青森の拉致被害者救出集会、そして、自衛隊での通夜
ようちゃん、おすすめ記事。↓
西村真悟の時事通信(平成19年8月12日号)
青森の拉致被害者救出集会、そして、自衛隊での通夜
No.304 平成19年 8月12 日(日)
西 村 眞 悟
十日は、四日間の臨時国会最終日。本会議終了後、チャンネル桜の
スタジオで 日下公人さんら六名と三時間に及ぶ討論番組の収録をして
から最終の新幹線で大 阪に帰着した。
翌十一日の午前中は福泉養護園を見舞い、午後から青森へ飛び
「第二回、北朝 鮮に拉致された日本人を救出するための青森県民集会」
に出席した。
そして、青森での集会を終え、午後八時過ぎ、大阪伊丹空港に帰着して、
陸上自衛隊信太山駐屯地内で執り行われていた隊員のお通夜に参列
させていただいた。よって、この十一日のご報告をしたい。
先ず、八月十一日の時点で、拉致被害者救出の県民集会を実施する
と言うこと は、あの参議院選挙中が準備期間だったということである。
従って、朝から晩ま で、年金だけの「国政選挙」の狂騒のなかで、真の
国政の課題を掲げられていた のは、青森県のこの集会主宰者と
出席者であるということになる。このことに先 ず敬意を表したい。
拉致問題の本質は、国民への侵害にとどまらず、国家主権の
侵害である。
そして、この侵害は未だ回復されていない。
従って、拉致被害者救出運動とは、国民 の解放運動であると共に
国家回復の運動である。
では、国家主権の侵害とは何か。それは「戦争」ということである。
従って、 「対話と圧力」によって、北朝鮮の金正日という独裁者が
拉致被害者を解放する ように仕向けるという説明が為されてきたが、
これは間違いである。
「戦争」と いう本質から言えば、金正日が解放する気になろうがなる
まいが、我々日本は被 害者を解放しなければならないのだ。
拉致議連は、二年前に金正日体制打倒を決議しているが、この路線
を貫くこと が正しい。
六カ国協議に関して、拉致問題のガスを抜くために、少々の融和策が
提示され てくる可能性がある。
日本から金を出させる為である。
米朝の間を行き来するヒ ルなどはその細工をするだろう。
かつて、五人の被害者が帰国したときのマスコ ミの熱狂が演出再現され
れば、拉致問題幕引き、北朝鮮援助開始の圧力が高まる 。
米朝の意向に乗り遅れるなという感じで、我が国からも訪朝する「要人」
が増 えてくるだろう。
しかし、この泥船に乗ってはならない。
安倍内閣の「全被害者救出がなければ、制裁は解除しない」という
方針を貫かねばならない。その為に、安倍総理は戦わねばならない。
内外に謀略があり、その謀略に乗って利を得ようとする動きがある。
朝鮮総連の強制執行を回避して土地建物を確保しようとした偽装工作が、
何時の間にか詐欺の被害者という位置付けになった。
なるほど、被害者であれば逮捕されることはない。
北朝鮮の対日工作とそれに迎合し協力する日本の裏の構造を解明す
るにはスパ イ防止法という独立国家なら当然の法体系が必要である。
それがなければ、国益 が如何に踏みにじられても察知できないでは
ないか。つまり、現在やりたい放題 だ。
韓国で、安明進が逮捕されている。
彼は今発言できない。しかし、彼のおかげで横田めぐみさんを始め
拉致被害者 のことを察知できたのである。
十年前に彼が語ってくれたとき、彼は命の危険を 覚悟で語ってくれた
のである。
その時、私は彼に言った。「君は国を捨てた亡命者と言われているが、
君こそ 朝鮮の真の愛国者だ、ありがとう」。
彼は、涙をにじませて私の手を握った。
彼の存在は、今も北朝鮮の目の上のコブである。
そして、韓国の政権は親北政 権である。
真相は分からないが、果たして公表されたことが真実なのか。
ともあれ、安明進を逮捕した韓国は、南北会談に進んでいる。
さて、拉致被害者を救出に行き、抵抗を排除して連れ帰ってくる部隊
が、日本 にあるのかと尋ねられた。答は、「ある」と申し上げたい。
訓練を公表している のではない。しかし「ある」。これが答えだ。
ついでに、その部隊の指揮官との 問答も紹介しておきたい。
「北朝鮮のある地点に降下して拉致被害者を救出できるか」
「命令があれば、行きます」
命令を決断する政治を構築するのは、国民である。
年金だけの選挙を繰り返し ていてもそれはできない。
国民を守れない国家を放置しておいて、年金のことだけを考えていて
良いので あろうか。
国家が無かったら、年金もへっちゃくれもないではないか。
拉致被害者救出は、国家回復の国民運動だ、がんばろう!
以上が、青森県民集会での私の発言概要。
めぐみさんの弟の横田拓也さんは、私の前に発言された。
この三十代の弟さんの発言を聞いていて、金正日よ、日本人を甘く
見るなよ、世 代を超えて運動は引き継がれ、貴様を追いつめていく
のだ、覚悟しておけよと思 った。
さて、県民集会の終わりに、黙々と訓練を続ける自衛隊のことを語った。
拉致 被害者救出のために、指揮官は「命令があれば行きます」と
ためらうことなく答 える部隊がある。これは、訓練のたまものである。
青森県民にこれを説明してから、八時過ぎに降りたった大阪伊丹空港
で知らさ れたのは、信太山第三十七連隊の隊員の訓練中の殉職で
あった。
聞くところによると、本年三月二十八日に入隊した新入隊員であり、
十一日、 走行中に熱中症でたおれ、亡くなったという。
それを聞いたとき、本年六月二十七日に信太山で行われた
新入隊員の初期訓練 終了式を思い浮かべた。
あの三ヶ月の初期訓練を終え、少したくましくなったいがぐり頭の
九十名余の 隊員の中に彼はいたのだ。
式に際し、川原光雄連隊長は、訓示し、がんばった新入隊員の健闘
をたたえ、 思わず絶句された。
その時、連隊が如何に新入隊員を弟のように受け入れ親身になって
接している か如実に伝わってきて感動し、こちらも思わず涙がでるほど
だった。このような 素晴らしい目的を持った規律のある社会が、他に
あるのだろうかと。
通夜は七時からであったが、九時を過ぎてはいたが通夜の場である
信太山駐屯 地の帝国陸軍以来の建物である修史館を訪れ、
合掌させて頂いた。棺の左右には、銃ををもった兵が歩哨の如く直立
不動で起立 していた。
亡くなられた隊員のご家族と連隊長はじめ連隊幹部が、黙然と座って
おられた 。その姿に、痛恨の思いがにじんでいた。
亡くなった田邊二士は、宮崎県出身の剣道で鍛えた若者であった。
焼香台の 前にある彼の若くきりっとした遺影を拝したとき、私は
駐屯地内でこの元気な若 者、田邊二士を見かけたことがあると
思い至った。若く素晴らしい隊員を失ったのだという思いが込み上げて
きた。まして、彼らに連日接しており、初期訓練終 了式で、彼らの
がんばりを讃え涙ぐんだ連隊長の痛恨の思いはいかばかりか。
連隊長の顔を見るのがつらかった。
自衛隊は、日々黙々と訓練を積んでいる。その中で亡くなった隊員の
ことを、 国も我々も忘れてはならない。
私の弔電を記し、追悼の言葉に代えます。
「第三十七普通科連隊新隊員教育隊田邊二等陸士のご訃報に接し、
驚き、かつ、痛恨の思いを以て、深くご冥福を祈り申しあげ、ご家族の
皆様の、お悲しみを思 い、心よりお悔やみを申し上げます。
そして、川原連隊長はじめ連隊の皆様に対して、田邊二等陸士という
かけがえ のない仲間を失った悲しみを噛み締め、同君の、国家防衛と
いう崇高な志を引き 継いで、さらに訓練に励まれんことを、切に
お願い申し上げます」
まことに、若者の死は惜しい、残念だ。彼を忘れない。
田邊二士のご冥福を切に祈り申し上げます。
(了)
~~~~~~~
熱中症は、予防できる病気なのに!
水を飲ませないで暑いさなかに長時間訓練させたから
死んでしまったのではないか?喉が渇いたら遠慮無く、
水を飲んで休みたいと言えるように、できなかったのかな。
若い自衛隊員を熱中症ごときでなくすのは、もったいないと
思う。by日本のお姉さん