでは終わってないんだよ、特に負けた国にとってはね
何処の先進国にも軍人の慰霊施設や墓地はある。
だから、サンフランシスコ講和条約が締結されたとき、滅多に人前で涙見せない白洲次郎さんも泣いたし、吉田茂首相は、幼い太郎ちゃんを連れて、英霊に報告するために、靖国さんに参拝したんだよ。
★世界の軍人慰霊施設
米国 アーリントン墓地
パリ・凱旋門の真下にある無名戦死の墓(WW1&WW2)
ミュンヘン・レジデンツ内にある無名戦死の墓(ドイツ統一戦争~WW2)
ルクセンブルクノートルダム横にある無名戦士の墓(WW2)
ブリュッセル・商店街内にある無名戦死の墓
モスクワ・クレムリン内の”無名戦士の墓”
あとヴォルゴグラード(言うまでもなく旧スターリングラード)の
ママイェフの丘なんかは全体が”慰霊施設”だからねぇ