小池大臣 VS 守屋次官 8月15日
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▼小池大臣 VS 守屋次官 (清谷防衛経済研究所)
さて、世間では小池大臣が守屋次官を更迭しようとした件が話題になっています。
ぼくは小池大臣を支持します。裏では色々とオトナの事情はあるにしてもです。
まず、次官の人事権は大臣にあります。大臣が相応しくないと思う次官を更迭するのに何が問題でしょうか。守屋次官は自分に何の相談も無かったと言っていますが、大臣と次官はイーブンではありません。大臣は守屋次官を信用していないわけですから、信用しない相手に相談なんかするわけないじゃないですか。常識で考えたらわかるでしょう。
ましてや守屋氏は次官に居座ろうとしているのですから尚更です。
例えば民間企業で、会長が信用できないから首を切ろうと思っている社長に次の社長の人事を相談するわけはないでしょう。
官僚統制と書いてシビリアン・コントロールと読む、ということはぼくが昔からいっていたことで、最近は評論家の方々もこの言い回しをよく利用していますが、内局官僚が制服組を支配して、首相に任命された大臣に反旗を翻すのはシビリアン・コントロールとはいいません。
シビリアンコントロールがなんたるかも知らない、あるいは無視をするような人物であるから更迭されるわけです。
防衛省において警戒すべきは制服組のクーデターではなく、背広組のクーデター、サボタージュです。
テレビタレントコメンテーターの大谷昭宏氏なんぞは「小池氏、守屋氏ともに喧嘩両成敗にすべき」なんぞと仰っていますが、シビリアン・コントロールを理解していないとしかいいようがありません。彼が出演している番組でも内局からのリークと思われるものを無分別に流していました。ダボハゼみたいに食い付かず、もう少しリテラシーを働かせて欲しいものです。
メディアや学者センセイには官僚統制=シビリアン・コントロールと思いこんでいる人が多い(特に朝日岩波系)のは困ったものです。
普段は官僚の暴走をケシカランとかいっているのですがねえ。この手の番組は。こういう馬鹿なメディアが官僚にいいように利用されて世論を誘導するわけです。恐い恐い。
守谷氏は次官レースの時、子飼いを使ってあまり褒められない手段で次官に就いたわけです。以後、「政敵」をパージして、彼は次の次官候補を育てずに独裁体制をつくって「天皇」として防衛庁(省)に君臨してきたわけです。石破氏が飛ばした連中を、氏が長官から去るや、全部呼び返したのも守屋次官です。また次官の威をかりた課長クラスが旧軍の大本営参謀のごとく威張っていたりします。これまた困ったものです(色々知ってはいますが立場上ここでは書けません)。
守屋次官が自己の権力基盤の強化のため、次の次官となるべき人材を全部潰して来たから、小池大臣が外部から人間を連れてきたのではないでしょうか。それと防衛省から守屋色を一掃するためでもあるでしょう。生え抜きが次官になれないのは守屋次官の不徳の致すところです。他人を恨む筋合いではありません。それこそ逆恨みです。防衛省は守屋次官の私物でも、自衛隊は守屋次官の私兵でもありません。
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▼8月15日靖国参拝(訳わからんこのシャバは)
【筆者記】
今日は日本の敗戦の日、屈辱の日です、その屈辱をどのように晴らせば良いのかを考える日でもあります。
よく敗戦の日と言うと英霊に対しても失礼ではないかと言う意見もあります、しかし、きれい事は無しや。敗戦は事実である、しっかりと敗戦を受け止め、今こそ、戦後の誤った価値観から脱却し、新しい日本をつくるために、軍国主義と覇権主義に向っている中国そして先軍・軍国主義国家北朝鮮に対してどのように我が国の防衛戦略を構築していくのか、今こそ真剣に議論すべきです。
毎年、靖国神社に参拝する人が年々増えています。そのことは、参拝する人は、平和を祈念するために数多の英霊に感謝と敬意を捧げているのであり、決してわが日本は軍国主義に傾斜しているのではない、すぐにでも他国と戦争を始めようとしているのでは決してない。
ミサイルを撃ち挑発を繰り返しているのはどこのどいつだろうか。どこかのバカものたちが靖国参拝に反対しデモまでを繰り広げているらしいが、では参拝をする人たちを平和に反する行動として批判をしているのだろうか、まるで参拝することは徴兵制への道だと真剣に考え、札幌の街角で召集令状を真似た赤ビラを配布している連中もいたがほとんどが戦争を知らない連中であり、徴兵制など彼らのデマゴギーであり空論を述べているに過ぎない、平和だ、平和だと叫ぶのであれば、今の平和の日本に対して言うのではなく、北朝鮮に向っていえばいい。
それとも異常なくらい心配性で日本が平和で無くなるのではないかと、心配で心配で夜も怖くて眠れず、平和なお花畑の中でずっと今の平和のままであり続けたいと思っているがゆえに、それ以上の平和を望んでいるのか。
それとも平和という言葉は今までの伝統的な左巻きのお祭り的流行(はやり)言葉なのか。今まで一部少数民族が無視されてきた民族国家そして移民国家などから生まれた人権という言葉を日本に持ち込み、この言葉を利用し、何にでもこじつけるばか者たち、これも今の流行言葉か。
金持ちが格差社会を批判し弱者救済などいくら口先で言ってもなにの価値も無い、ましてや戦争状態が続いているパレスチナ人がこのようなお花畑日本を見た場合なんと言うだろうか。聞けば福島瑞穂は夏休みでヨーロッパに家族でバカンス旅行に行っているそうだ、高給取りが弱者の気持ちが本当にわかるのか、平和の世界しか知らない人間が平和の大切さを痛感するだと? ちゃんちゃらおかしいで。近頃は経験もしたことの無い人間があたかも経験したかのように無責任な発言が目立つ、日本は祖国、一つの民族が自分達が納める国を持つということは決して当たり前ではない、だからこそ国家は大切なものである。
わが祖国を大切に思うのであれば周辺諸国を見渡すべきだ。そしてきれい事を言わず現実を直視し中国の軍事化がどれだけ進んでいるか調べる必要があるだろう。
言っておくが低所得国家である中国の国防費は495億ドルだ、この覇権主義国家を平和な日本と比較し、中国という国を彼らはどのように考えるだろうか、ちなみに日本の国防費は437億ドルです、先進諸国の中でも日本ほど平和な国家は存在しない、だから日本のの平和を守るためにわが祖国は先守防衛が基本政策なのである。
日本は必要なところに、必要な内容で防衛を強化し、最善のセキュリティ対策を整えなければなりません、そして無理なく、無駄なく、より効果的に国民の生命と安全を守り続けなければいけないのである。それが国家の使命だ。侵略をされた時にも敵を撃退するための戦争もできない国が果たして国と言えるか。
さらに社民党などは憲法を変えるのではなく、憲法を政治や外交、そして暮らしのすみずみに活かすことに一層、努力し憲法9条をいかせば平和が脅かされることはないなどと述べています、まさしく完全に空想の世界に入り、平和念仏を唱え、国民の命を軽視しています。
そして挙句の果てに『戦争のできる国』への転換を許さずとお経を唱えています。このけだものたちに言っておくが戦争のできる国が普通の国だ、それが主権国家だ。
国連は戦争を認めており「侵略国」に対する防衛は正当なのである。それは自衛だ、日本は危険な周辺国家に対し強固な防衛国家を目指しているのである。
一方、超党派の国会議員でつくるみんなで靖国靖国神社に参拝する国会議員の会は、今日午前、会長を努める自民党議員の島村氏を先頭に民主党議員も含め、あわせて46人が参拝しました。また小泉前首相も参拝をしました、彼の15日の参拝は首相在任中の昨年に続き2年連続です。
参拝を終え、帰路につく前首相に向って記者がどのような気持ちで参拝したのですかと愚問をぶつけた記者がいましたが多分、国賊朝日新聞のボケカス記者でしょう。
また石原慎太郎都知事も都主催の戦没者追悼式に出席した後、正午過ぎに靖国神社に姿を見せました。石原都知事の15日参拝は就任2年から8年連続です。
時代は変わり、日本も戦後60年の中で人々の価値観も多様化し、様変わりしてきました、しかし先人が命が賭けて戦った祖国、靖国神社の心は永遠に変わりません。
最後に今日の平和の礎となられた戦没者の方々に心からの哀悼の意を捧げます。
高市大臣は先週から今年の終戦の日の参拝は難しいのではないかと言っていましたが参拝する意向を明らかにし、午後一時、靖国に着き、本殿に昇殿し参拝を済ませました。高市大臣は参拝後のインタビューに応じ「たった一つのかけがえのない命を国家のためにささげられた方々に対して感謝の思いとその方々の御霊が安らかであるようにという祈りと、ご遺族の方々が健康で幸せでありますようにと祈りをささげて参りました」と述べました。よくぞ、すじを通してくれましたがこれは実は当たり前のことなのです、誰に気兼ねすることもありません。自分の考えを貫くべきです。
一方、安倍総理は以前から参拝するかどうかを明らかにしてきませんでした、なんとか、靖国に参拝し英霊に感謝し御霊の平安と国家の安泰を祈念してほしいと祈っておりましたが参拝はしませんでした。
今回の靖国参拝で安倍総理は記者団に「国のために戦い、倒れた方々に対する尊崇の念・思いは持ち続けなければならない、参拝した、しなかった、する、しないが外交問題になっている以上、そのことを申し上げる考えはない、総理でいる間はこの考えを持ち続ける」と述べ、また話を濁したようです。安倍総理のこのようなあいまいな戦術をとったことに関し、失望の念を禁ずることが出来ません。今日こそ、先頭に立ち靖国神社にお参りしてほしかったと思う。非常に残念です。 日本は戦後60年、中国と違い、一度も戦争をしていません、しかし、今日、残念ながら未だ世界は戦火のおさまることを知りません。従って世界は日本のように平和ではないのである。
今、憲法9条を守ろうとする改憲阻止の政党や一部少数グループは「平和が脅かされる」と考えています、はたしてそうなのか、日本の平和を脅かしているのは、ミサイルを撃ち込み、先軍政治を行ない、挑発行動を行なっている北朝鮮、そして東シナ海での日本の権益を侵害し、領土までも占領しようとする中国の膨張主義や、工作員を上陸させ日本人を拉致誘拐し、また武装工作船が海上保安庁の巡視船に攻撃を加えてくる北朝鮮であることはいうまでもない。