台湾人はなぜ親日なのか | 日本のお姉さん

台湾人はなぜ親日なのか

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼台湾人はなぜ親日なのか」 フジテレビあいのりより 

~知らなかった歴史を知るということ~(アジアの真実)
日本精神:フジテレビ あいのりHP

この日メンバーが向かったのは台北から1時間の場所にある『大渓』。やってきたのはとある公園。すると・・・


 モリケン「燈籠だ」
 グラさん「てかなんか日本ぽい感じの」
 鉄平「えっ?なんで日本の神社がここにあるの?」
 林さん「ここは昔日本人が造った神社があった場所 その後中国人に壊されて 今これしか残っていない」


さらに奥に進むと日本式の木造の古い建物。そして瓦屋根。すると・・・


 おばあさん「こんにちは」
 メンバー「こんにちは」
 おばあさん「日本の方ですか?」
 メンバー「はい」


一人のおばあさんが日本語で話しかけてきた。 実はこれまでも「コンバンワ」「オソナエモノ」たくさんの日本語をしゃべる台湾の人たちと出会ってきた。


 グラさん「日本の方なんですか?」
 おばあさん「いいえ 台湾人です」
 モリケン「台湾の方で」
 おばあさん「はい はい」


しかし、おばあさん「私は李という者で日本の名前は樺島です 日本人大好きです 今でも心の中では日本人だと思っています」自分のことを日本人だと思っているというおばあさん。これは一体、どういう事なのか?



~あいのり講座・日本人大好き台湾の謎~

 19世紀末、日本は日清戦争に勝利。清の領土であった台湾の統治権を得た。これ以降およそ50年間台湾は日本の植民地となったのだ。日本がとったのは同化政策。つまり台湾を完全に日本化しようとする政策である。
台湾人の名字も日本名に。教育も日本語で行い、台湾人を日本人にしようとした。さらに、生活のレベルを日本と同じにするため様々なインフラを整備した。台湾の南北を結ぶ縦断鉄道を建設、広い道路を造り上下水道を街中に整え大きな病院も造った。それらは当時の日本よりも優れた設備だった。
 当時貧しさと闘っていた台湾の人たちの生活はどんどん改善されていった。日本の取った同化政策が結果的に台湾を豊かにしたのだ。

李さん「日本人の方はね台湾に来て いろいろ建設しましたよ みんな日本のおかげですよ 日本(時代)の時は 日本の正月迎えます 玄関の前にね 門松を立てて」
 モリケン「あぁ 今も」
 李「今もある?そしてあの国旗も掲げます」

 そんな平和な台湾に激動の波が押し寄せる。1945年第二次世界大戦に敗れた日本は再び台湾を今の中国へと返還。しかし、当時の中国は二つに割れていた。毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党。毛沢東の勢力に負けた蒋介石は大陸中国を追われ台湾を統治。独立国を宣言して、国連に加盟した。遅れること26年、1971年に国連が大陸中国の加盟を承認し、アメリカや日本も賛成。これに納得のいかない台湾は国連から脱退。このとき以来台湾は国際的には、中国の一地方として位置づけられてしまった。しかしその後台湾は、めざましい経済発展を遂げた。
 その礎を築いたのは日本だと考えているため台湾には親日的な人が多いのである。



 モリケン「日本人に対する恨みは何もない?」
 李さん「ないです 皆日本慕ってますよ あの恨んでないですよ
 ねこ「自分は日本人?それとも台湾人?中国人?どの国?」
 李さん「みんな今はね中国人とは思わない台湾人 だけど心の中ではまだ日本人みたいですよ みたいに思っています みんな日本時代はもうとても教育も受けてよく教えてくれた 日本精神をね みなさん日本精神わかる?日本精神というのは義理堅い 真面目 勤勉であって 台湾人は日本人よりも日本精神を守っているそうです」
メンバー「ははは」
 李さん「日本を大事にしてください 私達の好きな日本をね そして日本と台湾の架け橋の新しい方になってください」
 モリケン「はい」
 李さん「私もとても期待しています やっぱり日本人が好きだから・・・」

 日本人以上に日本を大切にしている台湾の人達。日本が承認している世界の国は191カ国。その中に台湾は入っていない・・・


 8月13日にフジテレビ系で放送された「あいのり」で台湾はどうして親日的なのか。という内容が放送されていました。私はリアルタイムでの放送は見逃しましたが、公式HPと該当部分の動画などで大枠を知りました。(→参考動画)

 当Blogでも過去に、高砂族の話 や、「日本人はとても素敵だった」 という書籍の紹介などで、台湾の親日ぶりを紹介してきました。我々が受けた自虐教育や、中国や韓国による度が過ぎる反日ぶりを紹介するマスコミからだけの情報にしか触れていないと、日本が統治、駐屯していた国では、日本は悪の限りを尽くしており、全ての国と国民が日本を恨んでいるはず。と思い込みがちです。この番組で登場するおばあさんのあまりの親日ぶりに驚き、「日本に対する恨みは何もない?」と聞いてしまった若者の言葉がそれを強く表しています。彼は別に特別無知なわけでもない。残念ながら、自虐史観に侵されている多くの日本人は同じ考えを持ってしまうことでしょう。しかしながら、彼らはこのおばあさんの話を聞き、過去の日本に対し、どことなく心地よい、今までと何か違う感情が芽生えたのではないでしょうか。

台湾問題についても、まだ日本ではタブーであるという印象が拭えません。建前上、日本は政府として「一つの中国」制度を支持していることになっている為、台湾問題についてあまりマスコミが詳しく触れることはないように思えます。その為、台湾問題に対する本音と建前を正確に理解していない人は案外多いのかもしれません。


台湾への軍事侵攻のタイミングを中国が虎視眈々と狙っていることを知っている人はどれくらいいるでしょうか。


またそのとき日本がどうするべきなのか、何ができるのかを考えたことがある人はどれくらいいるでしょうか。上記の番組引用の最後の言葉がそれを考えさせてくれる一つのきっかけになっています。

つくる会の教科書へ対する執拗な攻撃などを見て分かるとおり、歴史をもう一方から見ようとするとき、日本ではその動きを封殺しようとする動きがまだまだあります。それは国内の反日団体であったりマスコミであったり、また中国や韓国の民間や政府機関であったり・・・

 しかしながら我々日本人は、今それを知る必要があります。同じく統治を行った韓国でも同様にインフラ整備を行い、同じく教育を行ったはずなのに、なぜ韓国ではそれが全て搾取と虐殺という言葉に摩り替わってしまっているのだろうか。その意図は何なのか。なぜこれほどまでに台湾と韓国は違うのか。一方的な情報だけでは、この答えを見つけるどころか、この疑問にすらたどり着けないのです。

このようなBlogで記事を発信し続けるのと比べ、たとえ短時間でも全国区の番組でテレビ放送されるのでは影響力に圧倒的な差があります。今回人気番組の中でこのような内容の放送がされたことを嬉しく思います。今回の放送を機会に、少しでも多くの人が何かに気づき、興味を持ってくれたらと思います。
ようちゃんの意見。↓
★この時間にNHK「NHKスペシャル A級戦犯は何を語ったのか~東京裁判・尋問調書より」(P.M.10:00~11:20) 「日本が侵略・・・」と繰り返すから癪にさわったので”ガチャガチャ・・・><です.
「あいのり 講座・日本好き台湾謎」(P.M.11:00~11:30)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

でもさ。日本が台湾を今のチュウゴクに返還したというのは

間違いだよ。

日本はアメリカに台湾を放棄させられただけで

チュウゴクに返還など、していないぞ。by日本のお姉さん


-------------------------------------


▼河野式辞・これが戦没者遺族に投げかける言葉でしょうか(国を憂い、われとわが身を甘やかすの記)


野氏の政治信条が安倍氏と正反対だとして、それが武道館に集まった遺族たちに何のかかわりがあるというのでしょうか。天皇皇后両陛下の目の前で、ときの首相をあてこすり、厳粛な式典の品位を落とすような行為を、この人はどうしてしなければならなかったのかと疑問でなりません。英霊の鎮魂についても、勝手に自分の考えが唯一の方法だと述べています。

 河野氏は最後に、報復や脅迫の論理ではなく、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現に尽くしていると自賛しましたが、河野氏が愛してやまない中国が、そんな国ではないことは、地球人類の半分ぐらいは知っている常識だろうと思います。あまり下品な言葉は遣いたくありませんが、私はこのあいさつ文に、正直なところ吐き気すら覚えます。


きっと河野氏は、自分自身のことを、世界平和をまじめに祈る同情深いいい人だとでも認識しているのでしょうが、この文章から浮かび上がる姿は、自分勝手で他人の気持ちが分からないナルシストという感じでしょうか。たぶん、何を指摘されても決して反省せず、いつも自分は正しいと思うタイプの人なんだろうないう気もします。私は他人のことを言えるようなまともな人間ではありませんが、この人に対しては…。

さて、一方、江田五月参院議長の追悼の辞は次の通りです。この人も憲法を前面に打ち出し、わが国の加害を強調している点では河野氏と似ていますが、まだ抑制が効いているように思いました。まあ、北朝鮮の拉致実行犯、シン・グァンス元死刑囚の釈放嘆願書に署名した人ですから、河野氏と同じような考え方をしているのかもしれませんが。

 《天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が行われるに当たり、参議院を代表して、謹んで追悼の言葉を申し上げます。
 幾多の悲しみをもたらした先の大戦が終わりを告げたあの夏の日から、はや62年の歳月が過ぎました。あの苛烈を極めた戦争の犠牲となられた多くの方々の無念の気持ちに思いを馳せ、最愛の肉親を失われたご遺族の皆さまの深い悲しみと戦中戦後の長きにわたるご労苦を思うとき、今なお痛恨の情が胸に迫るのを禁じ得ません。
 戦後、わが国は、日本国憲法の掲げる平和と民主主義の理念の下で、国民のたゆまぬ努力によって、焦土の中から今日の飛躍的な発展を遂げてきました。今日、平和と繁栄を享受しているからこそ、それだけ一層、私たち国民一人ひとりが平和の尊さとそのための努力の大切さを改めて深く胸に刻み、わが国だけでなく広く世界のすべての人々の平和と幸福の実現に努力していかなければなりません。
 先の大戦では、わが国の侵略行為と植民地支配により、アジア諸国をはじめとする多くの人々に多大な苦しみと悲しみを与えました。その深い反省の上に立って、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという固い決意を改めて確認し、世界の人々から信頼される平和国家を築いていくことは、私たちの責務であります。そして、世界の人々と手を携えて、核兵器の廃絶はもとより、あらゆる戦争の根絶に向け、積極的に訴え行動していかなければなりません。
 世界では、地域紛争や民族・宗教間の対立など、現在も争いが絶えることなく続いているのが現実です。世界が様々な困難を克服し、この地球上に生を受けたすべての人々に平和で希望に満ちた未来を約束できるよう、参議院においても、国政審議等を通じ、今後とも渾身の努力を傾けていくことをここに固くお誓い申し上げます。
 終わりに、戦没者の方々にあらためて追悼の意を表し、ご遺族の皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈りして、私の追悼の言葉といたします。》

 この戦没者追悼式には私は行っていませんが、式典と同じころ、靖国神社に参拝(取材)に行ったのでそのときの写真をアップします。過去最高の人手だった昨年に比べ、参拝客は少なかったのですが、暑さは半端ではありませんでした。
大鳥居から地下鉄の駅に向かう路上では、さまざまなビラが配られていました。また、左翼過激派らしい集団が、「国会議員の靖国参拝を許すなぁ」「靖国神社粉砕!」などと騒いでいましたが、どうでもいいので特に注意を払うこともせず通り過ぎることにしました。

~~~~~


やはり、文章には書いた人の

ひととなりが出るもんですな~。

河野式辞は、にくたらしい。

あてこすり、ひにく、しかえし、心の醜さなど

一杯詰め込まれた文章ですわ。

こんなヤツに限って、日本が戦争した当時の世界の様子など

勉強してもないし、反省もしていないと思うわ。


わたしの文章は、どうだろう!?

性格が現れてるかな、やっぱし。

にくたらしい?by日本のお姉さん

http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/268528
終戦の日である昨日、東京・北の丸公園で開かれた全国戦没者追悼式での河野洋平衆院議長のあいさつ文を読んで、私は言葉を失いました。この人のあいさつ文が独りよがりで変なのはいつものことですが、よりによってこれが、全国から集まった戦没者遺族に投げかける言葉なのかと。これは、肉親を失った遺族への深い思いや共感のたぐいでは決してなく、単なる河野氏自身の安っぽい自己満足のせりふの羅列ではないかと。こんな人を3権の長として奉っているわが国の不幸に今更ながらに気分が暗くなります。

 まずは、河野洋平衆院議長の追悼の辞全文を掲載します。

 《天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の辞を申し述べます。
 終戦のご詔勅のあの日から62年の歳月が流れました。国策により送られた戦場に斃れ、あるいは国内で戦火に焼かれた戦没者の御霊に中新り哀悼の誠を捧げます。
 今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の方々の尊い犠牲の上に築かれたものであり、私たちは日本人として、これを決して忘れてはならないと思います。300万余の犠牲は、その一人一人が、一家の大黒柱であり、あるいは前途に夢を持ち、将来を嘱望された青年男女でした。残されたご遺族の悲しみを思います時、私は失ったものの大きさに胸が潰れる思いであります。
 そしてそれは、わが国の軍靴に踏みにじられ、戦火に巻き込まれたアジア近隣諸国の方々にとっても、あるいは真珠湾攻撃以降、わが国と戦って生命を落とされた連合国軍将兵にとっても同じ悲しみであることを私たちは胸に刻まなければなりません。また私は、日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います。
 私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちを繰り返さない」ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた、「日本国憲法」に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました。
 今日の世界においても紛争は絶えることなく、いまも女性や子どもを含む多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいます。核軍縮の停滞がもたらした核拡散の危機は、テロリズムと結びついて私たちの生存を脅かそうとさえしています。私たちは、今こそ62年前の決意を新たにし、戦争の廃絶に向け着実な歩みを進めなければなりません。その努力を続けることこそ、戦没者の御霊を安んずる唯一の方法であると考えます。
 私は、国際紛争解決の手段としての戦争の放棄を宣言する日本国憲法の理念を胸に、戦争のない世界、核兵器のない世界、報復や脅迫の論理ではなく、国際協調によって運営され、法の支配の下で全ての人の自由・人権が尊重される世界の実現を目ざして微力を尽くして参りますことを全戦没者の御霊を前にお誓いし、私の追悼の詞といたします。》

 河野氏は、型どおりに遺族たちへの同情を示した上で、いきなり、その思いはアジア諸国民や連合国軍将兵の家族も同じなのだとお説教をたれています。真珠湾攻撃にまで言及して。まるで、悲しいのはあなた方日本の遺族だけではない、日本が悪いのだから我慢しろと言っているようにも感じました。また、河野氏が言う「日本軍の一部による非人道的行為」とは、明言はされていないものの、これまでの彼の言動から慰安婦に関することだと分かります。そして、謝罪とお見舞いの気持ちを改めて強調していますが、それが戦没者を慰霊する日に遺族にわざわざ話すことでしょうか

 河野氏はさらに、私が前回のエントリで触れた広島の原爆慰霊碑の碑文と同じ言い回しで、日本国民は「過ちを繰り返さない」と誓ったと決めつけています。先の大戦の評価に関しては、悲惨の結果を生んだこと自体はだれしも認めることであっても、「あの状況下では、戦争に至ったのもやむをえない」という考え方も決して少なくないと思います。終戦50年の年の平成7年のことですが、サヨク・リベラル路線で有名な岩波書店の編集者と意見交換した際も、相手は「戦争自体はやむをえなかった」と率直に語っていました。要するに、多様な考え方があるのは分かり切っているのに、河野氏は評判の悪い碑文の言葉を日本国民の共通認識だとしたわけです。

 その上で河野氏は、これまた文脈上、不必要な「新しいレジーム」という言葉を用い、安倍首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」を皮肉ってみせました。