虎の尾を踏んだ安倍晋三・「台湾」の国連加盟申請の新しさ・林彪はなぜ死んだ | 日本のお姉さん

虎の尾を踏んだ安倍晋三・「台湾」の国連加盟申請の新しさ・林彪はなぜ死んだ

渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第880号
平成19(2007)年07月28日(土)第880号

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虎の尾を踏んだ安倍晋三
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          平井 修一

今日、金曜日の27日は真夏日のようで、屋外の機器をメンテナンスして
いると汗まみれになった。梅雨明けはまだか。

仕事を終えて「いざ帰りなん」と、帰路の東京都大田区の駅前の選挙ポ
スターを見たら、1枚が剥ぎ取られている。5分の1は残っていたから、ど
この候補者かと見れば「維新政党・新風」だった。

この新風は、選挙公報によると「核武装を真剣に考えよう」とアピール
している。ポスターを破った人は、これを許さない、と思ったのだろう。

核武装の現状を検索したら、以下のサイトがあった。
http://ww2.ctt.ne.jp/~boilfrog/contents2.html

「核弾頭保有数は、米国1万発、ロシア1万7000発、英国185発、フランス
384発、中国400発、インド30~40発、パキスタン不明、イスラエル100~
200発だ」とある。

<北朝鮮による核保有の問題は、日本にとっても直接的な脅威となって
きた。また北朝鮮だけでなく、インドやパキスタンなどは1998年に相次
いで核実験を強行し既に核を保有している。

現在、核兵器不拡散条約(NPT)で核兵器保有国として『公認』されている
国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国だ。しか
し、自国の安全保障という観点から他国へも核兵器の拡散が進んでいる
ようである>

核武装とか核抑止力を持つとか、自国の選択として議論をするのが当た
り前であるが、「それを考えてもいけない」というのが、ポスターを破
った人の考えなのだろうか。

米国、ロシア、中共、北の核には文句は言わないが、我が国の核武装
(その是非論)にはヒステリックに反対し、選挙ポスターも剥がす人々。
我が国が普通の国になることを嫌い、奴婢の如く頭を下げ続けるままに
しておきたいという「反日屋」さんだ。

堂々と論じればいいものを、夜陰に乗じてポスターを剥がすというのは
恥ずかしくないか。「柔肌の熱き血潮に触れもせで、さびしからずや道
を説く君」と与謝野晶子は詠ったが、「胡散臭き外交のエゴ丸出しに目
をそむけ、恥ずかしからずや平和説く君」と言いたい。

ちなみに小生のこの選挙におけるスタンスだが、先日、靖国神社に年会
費3000円、新風には「党員費」として1万円のカンパをし、東条候補を支
持し、安倍政権を応援しているから、未だに誰に、どこに投票すべきか
分からないから無党派層のようだ。ああ悩ましい。

以上を書いたのは、ポスターの残骸には小生の指紋が残っているから、
要らぬ嫌疑を受けぬためでもある。(35歳の頃に交通違反=一方通行進
入をしたら、警察官は小生の免許証番号を本署に問い合わせた末、「ま
さか、今はやっていないでしょうね」とにやにやした。

助手席に女房と赤ん坊がいたから放免されたものの、刑期満了・執行猶
予期間が終われば普通の市民に戻れると思っていた小生は屈辱でがっく
り)。指紋を含めて記録は永遠に残る。

社会保険庁のように消す人もいるが、公務員やら官僚は、クソ真面目な
面もあるのはいいが、公務員・官僚利権は絶対手放さないという輩でも
ある。

ところで本題だ。

田原総一朗が日経BPネットに面白い記事を書いている。いやな野郎だと
思っていたが、いいことも書くようだ。ひと口で言えば、「官僚・公務
員の尾を踏んで逆襲される安倍政権」という内容だ。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/070719_20th/index.html

「安倍政権の倒閣を企てた官僚たちの二重クーデター」と題する記事の
最終章は以下の如し。

<安倍政権逆風の背景にあるもの。小泉前首相は公務員制度改革はよほ
ど準備をして根回ししてやらないと難しいと言っていたが、安倍首相は
そこが足りなかった。甘く考えていたと言えるかもしれない。そのため
に官僚のクーデターに遭って苦しんでいる。

社会保険庁の解体・民営化も、新・人材バンクも、今度の選挙で安倍内
閣が負けて安倍首相が退陣したらご破算になる可能性がある。だから、
官僚たちは何としても安倍内閣を潰さなくてはならないとその機会を狙
っている。

このように、社会保険庁解体と公務員制度改革は、自民党内外からの安
倍政権への逆風となっているといえるだろう。だが、この安倍政権への
逆風を仕掛けたのはとりも直さず官僚であり、自民党内の反安倍勢力で
ある。そしてそれを煽っているのがマスメディアだ。その壮絶な反撃に
安倍政権が苦境に立たされているというのが、参院選を前にした今の状
況なのだ。>

自分の番組でそう言えばいいのに、官僚と癒着しているマスメディアの
手前、本当のところは言えないようである。「ミニコミにこそ真実は宿
る」と、小生はメルマガやらブログの可能性に日本の未来を期待したい
気分を募らせている。



「台湾」の国連加盟申請の新しさ
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             泉 幸男


◆ 「台湾」の国連加盟申請

連合国組織(いわゆる「国際連合」)の憲章では、安保理事会の常任理
事国の名としていまだに「中華民国」と「ソヴィエト連邦」が使われて
いる。

有名な話なのかもしれないが、コラム子は7月9日付の『自由時報』
(台湾)19面のコラムではじめて知った。

へぇ、憲章上は北京政府はいまだに「中華民国」の政府なんだ!

■ 名義は「中華民国」で ■

「中華民国」を代表する政府が、昭和46年10月26日に台北の政府から北
京の中華人民共和国政府に取ってかわった後も、そのために連合国組織
の憲章が改正されることはなかったのだ。

『自由時報』にコラムを書いた傅雲欽(ふ・うんきん)弁護士の説明に
よると≪北京政府は「中華民国」の名義で連合国に加盟したものと認め
られる。

意外なことだが、国号の変更は国格の同一性ないし継続性に影響せず、
(安保理常任理事国を定めた)憲章第23条の効力に影響しないのである。


たしかにビジネスの世界でも、会社の社名が変わったからといって、か
つて旧名称で結んでいた契約の名義をいちいち改定したりはしない。そ
れと同じと言われれば納得がいく。


表面上の国の名前(国号)が中華民国から中華人民共和国へ変わっても、
国としての存在そのもの(国格)は受け継がれるというわけ。

英語表記で誤って People's Republic of China の People's が抜けて
Republic of China と書かれたりすると、北京政府は天地がひっくりか
えらんばかりに猛然と抗議する。

しかし、法的には北京政府は Republic of China の継承者という解釈な
のだ。あまりいきり立つのも不自然ということになる。

■ 2つの手法 ■

さて、そういうわけで連合国組織における「中華民国」の席には北京政
府が坐っているから、現在「中華民国」の国号を使用している台北政府
が連合国組織に加わるには2つの方法しかない。

ひとつは、「中華民国」の席から北京政府を追い出してそこに台北政府
が坐りなおすというもの(方法A)。

もうひとつは、「中華民国」の席には北京政府にそのまま居ていただい
て、台北政府は別の国号での加盟を申請するというもの(方法B)。

じつは台北政府は、可能性ゼロを承知で方法Aを何度か試みている。台
北政府と外交関係のある国が世界には24ヶ国ある。 そのうちいくつか
の国に頼んで台北政府の加盟を後押ししてもらう。あくまで、「中華民
国」の地位を北京政府と争う形で。

つまり「1つの中国」の地位を争うという図式。まぁ、これだと台北政
府に勝ち目はないですね。

■「別の存在」として ■

7月19日、世界史に残る出来事が起きた。台北政府が、はじめて「方法
B」を試みたのだ。

陳水扁(ちん・すいへん)大統領から潘基文(はん・きぶん)事務総長
宛の書簡で、「台湾」の国号で連合国組織の新加盟国として加盟を申請
したのだ。

日本の新聞ではベタ記事扱いだった。しかし、その歴史的意義は大きい。
「あぁ、後から考えれば、平成19年7月19日が台湾の独立宣言の日だっ
たんだ……」というときがきっと来ると思う。

連合国組織のなかの「中華民国」の席には、北京政府がいる。これまでは、
「その席をもう一度明け渡してほしい、自分たちこそ中華民国なんだか
ら」と言っていたわけですね。不可能を承知で。

ところが今度は、「中華民国」の席に坐る北京政府のことはほうってお
いて、まったく新たに「台湾」という別の存在として加盟を申請したわ
けです。「別の存在」として。

それって、「独立します」ってことでしょ。 

「台湾が独立を宣言したら取り返しのつかないことが起きるぜ(=中国
共産党軍が台湾島を総攻撃するぞ)」と北京政府は言い続けてきたわけ
ですが、

実際に北京政府がやったのは「陳水扁は性懲りもない陰謀家だ」「台湾
海峡とアジア太平洋地域の平和の破壊者だ」「分断国家を企図する負け
犬だ」と罵(ののし)ってみせる程度で、ミサイル1発とて発射さ
れませんでしたね。

■ 新たな申請への新たな対応 ■

さて、陳水扁大統領の新規加盟申請を受けた潘基文事務総長はどうした
か。 「受理せず、門前払いにする」旨、7月23日に連合国組織の事務局
の広報担当者が発表した。

理由は、申請者の台湾は主権国家とは認めがたく、申請の趣旨が「1つ
の中国」の原則に反するから、というもの。

この「門前払い」というところに、狼狽(ろうばい)ぶりがうかがえる。

これまで台北政府が友好国に頼んで「中華民国」の席を台北政府に明け
渡してほしいという申請を提出させたとき、連合国組織の事務局はこれ
を受理していたのである。

だってこれって、北京政府がアルバニアを代理人として加盟を申請して
きたときと全く同じ論理ですからね。門前払いにできないわけです。と
ころが今回のは、まったく新たな趣旨だったわけです。

何しろ台北政府の主張は、「中華民国の席は北京政府に呉れてやる。自
分たちに新たな席が欲しい」というもの。申請そのものを台北政府が行
った。火中の栗だ。潘基文氏には拾えない。

拾えないという事実でもって、潘基文事務総長は自ら「台北政府は新た
な主張をした」という認識を全世界へ示したわけですね。つまり台湾が
独立を宣言したことを連合国組織の事務局長が認識した(ただし承認は
しない)わけです。

■「一歩」がもつ歴史的意義 ■

さて、潘基文事務総長による門前払いに対して、台湾の外務大臣は「門
前払いは越権行為だ」と応じてみせた。

「中華民国」の席を北京政府へ譲る2758号決議を盾にとって、潘基文事
務総長が門前払いしたことに対し、台湾の黄志芳(こう・しほう)外相


≪2758号決議は、台湾が中華人民共和国の一部だなどとは一言も言っ
ていないし、「1つの中国」の原則を語っているわけでもないし、中華
人民共和国が台湾の2300万の民の連合国組織における権益を代表するよ
う認めたわけでもない≫と反論した。

7月25日の『自由時報』の社説も高らかだった。

≪陳大統領の申請書を連合国組織の事務局が門前払いにしたのは、明ら
かに連合国組織の関連規定に違反するものであり、中国の策謀が見てと
れる。≫

≪ともあれ、陳大統領の踏み出した第1歩には重大な意義があり、台湾
の2300万人が連合国組織に加わりたいという強い願いを国際社会に対し
て示したものだ。≫

≪事務総長の越権行為は、世人の譴責(けんせき)を受けるに値する。
……(中略)…… 陳大統領の第1歩は、台湾にとっての大きな1歩であ
り、たぶん、長い長い長征の出発点だろう。≫

≪かつて中華人民共和国が連合国組織に加盟しようとしたときも、度重
なる挫折を経てようやく成ったものであることを思い出そう。≫


『自由時報』は民進党系の新聞なので、その主張もおのずと熱い。

■ 国民党の馬英九も然り ■

国民党の次期大統領候補の馬英九(ま・えいきゅう)氏とて、北京政府
の罵声より国民の叱責のほうが怖い。この辺が民主国家のありがたさで、
馬氏とて

≪「台湾」の名義で連合国組織に加盟を申請するのは正当なことであり、
国民の支持を得て当然である。連合国組織側がこれを門前払いにしたの
は不当である。≫とコメントせざるをえなかった。

この一点で、民進党と国民党のコンセンサスまで確認されちゃったわけ
ですね。

もちろん、馬英九流に

≪台湾が国際社会に参画することと、中国・台湾間の密接な経済協力と
繁栄を促進することは、まったく矛盾しない。≫と付言してみせるわけ
ですが。

まぁ、それもまた、台湾人のコンセンサスのうちでしょう。

http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/


林彪はなぜ死んだ
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          渡部亮次郎

毛沢東の後継者、と憲法に書かれながらソ連に逃亡途中に撃墜死した林
彪に会ったことは無い。何しろ撃墜死が私の初訪中(日中国交回復の田
中角栄総理訪中に同行=1972年9月)の1年前、1971年9月13日だったからで
ある。

私はそれまで中国に全く関心が無かったが、どうしたわけかNHK政治
部が作った中国研究会のキャップ米田奎次さん(故人)に無理に誘われ
て参加した。1970年頃である。中国に関係するということは、それだけ出
世?の妨げだった。

なぜなら当時の内閣は佐藤栄作総理大臣は中国の国連加盟に絶対反対で
あった。中国の国連加盟即ち台湾の国連追放を意味する。大東亜戦争の
終結に当って中華民国の蒋介石総統は「以徳報怨」(徳を以って怨みに
報ゆ)を唱え、在留邦人と日本捕虜を無傷で送還してくれた恩人。

関東軍捕虜をシベリアに連行して酷使したスターリンとの違いをみせた。
中共より”恩人守れ”だった。

佐藤の就任は昭和39(1964)年11月9日。政権はそれから足掛け7年も続く
わけだが、発足2年後の1966(昭和41)年から中国では毛沢東による「文
化大革命」が展開され「紅衛兵」による「造反有理」がはやり言葉とし
て伝えられ、日本人記者の国外退去が開始されていた。

NHKの中国研究会は連夜、会を開いたがまず”文化”と”大革命”の
関係で行き詰まった。あとでわかってみれば、これは国家主席を追われ
た毛沢東の権力奪還運動を大衆運動に包んで誤魔化したもので、全く、
文化でも革命でもなかった。

そうした中で毛沢東が自分の後継者を決めて憲法に書いたという。民主
主義国家では考えられない事だが、共産主義のソ連でもありえなかった
事。一体、中国という国は何を考えている国なんだ。次第に興味をかき
立てられて行った。

ところが間もなく「外電」は後継者の林彪が死んだらしいと報じ始める。
しかし、北京にただ一社残っている朝日新聞の特派員は「林彪は生きて
いる」という証拠抜きの記事を送り続けた。中国共産党のご機嫌を損な
うなとの社長命令だった。

林彪事件は朝日新聞の偏向報道の批判として、よく引き合いに出される
のは、このためである。これは当時の朝日新聞が林彪失脚の事実を外国
通信社の報道や特派員からの情報により知っていた。

それにもかかわらず(当時西側の多くの報道機関は林彪の失脚の可能性
を大きく報じていた)、親密な関係にある中国共産党政府の機嫌を損な
う事を避けるために、あえて失脚に懐疑的な記事を掲載し、結果的に誤
報をばらまいたことによるものである。

林彪は1969年の九全大会では党副主席となり、毛沢東の後継者として公
式に認定されたが、国家主席劉少奇の失脚以後、空席となっていた国家
主席のポスト廃止案に同意せず、野心を疑われることになる。

1970年頃から林彪とその一派は、毛沢東の国家主席就任や毛沢東天才論
を主張して毛沢東を持ち上げたが、毛沢東に却って批判されることにな
る。

さらに林彪らの動きを警戒した毛沢東がその粛清に乗り出したことから、
息子で空軍作戦部副部長だった林立果が中心となって権力掌握準備を進
めた。 1971年9月、南方視察中の毛沢東が林彪らを批判、これを機に毛
沢東暗殺を企てるが失敗し(娘が密告したためとの説がある)逃亡。

1971年9月13日、ソ連へ人民解放軍が所有するイギリス製のホーカー・シ
ドレー トライデント旅客機で逃亡中にモンゴル人民共和国のヘンティー
県イデルメグ村付近で墜落死した。

燃料切れとの説と、逃亡を阻止しようとした側近同士が乱闘になり発砲
し墜落したとの説と、ソ連が入国拒否した為ミサイルで撃墜されたとの
説がある。

逃亡の通報を受けた毛沢東は「好きにさせればよい」と言い、特に撃墜の
指令は出さなかったといわれる。死後の1973年に党籍剥奪。

当初、林彪は毛沢東暗殺まで考えていなかったが、最終段階になって林
立果にクーデター・暗殺計画を打ち明けられた、という説もある。

とにかく林彪が死んだのに、中国は内外に発表する事を躊躇し、発表し
たのは10ヶ月後の1972年の今日7月28日だった。その2ヵ月後、日中国交
回復がなった。

一説には林彪と毛沢東には対外政策での意見の食い違いがあり、これが
反目につながったとも言われる。1969年3月に起きたソ連との領土紛争
「珍宝島(ソ連はダマンスキー島)事件」を契機に、毛沢東はソ連の脅
威をますます実感するようになった。

そこで毛沢東は二正面作戦を採るのは上策ではないとして、それまで
「米帝(アメリカ帝国主義)」と罵り、敵視していたアメリカに接近を
試みる。ニクソン訪中がその証拠。しかし、林彪は「あくまでも敵はア
メリカである」と主張し手対立したという。いずれにせよ、林彪事件に
は今なお謎が多い。

いずれにせよ、林彪を失った毛沢東は、後釜をトウ小平と定め、生涯2度
目の失脚で「下放」していたトウを呼び返し、副首相に据えた。トウは
また失脚を繰り返すが、華国鋒を騙して実現した3度目の復権で中国最大
の実力者として君臨20年をモノにする。それもこれも林彪の死がきっか
けだった。参考「ウィキペディア」2007・07・27