ようちゃん、おすすめ記事
▼2007/07/27-20:56 大江健三郎氏が出廷へ=集団自決めぐる訴訟-大阪地裁(時事通信)
第2次大戦末期の沖縄・座間味島などで、住民に集団自決を命令したと書籍に記載され、名誉を傷つけられたとして、元陸軍少佐らが発行元の「岩波書店」(東京都千代田区)と作家の大江健三郎氏を相手取り、出版差し止めなどを求めた訴訟で、大阪地裁(深見敏正裁判長)は27日、大江氏本人から話を聞くことを決めた。出廷は11月9日の予定。
--------------------------------
▼自民党の数合わせの“一本釣り”が始まっている(論壇)
自民党の大敗がほぼ決定的になった参院選、選挙後を見すえて、自民党の数合わせの “一本釣り” が始まっている。「 足りない数を非自民、野党から引っぱり込む作戦だ。 荒井広幸、広田一、松下新平プラス民主党1人、国民新党2人。 もう一人は、民主党の現職で比例区に立っているO議員。 すでに話がついているといわれている 」 (政治部記者)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★ミンスの若手には公認さえもらえれば自民党から立候補したかった奴がいくらでもいますからね。やはり衆議院も合わせて、ガラガラポンでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼首の皮一枚の公明党・太田昭宏(論壇)
安倍晋三首相のクビがあぶないと言われているが、もう一人、首の皮一枚の与党幹部がいる。
「 公明党の太田昭宏だよ。 おそらく公明は、現有勢力を割ってしまう。 太田の責任問題は避けて通れない。 どうせ太田は、『 浜四津(敏子) 公明党 』 実現までのつなぎ。 すんなり交代の可能性もある 」 (国会担当記者)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼太田公明党が苦戦だって?それはイカンザキ!(大日本セキュリティ総合研究所)
今回の参院選挙では、自公の苦戦が言われています。自民党は分かるが、公明党も苦戦とはどういうことでしょうか。
いやぁ。ぶっちゃけ、代表の顔だと思いますよ。太田さんと神崎さんの顔を見ていると、神崎さんの方がまだ女性受けするわけでして、公明の選挙の心臓部である婦人部の力の入り方が違うんじゃないでしょうか。話では、神崎さんはなかなかソフトで人気があったようですし。でも、神崎さんを更迭したのはもちろんあのお方ですから、太田さんを担いで頑張るしかないでしょう。また、比較的、選挙に強いと思われる神崎さんを更迭しなければならない理由もあったようです。
ーーーーーーーーーーーーーー
http://
特集/神崎・冬柴執行部退陣と総裁選(池田大作が目論む「永久与党体制」への一里塚としての「神崎・冬柴」の更迭)
*前倒しされた今秋の公明党大会*「世紀の悪法」と世間から猛烈な批判を浴びた「共謀罪」をはじめとして、教育基本法改正案、憲法改正のとばぐちとしての国民投票法案、さらには防衛庁の省昇格法案など、いずれも今後の日本の進路を占う上で大きな影響を与えるであろう「重要法案」が軒並み継続審議とされ、今年の通常国会はこの6月18日で、会期延長がなされないまま、閉会した。それにより、永田町及び世間の関心はこの9月に行われる自民党総裁選の行方に移ってしまったが、そうした最中の6月23日の全国紙の朝刊各紙に、公明党が当初、この10月14日に予定していた代表選出のための党大会を前倒しし、9月30日とすることを決めた旨の記事が、ほぼ一斉に掲載された。とりわけ、この春先ぐらいから「公明党代表・神崎武法」の更迭話は既にささやかれてはいたが、そうした流れを後押しする形で、読売が「神崎代表(62)が今期限りで勇退し、後任に太田昭宏幹事長代行(60)が就く見通し」「太田氏とともに次期代表と目されていた北側国土交通相(53)が、冬柴氏の後任幹事長になる方向が強まり」と報じる一方で、毎日も「後任(の代表)には太田昭宏幹事長代行が有力視」と書き、98年秋の新公明党の結成以来、一貫して「代表・幹事長」のポストにあった「神崎・冬柴コンビ」の更迭へ向けて、じわじわと外堀を埋めようとしている「創価学会=池田大作」の思惑が、見て取れる。
これは言わずもがなだが、表向き、代表を選出するのは党大会においてだが、実質的な「人事権」は、他の党役員人事も含めて、すべて「公明党創立者」である「池田大作」が握っている。極端なことを言えば、公明党の党大会の当日の朝、池田大作のツルの一声で、当初予定していた「新代表」のクビを急遽、すげ替えることはいくらでも可能である(もちろん、神崎の代表続投という選択肢も含めて)。ただ、今の「神崎・冬柴」に替えて、「太田・北側」のコンビを新執行部にすげようという池田自身の思惑がどこかにあるがゆえに、かなり早い現時点でのこうした情報のリークにもつながっているわけで、とりあえず、本稿ではこの秋に公明党の新執行部が「太田・北側コンビ」に代わるであろうという前提で、話を進める。
池田大作の狙いは政権与党への居座り:総裁は安倍・福田のどちらでも同じ
で、ちょうどこの9月のほぼ同時期に自民党の総裁選も行われる。現時点の世論調査では、官房長官の安倍晋三がリードし、それを同じ森派の元官房長官の福田康夫が追う展開になっている。それゆえ、こっちの自民党の総裁選の方も、まだ誰が総裁になるかは現段階では不透明であるということを、まず、前置きした上で、ただ、安倍が後継総裁になった場合、これまでの彼の言動から推測する限りでは、確かに、今、かなり問題がクローズアップされてきている内政面での「格差社会の是正」については一定の配慮を見せるだろうが、「親米タカ派」の外交姿勢は、現在の首相・小泉純一郎よりさらに過激に突き進むのではないか、と思われる。
それに比べると、福田の方は現在の小泉の路線とはかなり距離を置く形で、特に外交面では「小泉の靖国神社参拝」に対する批判を強めることで、より、「アジア重視」の姿勢を明確に打ち出していくことになるだろう。そこで、今回、編集部から与えられたテーマに、「ポスト小泉が安倍か、福田かによって、信濃町の対応や思惑はどう変わるか」という問いかけがあったが、これに対する筆者の見解をひとことで言えば、「結局、どちらでも同じ」ということである。1964年の公明党の結党以来、池田が目指してきたものは「天下取り」であるが、それは具体的には「公明党が政権与党」となることだった。ただ、せいぜい、参院比例区で1000万票も取れない信濃町の集票能力からして、公明党だけで「単独政権」を取ることができないことなど、池田とてわかりきっている。そこで、広宣流布における例の「舎衛の三億」の理論ではないが、池田が虎視眈々と狙っていたのは、そもそも自民党との連立政権だった。しかし、55年体制においては、ほぼ一貫して自民党が衆参両院で単独過半数を占めてきたため、公明党(=創価学会・池田大作)を「家の中」に入れてもらうことはできなかった。ところが、93年夏の総選挙で、自民党が過半数割れの敗北を被ったことで、タナボタ式にチャンスが訪れる。自民党を割って出た小沢一郎の新生党などとの細川非自民連立政権に入ることで、悲願の「デージン」のポストを取るに至った。しかし、細川政権もわずか8ヵ月で崩壊、その後、自民党は「自社さ」というウルトラCの裏技を使って政権に返り咲くと、「新進党路線」で野党暮らしを余儀なくされた池田大作を狙い打つかのように、「国会証人喚問」で徹底的に攻め抜いた。「週刊新潮」が96年2月22日号で「私は池田大作にレイプされた」との、信平信子・元創価学会北海道婦人部最高幹部のスクープ手記を掲載するのは、まさに、その最中のことである。 これによって、「野党暮らし」がいかに危険であるかを身をもって痛感した池田大作は、「政権与党」の中に入り込むべく、自民党と手を組むという方向に動き出す。それが97年末の新進党の解党であり、さらには98年夏の参院選での自民党惨敗によって、参院における議席数が大きく「過半数割れ」したことを受けての、同年秋の公明党の再結成であった。以来、新・公明党においてはずうーっと「神崎・冬柴」のコンビでこれまで来たわけだから、少なくとも、対外的にこの2人は「自公体制の象徴」である、とのレッテルを貼ることはできるだろう。それゆえ、「公明党=創価学会」というより、池田大作の目指す方向性とは、ひとことで言ってしまえば、今のまま「政権与党の中」に居座り続けることである。であるので、じつを言うと、自民党の総裁が誰であろうと、あまり(というか、ほとんど)関係はない、といえる。池田はかつて、55年体制下で「日の丸」の法制化問題が国会で持ちあがったとき、元側近によれば、こう漏らしていたという。
「日の丸なんて、オモチャに過ぎない。自民党にオモチャを与えてやればいいじゃないか」 それゆえ、池田大作的には、一連の重要法案についてはいつでも「OK」なのだが、ただ、今でも内部の学会員たちの大半は池田大作のことを、「反戦平和をひたすら願う宗教指導者」であると純粋に信じ込んでおり、そういった「学会内世論」の手前、あんまり気安く公明党に「賛成」をさせることはできない、というのが、まず一点。 それと、これは政治的な駆け引きでもあるが、「男女間のそれ」と同じく、こういうものは「小出し」にして、じらしてこそ効果がある。「生来のマキャベリスト・池田大作」にしてみれば、「イヤよ、イヤよもいいのうち」の姿勢は、まさに「当然の助動詞」である。
「神崎のクビ」は飛ばさなければならない
そこで、池田大作にとって、今、気が気でならないのは、来年夏の参院選で、「民主勝利、自公敗北」によってもたらされる「政局の流動化」であろう。仮にそういう事態になって、小沢一郎が常日頃言っている通り、「参院での自公の過半数割れ」に至った場合、解散・総選挙は遠からずあり、そこで「民主党政権」が樹立される公算が高まる。そうなった場合には、「永久与党戦略」を取っている池田大作(=公明党・創価学会)にしてみると、非常に困ることになる。なぜなら、そうやって、「家の外」に追い出されることで、自らの政権基盤が弱体化してしまうことにより、また、どんなスキャンダルが「新潮」をはじめとする週刊誌にスッパ抜かれるか、わかったものではない。
それゆえ、世間からは「コウモリ」といくら叩かれようと、民主党にすり寄っていく必要があるわけで、その際、この4月に代表が小沢一郎に交代し、前任者から引き継いだ部分の代表任期の切れる9月以降も、ほぼ小沢の続投が確実視されていることから、池田大作としても、今後、「民公連立」も視野に置き、民主党との関係を改善していくうえで、どうしても抜かなければならない「のどに突き刺さった骨」がある。その「骨」とは神崎である。なぜなら、神崎は昨年6月、小沢の懐刀である平野貞夫が講談社から上梓した『公明党・創価学会の真実』の中で記した、神崎の「向島醜聞」のくだりについて、神崎自身が名誉毀損で刑事告訴しているからである。それゆえ、永田町における「政局対応」においては、池田大作が小沢民主党と組むためには、いずれかの段階で「神崎のクビ」は必ず飛ばさなければならないのである。 いずれにしても、公明党の国会議員はそもそも「池田大作を守る」ために存在しているわけだから(それは、文字通り、池田自身がさまざまな批判にさらされないよう「守る」のはもちろんだが、さらに加えて、池田の権力基盤を維持するための「捨石」となることも含まれている)、この秋に執行部が「太田・北側体制」となったところで、基本的にはそれ自体は何ら変わるものではない。それゆえ、今度の「神崎・冬柴コンビの更迭」が意味するものとは、池田大作の「永久与党体制」へ向けた一里塚でしかない、ということであり、そのことを我々ジャーナリズムは厳しく監視していかなければならない。 (文中・敬称略)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この更迭人事が行われる2ヶ月前に小沢民主党が誕生したわけです。
「向島醜聞」で、小沢の腹心である平野氏への刑事告訴をした神崎さん自体が、民主党と連立を組むことにおいてのガンだったわけですね。しかも、郵政選挙で自民大勝利の影響が覚めやらず、内閣の支持率も高い状況で、このような手をうつわけですから、変な憶測も立たないわけです。公明党は常に融資先を探している零細企業の自転車操業と同じで、与党であるという「信用」が無くなった途端に様々な訴訟という「債務」が突きつけられるわけで、与党であり続けなければならない宿命のようです。 神崎さん更迭は、常に与党であり続ける為の保険だったのですね。 しかし、「庶民の王」の読みは鋭いですね。これで自民大負け参院ねじれによる「政界大再編」になっても、小沢民主党と堂々と連立を組む事ができるというわけです。この策士ぶりは凄い。こういう「過剰なしたたかさ」を安倍さんは見習ってもよいかもしれませんね。「向島醜聞」についてhttp://
「週刊現代」2005.07.09号
神崎武法「向島醜聞」告発の行方 [前参議院議員]平野貞夫氏が問うた「女性の人権尊重を唱える」党トップの言動
公明党・創価学会の奥の奥まで知る男・平野貞夫氏が、45年間の見聞のすべてを2冊の本でぶちまけた。この恐るべき「裏面史」を、神崎武法代表は、どう受けとめるのか──。 …(略)…
山拓の「学会と異体同心発言」
──────────────────────────────────────
■平野貞夫1935年、高知県生まれ。法政大学大学院修了後、衆議院事務局に就職。衆議院副議長秘書、議長秘書、委員部長などを経て、'92年に自民党と公明党の推薦を受けて参院選に初当選した。以来、小沢一郎現民主党副代表の腹心として'93年に新生党、'94年に新進党、'98年に自由党の結党に参加。'03年には民主党に合流し、参議院財政金融委員長に就任、昨年政界を引退した。長年にわたって「裏の国対委員長」の異名を取り、公明党の裏事情にも精通。このほど『公明党・創価学会の真実』『公明党・創価学会と日本』(いずれも講談社刊)を同時に出版した。
─────────────────────────────
*
私は'92年に高知県選挙区から参院選に出馬した際、与党・自民党と野党・公明党から推薦をもらった唯一の候補者でした。いまでこそ選挙で自民党公認の候補者が「小選挙区は私に、比例区は公明党に入れてください」などと言っていますが、当時は極めて異例のことでした。だから当選確実が出たときの第一声の挨拶で私は、「創価学会の皆さんのおかげです」とお礼を述べたのです。しかし、最近の自民・公明連立政権を見ていると、激しい憤りを禁じえません。たとえば、4月24日に行われた衆議院福岡2区の補欠選挙では、前回'03年11月の総選挙で落選した山崎拓首相補佐官(当時)が返り咲きを果たしましたが、翌日の朝日新聞は次のように伝えました。<山崎氏も必死だった。(4月)10日夜、公明党地区責任者らを前に、かつての創価学会批判をわびた。「皆さんとは一心同体ならぬ異体同心の思いです」。前回衆院選の落選は、自身の女性スキャンダルで学会票が逃げたことが一因と言われてきた>かつて徳川幕府はキリスト教徒を弾圧するため、「踏み絵」を行いました。平成の今日、公明党・創価学会は、小泉首相の無二の盟友として知られ、当時首相補佐官という権力の中枢にいた山崎氏に「かつての創価学会批判をわび」させ、「皆さんとは異体同心の思いです」との言質を取ったのです。これは、創価学会という宗教団体が、首相補佐官という国家権力者に対して思想信条のいわば「逆踏み絵しを行ったものに他なりません。創価学会と「同心」となった政治家が総理官邸の中枢に送り込まれたわけで、まさに中世の暗黒時代を想起させます。
「向島の天ぷら屋で」
山崎氏の場合、女性スキャンダルが原因で創価学会票が逃げたとのことですが、公明党の幹部たちも女性スキャンダルには事欠きません。それは、私が長年にわたってつけひもとていた日々のメモをひもとくと、一目瞭然です。
たとえば、竹下政権下で大型間接税(消費税)の導入をめぐって国会が紛糾していた昭和62年('87年)、私は公明党の大久保直彦書記長ら執行部から、よく意見を求められました。大久保書記長はじめ、当時の公明党執行部が会合場所に指定してくるのは、新宿の韓国料理店・銀竜閣でした。銀竜閣では留学という名目で韓国人美女たちを集め、とかく過激なサービスを行っていました。当時の公明党執行部は銀竜閣が大のお気に入りだったのです。また、昭和48年('73年)9月に超党派の議員団がヨーロッパ5力国を歴訪し、私も同行しました。このときも、当時の公明党議員は自民党、社会党の議員とともに、マドリッドで買春行為に耽っていました。 いまをときめく神崎武法代表の女癖の悪さに、辞易したこともありました。…(略)…
そんな生真面目なイメージの神崎氏の人格が豹変したのは、宴会が始まってしばらくたってからのことでした。詳細は拙著『公明党・創価学会の真実』に書きましたが、神崎氏が、横に侍らせたコンパニオン女性に対して、目に余るセクハラ行為に及んだのです。多少の猥談をするとかいう程度なら理解もできますが、これは少々違いました。それまで政治談義に耽ったりカラオケに興じたりしていた周囲の議員たちも皆、呆気にとられて神崎氏の”暴挙”を見ていました。私には、信仰を持ち、「私達が志向するのは人権が最大に尊重される男女共同参画社会」(公明党新宣言)と唱える政党の幹部がする行為とは、とても思えませんでした。…(略)…
-------------------------------------------------------
ようちゃんのコメント。↓
★凄いコメントが多数書き込まれていた。以下に書いておきます。>しかし、「庶民の王」の読みは鋭いですね。これで自民大負け参院ねじれによる「政界大再編」になっても、小沢民主党と堂々と連立を組む事ができるというわけです。この策士ぶりは凄い。
■期日前投票が簡単にできるようになったり、国民が必要以上に政治に関心を持つようになってしまって投票率が高くなりそうなのが痛い、という愚痴を聞かされてきたところだ。何がいいたいのかといえば、日共と公明党は投票率が高くなってしまうと生きていけない。国民が常に政治に無関心でいてくれなければならない。つまり、いわゆる無党派層が政治に無関心で支持政党なしでいてくれなければならない、ということ。
■我は宗教屋・政治屋としてのあの方の才能は単純に凄いと思うし、尊敬する。目的のためにはあらゆる手段は正当化されるという我の哲学に沿うものだからだ。
そして世界は真に世界を征服したいと望み、そのための努力を惜しまないものによってこそ支配されるというのは人類の歴史を見れば明らかだからである。
国際情勢に目を転じれば、アメリカは世界を征服できる力を持ちながら、その軟弱さによってそれを放棄した。中共はその資格がないにもかかわらずアメリカに立ち向かおうとしている。プーチンはこの間で漁夫の利を得て、欧州を支配するであろう。与党の味をしめてからの創価の生き方とは正にプーチン方式である。