戦争のことをよく知っているhideおじさんのコメント | 日本のお姉さん

戦争のことをよく知っているhideおじさんのコメント

面白いから読んでね。by日本のおねえさん↓

以前、「沖縄から友達が帰ってきた」という記事を書いたら

なみさんという方から、反論があったんだけど、わたしは

「そうじゃないだろ!」と過去に読んだ戦争以前のことを書いた本

の記憶を頼りに反論したのだが、hideおじさんは、」きちんと

具体的に説明してくれた。

寄稿記事  by hideおじさん 男性@五十代@会社員@神奈川


☆ なみさんのコメントを拝読して ――――――――――― 2007/08/03
893号、日本のお姉さんの「沖縄から友達が帰ってきた」に対するなみさん
のコメント ▼ を拝見して、
http://chinachips.fc2web.com/repo4/047102b.html#nami

揚げ足を取るようで本意ではありませんが、ちょっと勘違いされている部分が
あるように感じられましたのでコメントさせて頂きます――――。

「もともと戦前の日本には民主主義はなかったはず」という記述がありました
が、厳密にいうと戦時中の一時期に制限があった、というのが正しいと思いま
す。
ポツダム宣言において「【民主主義的傾向の復活を強化】に対する一切の障害
を除去すべし」とあります。もってまわった言い方ですが、「民主主義の復活
を邪魔するな」ということですね。
「復活」ということは戦前の日本には民主
主義がなかったということではないわけです。

日本のお姉さんの記事にあった「神風」云々というのは、言わんとしてること
は何となく理解できるものの、民主主義の後退を説明する表現としては適切と
はいえないと思います。

日本だけでなく、現在の民主主義と戦前の民主主義を同列に考えることはでき
ないと思います
。現在の民主主義の理解からすると、戦前の日本のそれはお粗
末にみえるかもしれませんが、大日本帝国憲法(以下帝国憲法)でも三権分立を
定めており、言論の自由・結社の自由・宗教の自由等が保障されていました

自由民権運動、大正デモクラシーをはじめとする民権運動も盛んであり、戦前
には普通選挙制度も確立されていました。この普通選挙制度も、いろいろな欠
陥を含んではいましたが、国の重要な決定には影響を与えられなかったとはい
えません。

この普通選挙制度は、大正14年(1925年)に成立しましたが、普通選挙に
伴い、共産党の勢力拡大を恐れた枢密院が、治安維持法を成立させ弾圧の法的
根拠を作ったことが、なみさんからすると民主主義はなかった、というご発言
になったのではないかと思います。

たしかに、女性の参政権は、1945年の終戦後になりましたが、世界からみ
るとそれほど遅いものではありません。ーーーフランス・イタリアも1945
年、1947年には台湾、1948年にはベルギー・韓国、1949年は中国
(53年説もあり)、スイスにおいては1971年です。

アメリカはいち早く女性の参政権を認めた(1920年)国ではありますが、黒
人に対しては、就職の制限・投票への妨害・学校入学への制限等々、民主主義
国家とは思えない状況が、J.F.ケネディの頃まで続いていたことを考える
と、何をもって民主主義国家というのかは難しいところです。

戦前はシビリアンコントロールという観念が希薄であり、軍部の独走を許して
しまった時期もありましたが、戦前の全て時期に民主主義がなかったというわ
けではありません。これは何も日本に限ったことではなく、欧米においても多
かれ少なかれ、戦争時には軍の意向が大きく政治に影響されます。

ーーーだからといって、日本軍の行動の全てに免罪符が与えられるものではあ
りませんが。

なみさんが仰るように、帝国憲法では主権は天皇にありましたが、国民は「臣
民」であり「家来」ではありません。「臣民」の既定は「天皇の下に平等」と
いうことであり
、主従関係に由来する「家来」とは異なるものです。「天皇の
言うことは何でも聞く」ということではありませんので「天皇の家来」という
のは適切な表現ではないと思います。

帝国憲法制定時、伊藤博文も「臣民を統治することであるが、天皇家のために
奉仕する私事ではない」と言っています。
それが「日本国民は天皇の子供であ
り天皇の為に」といった、時の為政者、国民の考え方、国内・世界情勢によっ
て「憲法」が都合良く利用されていったことに問題があるのだと思います。

なみさんの言葉を借りると、「都合のいいとこ」だけ捉えてデフォルメしたの
が軍国主義
といわれる由縁なのかもしれません。

同じく「国際条約(ワシントン9ヶ国条約)違反」という言葉が出てきましたが
何を意味しているものか分りません。――――私の想像では「ワシントン軍縮
会議」の中にある、領土問題での「中国に関する9ヶ国条約」を指しているの
ではないか? もしくは、ハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約、パリ不戦条約の
こととゴッチャになっているのかもしれません。

「中国に関する9ヶ国条約」の意味しているところは、この条約は東アジアの
混乱を招く不安定要素の多い中国に関して、統一と保全を促進し、関係国間で
は商工上の機会均等や門戸開放などが約されたものです。

たしかに日本は非難されましたが、中国を攻撃したこと自体が違反であり非難
されているということではなく、この前後に続く柳条湖事件、そして錦州爆撃
等々、一連の関東軍の行動が勝手に中国権益を増大させていると捉えられたか
らです。

想像するに、なみさんは、パリ不戦条約の戦争不拡大の精神に反しているとい
いたかったのではないかと思います。しかし、このパリ不戦条約とて、植民地
を否定している訳ではなく、逆に既存の植民地・既得権を守る為のものという
考え方もあって、欧米に有利な条約でもありました。

――「中国に関する9ヶ国条約」を少し説明させて頂きますと、

当時「石井・ランシング協定」によって中国における日本の権益を認めていた
アメリカは、この9ヶ国条約によって、日本の極東での影響力増大を食い止め
る為、中国における経済活動や鉄道利用などで、締結国全てが平等となる状況
を作ろうとしたものです。

簡単にいうと、「日本だけが中国の権益を増大させるな。アメリカにもチャン
スをよこせ」
ということで、非常にアメリカに都合のよいような条約です。そ
こには「中国の為に」などという平和的な考えはありません。アメリカが国民
党を支援していたのは、正義の為ではなく、アメリカも儲けたい為であったこ
とを忘れてはなりません。

ところがこの9ヶ国条約は、「近いうちに中国に安定政権が誕生し、近代国家
として統一されるであろう」ことを期待して締結されたものの、ワシントン会
議から3ヶ月後の1922年5月には、張作霖軍閥が東三省≒満洲)独立宣言
をし、中国は「北京」「広東」「奉天」の3政府に分裂、「主権」「独立」ど
ころか、国家としての体をなさない状態になってしまいました

この時、すでに満洲は、条約に謂うところの「支那中央政府」の支配の及ばな
い、実質的自治地域になってしまい、翌年、臨城事件が起きて、被害に遭った
各国からは9ヶ国条約の取り消しを求める声が上がり、北京外交団では各国に
よる共同警備案が討議されました。

ワシントン会議で予測できなかった中国共産党の台頭と共産主義の浸透、混乱
排他主義により、条約締結国の期待は裏切られました。また、ワシントン会
議に参加していなかったソ連(ロシア)が外蒙古に侵入し、極東における共産主
義浸透を早めたことも
想定外の出来事でした。ーーー結局この9ヶ国条約は有
名無実になったと考えられるでしょう。

中国の分裂と混乱、世界の保護貿易主義の傾向で、資源や市場を獲得できなく
なった日本の経済、安全保障への懸念、地理的に隣接するソ連の極東軍事力の
増大など、
様々な要因の中で追い詰められていった当時の日本の状況は「自存
自衛だった」と私は思っています。

リットン調査団のレポートにもあるように、確かに満州帝国建国までの経緯は
批判されていますが、満州における日本の権益は認めています。その権益を守
るために行動したことについて、今の物差しで当時の日本を非難するのは簡単
ですが、当時は複雑な世界情勢であったことを斟酌しなけれ
ばならないでしょ
う。

――「錦州爆撃」については、

第一次世界大戦後における、世界最初の都市爆撃とされています。それまでの
航空機の攻撃で、都市を広範囲に爆撃するということはありませんでした。そ
れでなみさんは「レベルが違う非道な行為」と仰られたのだと思います。

第一次世界大戦の頃と比べると大々的な爆撃でしたが、----とはいっても12
機の爆撃機ですが----
南次郎陸軍大臣は若槻礼次郎総理に「中国軍の対空砲火
を受けたため」と説明しました。

この錦州爆撃の当事者「石原莞爾」は、後の東京裁判に関連した尋問において
「偵察行為である」と述べています。彼らの説明が正しいのか虚偽なのか分り
ませんが、少なくとも満州事変・満州帝国の主役である石原莞爾は、東京裁判
においても「その罪」に問われることはありませんでした
。――――「満州事
変は中国のせいである」としたり「満州事変は自衛であり侵略ではない」と述
べたりしたにも係らずですーーー。

ただこの爆撃は、当時錦州に集結していた、2万から兵員を持つ張学良政権を
撃つための行為であり、
その際も、兵舎・張学良政府施設・軍事施設を狙った
ものであるとされています。

「戦時下でもないのに無警告、無防備の都市を爆撃」と言われますが、宣戦布
告はされていなかったものの、
実質は各軍閥との戦闘、国民党とのいざこざを
考えると、単純に「戦時下ではない」とは断言できません。また、2万からの
兵員がいたということからも、錦州は無防備の都市とはいえないのではないで
しょうか。

B-29による東京大空襲のような、最初から一般民間人が犠牲になることが
分っていて爆撃した「無差別攻撃」と、錦州、重慶爆撃を同列に論ずるのは、
ちょっと違うのではないかと思います。

ただ、先にも述べましたが、これら一連の行動は「パリ不戦条約=ケロッグ・
ブリアン協定)」における戦争不拡大方針に違反されるとして各国より非難さ
れたのは事実であり、
これら関東軍の一連の行動は、不戦条約を批准し不拡大
方針をとっていた当時の日本政府(若槻内閣)の意向を無視したものであり、こ
れは現在の物差しで考えても非難されるものだと思います。

私は歴史が好きで、多くの本を読んでおりますが、それでも勘違いや勉強不足
を感じることが多々あります。少ない経験の中で思うことは、「事実(fact)」
はひとつですが「理由(reason)」は眺める方向によってたくさんあるというこ
とです。

真実とて、その人、その時代、その国によって変わってくるものもあります。

あまり例はよくないかもしれませんが、私が子供の頃(昭和30年代から40
年代)は「ゼロ戦隼人」「紫電改のタカ」「忍者部隊月光」「怪傑ハリマオ」
など戦争に関係する漫画が少年漫画誌を飾っていました。

敵のアメリカ軍をやっつけるのを見てワクワクし、中国軍を打ち破る絵をみて
は喝采したものですが、だからといって当時の少年・少女が軍国主義に侵され
ていたわけではありません
。しかし、現在は「憲法9条に反するから」という
変な理由でこれらの漫画は敬遠されています。

時代によってものの感じ方が変わってくるように、歴史も時代によって都合良
く理解されるものなのかもしれません。
戦前には民主主義がないとか、教育が
悪いとか、道徳までもが否定されるような風潮ですが、では戦後の日本人は良
いのかというと、自信を持って「そうだ」とはいえません。

日本人として、戦前も戦後も大切にしなければならない誇りと文化もあるはず
です。
まるで戦前を暗黒の時代のように考えたり、全てを否定するような考え
方には私は組しません。自分に心地よい「歴史」だけ受け入れるのではなく
反対の意見を聞いて、自分なりに調べてみて消化してみることが大切なのでは
ないかと思います。

最後に、なみさんに賛同出来る点は、女性は誰にも従属されるものではないと
いうことです。――――沖縄戦において多くの悲劇がありましたが、兵隊さん
はどんな状況においても「婦女子」を守ることが任務であったはずです
。それ
を放棄してしまった時点で、その人は兵隊さんではなく、ただのオスにしか過
ぎないと思います。

レイプ云々よりも、兵隊さんの任務を遂行できなくなったことが問題であった
と思います。一人の男性としても、婦女子を守れなかった事実があったことは
深く胸に刻んでいこうと思っています――――。




┌──────────「KZ87さん」

今日も暑いです。上海も暑いんでしょうね!

OJIN さん、暑い時は冷たいビールじゃなくて、冷たい麦茶がいいですよ~

☆中国の「危険な食品」の背後には「貧困(貧富の差)」があるんでしょ。

だったら提案ですが、北京の辺りは水不足だそうだから広い範囲を植林する。
----広くなくてもいいんだけど、可能なだけでいいんだけど----

・1本につき1000円とかを寄付してもらって、

大金持ちの人はいるわけで、多分、そのお金の使い方を知らないんじゃないか
と思う。(何に使おうかと困っているんじゃない?違うかな) だから「車を買
うのもいいし、家を買うのもいい。木を買うのもいかがですか?」って。

「将来が楽しみですよ。木が育てばあなたは中国を救うことになるでしょう。
木に投資するのはいかがですか?」って感じで。

・そのお金で、失業中の人などに植林してもらう。

・進行状況を逐一報告する。(ここが大事!)
「今まで○○本植えました。ご協力ありがとうございました!」てな感じで。

何なら、出資してくれた人、植林してくれた人、… 等々、みんなの名前を載
せていけばいいが、と思うけど。

└──────────

┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」

~~~「ビールの濾過器」の OJIN めでございます。(^^;

さ~~て、そういう運動を中国で‥‥‥?可能不可能?‥‥‥ただまあ、

南通の某大学(専門学校だったかな?)で、綺麗な内装の寄宿舎を建てました。
そこに住むことになった女子学生2人。2段ベッドでひとりは上段、もうひと
りは下段。二人は仲良く暮らしておりましたが、

しばらく経って、上段の女子学生が白血病に罹ってしまいましたーーー。

白血病の治療(延命?)にはもの凄くお金がかかります。上段の女子学生の家は
特別お金持ちというわけではなかったので、たちまち経済的に行き詰まって彼
女は正に絶体絶命、命の炎は風前の灯火。

そこで下段の女子学生が、全校生にカンパを呼びかけ、さらに街頭でも募金活
動を始めて十数万元を集めて上段の女子学生の治療費に‥‥‥ところが、

そうこうしているうちに、今度は下段の女子学生も同じく白血病に罹ってしま
いました!?
またも全校生が協力してカンパをし、街頭でも募金活動を行いましたが、無限
にカンパが続くわけもなく、ーーー結局2人とも亡くなってしまいました。

しかし白血病なんて伝染病でもないのに、どうして同じ部屋の2人ともが罹っ
てしまったのか?――――原因は接着剤。綺麗な内装の部屋ということは、

壁や天井には綺麗な壁紙が貼られています。その壁紙を貼り付けた接着剤

が、白血病を誘発する毒素を含んでいたのですーーー

そんな話を何気なく普通のおじょーさんにしましたところが、

「あら、ウチの学校でも同じように白血病に罹った女子学生がいて、ヤッパリ
みんなで、生徒はひとり200元ずつ、先生は100元ずつ、街でもカンパを
お願いして、十何万元は集めたんだけど、結局死んじゃったんですよ。だって
白血病を完治させるには骨髄を移植しなければならないらしいけど、それに

は80万元≒1200万円)かかるので、普通の家では無理なんですよね~」

ということでございましたーーー。

中国人民でも、こういう助け合いの気持を持っている人は大勢おりますけれど
も、さてしかし、植林事業にお金を出してくれる大金持が‥‥‥いるかいな?

ボランティア ▼ こういう例もあります。「毎月百元=日本円1500円」
http://chinachips.fc2web.com/01lacarte/uyc/10101030425.html

ところで中国駐在の皆様!普通の豪華マンションを借りて住まわれている方も
多いと思いますが、‥‥‥壁紙が貼られていたら‥‥‥こんな話を思い出され
てゾーーッとしていればエアコンを使わずに済んで電気代節約?(^^; <(_ _)>

└──────────


 OJINさんのあとがき


ーーー8月に入りました。

あと10日ほどもすれば、暑い!暑い!とビールの濾過器状態も徐々に鎮静化
する気温になっていくことでしょう――――。

中国の学校や会社は、9月1日が日本の4月1日と同じ意味で、新入学新入社
の時期です。 OJIN の知り合いのおねーさんの妹も、無事南通大学への入学を
果たして一安心しましたと報告してきました。

でも、入学前のこのクソ暑い最中に、軍事教練(!?)を受けなければならない
んだそうです。妹は、また真っ黒けになる~~!とビービー泣き言をいってい
るそうでございますが、

在学中は無いようですけれど、高校入学前と大学入学前にこういう厳しい体験
をしなければならないというのは悪いことではないと思います。ーーー日本で
もやればいいのに‥‥‥。

な~んてことを言ったら、いま流行りの..なんて言いましたっけ?モンスター
ペアレンツだったかな?‥‥から猛反発か損害賠償か、、ともかく今の日本で
は絶対にムリでしょうね~。

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