「スパイ暗殺事件」の背後にある暗闘~今、イギリスとロシアの関係は最悪だ | 日本のお姉さん

「スパイ暗殺事件」の背後にある暗闘~今、イギリスとロシアの関係は最悪だ

ようちゃん、おすすめ記事。↓

▼「スパイ暗殺事件」の背後にある暗闘~今、イギリスとロシアの関係は

最悪だ(日経BP)
昨年11月に、ロシア連邦保安局(FSB)のリトビネンコ元中佐が亡命先のロンドンで放射性物質ポロニウム210を使って「毒殺」されたと疑われている事件。英検察当局は今年の5月、リトビネンコ氏とロンドンで接触したロシア在住の元ソ連国家保安委員会(KGB)のルゴボイ元職員を容疑者と断定し、同氏の身柄の引き渡しを求めていたが、ロシア政府は「自国民の国外引き渡しは憲法で禁止されている」として、この英国側の要求を正式に拒否した。 これに対して、英政府は7月16日、英国駐在のロシアの4人の外交官の国外追放のほか、ロシアとの間のビザ発給手続きの簡素化に関する交渉を凍結することなどを含めた制裁措置を取り、19日には今度はロシア政府がロシア駐在の4人の英国外交官を追放する報復措置を取り、さらには自国政府関係者の訪英を禁止し、英政府関係者にはビザも発給しない措置を取って対抗、外交官追放合戦という冷戦時代を彷彿させるような事態に発展している。
この間、ロンドンに亡命中のロシアの元政商ボリス・ベレゾフスキー氏が「プーチン政権は自分の暗殺を目的としたヒットマンを送った」と発言し、ロンドン警視庁が6月21日にロンドンのホテルに滞在していたロシア人を殺人謀議容疑で逮捕していたことも明らかとなった(後に釈放・ロシアへ強制送還となる)。英紙はこのヒットマンが故リトビネンコ氏の未亡人や同じくロンドンに亡命中のチェチェン人指導者アフマド・ザカーエフ氏の暗殺も計画していた、と報じており、「リトビネンコ暗殺」事件をめぐって英露間に血生臭い雰囲気が漂っている。 ロシア側は一貫してこの事件の背後には、プーチン政権の政府転覆を狙うベレゾフスキー氏の存在があるとして同氏のロシアへの身柄引き渡しを英国政府に対して要求している。一体この事件のカギを握るとされるベレゾフスキー氏とは何者で、遂に外交官追放合戦にまで発展した英露間の対立にはどんな背景があるのだろうか?

反プーチン派の富豪ベレゾフスキーとは?
エリツィン政権の政商として知られたベレゾフスキー氏は、ソ連崩壊後の1990年代後半、自動車ディーラーLogoVAZをはじめ、3つの商業銀行、国営アエロフロート航空、石油大手のシブネフチ、ロシア最大のアルミ会社RUSALを傘下に収め、さらに2つのテレビ局とラジオ局や新聞社など多くのメディアを支配し、「ロシアで最も裕福なビジネスマン」として権勢を振るった人物である。ベレゾフスキー氏の権力基盤を語る時に、「チェチェン人」の存在は不可欠である。1996年に米国の雑誌「フォーブス」は、ベレゾフスキー氏がどのようにして財産を築いたのかについてこう記している。「モスクワ警察の発表によると、ベレゾフスキーは有力なチェチェンの犯罪組織と密接に協力し合い自動車販売業を始めた・・・」と。このインタビューでベレゾフスキー氏は、「過去に受けた恩恵に対する感謝の気持ちからチェチェンを支持している」と述べており、明確にチェチェン側に立っていることが分かる。

チェチェン紛争は、単なるチェチェン民族による独立闘争ではなく、欧米の反露工作という側面も持った複雑な国際紛争である。カスピ海からロシアの港をつなぐ石油パイプラインがチェチェンを通ることから、カスピ海の石油利権と関係する西側の勢力は、コーカサス地方の政治的不安定を煽り、グルジアやアゼルバイジャンへの影響力を強めてカスピ海の石油を支配下に収めるためにも、チェチェンにてこ入れしてロシアの弱体化を狙うという構図が存在する。

実際にチェチェン戦闘員の指導者の一部は、1980年代に米国や英国が世界中のイスラム教の戦士たちをアフガニスタンに集めて軍事訓練をしてソ連にぶつける秘密工作を行った時に、アフガニスタンで米英の軍事訓練を受けたと言われている。ロシアにとってみれば、冷戦時代にアフガニスタンで西側が仕掛けた対ソ工作の延長線上で、今度は米英がチェチェン人を使ってロシア弱体化のために秘密工作を仕掛けていると捉えられている。エレーヌ・ブラン著『KGB帝国』によれば、「チェチェン問題は現代ロシアのアキレス腱である」なのだが、このロシアのアキレス腱に食い込んでいるのがベレゾフスキー氏なのである。

チェチェンの英米コネクション
 2004年9月にロシアの北オセチア共和国ベスラン市の学校をチェチェン独立派を中心とする武装勢力が占拠し、350人以上の死者を出した大惨事が起きた時、プーチン大統領が「チェチェンのテロを支援する英米政府」を激しい口調で非難したのはまだ記憶に新しい。プーチン大統領はこの時、「英米が『テロとの戦い』と言いながら無実の子どもたちを殺すチェチェンのテロ行為を支援しているではないか」と述べて、両国がロシアを弱体化させるためにチェチェン勢力を支援していることに怒りをあらわにしていた。

 こうしたチェチェンと緊密な関係を持つベレゾフスキー氏が祖国を追われて亡命したのが英国であり、彼が亡命生活を送るロンドンには、チェチェン人指導者アフマド・ザカーエフ氏も住み、ベレゾフスキー氏の支援を受けながら英国からチェチェンの同胞たちへの支援活動を行っている。このベレゾフスキー氏が子飼いにしていたのがリトビネンコ元中佐であり、同氏はザカーエフ氏とも家族ぐるみで非常に親しい関係を持っていた。

 要するに、元政商ベレゾフスキー氏を中心とするチェチェン・シンパのグループがロンドンを拠点に反プーチン活動を行っているわけであり、英国政府は情報機関を通じて彼らを監視しながらもこうした活動を容認し、必要に応じて反プーチン活動にてこ入れをしているのである。

英米の対露秘密工作とNGO
 2006年1月末に、ロシアの情報機関FSBが「英国スパイ団の存在を暴いた」と発表したことを記憶している読者も多いことだろう。英政府のスパイたちが岩の形をした物体の中にハイテクの通信装置を仕掛け、秘密情報を収集していた事実を、ロシアの情報当局が暴露した事件である。FSBは、英国大使館の4人の職員がモスクワ郊外にある公園にこの装置を仕掛け、この機械を介して秘密エージェントたちが情報を送受信していたと発表。同時に英国のスパイたちが、数多くの著名な人権団体を含むロシアの非政府組織(NGO)に資金援助をしているとして、英国政府の「内政干渉」を非難したのであった。

 当時ロシア政府はこの「事件」が起きる前から「米国やその他の国の情報機関がロシアにおけるスパイ行為や旧ソ連圏の国々での反政府活動を支援する目的でNGOを活用している」と主張してきており、NGOの活動に対する規制を強化するための法律を導入する準備をしていた。この「英国スパイ団摘発」事件は、西側諸国がNGOを通じて反露工作を進めてきていることに対するロシア側からの反撃であり、水面下で戦われてきた諜報戦の一端が表面化した瞬間だった。

ロシア政府は過去2年以上にわたって、「外国勢力が革命を扇動する隠れ蓑としてNGOを使い、反政府勢力による『民主化運動』を支援して政治的な不安定を引き起こそうとしている」として英米政府を非難してきた。グルジアの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」などロシアの勢力圏で次々に展開されたいわゆる「カラー革命」は、米英の情報機関が裏で糸を引いているとの噂が絶えなかった。 2005年2月末にはスロバキアのブラチスラバを訪れたブッシュ大統領が、ウクライナのオレンジ革命を主導した市民団体PORAの指導者に対して、「民主化支援活動をウクライナ国内だけでなく、モルドバやベラルーシなどにも広めるように」と助言をしたこともあり、プーチン政権はこうした民主化運動に対する外国の支援に非常に神経を尖らせていた。ロシア政府は英国スパイ団を摘発したことで、こうした西側の活動に一定の制限を加えることを狙ったのである。

ベレゾフスキーの「革命」支援

この「カラー革命」には、ベレゾフスキー氏も深く関与していたようである。2005年9月に、ウクライナの元大統領レオニード・クルフチュクが、「ベレゾフスキーがオレンジ革命を支援するために1500万ドルを費やした」と述べていたが、ベレゾフスキー氏自身もウクライナで反ロシア派のヴィクトル・ユーシチェンコに資金援助していた事実を公に認めている。またオレンジ革命に続くグルジアの民主化運動にも資金援助をしていたことを同氏自ら認めているのである。実際、ベレゾフスキー氏はこうした「カラー革命」が起こるはるか前から、この種の工作を仕掛けるように英米政府に持ちかけていた。2001年7月以来、ベレゾフスキー氏は米英政府に対して、「クレムリンを弱体化させるためにロシア国内のメディアにてこ入れすべきだ」と提言し、政府と共同で工作することを持ちかけていた。ベレゾフスキー氏は「ワシントン・ポスト」とのインタビューの中で、「ロシア国内のローカルなメディアが財政的に独立して運営できるようにするためには、わずかに年間3000万ドルほどあればいい。私の提案はこうした資金をこの地域のNGOに渡し、社会的に重要な広告活動のために使わせるというものだ」と述べていた。

また「デイリー・テレグラフ」とのインタビューでは、「西側は世界の安全保障のための戦いに突入しているが、それと同じだけの注意をプーチンがロシア国内の民主的な組織に対して行っている攻撃にも向けるべきである」と述べており、英米政府に対して反露工作を仕掛けるように煽りまくっていた。 さらに2006年1月にベレゾフスキー氏は、「ロシアのプーチン政権を倒すための計画を過去18カ月かかて練ってきた」と発言し、「ロシアで力による権力奪取の計画を立てている」と堂々と述べたのである。これにはさすがの英政府も、「もしベレゾフスキー氏が英国を他国での暴力的な無秩序やテロを扇動するための拠点として使うのであれば、同氏の政治難民としてのステータスはいつでも剥奪できる」と述べざるを得なかったほどである。「ロシアのアキレス腱」であるチェチェンを支援し、旧ソ連圏で吹き荒れた民主革命を支援するベレゾフスキー氏は、プーチン政権にとってはまさに宿敵と言っていい存在なのである。

ベレゾフスキーのPRマン
リトビネンコ事件をめぐる一連の英露対立の背景には、長年反プーチン活動を展開するロシア富豪のベレゾフスキー氏と彼の仲間である亡命チェチェン人グループ、そしてこのグループを利用している英米情報機関の存在がある。よって単純な「プーチン政権黒幕説」に踊らされていると、事の真相が見えなくなってしまうだろう。ちなみにベレゾフスキー一派は、プロフェッショナルの情報操作の仕掛け人を雇って反プーチンのプロパガンダ戦を展開している。そのプロのPRマンの名はティモシー・ジョン・ベル。通称「ティム・ベル」は、大手広告代理店ベル・ポッティンガー広告の創設者であり、英国議会上院のメンバーでもある。1970年に英国で最もよく知られる広告会社サッチー&サッチーを設立したメンバーの1人であり、マーガレット・サッチャー元首相の政治的キャリアに大きな影響を与えた同元首相の取り巻きの1人であった。

ベルは1979年、83年そして87年の重要な国政選挙で保守党のPRキャンペーンを取り仕切る重責を担い、サッチャー女史のPR活動には不可欠な人物となっていった。1990年にサッチャー女史は、それまでの貢献に報いるためベルをナイト爵に叙した。ベル卿は紛れもない英国エスタブリッシュメントの一員である。そのベル卿がベレゾフスキー氏の長年のメディアアドバイザーを務めているのである。ベル卿はまたオレンジ革命で勝利したウクライナのユシチェンコ大統領やかつてのエリツィン大統領のメディアコンサルタントも務めていたというから、ベレゾフスキー氏と交友関係は相当オーバーラップしていると考えられる。

2006年12月17日付の「オブザーバー」紙によれば、ベル卿はリトビネンコ氏の友人たちに対してならば無料でアドバイスを与えており、リトビネンコ氏の死後は徹底してプーチン政権叩きの情報戦を展開しているという。メディア界の仕掛人であるベル卿の仕事は、毒の性質や殺しの手法、それに殺しの動機といった要素のすべてがクレムリンに行き着くように、特にプーチン大統領の関与を疑わせるように世論を誘導することである。ベル卿は例えばこのタイミングで、ロシアの下院デュマが「KGBのオフィサーたちが海外で暗殺を行うことを許可する法律を可決したこと」をフォーカスして各メディアに取り上げてもらうようロビイングするなど洗練されたメディアマネジメントを展開。


リトビネンコ氏が死の直前になって髪の毛が抜け落ち、病床に伏した写真を、彼の死後世界中のメディアに確実に届くように手配したのもベル卿だった。 このリトビネンコ事件は、「独裁色を強めるロシア政府が反体制派の元スパイを暗殺した」というレベルの小さな話ではない。それよりはるかにスケールの大きい、英国に根を張る反露勢力とプーチン政権の熾烈な暗闘がその背後に存在するのである。

-------------------------------------------------------
ようちゃんの意見。↓
★国力衰退と孤立主義に転換した合衆国。覇権国家としての野望を隠そうとしない態度をとりつつも、国内はガタガタの中共。復活したロシア。ロシアとの対決でアメリカを頼ることができないイゲリス。

★我の結論は、第二次日英同盟締結ノ要アリと認ム、です。

~~~~~~~~~~

ここは、イギリスと日英同盟を結んで

おくのがいいね!そうやってヨーロッパに恩を

売っておいた方がいい。by日本のお姉さん