シドニー沖での日豪慰霊祭
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Wing-Mel No.1325 シドニー沖での日豪慰霊祭(伊勢雅臣)
昨平成18(2006)年11月、オーストラリアのシドニー北部
沿岸の海底で、日本の特殊潜行艇が発見された。昭和17(1942)年5月31日、連合軍の拠点だったシドニー湾で攻撃作戦のため潜水艦から出撃した特殊潜航艇3隻の1つで、豪海軍艦船に魚雷攻撃し21人を死亡させた後、行方不明になっていものだ。他の2艇は攻撃前に防御ネットに引っ掛かって自爆、沈没し、戦争中に豪海軍によって引き揚げられていた。
身の危険を顧みずに敵軍港に潜入するという日本海軍軍人の勇気は、豪海軍に感銘を与え、戦時中に引き上げられた2隻に搭乗していた松尾敬宇大尉以下4人は、海軍葬の礼をもって弔われた。戦時中に敵国軍人を顕彰する豪海軍の精神もまた武人らしい。[a]
昨年、見つかった3隻目の特殊潜行艇の海軍軍人の慰霊祭が、
このたびシドニーで行われ、日本から遺族が参加した。この様子を産経新聞は次のように伝えている。[1]
シドニー湾の海底で昨年11月に約64年ぶりに発見された旧日本海軍の特殊潜航艇に乗っていた日本海軍軍人2人の慰霊祭が6日、シドニーの豪海軍基地などで行われた。
出席した遺族らは、潜航艇の魚雷攻撃で死者を出した豪海軍の生存者らと和解の握手を交わした。この後、日本の遺族らは豪海軍の艦上から海に向かって祈りをささげた。
・・・
「兄貴のおかげで学校に行かせてもらい、無事に世の中を渡っています」
洋上慰霊祭で、潜航艇の艇長だった伴勝久少佐=当時23)=の弟、伴和友さん(74)は、そう心に念じながら海に花輪を投じた。乗員だった芦辺守特務少尉=当時24)=のめい、竹本ひろみさん(46)は、波間に地元・和歌山県の清酒を献じた。
艇を引き揚げる計画はないが、豪政府は遺族らのため海底の艇を撮影したビデオ映像を上映し、現場の砂を贈った。
これに先立ち豪海軍基地で行われた陸上慰霊祭には、潜航艇の魚雷攻撃を受けた豪艦船の生存者らも出席。日本の遺族と「友情と平和」の握手を交わした 祖国のために一命を捧げる、という武人の精神伝統に立てば、かつての旧敵も互いの敢闘を讃え合い、そこから和解に至ることができる。
日本の武士道精神と欧米の騎士道精神とは、この点で互いに理解尊敬し合うことができるのである。厄介なのは、こうした武人の精神伝統を持たない国々との交際である。
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安倍総理へ
参拝をやめるなら、敵からも、友からも尊敬を得ることはできません。
それは、あなたは「戦う政治家ではない」ことを全世界に宣言するようなもので
す。
「台湾の声」編集長 林建良(りんけんりょう)
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○靖国神社 <殉国者への墓参>は当然の行為
安逸と危険の魅力 曽野綾子著 講談社文庫より
ー前略ー
しかし最も愚かなのは、日本の総理が周辺国に気兼ねして参拝を止めた、とわざわざ理由まで報じたことだろう。もし総理の官房がそのように発表したのなら、官房が国際政治をわかっていないということだし、もしマスコミが出所を明確にできない程度の情報でそう言ったなら、国をうったことになる。
これだけ周辺の国は、日本はどれだけでも押せば引く国だと改めて認識するからだ。
総理や官僚が国のために亡くなった人たちにどういう態度を示すか、ということは、国際的な日本のーイメージに繋がり、国内的には教育の基本にも影響がある。
○靖国参拝 痛ましい青春に贈る花嫁人形
日本人は桜のことになると、奇妙なほど夢中になる、と思うこともあるけれど、和しも今年(二〇〇〇年)は毎年恒例にjなっているイスラエル旅行が少し遅めに出発することになったので、思いがけず九分咲きの日に、靖国神社にお参りすることが、沖縄の慶良間列島で闘った旧陸軍の方たちと、私は昔知り合った。昭和二十年、渡嘉敷島の集団自決として有名になった事件を調べている時、島民の方たちからだけでなく、軍側からも取材したのである。今年も亡くなった戦友への思いを胸に靖国神社に参拝されr3うことになって、私にも声をかけてくださったのである。
ー中略ー
「靖国神社に一人でふっと立ち寄って、昔の友達に近況を報告に来る人は、戦争の残酷さと辛さを身にしみて知っているんですよ。だからそういう人こそ、心底、戦争を忌避しているんですけどね」とその人は言った。官僚が靖国神社に参拝すると、戦争礼賛だという簡単な論理を私は信じていない。ほんとうは逆なのである。生きていたなら、ごく普通に結婚させて家庭というものを味わせてやりたかった、という親の思いは悲痛である。それは慎ましい、ありふれた、静かな願いだった。それさえも叶わなかった痛ましい青春に対して、私たちはどう弔ったらいいのだろう。
花嫁人形は鬼気迫るものさえ感じさせた。帰りに、私は千鳥が淵の無名戦士の墓に立ち寄った。ここに祀られている名も知られていない死者たちを思うと、私はただ頭を垂れるほかはない。私に与えられたすべての境遇は、それに比べると、どんなに厳しいものであろうと甘すぎた。だからどの様な運命でも、すべて受容いたします、と心の中で誓うべきだろう。といつも思うのである。
ー後略ー