「異常」過ぎる「日本」の「マスコミ」 | 日本のお姉さん

「異常」過ぎる「日本」の「マスコミ」

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「日本のマスコミは気持ち悪い・・・」

自分と同じ職場で働いている「チャイナ人留学生」は、最近の「異常」な「安倍内閣バッシング」を見てそう言いました。

「共産党」が大多数の「マスコミ」を掌握している「チャイナ」では、「政権」を賞賛する報道が当たり前ですから、「日本」の「政権(保守)を批判することしか出来ない超偏向報道」の「異常性」が際立つのでしょうが、同様の指摘は「アメリカ」へ留学していた経験がある「日本人」の口からも聞くことが出来ました。

「日本」の「マスコミ」の報道を見ていると、「アメリカ」は「ブッシュ批判」や、「日本(保守)叩き」一色である、かのような印象を受けますが、実際の「アメリカ」の報道では、「褒めるべき所があれ褒める」、「評価するべき所があれば評価する」という「公共・公平性」がしっかりと確保されているそうです。

それに対して「日本」の「マスコミ」は・・・。

地震の「被災地」に入った「安倍総理」が、

「何分間滞在しました」

などと報道する「馬鹿マスコミ」。「国民」の「最大の敵」は「マスコミ」である、ということをもっと広く「国民」たちに広めなければ「日本の再生」はありません。

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「抵抗勢力(特権者)」たちと手を結んだ「マスコミ」などいらない
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(山陽新聞より)

ジャーナリズムの使命
 
 先月、岡山大学で三十人ばかりを相手に、ジャーナリズム論を講じたときのことだ。返ってきた感想文の一つに、「二度と戦争をしないのが幸せなことか」とあった。この国の若者に起きはじめている意識変化を見せ付けられた気がした。

 ジャーナリズムの使命は、社会正義の実現に寄与することであり、その場合の正義とは米ブッシュ大統領が、ならず者国家などを仕立て上げて、自己を正当化するときに使用する一方的な論理ではむろんなく、差別とか貧困とかという明らかな社会矛盾の対極を示す言葉だ。社会矛盾は、社会悪と言い換えてもいいと思うが、その最たるものは戦争だから、ジャーナリズムの使命の究極はまた、戦争回避にあると、信じてきたままを講じたことへの反応だった。

 インターネット上に過激な書き込みを行うネット右翼の存在、あるいは働けど楽にならないワーキングプアと呼ばれる若者のなかにも、状況改変を、強いイメージに求めていくきらいがあるようだ。東京都知事選での石原さん圧勝の一因にも、それは指摘されている。

 徴兵制など敷かなくても、格差社会が拡大すれば、若者は自然と「軍隊」へ流れてくるとはよく言われることだが、社会の閉塞(へいそく)構造は不気味な様相を呈してきている。

 戦争体験者が減っていくのは自然の摂理で仕方がないとして、この国が再び戦争の道を歩むということなどが、これはあっていいはずがなく、ジャーナリズムはやはりその使命を果たし続けなければならないし、あり方が厳しく問われてきてもいるのだと、参院選渦中に強く思う。(特別編集委員・横田賢一)

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近代社会において、「戦争」を求め、推進して来たのは常に「マスコミ」であったという事実から目を逸らして、「二度と戦争を行ってはならない」などと主張している「マスコミ」ほど馬鹿らしいものはありません

自分たちが行っている「安倍内閣バッシング」や、「自民党バッシング」や、「年金問題煽動」などが、「戦争プロパガンダ」と全く同質であることすらわかっていない「マスコミ」に、下手な「使命感」を持たれても困ってしまうのは「国民」たちです。

最近、「左巻き」を中心として「戦争体験者」を異常なほどに祭り上げ、「戦争体験者の思いを引き継がなければ再び戦争が起こってしまう」と、「戦争体験者たちの戦争観」を絶対化し、自らの主張の説得力の無さと、「欲望」を満たす為に利用している人たちが目に付きますが、彼らは、多くの学者たちが「人類の歴史上最も平和な時代」であったと主張している「江戸時代」に「戦争体験者」がどれくらいいたのか?という質問にどのように答えるのでしょうか?

世の中は、常に「絶対」や、「善悪」を用いてしか思考することが出来ない「マスコミ」関係者(左巻き)が考えているほどに単純には出来ていないのです。

「世界」が深い繋がりを持ったいま、「平和」とは「必死の努力」無くして手にすることは不可能です。

自らの「利権」と「特権」を守る為だけに、「年金問題」を仕掛けた「社会保険庁」と「野党」の「腐れエゴイスト」たちと手を結んで、「安倍改革」を潰しにかかる「マスコミ」などもはや「日本」に存在している価値は無いのです。