河内(かわち)での国家基本問題議論
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No.297 平成19年 7月22日(日)
西 村 眞 悟
大阪府は昔の国名で言えば、北に摂津、東に河内、南に泉州という国にまたがる地域である。
私の郷里である堺は泉州で、「三国ヶ丘」という地名があるが、これはこの泉州・河内・摂津の三国を見渡せる丘ということらしい。また、堺という名も、これら「三国の堺」に位置したからとも言われる。
この三国を昔は摂河泉(せっかせん)とまとめて呼ぶ習慣があった。私の恩師である天王寺師範で教えられたことがある森信三先生は、戦前に大阪近辺の学校に勤務する教え子を集めて勉強会を開いていたが、その名を、うろ覚えだが「摂河泉○○研究会」と名付けられていた。
私の泉州堺の東は河内で、大和川を挟んで北東に河内の八尾市がある。昔から河内音頭と軍鶏のばくちで有名である。
その八尾市市会議員で盟友の三宅博さんが「河内国民文化研究会」を主宰しており、昨日の土曜日にその河内国民文化研究会が「国家基本問題」を考える会を開いた。私も講師として出席させてもらった。
ところで、八尾を中心とする河内平野は、大阪でというより日本で一番古い文化を育んだ丘陵である。
八尾の南に羽曳野市があるが、この名の由来は、傷ついた日本武尊が白鳥になり羽を曳きずって飛び立ったところから羽曳野という名がついた。そして、その白鳥が降り立ったところが泉州堺の鳳であり、ここに大鳥神社が建っている。
また、八尾には弓削という地名があるが、ここは奈良時代の怪僧と伝えられる有名な弓削の道鏡の出身地である。
さて、河内と泉州の話を続けると切りがないので、この辺で収めるとして、
三宅博さんとは昔からの摂河泉の繋がりを再確認して、先ず泉州と河内で何かやり始めようやと話していたなかでの昨日の会合であった。その趣旨も、国家基本問題を語り合う、即ち太古から今にある日本の基本問題を再確認する場になった。
つまり、国政選挙の時にこそ、議論されるべき主題を河内で議論した訳である。
そして、集まられた百名の方々も、まさにこの主題を見つめ切り込む憂国の士といってよい皆さんであった。
我が日本は、誇りにおいても気概においても必ず再興を果たす国家であるが、それは、例えば昨日の河内国民文化研究会に集われた同憂の士の繋がりの中からだと思う。
揚げ足取りの選挙の喧噪から離れた目立たぬ集会の中に、日本再興の兆しがあり力がある。
私がそこで話したことは概略以下の通りであった。
1,先ず、必要なことは、「太古から存続してきた国家」、
「ネーション」としての日本の自覚である。
風潮としての民営化や小さな政府の議論は、国家の自覚無く行われていように思える。
これらの議論の前提には、国家の任務に対する確固とした認識が無ければならないが、我が国にはない。その証拠に、国防の議論無き小さな政府論ではないか。また、拉致問題に無関心な者の民営化論というより民営万能論は軽佻浮薄である。
民営とは結局、「私利」の世界のことである。従って本音では、拉致問題や国防問題は、「票にならない」つまり「儲からない」から、関心を持たないという議員は多い。また、国家を意識せず、小さな政府を論ずる者も軽佻浮薄である。
さらに、国家意識がなければ、政治家に忠誠の対象がなくなる。政党そして政治家に忠誠の対象が無ければ、政治は混迷し堕落する。従って、我が国の政界再編論は、株買い占めと同次元の数あわせのホリエモン的稚戯・お遊びになる。
平成五年以来、数あわせの再編の果てに社会党の総理大臣が作られたが、その時に、阪神淡路大震災が起こったのは、天の警告か。被災者の死から教訓を学ばなければ、まことに申し訳がない。今の選挙においても、国家観・国家基本問題を詰めずに、頭数あわせの議論が先行している。
2,明治維新は、文明開化の為に為されたのではなく、国家存亡の危機に対処するために為された。国家の存続のために、先ず、ナショナルアイデンティティー(国体論)が自覚され、この自覚された国家の独立を守るために、文明開化と富国強兵が選択された。
3,では、昭和二十年の敗戦からの改革は何のために為されたのか。それは、日本を二度と脅威にならない三等国家に固定させるためである。そして、この改革が見事に成功したのである。従って、経済大国と浮かれていたのは国家観無き政治家の錯覚だ。
この改革は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、我が国の歴史を書き換えることと、我が国の国家としての機能を簒奪することを目的として為された。
我が国の昭和二十一年製の憲法を書いたのはGHQの三十九歳のアメリカ軍将校ケーディスで、彼が七十五歳の時に語った日本国憲法の生い立ちを知れば、これは日本の憲法ではなく、明らかに無効であると断定できる。
このように、昭和二十年からのGHQによる改革は、明治維新とは全く逆の方向に向けて為された。
従って、明治維新を第一の開国、昭和二十年からを第二の開国と呼ぶ人があるが、無邪気すぎる。国家を奪われたことを開国とは言わない。
4,以上の経緯を総合した上で、平成十九年の我々は何を為さねばならないのか。それは、回帰である。つまり、アイデンティティーの回復、また、歴史の回復である。これらは、国家共同体の連続性の回復である。
そして、同時に、国家の基本的能力を回復しなければならない。国家の基本的能力とは、明治憲法即ち大日本帝国憲法に天皇大権として記載されている。それは、
「統治権の総攬、軍の統帥、軍の編成、宣戦・講和・外交そして戒厳」であり、国家はこの基本的権能を保有するが故に国家なのである。
5,我々の国家は、革命によって生まれた国家ではない。
これは連続性を自覚すること、即ち、古に復することの中に改革と再興の道が開けるということである。そして、これこそ、我が国に与えられた天の恵みだ。
革命によって興ったとする国は、革命以前を否定する。
しかし、そういうフランスは、革命以前の文物のおかげで今も食っている。中国も同じである。否定したもののおかげで潤っている。革命後は殺伐たるものである。革命とは美名である。その内実は、大量の殺人である。つまり、人殺しが天下を取るのである。例外はない。
これらと比べれば、連続性を失わない日本は、如何に恵まれた国であることか。
「日本の道」は、必ず開ける。
我々は、そこを誇りと気概を持って歩もうではないか。
(了)