爆発的広がりを見せるソーシャル・メディア(前編): 日経
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中身の無いコミュニケーションがなぜ若者に広がっているのか?
ソーシャル・メディアと総称されるITツールが,昨今,爆発的な広がりを見せている。Wikipediaによればソーシャル・メディアとは,多数の人々が様々なコンテンツや意見,経験などを共有するためのツールのこと。そこにはWikipedia自身やブログ,SNS,あるいは動画共有のYouTubeや写真共有のFlickr,仮想世界のSecond Lifeなど多種多様なサービスが含まれる。しかし最近では,あまりの拡大の速さに,その目的が従来の尺度では測りきれないツールも登場している。中でも今回紹介する「Twitter」とリアルタイム日記は,不可解と思われるほど意味のない書き込みの連続だ。前編では,それらの実態を見た上で,無意味さの持つ意味を考えてみよう。
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一体,こんなものを何に使うのだろう」――。 Twitterと呼ばれるコミュニケーション・ツールを初めて見たときの,偽らざる感想がそれである。2006年12月,米国シリコンバレーの新興企業を巡る取材旅行に出かけた際に,目にした数々の新サービスの中で最も腑(ふ)に落ちなかったサービス。それがTwitterだった。ところが,その後,米国ではNew York Times紙など主要メディアがこぞってTwitterを取り上げ,一気に認知度が高まった。最近では日本でも,先進的なITユーザーの間では高い関心を集めたり,実際に使われたりしている。
Twitterをパソコンから使う場合,ディスプレイ上に表示される「What are you doing?」というプロンプトに対し,ユーザーが1,2行の短い返答をすると,それがユーザー自身のTwitterサイトに反映される。それらは,たとえば「今,起きた。まだ眠い」「これから残業だ」など,ほとんどが平凡な日常の記録である(Twitterは米国内で開発された当初から,日本語をはじめ外国語での書き込みが可能となっている)。Twitterのユーザーは,1日にかなりの頻度(時には数分,数秒間隔)でこれをやっている。冒頭に記した私の感想は,このあたりに由来する。要するに,確たる目的の無い記述を羅列することに何の意味があるのか。それが,すぐには理解できなかったのである。
Twitterでは,こうした短い書き込みを,携帯電話やBlackberryなどの携帯端末から,SMS(Short Message Service)を使って行うこともできる。これと同時に,Twitterサイトへの書き込みは,いっせいに自分の友達の端末にも配信される。このように親しいサークルの内部で,Twitterへの書き込みを互いに見合うことで,今この瞬間に,各人が何をやっているか,どんな状況にあるかを知ることができるのだ。
ブログとIMの中間的なサービス
Twitterの開発者Jack Dorsey氏によれば,Twitterはブログとインスタント・メッセンジャー(IM)の中間的なサービスであるという。「本質的にはブログのようなジャーナル(日常の記録)だが,IMのような会話にも限りなく近い。その売り(selling point)はスピードと手軽さ,そして常に誰かとつながっている,という感覚だ」(Dorsey氏)。
Twitterは,いわゆるライブ・ジャーナルやマイクロ・ブログと呼ばれる,実況性の強いブログ・サービスの一種である。Dorsey氏によれば,Twitterはこうしたライブ・ジャーナルの実況性をさらに高めたサービスだという。同氏が最初にこのアイディアを思いついたのは2000年7月のことで,それから5年をかけて実用化に漕ぎ着けた(同氏のFlickrのページ)。
Dorsey氏にインタビューした2006年12月時点で,Twitterのユーザー数は1万2000人,その年齢層は16~40歳だった。その後もユーザーは増加し,2007年6月のTwitterサイトへのユニーク・ビジター数は37万人を記録している(comScore Media Metrixの調べ)。
米国では最近,NBCやCBSをはじめ,主要テレビ局が番組のプロモーションにTwitterを利用し始めた。たとえばドラマのディレクターや主演俳優が,Twitterユーザーに向けて番組の見所やメッセージなどを送るといった試みだ。Twitterのユーザーには,いわゆるブログスフィア(ブロガーたちの作り出す世論形成空間)に強い影響力を持つ先進的なブロガーが多く,彼らに働きかけることによって,バイラル(口コミ)マーケティング的にプロモーションを展開しようとしている。
日本でも利用者が広がってきたTwitter
米国でのTwitterは元々,外出先から携帯端末を使ってサイト上に書き込む機能があったが,日本では,こうしたモバイル機能は提供されていなかった。しかし日本人ユーザーの有志数名がこの機能を開発し,無料で公開。携帯電話からのアクセスが可能になったことで,日本でも利用者が広がった。
米国と同じく日本でも,テレビ局などのマスメディアが番組プロモーション用にTwitterを使っている。たとえば東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)は,毎週木曜日11時放送のIT報道番組「Blog TV」の制作過程でTwitterを利用し,レポーターが外出先から,取材の模様を逐次Twitterに書き込んでいる。視聴者がこれまで知りえなかった制作現場の裏側を見せ,視聴者の反応や意見をリアルタイムに番組作りに反映させるのが狙いだ。番組制作の責任者は,Twitterの使用感を次のように語る。
「完全に同期型(のコミュニケーション)でもなく,かといって非同期型でもない。またSNS的な要素もある。これらの中間的なところが受けているのではないか。我々の使い方としては,取材スタッフが『今日は,次回放送する誰それさんのインタビューに来ています』といったメッセージを,逐次Twitterに書き込んでいる。一種のライフ・ログで,1日,2日使っただけでは,その面白さは理解できない。むしろ数カ月,半年と書き込みが蓄積されていき,後からこれらを振り返ったときに,自分の行動パターンや思考の流れなど,今まで気付かなかった何かが,急に浮き上がってくる。これがTwitterの面白さではないかと言われている」(TOKYO MX・編成局・報道制作部・プロデューサーの草場大輔氏)。
女子高生に人気のリアルタイム日記
日本でTwitterと似たサービスとしては,「リアルタイム日記」と呼ばれる携帯電話用の簡易ブログが,特に女子高生の間で流行している。リアルタイム日記は,ブログや日記よりも書き込みが短く,ほとんどが1,2行で状況や感情を伝えるものである(写真1)。書き込まれる文章は,たとえば,「今,○○に来ている」「この店の××が美味しい」など。このあたりまではTwitterに似ているが,TwitterのようにSMSで一斉に配信する機能はない。しかし親しい友達の間で各自のリアルタイム日記のアドレスを教え合えば,互いに書き込みを見ることができる。
リアルタイム日記は「独り言」や「つぶやき」などとも呼ばれ,ストレス発散にも使われる。たとえば「むかつく」などと文章に怒りをぶつけることで,自分の気持ちを静めたりするようだ。
女子高生のライフスタイルを専門に調査するブームプランニング(東京都渋谷区)が2007年5月に実施したアンケート調査によれば,女子高生の携帯電話の主な用途は「ネット接続」で,逆に通話やメールの頻度はどんどん下がっているという(図1)。そして,この「ネット接続」は,ブログ,SNS,プロフ(後編で説明),リアルタイム日記など,いわゆるソーシャル・メディア全般に使われる場合がほとんど(図2)。特に最近は,リアルタイム日記の使用頻度が高まっているという。これはなぜなのか?
「メールは送られると返さねばならない煩わしさがある。これに対しリアルタイム日記は,自分が言いたいことを言って,見たい人だけ見てくれればいいので気が楽だ。といっても一方的な自己表現ではなく,日記を読んだ人がレスポンスを書き込むこともできる。そこに一言書いてあることのうち,気になったものを翌日の学校で話題にしたり,あるいはヘコんでいたら『大丈夫?』という電話をかけたり,そういうきっかけにもなってるようだ」(ブームプランニング・コーディネーターの相川麻子氏)。
ネットに常時接続するため,彼女たちの多くは,携帯電話事業者が提供するパケット定額サービスに加入している(図3)。ここでリアルタイム日記やブログを中心にした,肩の凝らないコミュニケーションがだらだらと展開される。逆にメールは「待ち合わせ」など重要な連絡をとるためだけのツールになっている。また通話も長時間するとコストがかかるし,周りの友達とは毎日会って話しているので,あえて電話で話す必要もない。
もちろん電話もかけるが,その様態が若干変化しつつある。たとえば経済的に余裕のある家庭の子たちは,携帯電話を2つ持っていて,片方をウィルコムのPHSにするという。ウィルコムPHSの通話定額サービスを使えばかけ放題になるので,彼氏と一緒にウィルコムを持って,それを二人だけの通話用に使う。しかし普段会っているので,電話で話すことがそれほどあるわけでもない。従って通話状態のまま,携帯を耳に当て,お互いに黙って同じテレビ番組を見ているようなことが多いのだという。
妙な静けさが伝わってくる情景である。リアルタイム日記にしてもそうで,「ある子が書いた『独り言』を,数人の特定の友達がじっと見ている感じ」(相川氏)だという。
「内容の無さにもほどがある」
これらは何を意味するのだろうか。カリフォルニア大学バークレイ分校の社会学者,Claude S. Fischer教授の著書「America Calling」によれば,電話は元々,極めて重要な用件を伝えるために発明されたものの,1920年代に入ると当時の電話産業を独占していたAT&Tが,「暇つぶしのお喋り(idle chat)が,(電話会社の)金もうけには理想的」であることに気付き,サービス利用者に「さしたる用件がなくても電話をかける」ことを勧め始めたという。
しかし,これを書いたFischer教授自身も,最近のTwitterのようなソーシャル・メディア上で交わされるメッセージには当惑しているという。「内容の無さにもほどがある」といったところだろう。それでもFischer教授は,あえて心理学的な分析を下すとすれば「重要なのはコミュニケーションの内容(content)ではなく,つながっているということ(connection)自体にあるのだろう」と述べている(7月11日付のWall Street Journal掲載「Web is Now So Filled With Idle Chat, It's Almost Like Phoning」より)。要するに電話もインターネットも同じ道を辿っているのだ。
小林雅一(こばやし・まさかず)
ジャーナリスト,KDDI総研・リサーチフェロー,情報セキュリティ大学院大学・客員准教授。1963年,群馬県生まれ。85年,東京大学理学部物理学科卒。87年,同大学院・理学系研究科・修士課程修了。東芝,日経BP社勤務を経て,95年に米ボストン大学でマスコミュニケーションの修士号を取得。著書は「欧米メディア・知日派の日本論」(光文社ペーパーバックス),「隠すマスコミ,騙されるマスコミ」(文春新書)など多数。