スパルタの興亡
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スパルタの興亡 (橘みゆき) 「連山」掲載」
映画「300」は、紀元前480年、スパルタのレオニダス王が300人の重装歩兵で。テルモピレーの隘路で3日間にわたって、ペルシャ遠征軍の侵攻を食い止めたというストーリーである。映画ではレオニダス王が戦った「テルモピレーの戦い」がほとんどを占めていますが、翌年の「プラタイアの戦い」を開始するところで終わっている。覇権をめぐる大国の興亡をみると、カルタゴやトロイみたいに戦争に負けて滅亡したという記録もあるが、戦争に勝利したがゆえに、長い目で見ると衰退の道を歩んでしまうというケースもある。アテネやスパルタの興亡し、マケドニアの時代に移っていくのを見ると、勝利したがゆえに負けるという盛者必衰の理を感じる。
スパルタのリュクルゴス制度
紀元前10世紀ごろ、ドーリア人の一派(スパルタ人)がペロポネソス半島南部に侵入し、先住民を征服し、ポリスを作ったのがスパルタである。紀元前8世紀から7世紀にかけて、メッセニアを征服した。少数のスパルタ人が多数の被征服民を支配しなくてはならないため、リュクルゴスが定めたとされる社会制度に基いた厳しい社会を作った。周辺のエリス・テゲアなどとペロポネソス同盟を結んでいた。 リュクルゴス制度は、土地の均等配分、長老会設置、民会設置、教育制度、常備軍の創設、娯楽や贅沢、装飾品の禁止、共同食事により連帯感をつちかう、貧富の差を生じさせないために、国内での貴金属貨幣の使用禁止。など、24時間戦士であれということを奨励していた。 スパルタには3つの身分が存在していた。支配者のスパルタ人、参政権を持たない劣格市民のペリオイコイ、スパルタに征服された隷属農民のヘイロータイである。スパルタ人は、完全な市民権を持つ支配者である。30歳以上の市民が民会を構成し、2人の王と28人の長老によって長老会が最高決定機関として運営されていた。王の権限は戦時における軍の指揮権程度しかなく、貴族政が行われていた。スパルタ人は政治と軍事に専念し、商業や手工業をペリオイコイに任せ、スパルタ人の土地をヘイロータイに耕作させ、貢納させていた。 その結果、スパルタはギリシャ最強の陸軍国となったものの、文化や芸術については何も残さなかった。スパルタ教育という言葉だけは残っている。
ペルシャ戦争
古代オリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシャは勢力を西に広げ、リディア王国を滅ぼし、小アジアのイオニアを支配した。ダレイオス1世の時代になると、ペルシャは東はインダス川、西はエーゲ海北岸(マケドニアもペルシャの勢力下となっていた)、南はエジプトまで広がる大帝国となった。ダレイオス1世は経済活動に重点を置き、交易を盛んに行っていた。ペルシャは各都市国家に傀儡僭主を擁立し、彼らを介して内政に干渉する統治を行っていた(映画「300」のはじめにあった、使者が「土地と水」を要求するシーンである)。紀元前492年、ペルシャの専制主義に反して、民主主義を擁護するためにアテネが反乱を起こした都市イオニアに援軍を送っていた。イオニアの反乱は平定され、ペルシャ王ダレイオス1世はギリシャ遠征を決定した。ペルシャ戦争が開始された。
第一次遠征(紀元前492年)ペルシア艦隊はエーゲ海北部の海岸線に沿って進み、タソス島を制圧したが、ハルキディキ半島のアトス山のある岬を迂回する途中、暴風に遭遇して大損害を被った。
第二次遠征(紀元前490年)ペルシア艦隊はエーゲ海を横断し、キクラデス諸島の都市国家ナクソスを陥落させると、エウボイア島に上陸、南端のカリュストスを制圧し、イオニアの反乱を支援したエレトリアに侵攻した。エレトリア制圧後、ペルシア軍は、アッティカ東岸のマラトンに上陸した。将軍ミルティアデス率いるアテネ・プラタイア連合軍は、マラトンの戦いで重装歩兵密集陣を駆使してペルシア軍を破り、敵の陸上移動を断念させ、海へ押し戻した。ペルシア艦隊は、アテネに移動したものの、攻めきれず、本国へ撤退した。
第三次遠征(紀元前480年)ダレイオス1世の死後、王位を継いだクセルクセス1世は、20万の歩兵を動員し、遠征を行った。ギリシャ連合は、テッサリアからアッティカに抜ける幹線道路にあるテルモピレーの隘路とエウリポス海峡への入り口にあたるアルテミシオン沖に防衛線を築いた。紀元前480年8月、ギリシア連合軍はテッサロニキから南下してきたペルシア軍と両地で衝突した。スパルタが主力となって防衛にあたったテルモピレーの戦いでは、スパルタが300人しか派遣できなかった上、迂回されて背後を突かれたため、ギリシア軍は撤退し、その場に留まった国王レオニダス以下のスパルタ勢は全員戦死した。この戦いをモデルとしたのが映画「300」である。テルモピレーでの敗退により、ギリシア艦隊はアルテミシオンからも撤退した。 紀元前480年9月、アテネのテミストクレスはアテネ市民全員を船で避難させ、アテネはペルシャ軍に占領された。テミストクレスは、たくみな作戦によりサラミス湾にペルシャ艦隊を誘い込んで、地の利(一定の時刻になると吹く風シロッコ)を生かしてペルシア艦隊を破った。サラミスの戦いの敗北により、クセルクセス1世は戦意を喪失し、マルドニオスに後を託し、自身はバビロニアの反乱を鎮めるため帰国した。 紀元前479年8月、スパルタをはじめとするペロポネソス諸国の連合軍は、マケドニアで体勢を整えたマルドニオス率いるペルシア軍をプラタイアの戦いで敗退させ、マルドニオスは戦死した。さらに、小アジアのミカレーの戦いでギリシア側は勝利し、ペルシアを、北部は黒海まで、南部はキプロスまで押し戻し、イオニア都市の独立を回復した。
ペルシャ戦争後のアテネとスパルタ
その後もペルシャはギリシャ支配の意図を隠さなかった。ペルシャの脅威からポリスの独立を守るため、アテネを中心としたデロス同盟が結ばれた。同盟に参加したポリスは艦隊と兵員または貢納金を提供する義務を負っていた。ドレス同盟はアテネの海上支配に使われた。紀元前448年にペルシャとの間に「カリアスの平和」が成立し、戦争が終結したがデロス同盟は残った。デロス同盟に加わらなかったスパルタやコリントはペロポネソス同盟を守っていた。民主制をとるアテネと、貴族制のスパルタの間で、イデオロギー対立につながっていった。デロス同盟(アテネ)とペロポネソス同盟(スパルタ)との間で長期間の戦争が行われた(ペロポネソス戦争:紀元前431年から404年)。アテネのデマゴーグ(扇動政治家)の登場や貴族のアルキビデアデスの無謀なシチリア遠征により、紀元前404年、アテナ軍がシチリアで全滅する事態となり、ペロポネソス同盟(スパルタ)が勝利した。この戦いの勝利でスパルタはギリシャの覇権を獲得した。
その後のスパルタ
スパルタが強大化するのをペルシャが嫌った。ペルシャはアテネの復興を援助し、再びアテネが力をつけてきた。一方、戦争の勝利によって流入した海外の富はスパルタにとって劇薬であった。質実剛健を旨とするリュクルゴス制度は大打撃を受け、市民の間に貧富の差が生じてしまった。スパルタ軍は団結に亀裂を生じて弱体化していった。紀元前371年、レウクトラの戦いでエパミノンダスに率いられたテーバイ軍に破られ、覇権を失った。そのデーバイも紀元前338年のカイロネイアの戦いでマケドニアに敗北した。アレキサンダー大王も、一軍の将として、この戦いに参加している。ギリシャ世界はマケドニアの支配下に置かれることになった。橘みゆき 拝
ようちゃんの意見。↓
★勝利したが故に負けるとは 質実剛健から、貧富の差が出来、贅沢を覚え、楽を選び、娯楽の追求と食の贅沢に溺れる日常が当たり前になる。辛い兵役を嫌い歌舞音曲が盛んになり・・・・。
スパルタのリュクルゴス制度
紀元前10世紀ごろ、ドーリア人の一派(スパルタ人)がペロポネソス半島南部に侵入し、先住民を征服し、ポリスを作ったのがスパルタである。紀元前8世紀から7世紀にかけて、メッセニアを征服した。少数のスパルタ人が多数の被征服民を支配しなくてはならないため、リュクルゴスが定めたとされる社会制度に基いた厳しい社会を作った。周辺のエリス・テゲアなどとペロポネソス同盟を結んでいた。 リュクルゴス制度は、土地の均等配分、長老会設置、民会設置、教育制度、常備軍の創設、娯楽や贅沢、装飾品の禁止、共同食事により連帯感をつちかう、貧富の差を生じさせないために、国内での貴金属貨幣の使用禁止。など、24時間戦士であれということを奨励していた。 スパルタには3つの身分が存在していた。支配者のスパルタ人、参政権を持たない劣格市民のペリオイコイ、スパルタに征服された隷属農民のヘイロータイである。スパルタ人は、完全な市民権を持つ支配者である。30歳以上の市民が民会を構成し、2人の王と28人の長老によって長老会が最高決定機関として運営されていた。王の権限は戦時における軍の指揮権程度しかなく、貴族政が行われていた。スパルタ人は政治と軍事に専念し、商業や手工業をペリオイコイに任せ、スパルタ人の土地をヘイロータイに耕作させ、貢納させていた。 その結果、スパルタはギリシャ最強の陸軍国となったものの、文化や芸術については何も残さなかった。スパルタ教育という言葉だけは残っている。
ペルシャ戦争
古代オリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシャは勢力を西に広げ、リディア王国を滅ぼし、小アジアのイオニアを支配した。ダレイオス1世の時代になると、ペルシャは東はインダス川、西はエーゲ海北岸(マケドニアもペルシャの勢力下となっていた)、南はエジプトまで広がる大帝国となった。ダレイオス1世は経済活動に重点を置き、交易を盛んに行っていた。ペルシャは各都市国家に傀儡僭主を擁立し、彼らを介して内政に干渉する統治を行っていた(映画「300」のはじめにあった、使者が「土地と水」を要求するシーンである)。紀元前492年、ペルシャの専制主義に反して、民主主義を擁護するためにアテネが反乱を起こした都市イオニアに援軍を送っていた。イオニアの反乱は平定され、ペルシャ王ダレイオス1世はギリシャ遠征を決定した。ペルシャ戦争が開始された。
第一次遠征(紀元前492年)ペルシア艦隊はエーゲ海北部の海岸線に沿って進み、タソス島を制圧したが、ハルキディキ半島のアトス山のある岬を迂回する途中、暴風に遭遇して大損害を被った。
第二次遠征(紀元前490年)ペルシア艦隊はエーゲ海を横断し、キクラデス諸島の都市国家ナクソスを陥落させると、エウボイア島に上陸、南端のカリュストスを制圧し、イオニアの反乱を支援したエレトリアに侵攻した。エレトリア制圧後、ペルシア軍は、アッティカ東岸のマラトンに上陸した。将軍ミルティアデス率いるアテネ・プラタイア連合軍は、マラトンの戦いで重装歩兵密集陣を駆使してペルシア軍を破り、敵の陸上移動を断念させ、海へ押し戻した。ペルシア艦隊は、アテネに移動したものの、攻めきれず、本国へ撤退した。
第三次遠征(紀元前480年)ダレイオス1世の死後、王位を継いだクセルクセス1世は、20万の歩兵を動員し、遠征を行った。ギリシャ連合は、テッサリアからアッティカに抜ける幹線道路にあるテルモピレーの隘路とエウリポス海峡への入り口にあたるアルテミシオン沖に防衛線を築いた。紀元前480年8月、ギリシア連合軍はテッサロニキから南下してきたペルシア軍と両地で衝突した。スパルタが主力となって防衛にあたったテルモピレーの戦いでは、スパルタが300人しか派遣できなかった上、迂回されて背後を突かれたため、ギリシア軍は撤退し、その場に留まった国王レオニダス以下のスパルタ勢は全員戦死した。この戦いをモデルとしたのが映画「300」である。テルモピレーでの敗退により、ギリシア艦隊はアルテミシオンからも撤退した。 紀元前480年9月、アテネのテミストクレスはアテネ市民全員を船で避難させ、アテネはペルシャ軍に占領された。テミストクレスは、たくみな作戦によりサラミス湾にペルシャ艦隊を誘い込んで、地の利(一定の時刻になると吹く風シロッコ)を生かしてペルシア艦隊を破った。サラミスの戦いの敗北により、クセルクセス1世は戦意を喪失し、マルドニオスに後を託し、自身はバビロニアの反乱を鎮めるため帰国した。 紀元前479年8月、スパルタをはじめとするペロポネソス諸国の連合軍は、マケドニアで体勢を整えたマルドニオス率いるペルシア軍をプラタイアの戦いで敗退させ、マルドニオスは戦死した。さらに、小アジアのミカレーの戦いでギリシア側は勝利し、ペルシアを、北部は黒海まで、南部はキプロスまで押し戻し、イオニア都市の独立を回復した。
ペルシャ戦争後のアテネとスパルタ
その後もペルシャはギリシャ支配の意図を隠さなかった。ペルシャの脅威からポリスの独立を守るため、アテネを中心としたデロス同盟が結ばれた。同盟に参加したポリスは艦隊と兵員または貢納金を提供する義務を負っていた。ドレス同盟はアテネの海上支配に使われた。紀元前448年にペルシャとの間に「カリアスの平和」が成立し、戦争が終結したがデロス同盟は残った。デロス同盟に加わらなかったスパルタやコリントはペロポネソス同盟を守っていた。民主制をとるアテネと、貴族制のスパルタの間で、イデオロギー対立につながっていった。デロス同盟(アテネ)とペロポネソス同盟(スパルタ)との間で長期間の戦争が行われた(ペロポネソス戦争:紀元前431年から404年)。アテネのデマゴーグ(扇動政治家)の登場や貴族のアルキビデアデスの無謀なシチリア遠征により、紀元前404年、アテナ軍がシチリアで全滅する事態となり、ペロポネソス同盟(スパルタ)が勝利した。この戦いの勝利でスパルタはギリシャの覇権を獲得した。
その後のスパルタ
スパルタが強大化するのをペルシャが嫌った。ペルシャはアテネの復興を援助し、再びアテネが力をつけてきた。一方、戦争の勝利によって流入した海外の富はスパルタにとって劇薬であった。質実剛健を旨とするリュクルゴス制度は大打撃を受け、市民の間に貧富の差が生じてしまった。スパルタ軍は団結に亀裂を生じて弱体化していった。紀元前371年、レウクトラの戦いでエパミノンダスに率いられたテーバイ軍に破られ、覇権を失った。そのデーバイも紀元前338年のカイロネイアの戦いでマケドニアに敗北した。アレキサンダー大王も、一軍の将として、この戦いに参加している。ギリシャ世界はマケドニアの支配下に置かれることになった。橘みゆき 拝
ようちゃんの意見。↓
★勝利したが故に負けるとは 質実剛健から、貧富の差が出来、贅沢を覚え、楽を選び、娯楽の追求と食の贅沢に溺れる日常が当たり前になる。辛い兵役を嫌い歌舞音曲が盛んになり・・・・。