頭の中がほとんど空洞化 | 日本のお姉さん

頭の中がほとんど空洞化

ようちゃん、お勧め記事。↓

▼頭の中がほとんど空洞化、脳がわずかしか存在しないのに44歳まで普通に暮らしてきた男性(なんでも評点)

誰しも自分の頭の中が空っぽになったと感じるときがある。あるいは、誰かの頭の中が空っぽだとしか思えないこともある。でも、たいていの場合、われわれの頭蓋骨の中には脳がぎっしり詰まっている。そもそも、自分の頭が空っぽだと感じるのも、頭の中が空っぽだとしか思えない行動を取る人がいるのも、脳が働いているおかげである。ところが、頭の中がほとんど空っぽなのに普通に社会生活を営めている男性がフランスで発見されたという。
ある日、マルセーユのティモン病院に44歳の男性がやって来た。左足に軽い麻痺が起きたので、どこか悪くないか調べてほしいという。男性を診たのは、同病院のライオネル・フイエ医師。フイエ医師は脳梗塞などの脳疾患の可能性を疑ったようで、男性をCTとMRIにかけることにした。スキャンで得られた結果は、驚くべきものだった。男性の頭の中には、脳組織がほとんど存在していなかった。正常な人でも脳の中には、脳室と呼ばれる空洞がある。その男性の場合は、脳室が常識では考えられないほど拡大しており、脳の組織が左右の頭蓋骨付近にしか残っていなかった

フイエ医師はAFPの記者にこう語っている。「脳自体、つまり灰白質と白質が左右の頭蓋骨に押し付けられて、ぺしゃんこになっていました。ここまで異様なスキャン画像は見たことがありません。脳が存在しないに等しい状態でした」この男性の既往歴を調べると、生後6ヶ月のときに水頭症(脳水腫)を患い、脳圧が危険なレベルまで亢進したため、中の脳髄液を抜く手術を受けていたことが判明した。しかし、その後、男性は普通に成長して大人になり、公務員の職に就き、結婚して2人の子供をもうけ、44歳の今日までごく普通の暮らしを続けてきたのである。ただし、神経心理学テストを実施したところ、男性のIQが75しかないことも判明した。言語性知能が84、動作性知能が70という結果だった。「こうして、その男性は普通の生活を送ることができたのです」フイエ医師は言う。「知能が低めであっても、彼の成長や社会性の形成が阻まれることはなかったことになります」フイエ医師は、この男性の症例を論文にまとめ上げた。その論文は、英国の医学ジャーナル誌Lancetの最新号に掲載される。

脳ホログラム説(ホログラフィ理論)を思い出した人もいるかもしれない。端折って説明すると、ホログラフィ技術では、物体の像を特殊な仕掛けにより干渉縞として記録する。この縞模様(ホログラム)だけを肉眼で見ても、何が写っているかはわからない。だが、ある方法でホログラムに光を当てると、元の被写体を忠実に再現する立体像が空中に浮かび上がる。このホログラムをどんなに小さくカットしてから光を当てても、(画質は低下するものの)同じ全体像が現れる。あらゆる部分の中に全体が含まれているのである。脳がホログラムのように機能すると主張するのが脳ホログラム説である。脳をどんなに小さくしても、その中に全体像が含まれているとする考え方である。この理論を当てはめて考えるなら、上記の男性の脳は矮小化したものの、人間生活を営む上での全体像がその小さな部分に依然として収められているということになる。もっとも、臨床医であるフイエ医師が論文の中でホログラム説を持ち出してきているとは思えない。アルツハイマー病では、脳の萎縮に伴って認知能力が失わていくわけで、脳をホログラムに喩えるには限界がある。この男性患者の発見がアルツハイマー病の治療に突破口を開けばよいのだが。


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▼子供たちの「超能力」と「天目」【大紀元日本7月20日】
手で字を読める子供たち
肉眼を使わず、手や体のある部位で字や図案を識別できる子供は、世の中に数多くいます。台湾大学の李嗣涔教授は、1999年に「指で字を読む訓練クラス」を開設して、7-14歳の69人の児童に4日間の訓練を受けさせた結果、11人の児童が手で字を読めるようになりました。この実験は、まず字を書いた紙をアルミ箔で包み、それをさらに写真フイルム用のケースに入れました。そして、そのケースを子供たちに渡して、中の紙に書いてある漢字を読んでもらうことにしました。その結果、69人中11人が、手でこのケースを暫らく握った後、その中の字を正しく認識できました。

その他に、李教授は子供たちが耳で認識する能力についても実験しました。カラーのペンで紙に中国語と英語、或いは図案を描き、その紙を小さく折り畳んで、子供たちに耳で認識してもらいました。その結果、速い子供は数十秒で、遅くても数分間で正確にその字や図案を読み取ることができました。 さらに、2003年に李教授は一人の11歳の女の子に次のような実験に協力してもらいました。まず字や図案を書いた紙を黒い布袋の中に入れ、その布袋をこの子供に指で触らせて字を認識させようとしました。その結果、その女の子はいずれも簡単に、しかも、字の色さえも正確に認識できました。まるで目で見ているかのように正確に認識できたのです。しかし、特定な文字、例えば、「佛陀」、「イエス」、「菩薩」と書いたときは、彼女はまったく字が読めず、ただ、白い光りか或いは光っている十字架しか見えませんでした。「薬師佛」と書いた紙を読ませると、彼女は光が見えた以外に漢方薬の味も感じたといいます。

本能か、超能力か
一般には、肉眼以外の視覚能力を超能力と考えることが多いですが、子供たちには、このような能力が普遍的に存在しているという報告もあります。中国で行なわれたある調査研究の結果によると、小学校低学年の児童にある程度の訓練を受けさせた場合、このような能力が現れる児童は、6割に達することさえあります。この点からいえば、肉眼以外の視覚能力は、超能力ではなくて、人間が本来持っている本能だとも言えるでしょう。ただ、この本能が、後天的な観念によって抑制され、成長とともに隠された状態になっただけで、まだ後天的な観念があまり形成されていない小さい子供のうちは、この能力が現れやすいという考え方もあります。
(略)
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日本のお姉さんの意見。

わたしだって、後ろに目が見えないのに、誰かに見られていると

感じて振り向けば本当に見られているっていう時があるし、

他人を見ていたら、視線を感じて振り向かれたってことはあるよ。

それに、アボリジニーは、遠くにいても、意志が通じると聞いたことがある

し、飼い主がピンチになったら気がついて助けに行った犬の話なども

聞いたことがある。漁師やマタギは自分の気配を消すことができる

らしいし、戦争で敏感になったら、夜中に寝ていても敵が近づけば

飛び起きることができる。インドネシアの独立を助けた日本人がそう

書いていた。指の皮膚で明暗を感じることぐらいできるのかもしれない。

しかし、こういう神秘的なことに惹かれて怪しい宗教にのめりこんで

行くとしまいには、悪霊に憑かれたようになるので、変な修行は

止めた方がいいと「日本のお姉さん」は警告しておきます。
第六感が研ぎ澄まされても、いいことなんかないと思う。

「霊感が強い。」と自分で言う人は、常に悪の霊に威嚇されている。

オバケや幽霊におどかされている。つまり、悪の霊に取り付かれかけ

ているのです。家族や親戚に悪霊に憑かれた人がいる場合、その人が

死ぬと、近くの孫がおかしな現象を見たり占いを始めたりする。

悪霊は、入れ物を探しているのです。怪しい修行などしないように!

警告はしましたよ。by日本のお姉さん

▼移民とか共生の行き着くところ(きち@石根)
■無理な共生は腐敗と堕落を生む

また喜多さんのピックアップから移民より教育だろ@FT

http://blog.goo.ne.jp/kitaryunosuke/e/8a20cceb04bcf5c9ee00597657d38858  

(今日の覚書さん)

この記者は外国人の日本移住を阻止しているつもりなのか?^^どちらにしろ、小さな移民問題は共生と言う夢物語の現実を考える上でいくつもの警鐘を鳴らしてくれているわけです。リベラルな仲良しこよしの発想で考えていると行きつく先は両者の悲劇です。そこに、政治的目的を孕んだ人権屋なんぞが絡んできたら目もあてられません。見た目が似ているとか、考え方が似ているとかそんなことはどうでもいい話で異文化が格差とともに共存するというのはあらゆる腐敗・堕落を生みだすことになるのです。国内問題としては経済効率至上主義によるタコが自分の足を食らうが如き低賃金移民の受け入れ。共存と単なる共生はまったく違うものであって文化・習慣どころか、経済的格差がそこにあった場合にどんな末路が待っているか・・・例えは難しいのですが・・例としてイタリアの問題。
以前紹介した動画。THE FAKE OF NANKINGですが本旨ではなくて導入部にこんなシーンが・・2007-07-20 22:10:47 例えは難しいのですが・・例としてイタリアの問題。以前紹介した動画。THE FAKE OF NANKINGですが本旨ではなくて導入部にこんなシーンが・・「次の対テロ攻撃はどこに対してするべき?」という質問に対して(もちろん米国内なんで)イランとかサウジとか回答があるわけです。でその中に「イタリア」という意見があるんですね。イタリア好きの日本人からすれば「えー?」なわけですが、米国内であればそういう偏見もあるわけです。そのイメージって言うのは、複雑なイタリア国内問題があってやはり1900年代初頭以降のイタリア移民のイメージがある。無理やりなイタリア統一ではじき出された伊南部の人々。ゴッドファーザーとかサタデーナイトスペシャルの世界。何が言いたいのかと言うとイタリアというのは、本質的に一つの国ではない・・・ぐらい北部と南部の違いがあるわけですがイタリア敗戦後も地勢的に分割されずに(というより、昔から)複数の国家的(文化・慣習)差異が半島に封じ込まれている・・・ぐらい差があるわけです。例えるなら、朝鮮半島の北部が日本で、南部が韓国・・・これが無理やり一つの国家になっているわけですがアメリカへの移民はイタリアでも南部が中心。そのイメージがイタリア人全般のイメージとして固定されています。哀れ・・一つの国に二つの文化・・その悲劇は↓とかがわかりやすいです。地獄・それでも私はイタリアを愛するGiorgio Bocca(三田出版会↑マフィア、コーサ・ノストラ、カモッラそして中央政府が共犯して腐敗体質を浸みこませていくという実態(イタリアの腐敗)をレポした本ですが背景には、北部と南部の決定的な民族的・文化的差異・格差。一つの国家にさながら二つの国家が存在するようにそれは決して共存とは言えない・・・と感じさせる何故か書評とかがあんまり見当たらない・・反論的な書評は



南イタリアは地獄か
http://www.geocities.jp/tomo_toscana/study/italia/No1/ep1f.html ボッカの意図とは違うんですけど・・・]

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イタリアに少し長めに滞在したことのある人はイタリア名物「物乞いスリ」を経験したことがあるのではないでしょうか?道を歩いていると、乞食の格好をした児童が物乞いに近寄ってきます。で何やら叫んでいる。それが一人二人から、やがて数十人の集団で囲んできます。でどさくさにまぎれてポケットに手を突っ込もうとする。追っ払ってくれたコーディネーターに「今のはなんだ」と聞くと「南部から来た組織スリだ」という。で周りのイタリア人は別に珍しいことではないようで反応しない。順応することは共存ではないんですが南部の普通の人々が、犯罪組織を作って北部に出稼ぎに来ては、戦利品を南部に持ち帰る・・それを微妙に受け入れているわけです。そして南部由来のマフィアが政権内を侵食する現象も日常化てしまう。それでいて、南部と北部の決定的差異は十二分に感じています。で伊・極右台頭などと言われますが国内の異文化共生の理不尽をのんびり屋のイタリア人に気付かせたわけです。そんなのは極右でもなんでもなくて現実主義的な国内政策の問題で共生否定を右翼とする思いこみ・決めつけ。極右さんのエントリーがわかりやすい。



伊・極右が扇動の誤り!
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50569798.html (極右評論さん)で、我が国では国際リベラル連帯の浸食、リベラル思想喧伝によって共存・共生という言葉がまことに俗事に良いフレーズと聞こえるようでどんな悲劇が待っているのかを想像だにできないようであります。



民主党「憲法提言中間報告」のポイント
http://www.dpj.or.jp/seisaku/sogo/BOX_SG0057.html

(1)グローバリゼーションと情報化に伴う新しい変化や価値に応えるために。

 ◆国家主権の移譲や主権の共有へ
 ◆アジアとの共生

どこに主権を移譲させるつもりなのか知りませんが恨日・侮日の教育・喧伝に染まった民族との共生などイタリアどころの話ではすみません。和をもって貴しと為す?経済的格差や政治的思惑を孕んだ背景があるのは共生とは言わない。待っているのは腐敗と堕落。そこに人権屋が絡むと単なる悲劇。同居しながら、敵意むき出し・・っていうのはわが国では日常的な光景です。