参議院選挙の意味するもの | 日本のお姉さん

参議院選挙の意味するもの

ようちゃん、おすすめ記事。↓

参議院選挙の意味するもの(寸評)

民主党大勝、自民党惨敗。予想されたとはいえ、その振幅が大きすぎるという印象である。

基本政策は正しいのに

これほどの大敗を喫するほどに、安倍内閣は悪いことをしたのだろうか。明らかに失策だったのは、閣僚が次々と公金の使い方で不始末をしたり、失言をしたことくらいである。格差問題はたしかに下積みの人たちにとっては深刻であり、長時間労働が常になっている労働者や、農業や中小企業の苦境も深刻である。しかしそれらの点については、これから改善していくと首相は約束している。口約束にすぎないと言えばそれまでだが、口約束にすぎないという点では民主党も同じである。

 むしろ、安倍内閣の政策は基本的には正しいと言うべきである。憲法を変えなければならないというのは正しい。教育改革でも、基本法はじめ教育三法を成立させて、一歩も二歩も前進させている。公務員改革についても、天下りをなくすことや、社会保険庁の解体整理など、正しいことをやっている。それこそが年金不祥事の根本的解決への道である。拉致問題でも、原則的な道を貫いて、歴代内閣ではできなかった北朝鮮への制裁に踏み切った。大事な政策において、すべて正しいことをやっているのである。

 いったい何が原因でこれほどの大敗になったのか。選挙民の「審判」は正しかったのか。



喧嘩が下手な安倍首相

 まず最大の原因と目される年金問題について見てみよう。年金不祥事の責任は安倍内閣にはない。たしかに形式的には自民党内閣が続いてきた中で温存されてきた膿が出てきたのだから、形式的責任は自民党内閣にある。しかし実質的責任はないと言える。実質的責任の第一は、以前にも書いたが、地方公務員労組の自治労と、それを援護してきた旧社会党などの野党にある。彼らがサボリを正当化する労働協約を盾に、いい加減な仕事をしてきた結果である。

 安倍内閣はむしろ、その悪の根源を絶ち切るために、社会保険庁を解体し改革しようとしているのである。このことは選挙の中でほとんど強調されなかった。

 安倍首相が最も強調したことは、「責任は私にあります」ということと、「最後の一人まで正当な年金を受給できるように全力を尽くします」ということばかりであった。この戦略は最悪であったと思う。なぜといって、最初から「私が悪いのです」と罪を認めている者を攻撃することほど楽なことはないからである。本当は実質的な責任のあるのは野党の側であった。そこを積極的に主張し、その根源を解体しようとしているのが自分の内閣だということを、なぜ堂々と主張しなかったのか。

 本当の犯人を浮き彫りにすることに失敗したことは、なんと民主党比例区の当選者の一番手に自治労幹部が踊り出たことが如実に示している。自民党が真の犯人を暴露していたら、こんな馬鹿なことは起こりえなかっただろう。

 ただ殊勝らしく「私が悪うございました」「責任は私にあります」と頭を下げていれば、国民は寛大になってくれるとでも考えたとしたら、あまりにも甘すぎる。その弱気の姿勢につけこんで、左翼マスコミが「自民党責任論」を大合唱し、「民主党善玉」観を国民のあいだに刷り込んでしまった。安倍氏は自分の方から認めたのだから、反論のしようがない。あまりにも喧嘩の仕方が下手、基本戦略の失敗としか言いようがない。

 同じ失敗が、米下院での慰安婦問題での非難決議阻止のための戦略にもよく現れていた。はじめ安倍首相は「軍が強制した事実はない」と主張したが、反発をまねくとすぐに引っ込めてしまい、「慰安婦の皆さんの苦労はよく分かる」などと事実上の謝罪をしてしまった。外交上の論戦や主張において、方針がくるくる変わるのが一番いけない。もっと悪かったのが、この方針転換に不満な日本の議員や民間人が連名でアメリカの新聞に意見広告を出したことである。それを口実にして、非難決議を出そうとしていた者たちが勢いづいて、ついに決議がなされてしまった。日本の首相が元「慰安婦」に対して謝罪せよという、なにからなにまで理不尽な決議である。意見広告がなくても決議はなされたかもしれないが、うまく利用されてしまったとは言える。「敵」につけこまれたと言うべきである。

 私は意見広告を出した人たちを非難しているのではない。問題は国論が二分されているどころではなく、日本の首相と、意見広告を出した国会議員その他の有志とのあいだで行動が二分してしまったことを問題にしているのである。外交においては、官民一致して事にあたらなくてはいけない。事前に意見を調整し、戦略を一致させた上で、外に向かっていかなければならない。その主導権を取ることができるのは首相だけである。そういう意見調整をしないまま、自分だけの考えで、強硬意見を言ったかと思うと次の瞬間には軟化して謝罪をする。これでは国内の不満分子が決起して独自の行動をしてしまうのも無理がない。外と喧嘩をするためには、中を固めてからにしなければならない。安倍首相は本当に喧嘩が下手である。

 強硬に主張すべきところと、潔く謝るところとを、間違えてはいけない。自分が悪くもないところで「潔く」謝ってしまっては、「敵」につけこまれるばかりである。この弱さが、今度の選挙戦略の誤りとしても露呈してしまったのではなかろうか。

左翼と左翼マスコミは、年金不祥事の自分たちの責任を与党に押しつける戦略を取った。その戦略は、安倍内閣の戦略の失敗によって、予想以上の成功をとげてしまった。これが今度の選挙の一つの本質である。



人材結集に失敗

もう一つの安倍氏の弱点は、人材を結集できなかった点である。

この点では、安倍内閣の誕生以来半年あまり、がっかりさせられることが多すぎた。安倍氏の手腕やいかにと見ていたが、有為な人材を集め、スタッフや側近を堅め、要所に配置することができなかった。自分より有能な大物を使いこなすことができなければ、リーダーの器とは言えない。閣僚の人選もまるで落第だったことは、不正な金の使い方や失言が続出したことを見ても明らかである。

審議会等の人選も官僚の好みに押し切られ、自分やスタッフの考えを出すことができなかった。それは日頃の不勉強のせいである。リーダーになろうとする者は、常日頃から勉強して、どの分野にはどんな人材がいるか熟知している必要がある。結果を見ると、安倍氏はそういう努力をしてきたとはとうてい思えない。少なくとも教育や育児の面ではまったく落第である。独自の見識を持っていないから、官僚につけこまれ、足を引っ張られることになった。例えば「教育再生会議」の委員の人選では官僚にリードされ、せっかく出した提言に対しては官僚の手先となった文科相に足を引っ張られてしまった。自分より大物を使いこなすくらいでないと、一国の首相は務まらないのではないか。

夫人の言動にもがっかりさせられた。手をつないでタラップを降りる姿はどうしても私には違和感があった。それはまだいいとしても、最も疑問に思ったのは、夫人のブログに「ご帰天」などというカトリックの用語が野放図に使われていたことである。そこに書かれている訪問先のほとんどがキリスト教関係の施設ばかりである。ブログはなるほど私的な日誌ではあるが、書き手がまったくの私人ではない場合には、公的な意味を持ってしまうということが意識されていない。政治というものの真剣さ、怖さが分かっていない。とてもファーストレディの資格はないと思われた。

 キャラクターグッズを売り出すなどという発想がどこから出たのか知る由もないが、そういう子供じみた手段で人気を得ようという発想が軽すぎる。もっと正面きった政策の正しさと、堂々とした態度で人気を得ようとしてほしいものである。安倍氏の人気が出たのは、北朝鮮問題で断固とした態度をとったからだということを忘れないでほしい。

 あれやこれやで、安倍政権がピンチだとは分かっていても、一生懸命肩入れしようという気に、どうしてもなれなかった保守派が多かったのではないか。出口調査とやらを見ても、自民党支持者に棄権が多かったらしい。自民党は無党派層の支持を失ったのは明かだが、本来の支持者の支持さえも失っていたのではないか。



「民意」の間違い

 さて、第二の問題、自民党に厳しい「審判」を下した有権者にも、私は苦言を呈したいと思う。

 もちろん、その怒りはよく理解できる。年金管理の杜撰さについては、私も腹が立つやら、あきれるやら、なんともやりきれない気持ちである。また過度の競争社会になって、下積みの人たちにしわ寄せがいき、苦労している人が多いこともよく分かる。

 ただし、感情に走っては、正しい投票行動とは言えないであろう。真の原因と、真の責任を見定めなければならない。ただ、うっぷん晴らしでは、よい結果は出てこない。

 はっきり言って、年金問題は、安倍内閣の責任ではない。また民主党が何か手柄を立てたわけでもない。むしろ、サボリ体質の労組を支援してきた野党の責任も大きかったのである。もし旧社会党が政権を執っていたら、自治労がもっとのさばり、もっと無茶苦茶になっていたかもしれないのである。ところが、感情的な怒りが自民党に向き、地滑り的な民主党勝利をもたらした。これは決して健全な民主主義とは言えない。

 そもそも、長年にわたって杜撰な社保庁の年金管理を許してきたのは、日本人の個人主義と事なかれ主義にも原因の一端、それも重要な一端が潜んでいるのである。

 日本人の最大の悪癖は「文句を言わない」ことである。どんなに不平や不満があっても、文句を言わない。自分だけ言っても仕方ないと、初めから諦めている。もちろん、ここで「文句を言う」とは、家の中で個人的にブツブツ文句を言っているということではない。苦情を公表したり、相手にぶっつけたり、意見を集約して運動につなげていく行為のことである。日本人にはそれがあまりにも少なすぎる。

 私は何年もヨーロッパで暮らした経験から、ここのところが彼我の最大の違いだと感じている。ヨーロッパの人たちは、何か不都合や不正を感ずると、皆でワーと文句を言う。例えば電車の中で不正を働く者がいたら、誰も黙っていない。皆で文句を言い、行動にでる。しかし日本人は「見て見ぬふり」を決め込む。電車の中で目の前で女性がいたずらされているのに、助けるどころか誰も通報もしなかったという事件が、つい先日もあったばかりである。

 もっと早くから、何十年も前から、社保庁の役人のいばりくさった態度に対して、その不親切な対応に対して、皆が文句を言っていたら、事態は少しは、いやもしかしたら大きく、変わっていたかもしれないのである。窓口に行って、確認をしようとしたときに、「領収書を持ってこい」と言われて、「そっちに記録があるだろう」と言ったとき、「自己申請主義の制度だ」と言われれば、「自己申請主義」という制度そのものが問題だと気づき、皆が文句を言って世論を作っていけば、事態は変わっていたかもしれない

 そもそも「年金をもらえるかどうか」は自分で証明しなければならない制度のはずである。その「自己申請主義の制度はよくない」というのなら、それに反対する発言や抗議行動をした人が誰かいたのだろうか。もしかすると専門家の中にはいたかもしれないが、いま文句を言っている普通の人の中にいたとは思えない。つまり、年金の保険料を支払った領収書は自己責任で保管しておくべきものである。自分の責任はほうかむりして、すべて他人の責任だ「みんなお上が悪い」とばかりに怒りを爆発させるのは、おかど違い、あるいは甘えというものである。そもそも杜撰で生意気な役人を放置し、のさばらせてきたのも、日本人の「自分だけよければよい」「人のことは見て見ぬふり」という、利己的な意識構造のなせる業であったのだ。そこを反省しないかぎり、「自民党にお灸をすえた」と喜んでも、何も変わらないだろう。

 たしかに、多くの人は「自己申請主義」などとといいうことは知らずに、ただまじめに積み立てていれば年金をもらえると思っていたのであろう。無理もないとは言える。しかし、厳しいことを言うようだが、「自己申請主義」は知っておかなければならないことなのである。それは自己責任の部分であり、自分にも少しは責任があるのである。もちろん、政府としては、そのことを十分に周知徹底させる義務がある。その義務をはたしてこなかった責任は重い。しかし、国民の方も、「悪いのはすべてそっちだ」と怒りを爆発させるのは、ちょっと違うのではないだろうか。

 国民として知っておくべきこと、やるべきことをしないでいて、投票のときだけ怒りを表現する、それも真の原因に対してでない、という有権者のあり方は、決して成熟した民主主義とは言えない。真の民主主義とは、投票以前に発言し行動し、自分たちの手で改善の努力をすることである。投票だけを鬱憤のはけ口とするものではない。安倍政権は否定されていない

今度の選挙で自民党は大敗したとはいえ、安倍政権は決して否定されていない。安倍政権の主要政策はまったく争点にならなかったからである。衆議院では与党は3分の2以上を占めている。それは与党の主要政策に対する国民の支持を示しており、その支持は参院選挙によってなくなったとは解釈できないのである。

例えば、8月1日付の『読売新聞』の世論調査によれば、

「民主党に政権担当能力はあるか」

  「ある」 35.9%

  「ない」 46%

「民主党が議席を増やした理由」

  「安倍首相や自民党への批判」68%

  「政権交代への期待」39%

となっている。つまりは、国民の多くは民主党に政権を委ねる気はないのである。政権を担うのは自民党だ、もっとしっかりしてくれ、というのが今回の選挙によって示された「民意」なのである。

したがって安倍首相は自信をもって政権を担当し、今回の選挙で示された国民の批判点を是正した内閣を組織し直して、今までどおりの方向を堅持していけばよいのである。外交、安全保障、憲法改正、教育、拉致、公務員改革、どれ一つとして修正する必要はない。これらの問題について、今回は国民の意思表示はなかったのだ。ということは、衆議院の3分の2以上という勢力を基盤にして、政権運営をしていけばよいことを意味しているのである。参議院で否決されても、もう一度衆議院において3分の2以上で可決すればよいのだ。選挙で負けたとたんに急に方針を転換したブッシュ政権の醜態を真似することはない。堂々と今までどおりの方針を貫いてもらいたい。

ーーーーーーーーーーー



▼食べると下痢するサンドイッチ、点滴すると死ぬ病院
worldNote

韓国公使が北京の病院で点滴後に死亡、ニセ薬の可能性も(読売新聞) - goo ニュース
北京市中心部にある外国人を主な対象とする病院でリンゲル液の点滴を受けた後、呼吸障害を起こして死亡したことを明らかにした。リンゲル液がニセ薬だった可能性や点滴の速度に問題があったとの見方が指摘されている。同当局者によると、死亡したのは政務担当の黄正一公使(52)。28日夜、大使館近くの店で買ったサンドイッチを食べたところ、下痢症状を起こした。症状が好転しないため、29日、同病院でリンゲル液の投与を受けたという。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まとめると、

1)28日夜、大使館近くの店で買ったサンドイッチを食べた。
2)下痢となり、症状が好転しないため、29日に外国人向けの病院でリンゲル液の投与を受けた。
3)その後、呼吸障害を起こして死亡。

リンゲル液は脱水症状への対策だろう。こうなった原因は不明だが、まず市中のお店でサンドを買って食べるという時点であれかも(危機意識がないかも)。具は生だろうし、おそらく食中毒といっていいだろう。
#呼吸障害というからボツリヌス菌かと思ったが、これは下痢しないか