不安との訣別/再生のカルテ | 日本のお姉さん

不安との訣別/再生のカルテ

猪瀬直樹です。7月2日月曜日の朝刊各紙に報じられて

いますが、安倍晋三 首相と小沢一郎民主党代表の

党首討論会が1日日曜日、都内のホテルで、学者や経済

人らでつくる「新しい日本を作る国民会議」(21世紀臨調)

の主催で開かれました。

 ところが、重要な部分が7月2日の報道では抜け落ち

ています!

 僕は1日の夜遅く、NHKのテレビ番組でその模様を

見ていたのですが、小 沢民主党代表の久間防衛相に

ついての以下の発言にあれれっと思いました。

「久間防衛相の広島、長崎への原爆投下の発言に

ついて。今日の朝のテレビ番組では、スペイン内戦当時

の無差別爆撃で数千人が亡くなったことについても
発言がありました。

ドイツは戦後、誤りを認め謝罪し今ではゲルニカの市民

も 協力して平和活動をしています。

一方アメリカは、ドイツを攻撃するときにドレスデンを攻撃

し一般人が多数亡くなりましたが謝罪しております。

ところが 広島、長崎への原爆投下は仕方がなかったと

言っています。

久間大臣はアメリカの主張をまさに代弁するような発言

で、戦争を終結するにはしょうがなかったという趣旨の

発言をしたのです。

国務大臣として非常に不見識、不適当な発言だと考えて

います」

 小沢代表はアメリカがドレスデンを空爆したことについ

て「アメリカは謝罪 した」と言っていますが、これは

間違っています。まったく逆なのです。

 ちなみにドレスデン攻撃とは、第二次世界大戦中の1

945年2月13日夜から翌 日にかけて、ドイツ南東部の

都市ドレスデンに米英両国空軍がしかけた爆撃の
ことです。ドレスデンは、チェコの国境に近い場所です。

同市域の大半が被災 し、バロック建築の教会など多くの

歴史的建造物が焼失しました。

また、市民 ら約3万5千人が犠牲になりました。

 自民党の中川秀直幹事長も4日、日本経済新聞の

インタビューでその誤りを指摘していました。

7月5日付の日本経済新聞からその箇所を抜粋します。

「(1日の)党首討論で、小沢さんは事実でないことで

安倍内閣を批判した。
米国が第2次世界大戦のドレスデン爆撃でドイツに謝罪

した事実もないし、ド イツが米英両国に謝罪を求めた

事実もない。歴史的な(米英独の和解)努力をねじ曲げ

て政局に利用するのは、リーダーの資格を欠く。

小沢さんは事実の誤認を正式に認めて公式に釈明すべ

きだ。もう1回党首討論をやり直すべきだ」

 彼の言うとおり、アメリカが謝罪をしたということは

歴史的事実としては完全な間違いです。

こんな重要な間違いを小沢代表が発言したということは、

野党第一党党首としてはまことに奇怪なことではない

でしょうか。

 そしてメディアもテレビもまるでこれを取り上げないのは

相当おかしなことです。欧米のメディアならありえません。

厳しく追求されるべき、久間発言と 同じくらいの問題発言

です。また、その後小沢代表の訂正は聞いていません

 僕はメディアの怠慢と小沢代表の歴史的事実に対する

いい加減な姿勢、自身 の発言に対する責任感のなさに

深く失望し、憤りを感じました。

      *      *      *      *       

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されます。時代に流 されずに生きろ! という強い

メッセージがこめられた1冊です。

 太平洋戦争という日本の針路決定の陰に、二十代、

三十代の若者達の戦いがあった! 東京工業大学の

学生に向けた、目からウロコの名講義を再現。「時 代に

流されずに生きるとは」を熱く説く。

 今週は、4月26日の産経新聞に掲載された僕の

インタビュー[「昭和の日」 を語る――「無意識の守護神

……」]を以下にお送りします。

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 昭和に生きた日本人にとって、昭和天皇は「無意識の

守護神」みたいなものだったんじゃないかな…。

 僕は戦後生まれだから、戦前のことは詳しく分からない

けれど、昭和の動乱と復興、高度経済成長と経済大国

化、そしてバブル景気の享楽、冷戦の崩壊―。
昭和天皇はそのすべてを見届けて去っていったんだ。

厳しさと穏やかさを併せ 持つ大家族の家父長のような

存在として。晩年はちょっと猫背の好々爺として …。

 僕の子供時代はまさに戦後の復興期だった。

映画「三丁目の夕日」のような風景だ。実はあの町並みは

戦前の名残なんだけど、近くには土管を置いた原っぱ

があった。あれが復興の象徴だよね。そのころは家族に

も近所にも大家族の家父長のようなお年寄りが必ず

いたんだ。

 高度経済成長期に入って、その風景はガラッと

変わった。テレビが普及し、 トイレが水洗になった。

大家族から核家族の時代へ移った。

 その象徴が昭和34年の皇太子さま(天皇陛下)と

美智子さま(皇后陛下)のご成婚なんだよ。

ご成婚に合わせて東宮仮御所にシステムキッチンが

入った。 モダニズムの到来だ。皇太子ご夫妻は核家族

世代の若い夫婦の最先端だった。

 高度経済成長は昭和45年の万博でピークを迎え、その

後は「消費の時代」に入った。耐久消費財がひとそろいし

ただけでは飽き足らず、レジャーや外食などに生活の豊

かさを求める時代が平成3年のバブル崩壊まで続いた。

 バブル崩壊は冷戦の崩壊と軌を一にしているんだよ。

昭和天皇の崩御もほぼ同時期だ。昭和天皇は焦土から

再生し、豊かになっていく国民の姿をほほえみながら見

届けて去っていかれた。

 そして時代は平成に移り、皇太子さまが雅子さまと結婚

された。美智子妃が「核家族時代の専業主婦」のモデル

なら、雅子さまは「働く女性総合職」のモデルのはず。

団塊ジュニアたちは晩婚化し、少子化の時代を迎えて

いる。こう考えると皇室は世相を常に映しているように思

えるよね。

 もう一つ、昭和の繁栄を象徴する出来事が昭和45年に

起きている。三島由紀夫(作家)の自決だよ。三島は

自決の前に産経新聞に寄稿し、当時の日本を
「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、

富裕な、抜け目がない、 或(あ)る経済大国が極東の

一角に残るのであろう」と批判した。

■「世界」見なかった戦後日本

 確かに当時、戦後の繁栄を無批判に喜ぶ国民のフワ

フワした空気が広がっていた。三波春夫が歌う「世界の

国からこんにちは」は奇妙に明るい。こんな脳天気な風景

に代表される戦後民主主義の偽善に、三島はいらだって

いた。

 すでに戦前にあった威厳のようなものは失われていた。

戦争で300万もの命が失われてまだ四半世紀しかたって

いないのに。だから三島は著作「英霊の声」で「などて

天皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまいし」と詠んだん
だ。

 高度経済成長期の日本は「ディズニーランド」なんだよ。

門には米兵が銃を持って立っている。善意からではなく、

日本が米ソ冷戦における反共の防波堤だったからだ。

でも門の内側は毎日が平和で楽しく、芝居のような現実

感のない物語が展開される。中の人々はあえて外の世

界を見ようとしない。三島はそれを見抜いていたんだよ。

 三島の評伝「ペルソナ」を執筆中に、三島が自衛隊

市ケ谷駐屯地のバルコニーで演説する映像をテレビ局で

繰り返し見せてもらったんだけど、正門の看板が

「駐屯地」ではなく「駐とん地」なんだ。

「ああ、これだな…」と思ったよ。
この間の抜けた感じの上に戦後日本の繁栄が築かれて

いる。

 でも冷戦の崩壊によりディズニーランドは終わりを告げ、

リアルな国際政治 の世界に突然ほうり出された。そこか

らが失われた10年だ。いま少しずつ自立の訓練を始めて

いる。でもそこに昭和天皇はいない。代わりに何らかの

権威を探さなければいけない。「美しい国」や「国家の

品格」などの流行語はそんな世相を反映しているのかな。

 問題は若い世代が歴史を知らないことだ。

彼らは戦前の日本を北朝鮮のよう な国だと勘違いして

いる。昭和15年まではダンスホールがあり、おしゃれなモ
ダンガールが銀座を闊歩し、学生はジャズを聴く、そんな

生活があったんだよ。
戦争を憎むあまりに戦前の良い部分まで消し去り、歴史

のリアリズムを直視できなくなってしまった。

 過去の事実を踏まえて、自らの将来の行動を定めなけ

れば人間とはいえない。
歴史を否定したら猿と同じじゃないか。