「保守と革新」を考える!
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(外交と安全保障をクロフネが考えてみた。)より「保守と革新」を考える!
保守と革新
政党には大きく分けて、保守政党と革新政党の2種類ある。
保守というと、その字から「古いもの・伝統を守っていく」というイメージがあるし、革新はというと、古いものをぶっ壊して何かを改革していくといったイメージがある。
日本で言えば、自民党とその支持者はふつう保守と呼ばれ、民主党・社民党や共産党などの左翼政党とその支持者は革新勢力と呼ばれる。
ところが実のところ、民主党や社民党・共産党などの左翼政党はちっとも革新的ではない。
彼らのかかげる政策のほとんどは、日本に何か新しいシステムを構築するような、建設的なものではないのである。
9条ネットも含めて、彼らの主張の本質は「現状を守れ!守れ!守れ!」
「今の憲法を守れ!」「(ずさんな年金管理をした社会保険庁も含めて)公務員を守れ!」といった具合に。
「生活が第一」と主張する民主党も、自分たちと民主党へ票を入れてくれる公務員労働組合の生活を守ることが第一なんじゃないかと言いたくなる。
郵政民営化の時もそうだが、民主党は与党・自民党の揚げ足とりは一生懸命するが、地に足のついた現実的な対案というものを出さない。
民主党がかかげる年金改革案にしろ、消費税率は5%からは上げないと言っているが、そうなると財源の問題はどうなるのか、民主党の年金改革案を採用するとしたら、総額でいくら財源が必要なのかという疑問に答えが出ていない。
外交・安全保障政策などお話にもならない。
民主党を含む野党各党の今の姿勢を見ていると、いつかどこかで見た感じがする。
そう、戦後の1955年から1996年まで続いた”55年体制”下の社会党(現社民党)である。
55年体制下では、自民党が常に与党で、社会党が野党第一党として自民党を批判するという役割だったが、この時の社会党は、与党の揚げ足とりばっかりで、非武装中立・自衛隊廃止・日米安保反対のような地に足のつかない非現実的な政策ばかりを掲げていた。
こんなふざけたことをやっていても、社会党が多くの国会議員を抱えてやっていけたのは、中選挙区制という選挙システムが大きかったのではないかと思うが、
55年体制という戦後レジームは、こうした幼稚な甘えが許される体制であったため、いっこうに危機感をもとうとしない日本社会党は自己変革をすることができず、欧米の社民リベラル政党のように政権を担える、地に足のついた政策をもったオトナの党へと脱皮することができなかった。
トニー・ブレアのニューレーバ―(新しい労働党)は、看板(党名)こそ左翼政党のままだが、政策的に中道から中道右派政党といっても良いのではないかと思うが、日本の社会党はそうした自己改革がとうとうできなかった。
結局、1990年に社会主義の総本山・ソ連が崩壊し、96年に実施された小選挙区比例代表並立制によって、戦後レジームのぬるま湯につかり続け、自己改革の出来ない社会党は自滅していった。
55年体制下の無責任野党・社会党はこうして滅んでいったのだが、現在まで続く96年体制?で死に絶えたわけではなかった。
社会党が崩壊して行く過程で、民主党へと人間が流れて行ったからだ。(社民党という”残骸”もあるが)
”96年体制の社会党”である民主党は、政権政党として国家を運営して行くのに欠かせない、地に足のついた現実的な政策・与党への建設的な対案というものをいまだに出せていない。
左翼系公務員の労働組合がバックについている民主党・社会党の”残骸”である社民党も、9条ネットも、その主張の本質は「現状を守れ!55年体制を復活せよ!戦後レジームを守れ!」ということだ。
アカと黒でも述べたが、彼らは55年体制という戦後レジームにおける既得権益層であって、お役所でも国会でも、テキトーにやってれば国民の税金で楽して生活できていた、あの甘くてぬるい55年体制という戦後レジームが恋しくて仕方ないのである。
つまり、民主党や社民党・共産党のような左翼政党は、戦後レジームを守ると言う意味での保守政党・守旧派なのである。
一方、面白い対比を見せているのが、本来、保守政党のはずの自民党であり、小泉首相登場以降、戦後レジームの残滓を次々とぶっ壊してきたという意味では、自民党は革新政党・改革政党だった。
公務員利権にメスを入れた郵政民営化もそうだし、戦後レジームではタブーとなっていた靖国参拝と「中・韓・朝に反論する外交」もそうだ。
安倍政権になっても、公務員制度改革や教育基本法改正、さらに戦後憲法の改正への布石となる国民投票法も通した。
こうしたことの重要性は、なかなか市民レベルでは実感できないかもしれないが、日本が自立した大人の国になるためには必要不可欠のことばかりである。
結局、戦後レジームとは、「内政・外交ともに、甘えが許される子供の国の体制」ということが言える。
お役所でも国会でも、テキトーにやってれば国民の税金で楽して生活できていた人がいっぱいいたし、外交でも、危険なこと手が汚れることはみんなアメリカに任せ、日本はアメリカのスカートの中にかくれながら、安全なところから「非武装平和」なんてお気楽・極楽なことを言っている人がいっぱいいた。
挙句の果てに、「アメリカは汚い、日米同盟は破棄すべきだ」なんて言う人が出る始末。今もいますね、そんな人。
そんなお気楽・極楽の日本に冷や水を浴びせたのが、北朝鮮による日本人拉致・殺害であり、核ミサイル開発である。沖縄の島々に原子力潜水艦を差し向けて堂々と横切らせた中国もいる。
内政でも、1960年代の高度経済成長期なら金食い虫の公務員をたくさん抱えている余裕が日本にもあったかもしれないが、低成長期の現在では、そんな余裕も無いし、経済・社会が成熟してしまったから、「もういっぺん高度成長期を」といっても困難だ。
野党各党がかかげる政策を採用すると、結局は税金をたくさん取り、公務員がたくさんいる”大きな政府”となり、私はこれからの日本にふさわしくないと思う。
日本を「甘えが許される子供の国」から「自立した大人の国」へと改革するのは待った無しである。
そのためには「戦後レジームを守る」のではなくて、戦後レジームを壊して新しい日本をつくっていかなければならない。
日曜にせまった参議院選挙の本当の争点は、年金問題などではなくて、民主党など野党が望んでいる「今までのような、甘ったれた子供の国のままの日本」を選ぶか、安倍政権が追求している「自立した大人の国・日本」を選ぶか、だと思う。
今回の選挙で、さらに大切なポイントなのが、小泉・安倍両政権が戦後レジームをぶっ壊して行く過程で、今まで自民党を支えてきた基盤(つまり組織票を自民党へ入れてくれるところ)もぶっ壊してしまったということだ。
小泉前首相は、”劇場型選挙”で無党派層へ訴えかける力がものすごかったから、それで問題は無かったのだろうが、安倍首相は、どこへ票を入れるかまだ決めていない無党派層へのアピールが下手というか、中途半端になってしまっている。
たとえ一部であっても、確実な組織票が見込める自民党の支持基盤を、「改革を阻止する抵抗勢力」として切り捨て、政策の中身で無党派層へアピールしていくというのは、今までの日本の政治風土からすれば、本当に勇気がいることだと思う。
無党派層は、確実に自民党へ入れてくれるという保証はないし、もしかしたら投票所にさえ来てくれないかもしれないからだ。
しかし、ある特定の利益集団の言うことで日本全体の将来を決めるのではなく、国民全体の利益つまり本当の意味での国益を考えて、政策を決めていくということこそ、民主国家の政治のあるべき姿ではないだろうか。
いまだに、公務員の労働組合の組織票を頼りにし、その代表を候補者に立ててしまう民主党に、そこまでの覚悟があるだろうか。
私は、民主党内にいる、非現実的な政策を依然かかげている左翼くずれをとっとと追い出して、まともな政治政党に脱皮する勇気を持って欲しいと心底願っている。
こんどの選挙ほど、日本の有権者の政治を見る目、政策の優劣を判断する良識が問われている選挙は無いと思う。
勇気を持って日本を改革しようとしているのは、与党と野党どちらなのか、
ご自分の頭でしっかりと考えた上で、投票所へ足を運んでいただけたらと願ってやまない。