それでも小生は、豊葦原の瑞穂の国を守りたい!
=アジアの街角から=という無料メルマガに載った
77歳のじじいさんのメールを紹介します。↓
お便りで頂きました感想。
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┌──────────「77歳のじじいさん」男性@七十代@神奈川
08/06付けのマレーの独立記を読みました。
ハリマオは1960~61にTVで紹介されたとありましたが、小生は、年代
はハッキリしませんが、1942?43?頃、日活の映画館(鳥越日活、東京
の下町鳥越神社付近)で、確か「マレーの虎」なる題名で(映画を)見て感激し
たのを覚えています。
「マライのハリマオ」なる調子の良い歌もありました。俳優は、軍人役をよく
やった中田某なる人でした。その後、昭和20年3月10日の大空襲で、命か
らがら助かりました----既に大焼け野原になっていた御徒町駅の傍に早い
とこ逃げて助かりました。そこにはもう何も焼ける物が無かったので----
戦後、これらの空襲の総指揮官の「Curtis Lemay(ルメイ)」将軍に旭日一等
の勲章を授けた日本政府の気がしれない!ーーーひと晩で10万人とも
いわれる日本人の命が失われたのに・・・・。
そして今、working poorなる人々を作る日本人。どうして国を護れると思って
いるのか?――――それでも小生は、豊葦原の瑞穂の国を守りたい!
我が国が如何に清い水に恵まれているか。
!!海外へ出たら、買い物ばかりでなくよく見て来い!!
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┌──────────「日本のお姉さんから」
「マレーの虎」という映画があったことは知りませんでした。「マライのハリ
マオ」という歌があることも知りませんでした。ハリマオのテレビ番組も見て
いないのですが、そういう番組があったというのは本で読みました。
ハリマオの名前は、子供のときに聞いたことがあります。ハリマオのことは、
学校や大人になってからはまったく耳にしませんでした。
日露戦争で頑張った人の話も、国民はまったく習いません。昔は、日本は情報
を集めたり、他国の中に入って工作したりしていたようです。今は外国に工作
されほうだいです。他国のような、情報を集める機関もないようです。外国の
スパイを取り締まる法律もないので、スパイや工作員は堂々と日本で仕事をし
ているそうです。
大学の教授や助教授は、全員チュウゴクの工作員だそうです。テレビに出てく
るような人は目立つから、たとえ最初はスパイではなくても、チュウゴク政府
に脅されたら言いなりになってしまうでしょうね。
国費留学生で、チュウゴク大使館によく出入りしているような人や、大学や企
業の重要な研究室に出入りしている留学生は、スパイとしてチュウゴク政府に
使われているか、今後使われる可能性は非常に高いそうです。
上海の大使館員が、チュウゴクの公安に、付き合っていたチュウゴウ人女性を
殺すと脅迫され、日本に送る通信の暗号を教えろとしつこく脅されて逃げ切れ
ず自殺したときも、外務省は事件を隠して当時の首相に報告しなかった。
大分たってから、公になって当時の首相も国民もびっくりしました。首相や国
民に大事な事を知らせないなんて、外務省は傲慢すぎます。外務省は日本の
首相や国民より偉いのでしょうか。
戦争前の日本を全否定して、卑屈になっていると、物事の本質を見失うと思い
ます。戦争に至った理由はちゃんとあるのです。日本だけが悪いのではなく、
アメリカも相当悪かったので戦争になったのです。
アメリカは、戦争が終わってから急に日本に優しくなった。罪もない一般人を
焼夷弾による絨毯爆撃で10万人以上も焼き殺し、原爆を広島、長崎に落とし
て、それぞれ14万人と7万人を溶かして殺したことを気にしているのでしょ
うか。戦争の前は、日本人移民から土地を取りあげたり、日本人移民に対する
差別がひどかった。
日本人は、戦争に勝った国や周りの国が怒らないように、言いなりになってい
れば優しくしてくれると思っているが、チュウゴクや朝鮮半島やロシアはアメ
リカとは違って、こちらが礼儀正しく大人しくしているとつけあがるし、ロシ
アは不当に奪った日本の領土を返さない。
韓国などは、戦後なのに、日本の領土である竹島を武力で占領する始末。チュ
ウゴクも中央線まで来て、日本の領土にあるガスを吸っているが、平気で日本
にいろんな援助金を頼みに来る。日本は、ガスを盗まれながら金もせびられて
いる。
これでは、日本は普通の国というより、外国にいいように扱われているだけで
このままでは変だと思います。ちゃんとした独立国らしく、駆け引きなどをし
て日本の利益も出さないといけないでしょう。
東京は、1943年(昭和17年)4月から終戦まで、130回のアメリカ軍機
による空襲を受けました。(ドゥリットル奇襲を除く) 死者の合計は11万5
千人以上。負傷者15万人。(死傷者数合計は26万人)
被害を受けた家屋85万戸。羅災者約310万人(開戦当時の居住者は735
万人。敗戦後の居住者347万人。空襲、戦災それに伴う家屋の取り壊しなど
で、住居の約56%が消失した。(「東京空襲を記録する会調べ」から抜粋)
1946年(昭和20年)3月10日の第一次東京大空襲で丸焼けになった東京
の町の写真 → http://tsujib.com/010512Terui01.htm
東京の被害は、広島の原爆に匹敵するのです。
広島の人口密度は 35000/平方マイル
東京の人口密度は130000/平方マイル
広島の破壊面積 4.7平方マイル
東京の破壊面積15.8平方マイル
広島の死者と行方不明者数は7万人~8万人
負傷者は 7万人(死傷者合計は14万人)
東京の死者と行方不明者数は8万人4千人(83600人)
負傷者は10万2千人(死傷者合計は10万6千人)
この記録の死者は確認できた人の数です。東京の3月10日の空襲で川から
海に流れていった人や、公園に仮埋葬された人を入れると推定10万人死ん
でいます。
広島に落とされた爆弾は一個。飛来したアメリカ機は一機。
東京に落とされた焼夷弾(日本の家屋を焼くことを念頭にした爆弾)は1667
トン。飛来したアメリカ軍機はB29が350機。
東京23区のうち19区が被害を受けました。深川、本所、城東、浅草、日本
橋の大部分は消失しました。6区は半分消失。焼失家屋26万7千戸。羅災者
101万人(死者は10万人)。焼夷弾70万発が40k平米に落とされたので
17坪(57平米)に1発です。空襲は2時間。
荒川と隅田川に挟まれた人口密集地に絨毯を敷くように爆弾を落とされ、市民
は逃げ惑ったそうです。焼夷弾は、たくさんの油で一杯の爆弾がひとつの入れ
物に入れてあり、空中でパッと分解して広がる仕組みになっていたそうです。
燃え盛る火の塊が、どかんどかんと、屋根を突き破って降ってきたそうです。
ひとつ落ちればあたり一面火の海で、消そうとしても次々と降ってくるので、
消しようもなかったし、落ちてくる焼夷弾で鉄の鍋でも穴が開くほどだったの
で、当たれば即死だったそうです。爆弾を落とされていない区域の家も、電線
から火が燃え伝って多くの家が焼けたそうです。
墨田公園や言問橋の上は縁日のような状態で、背中に荷物を背負った人が
ぎゅうぎゅうになっていて、火の粉が荷物に飛び移って燃えるのですが、
あんまりすし詰めになっているので荷物を捨てることもできず、全員立ったまま
焼死したそうです。
橋の上は、荷物に火がついてすし詰めになったまま燃える人々で
イルミネーションのように輝いていたそうです。
川の中に逃げ込んだ人も、火災によって強風が吹いて、火炎の熱に煽られて、
荷物に火がついてほとんどの人が死んだそうです。子供も溺れ死に、背中にお
ぶった赤ちゃんは、3月の水の冷たさで死んでいったそうです。川の中は芋の
子を洗うような状態で、川に飛びこんだ人は殆んど助からなかったそうです。
また、防空壕に逃げ込んだ人も、全員熱で蒸し焼きになったそうです。逆に、
防空壕に入れなかった人のほうが生存率が高かった。富士小学校に逃げ込んだ
人は校庭やプールにいたのですが、小学校の窓という窓から炎が水のように噴
出してきて、それが水が流れように校庭に流れ落ちてきて、校庭にいる人々に
襲いかかったそうです。
だから、小学校の校庭とプールにいた人はほとんど助からなかった。プールの
中では800人が死にました。プールの中は、亡くなった人々の服のボタンで
いっぱいだったそうです。
あまりの熱さに、市電のレールが火花を散らしながら、丸まりながら移動して
いたそうです。火の粉をかぶらずに逃げきれた人も、防空頭巾も焼けて髪も全
部焼けてしまって丸坊主だったそうです。
火傷で立ち上がれない人や、火傷で皮膚がヒラヒラしていて、まるで浴衣を着
ているような人でいっぱいだったそうです。真っ黒になった焼死体がマネキン
のようにあちらこちらに転がっていて、地獄のような景色だったそうです。3
月10日の空襲で燃えた家屋は27万戸。死者10万人ですから、広島よりも
死者は多いのです。
このような、東京・大阪のような都市部を絨毯爆撃で焼くことを考案して実行
に移したのはアメリカのルメイ司令官で、アメリカで実物大の日本の家屋の模
型を作って実験を繰り返し、効率よく燃やせるように研究したそうです。その
ルメイ司令官に、日本政府が旭日一等の勲章を授けたとは知りませんでした。
日本政府は気がおかしくなっていたのではないですか?一般人を効率よく殺傷
することを目的とした焼夷弾を開発して、絨毯爆撃をしたから勲章ですか?罪
もない民間人を焼き殺して旭日一等の勲章ですか?
「77歳のじじいさん」の、日本を守りたいと思う気持ちを若い日本人がひき
ついで、周りのいろんな根性の卑しい人々から日本を守らねばなりません。日
本の中に反日の日本人がいるのはどういうことでしょう。
「77歳のじじいさん」のメールのおかげで、東京大空襲のことを調べること
ができてよかったです。ーーーあんまりヒドイのでびっくりしました。
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「それでも小生は、豊葦原の瑞穂の国を守りたい!」という、
おじいさんの心の叫びは、若い日本人も受け継がないと
いけないと思う。豊かな水が流れる葦の原が続き、
みずみずしい緑の稲穂がさわさわと風に揺れる日本の自然を
昔のままに守りたいとうことで、いいかな。
「!!海外へ出たら、買い物ばかりでなくよく見て来い!!」と
書いてあったので、てっきり、わたしが怒られたのかなと思ったけど、
海外のパサパサした乾燥しきった様子を見て、日本という国が
いかに、水が豊富で美しい国かよく比較してこい!そして、
日本の良さを再確認してこいって、ことかなあ。
77歳のおじいさんらしい、勢いのある文章でした!
働いても働いても貧乏を脱出できない若者が出てきていることを、
心配してくれているんだね。そんなんでは、
日本を守れない!富国強兵は、独立国の基本だ。
戦争が終わった時は、15歳だったんだね。東京大空襲の時は、
炎の街を逃げまどったんだね。
by日本のお姉さん