久間大臣臨時会見概要 | 日本のお姉さん

久間大臣臨時会見概要

軍事情報  (久間大臣臨時会見概要)          8,547部
                      平成19年(2007年)7月5日

  ☆【久間大臣臨時会見概要】 平成19年7月3日 (16時31分~17時16分)
 
  ☆発行:おきらく軍事研究会 

こんにちは!!
おき軍事です。

七月三日、久間防衛大臣が辞任しました。
後任には安全保障担当首相補佐官 小池百合子氏の就任が決まりました。

久間氏の辞任・小池氏の就任についてはさまざまな意見が出ています。
当日もさまざまメールが届きました。

事態を冷静によ~く見ると、
ヨーソロさまからいただいたこの↓ご高見が、なにやら一番しっくりする気がし
ます。

「私自身の印象としては、彼は以前に正直な発言をしたばかりに対米関係で
舌を噛んだことから、今度は対米顧慮が出過ぎて別の舌を噛んだものだろう
と、同情しています。
二度も防衛担当大臣を中途退場とは、昔々の増原恵吉長官と並んで不運な
人ですね。

今度の小池百合子氏就任は、私は好意的に見ています。
彼女は下手な官僚出身代議士や党人派議員よりも、国際感覚にも安全保障
への造詣にも光るものがあるように感じています。
クールビズを定着させた実行力も買っていますし、東京10区へ刺客として
出馬した度胸も大したものです。
彼女は扇千景議員のように意外な大物に成長するかも知れませんよ。」

(ヨーソロ)
◎◎◎ 久間大臣臨時会見概要 ◎◎◎ 
久間大臣臨時会見概要
平成19年7月3日 (16時31分~17時16分)
1 発表事項
 記者クラブの皆さんには短い期間だったかもしれませんが、大変お世話

になりました。また、記者クラブ以外の方もご参加になっているかも知れま

せんけれども、改めてこれまでいろいろ広報活動等でもお世話になった

ことを、御礼申し上げます。

今日、安倍総理に辞意を表明して参りました。辞任届は後刻、
事務方を通じて提出しますということで官邸から帰ってきたところです。

振り返ってみますと、私が講演で不用意に発言した「しょうがない。」と

いう言葉が原爆投下を是認したかのように報道されまして

私はこれまでも、また講演会場でも原爆投下については断じてあっては

ならないことだったと、繰り返し言っておりましたけれども、

「しょうがない。」という言葉を言ったことについては事実でございますの

で、原爆投下と「しょうがない。」というのを特に結びつけて報道されますと、

そういうふうな解釈やとらえ方をされたのも
私の不用意な発言だったのではないかなと反省をしているところです。

これは単にこれだけの問題では済まなくて、全国の被爆者、特に私の地元

であります長崎や広島で原爆に遭われた人、あるいはその後遺症に現在も

苦しんでおられる方、いろいろな方々に原爆、被爆についての私の態度が

軽んじたようにとられた節もございます。

そういう点では、その人達の心情を思う時に大変申し訳なかったなと、

そういう思いがいたしました。

そういうことを考えますと、やはり安倍総理もせっかく一生懸命頑張って

おられて、戦後レジームからの脱却という形でいろいろな改革等を推し

進めておられる時に、今度の選挙で私が足を引っ張るようなことになっては

大変申し訳ないという気持ちになりまして、

この度はきっぱりと私のそういうような不用意な発言が安倍総理のそう
いった姿勢にマイナスにならないようにということで、既にマイナスになった
かもしれませんけれども、私自身が身を退く決意をしたところでございます。

しかしながら、防衛庁が省になり、防衛省が、あるいは、防衛庁時代に出して
いた法律等は全て成立しております。米軍再編はこれから時間がかかることで
もございますし、沖縄の、特に私がかねてから主張しておりましたキャンプ・
シュワブへの普天間の移転が実現しませんと全ての改革が進まないわけでござ
います。これもまた、環境アセスその他が終わりませんと具体的な計画が煮詰
まらないわけですから、まだ時間を要することもございます。そういう意味で
は、ほぼ私の時代と言いますか、私の時になすべき事については出来たのでは
ないかなという達成感もございますので、この際きっぱりと身を退いた方がい
いという思いで辞意を表明したところでございます。今後はまた防衛省のOB
として今度は新しい大臣を側面から支えながら、自民党の議員の一人として、
また与党の一人として一生懸命後押しをしていきたいと思っております。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。ご質問等がございましたらどうぞ。

2 質疑応答

Q: 安倍総理とは昨日の朝と今日のお昼と二度直接会われたわけですが、総
理の憤りというのは感じられたのでしょうか。

A: いえ、それは別に感じておりません。総理は私の発言が不適切と思いな
がらも、私自身が原爆投下を認めるとか、核廃絶についての熱意を持っていな
いとか、そういうようなことは微塵だに疑っておりませんから、私自身がそう
いうような原爆投下を認めるとか、核廃絶に否定的だとかいうような

ことはないということは、今日辞める時にあたってもあり得ないということ

を確信しておられたと思います。

Q: 今回辞任を決断する際に、官邸からのプレッシャーのようなものが何か
影響を与えたというようなことはあるのでしょうか。

A: それはありませんが、参議院選挙を控えて苦労しておられるなという思
いは私自身が逆に持ちました。

Q: 昨日、今朝の段階ではまだ辞めることは考えていなかったとおっしゃい
ましたけれども、実際のところ辞任される時期というのはいつ頃ですか。

A: 正直言って今日の午前中からですね。自民党だけではなくて与党として
困っているんだなあということを感じ始めましたので。今日の夕刻、自民党の
政調会長とも会う予定にしておりますけれども、やはりそういうことを考える
と、選挙を控えて自民党だけではなくて公明党もやっぱり、やりづらい

のではないかなということを非常に感じました

Q: 今日、朝の段階で、公明党の方に幹事とお会いするという予定もあった
のが延期になったのですが、この辺というのはどうして。

A: これも、逆に言えば選挙運動に皆さん方がこうして写真を撮ったりする
のがまた映像で流れるとマイナスに利用される、そういうことを私自身が感じ
たので、正直言って遠慮させてもらいました。

Q: 大臣の方から遠慮されたということですか。

A: 私から遠慮したというんじゃなくて、言わず語らずで、遠慮させてもら
いたいということを、そしてまた、原爆の問題というのは、国防三部会とは違
うんですよね。今考えますと国防三部会で議論する話ではないんですよ。そう
いうこともあって、ちょっとそれは遠慮させてもらいたいと。

Q: それは自民党の国防部会の話ですよね。公明党へは。

A: 公明党の方はまだ内部での意見がいろいろありますのでということでし
たので、自民党の国防三部会といいますか、国防部会だけでなくて、内閣部会、
外交合同部会についても行かなかったわけですから、向こうについても、もう
少し様子を見た上でという、そういう思いはございました。

Q: 浜四津さんとか、漆原国対委員長とかは厳しい口調でしたが。

A: 漆原さんのは新聞記事で見ておりますけれども、浜四津さんのは知りま
せんでした。ただ、与党としては選挙運動をやりにくいのだなあという雰囲気
は私なりに感じておりました。

Q: 長崎市長とお会いになった時には辞めることは決めていなかったのです
か。

A: その段階では、私自身は未だ決断しておりませんでした。

Q: 長崎市長にお会いになって何か。

A: いや、それはそんなに感じておりませんが、長崎県内における参議院選
挙等の状況については、私なりにいろいろな質問をしながら、プラスではない
なという感じは受けました。同時に、市長や議長に対しては、大変迷惑を掛け
たと言いましたけれども、その分よろしくという事を今日お願いしました。

Q: それで、昼の決断になるのですけれども、決断の前に誰か党の人と。

A: それはありません。

Q: では、直接総理のところにお電話か何か。

A: 「今から行きますので。」と言ったら、「12時50分頃帰ります。」
という事でしたので、「1時に伺います。」という事で伺いました。

Q: 自民党は年金問題で、参院選に逆風を受けているのですが、今回の大臣
の対応、発言、離任が参院選にどのような影響を与えるとお考えでしょうか。

A: それは分かりません。年金問題についても安倍総理は自分の責任だとお
っしゃいますけれども、安倍総理の責任ではないわけです。

歴代の厚生大臣の時にやっておくべき事をやっていなかったので、

それを安倍総理が就任され、それが今問題になっているわけです

けれども、私は、それはおかしいのではないかと、総理に就任されたのは

去年の9月26日ですから、だからそれを安倍総理の責任のように言って、

他の人達が全然責任がなかのように言っている事、
野党の皆さん方も閣僚だった事があるわけですから

そういう事を考えますと、やはり最近の年金問題については、ちょっと

どうなのかなという思いはしております。

閣僚だとそういう事も言えませんけれども、今回辞めたら、安倍総理
が可哀想じゃないかということを堂々と言えますから、私は本当気の毒だと思
います。一生懸命に取り組んでいる安倍総理の姿勢を、やはり買って

やるべきだと思います。

Q: お辞めになった理由として、選挙への配慮ということを繰り返されてい
ますが。

A: 選挙への配慮と同時に、やはり私が言った不用意な発言で、被爆者の皆
様方の気持ちを軽んじているのではないかという思いをとられた、そういうよ
うな事を感じましたので、それが申し訳なかったと言っているのです。私が原
爆を否定しているのは、講演会場におられた何人かの記者さんは知っておりま
す。「原爆は許せない。」と何回も繰り返しながら言ったけれども、その後で
「しょうがないですよね」という、九州弁で「しょうない。」というのは口癖
ですぐ出るのです。今更言ってみたってしょうがないなという、そういうのが
ぽっと最後に出たのが、その「しょうがない。」という発言で、それが非常に
皆さんを傷付けたのではないかと思っております。

Q: 是認されていない事はよく伝わってきたのですが。

A: 伝わっただけでもありがたいです。昨日までは、是認しているのではな
いかという形で、新聞一面そうでしたから、私はあくまでも是認しないという
事は、昨日も言っておりますが、それまでの報道では、原爆投下を是認してい
る等の話で、是認していないというのはしょっちゅう言っておりますので、
ただ、「しょうがない。」という言葉をやはりああいう場面で使ってはいけな
いのですね。

Q: 歴史認識として、原爆投下が戦争終結を早めたという認識はお持ちなの
ですか。

A: 講演会場でも言いましたが、長崎への原爆投下が9日でしたが、ソ連が
9日には参戦した。そして日本は15日には終戦を決意したというような事は
言いました。私は、本音を言いますと後何日かでも終戦が早ければ、

もし、後1週間早ければ、長崎に落ちなくて済んだのになと、

あるいはもっと早ければ、広島にも落ちなくて済んだのになという、

そういう思いは今でもしております。

Q: 10日の前に既に日本政府は降伏の手続きをしていた事を、

トルーマン大統領が知っていたという事は認識していますか。

A: それは知りません。しかし、手続きはどうであろうと、公表しないと。
ソ連は9日に参戦したわけですから。9日に原爆が落ちたわけです

から

だから、やはり戦争に突入したのも、勿論その責任の問題もあるかも

知れませんが、
それと同時にああいう悲惨な戦争になって、駄目だという時に、決断が遅れた
という、これもまた悲惨な結果を招いた事になるわけですから、だからそうい
ういろんな思いが私にはあるのです。

Q: 広島・長崎の原爆については許せないと。それでは一般的に、核兵器の
使用について、いろいろ考えて必ずしもという場合があり得るのか、それも認
めないのか。

A: 国際法上でもそうですけれども、やはり核兵器は使用してはならないと
いう、核兵器については国際的に違法だという、そういうような事は大体確立
していると思います。だから私は、長崎への原爆が最後の核兵器の使用

であってもらいたいという、そういう思いは本当に強いですし、それは

長崎県民の悲願で、とにかく過ぎた事はしょうがないとしても、

また「しょうがない。」と言いましたが

長崎が最後の原爆であってもらいたい、兵器の使用であっても
らいたいという、そういうような主張を長崎はしょっちゅうしておりますし、
私自身もそういう思いは非常に強いです。

Q: 政府は、必ずしも国際法違反とは言えないという、93年の答弁書を見
たらそういう、正義には反するけれども、必ずしもそうではないということも
あり得るというようになっているのですが。

A: そういいますけれども、核兵器の破壊力、その他から言えば、核兵器の
使用というのは、法理論上どうかという議論は別にしてですが、

人道上許せないものだという認識を持っております。

Q: 今後、国際的にも核廃絶に向けた取り組みがなされていくと思いますけ
れども、日本が唯一の被爆国として核廃絶を訴えると同時に、日米安保

条約の下で米国の核の傘の下で安全を確保しているという事実ももう片方に

はあって、更に憲法上、日本政府は核兵器の保有あるいは使用は自衛の

最小限である限り、違憲とは言えないという立場を持っていますし、

こういういわば矛盾を抱えた中で、今後どうやって核廃絶の理想に取り組ま

れるのか、大臣をお辞めになる自由な立場でお伺いしたいのですが。

A: 法理論上の話としては、あり得るわけです。必要最小限の範囲であれば、
核兵器が使えないかということについては、法律論として理屈の世界はあり得
ます。しかしながら、政策としてそういう事をしてはならないという問題とは
別ですから。日本としては核兵器はあくまで使わないと。それと同時に持ち込
ませないというようなこと、三原則というのがありますけれども、その問題に
ついて私は法理論上の話とは別だと思います。それと核抑止論というのは、
それは確かにあります。相手側が核兵器を使ったら、こちらも使うぞと

いうことによって相手の核兵器の使用を抑止するというのは、

これは確かに国と国との関係で、大陸間弾道弾等たくさんミサイルを

持っている国々がにらみ合っているときには、

その抑止力が効いてきたからこそ、今日まで無かった

のだろうと思います。

そういう意味では、核抑止論というのはありますけれども、その
抑止力の一環としては使って良いのかとなると、本質的に私はそれを使うべき
ではないと思います。

そのためには、双方がそういうような抑止をするという
ことと、使用しないということを何らかの形でお互い決めていくということと、
そういうようなお互いが決めることができない国においては、相手が核兵器を
持たないようにどうやってそれを仕向けていくか、そういうことだろうと思い
ます。中国、ロシア、イギリス、フランス、こういったところについては、
私は核抑止論がこれだけ長期に戦後続いてきただけに、かなり効いていると思
います。しかしながら、テロリスト、あるいは北朝鮮を始めとするような

国々にこういう抑止論が効くのかどうかということについては、

正直言ってなかなか自信もございませんから、

それは抑止論を効かせながら、抑止論ではなくて
事実上、そういった国が核兵器を使わないような、核実験等も行わ

ないような、核兵器の開発を行わないような、そういう状況を

どうやって作り上げていくか
これを各国で協力しながら抑え込んでいく、それが必要ではないかというよう
に思っております。

Q: そうしますと、抑止論をお認めになるということは、大国の核保有に関
してはお認めになるということでしょうか。

A: 認めたくはないのです。全世界の核兵器を廃止したいというのが私の持
論ですから。認めたくないけれども、現実にはそこにある

それが双方が同時に減らして無くしていかない限りは、片一方だけ無くせと

いうわけにはいかないわけですから、そこに難しさがあって今日まで

抑止論という形で、事実上使えない状態で今まで抑え込んできているわけ

です。それが現実なのです。

Q: 今回の発言が、自分の中で説明できる自信はあったのでしょうか。

A: 私は説明すれば分かってもらえるのではないかと、私自身が原爆を是認
していないという状況については理解してもらえるのではないかという思いが
ありましたから、私は理解してもらえるかなと思ったのですが。

Q: いつぐらいからそれが・・

A: 東京に帰ってきて、特に翌日のいろいろな新聞報道等を見ながら、だか
ら、講演では質疑もありましたけれども、私のそういった発言についての質問
はほとんど出ませんでした。「あなたは原子爆弾を投下したことを是認してい
るのか。」という質問でもあれば、「いやいやそんなことは言っていませんよ」
とその場で打ち消したと思いますけれども、そのような質問については何ら出
なかったので、私自身がそういう核爆弾投下を是認したというような、そうい
うことを言っているとは、本当に正直言って思っていませんでしたから。
東京に帰ってきて、いろいろな記事を読んだりしてからです。

Q: 今まで大臣はいろいろな発言で話題になりましたけれども。

A: やはり私は語彙が少ないのですよね。本当にそういう点では皆さん方に
も迷惑をかけているかもしれません。「脇が甘い。」という人もいますが、そ
れもそうかもしれません。もう少しきちんと言葉を選びながら、そして相手が
どう取るかを考えながら、言葉を発していくべき、そういう責務があったので
はないかなと思っております。これまでの発言についても、そういう点では、
今振り返ってみると誤解されていたことも多かったなという気がします。

Q: 以前大臣はイラク戦争に対して、アメリカに対して厳しい発言をされ
・・。

A: あれは私自身は厳しい発言ではなくて、「核兵器があるとは私は思って
いませんでした。」と。だから、「核兵器があると言っているけれどもそれは
どうかなと私自身疑っていました。」
ということを言ったわけで、

核兵器があるという前提で踏み切るというのはどうなのかな。」という

ふうに思ったということを言ったわけです。

Q: アメリカに対してそういう発言をされて、一方で今回はアメリカを恨ん
でいないとおっしゃったのですが。

A: 「しょうがない。」と言ったときに、何で言ったのかは、「じゃあ、あ
なたアメリカを恨んでいますか。」と言われると、「今更恨んでもしょうがな
いでしょう。」というような思いがあります。

むしろこれから将来に向かって核兵器を廃絶してお互い使わないように、

世界の核兵器を廃絶する方向に持って行きたいという思いがあるので

あって、アメリカに対する恨み辛みで物を言うとかえって核廃絶に

向かって進まないという思いがありますから、あの会場でも何回も

「アメリカを恨んでおりませんよ。」ということを言いました。
今みたいな話をすると「原子爆弾を落としたのは許せない。」と言うと、では
「恨んでいますか。」というすぐ感情として取られるから、「恨んではいませ
ん。」ということを何回もあそこで繰り返しました。

Q: 今回の発言についてもそうですし、それから柳沢大臣の発言等、安倍内
閣の下でこのような発言が続いておりますけれども、これはどうしてだと思い
ますか。

A: 私は分かりません。たまたま言った言葉が、真意を測りかねるようなこ
とだったのかどうか問題なのです。柳沢さんの発言にしても不用意な発言だっ
たと言われれば、その通りかもしれません。しかし、彼は例え話としての例示
としてあげたのが不適切だったのでしょう。そういう役割とか、そういうよう
な言葉で言っておけばまた違ったことかもしれません。だから、表現の仕方に
よって自分の内部の意志を伝えようとする時にまずい言葉があると、最近はそ
れを咎められるというか、そういうことについて多いと思います。それは咎め
る方も咎める必要があって咎めるのでしょうけれども、言う方もついうっかり、
それを分かりやすくしようと思って言ってしまうということがあるのかもしれ
ません。そういうところは、これから先の政治家に対しては言葉を非常に選び
ながらやらないと、私みたいな不適切な発言で皆に誤解を生んで、

それが皆さん方の感情を傷つけることになりかねないので

そこはやはり注意しながらやらないといけないと、若い人達にもこれから

先はそういうことで良い教訓を与えたと思いますし、また私たちもそういう

ことを注意して皆さんに教えていこうと思います。

Q: 総理に辞任をお伝えした後、お部屋を出られる時の率直な感想は、肩か
ら荷が下りたという感じなのか、やはり少し寂しさが残るのか、どうでしょう
か。

A: ある意味では「ほっとした。」という気がしますね。これで選挙が堂々
と与党として戦えるという、そういう気持ちが私自身もありますから、私のこ
とで引きずっていたのでは、やはり迷惑をかけるなという、そういう思いがあ
りましたから。

Q: 防衛政策の方に関しての今後の影響、あるいは・・・。

A: それはないと思います。今度の問題は、全く防衛上の話とは別ですから、
強いて言えばあの時の講演で言いたかったのは、相手の意図、動き、そういう
のを正確につかんでいないと、後でとんでもないことになってしまう。私の言
葉で言うと「しょうがない。」ことになってしまう。だから最初のきっかけの
意図をきちんと取って、ソ連自身が参戦するかも知れないというのを

見抜けなかったという所に原因があるといまだに思っておりまして

ソ連が虎視眈々と狙っているという、あの会場でもそういう質問が出ました

けれども、そういうことについての配慮があったならば、もう少し早く

戦争を終結することができたと。

そうしたら我が長崎にも落ちずに済んだのではないかという、そういう
思いが今でもありますね。

Q: 初代大臣として、途中でこうした形で辞任されることというのは・・・。

A: それは関係ありません。いずれにせよそれはどこかで、辞任するわけで
すから。

Q: 日曜日の党首討論で安倍総理が、小沢党首に「核の傘に入って

いながら、米国に謝罪を求めるのか。」というような話をされたのですが、

日米関係では原爆投下の話をすることは、ある意味タブーなのですか。

そういうことではないのでしょうか。

A: そういうことではないと思いますけれどもね。やはり現在の日本の状況
では、日本が核兵器を持たないけれども、核兵器を持っている国が厳然として
ある以上は、核の傘の下にないと、国民に対する安心感というのは

与えられないというような、ある種の矛盾した気持ちというのは

ありますよね。やはり核の傘というのが、どうしても機能しています

からね。

Q: 総理に辞任を伝えられて、防衛省に戻ってきて、また出られましたけれ
ども、その後はどなたとお会いになっていたのでしょうか。

A: それはプライベートな話で、前から予定していた昼食を食べようかとい
うことですからね。聞いたかも知れないけれども、辞めてきたよという話をし
たくらいですから。そうですかと言っていましたけれども。

Q: 原爆がソ連が北海道を獲ることを阻んで、結果的に戦争も終わったとい
う認識を示されていましたけれども、この認識自体は今も変わらないという
・・・。

A: ソ連が果たして北海道を占領できたかどうかは別ですよね。それはアメ
リカがそういう意志を持っていたかもしれませんからね。

しかしながら、ソ連が虎視眈々として狙って参戦をしてくる可能性があった。

そういう時に日本政府に決断を迫らせた、そういう一面があって、とにかく

戦争が8月15日には終わったということについては、これで戦争が

終わったという、そういう思いは今でもしております。

Q: 原爆投下が終戦を早めたという・・・。

A: 早めたか、遅らせたかは、8月9日に落ちているわけですから、それか
ら1週間も経っているわけですからね。早めたかどうかは知りませんけれども、
とにかく8月6日、8月9日の原爆投下が決定的なものだったということは、
それは私は事実として言えるのではないでしょうか。

Q: 海外メディアでは、日本の防衛大臣がアメリカ政府の原爆投下を容認し
た歴史的なことだというふうに報道しているのですが、それに対する責任など
は感じているのでしょうか。

A: それは現実として原爆投下が、結果としてあのような悲惨な結果を生ん
だけれども、日本国政府として、あるいは軍として、とにかく

全面降伏に向かわせたということは、事実だと思うんですよ。

Q: ということは、しょうがなかったということでしょうか。

A: しょうがなかったと、そこで言うと問題になってしまいますけれどもね。
そういう事実としてですね。沖縄であのような負け方をして、

硫黄島があれだけやられて、本土に空襲が始まって

本来ならその時点で決断すべきだったん
だと思いますが、本土決戦だとか、いろいろなことを軍が言っている

わけでしょう。

あの時点では、なかなかそれを終戦というところに踏み切れなかったの
ではないかと、今でも思いますね。
1億総決戦になってそれを6日と9日の原
爆によって、もうとにかくどうにもならないという、そういう思いの中で8月
15日を迎えたのではないでしょうか。

Q: ということはアメリカのあの当時の政策として、原爆投下はしょうがな
かったとは言いませんが、どうしょうもなかったということは事実として・・
・。

A: いいえ、それは私は前から何回も言っているように、勝ち戦で

決まっているんだから、もうアメリカが勝つとあの時はアメリカは

確信を持っているわけですから、原爆まで落とさないで良いでは

ないかと。もっと他の方法で終戦を早める方法だってあったのではないか

というふうに、日本がソ連を使って働きかけをする。

そういうような前にアメリカ自身が日本に対して、確かに勧告はしているん

だと思いますよ。しかしながら、なかなかそれが通じなかったの
かもしれませんけれどもね。

原爆を落とさないでも終戦を早める方法が、私はあったと思います

けれどもね。これもわかりません。過去のことについて、今
さらああすれば良かった、こうすれば良かったと、この間の講演ではないです
けれども、そういうふうに思って見てもしょうがないという、だからしかしそ
うは言いながらも、私は他の方法がね、原爆を落とさなくても

終戦を向かえる方法は、あったのではないかと今でもそういう可能性

については、あるような気がしますね。

Q: それは日本サイドの話ですか。それともアメリカサイドの話ですか。

A: アメリカサイドの話です。だからアメリカサイドとしても、それは選択
肢の一つだと、私は講演でも言っていますよ。これが最後の選択肢の一つ

だったかもしれないけれど、それしかない選択だったかというと、私はそうは

言えないのではないかと。

落とさなくても済んだのではないかという、私はそういう気がしますから、

勝ち戦と分かっているのに原爆まで落とさなくても

いいのではないかと。

あの講演会場でも言った通り、今でもそう思っていますね。

Q: 後任に小池百合子補佐官が任命される予定ですが、小池さんに対する今
の気持ちを・・・。

A: 私は非常に期待しています。今度のNSCの問題にしても一生懸命まと
められて、私はそういう点では国家危機管理についての考え方、そして

また新しい感覚を持っておられるし、また環境大臣として、また沖縄の担当

大臣までされた方で沖縄とも関係が非常に深いし、中東に対しても非常に

思い入れのある方ですから、私は非常に立派な方が後任に就任されたと

喜んでおります。

Q: さっき、総理に会われたときに、「残念だ。」と言われたということで、
「本当に残念だが決断を・・・」

A: 残念、確かに言葉は、そういう残念という言葉だったかどうかは、「い
ろいろな政策課題をやって頂いて本当にありがとうございました。」という話
と「こういう状態でこういう決断をされたというのは、分かりました。」とい
う中に、「残念だ。」というニュアンスを感じましたので、「残念」という言
葉は出なかったと思いますね。

Q: それ以外に総理からお話はありましたでしょうか。

A: 今言ったような話ですね。いろいろなことをやって頂きましたが、とい
う話。

Q: 今日か明日、離任なさるときに。

A: 明日ですかね。

Q: 離任なさるときに栄誉礼はお受けになるのでしょうか。

A: 離任式がありますからね。それは形どおりに、それはいろいろな形でや
ります。

Q: 沖縄の普天間移設問題では、大臣のリーダーシップと言いますか、仲井
真知事といろいろな政策を進めてきたわけですが、この時点で辞めることでマ
イナスな影響はないのですか。

A: それはないと思います。先程言ったように沖縄の問題は最終的には、環
境アセスのいろいろな手続きが終わった段階で、埋め立て免許を申請するとき
に、あるいはその前の環境アセスの方法書を出したり、準備書面を出したり、
その時々にそれぞれのいろいろなアクションというか節目がございますけれど
も、最終的には沖縄の知事が判子をつかないと先に進まないわけです

それについては沖縄の知事といろいろ話しをしながら、沖縄の知事が最後の

決定権を持っているのですよと、しかしもしその決定を送らせるとこれがまた

先に伸びて行きますから、遅らせちゃいけない、しかしながら沖縄の主張も

言わなければならない、

この辺の中でどのように調整していくか、これが大事なことですから、

ということを言って、沖縄の知事さんも私の気持ちは分かって頂いてお
りますし、私も沖縄の知事さんの気持ちも分かっておりましたから、これから
先はその辺りを後任の大臣をはじめとして、皆さん方うまくやっていかれると
思いますから、2年間の間では良い具合に調整が進むのではないで

しょうかね。

Q: 今日の昼に総理と会われたときに、どういう気持ち、どういう言葉で辞
意を伝えられたのでしょうか。

A: とにかくこれ以上皆様方にご迷惑をかけてもいけませんし、特に参議院
選挙については、私の発言でマイナスになっては私としては非常に大変なこと
なので、私の責任において辞任させて頂きますと、そういう言い方をしました。

Q: 在任期間中に沖縄の基地問題を進めるという意味で、掃海母艦を派遣し
ましたけれども、あの判断は正しかったとお思いですか。

A: 私はそれは間違っていなかったと思います。掃海母艦というものに対し
て、ただ沖縄の人たちが、イージス艦や護衛艦と同じようなイメージを持って
いたというのは、ちょっと私自身もそこまで、掃海母艦というのはですね

医療器具からいろいろな物を積んでいるし、掃海艇を派遣する母艦

なんですよね。
戦闘の為の船ではないんですよね。

それを銃口を突きつけてというようなことを、地元の新聞等が書いておりま

したが、私はそれは違うのではないかという
思いがありましたから、そこのところは正直言って掃海母艦は、もし遭難者が
出たり、いろいろな事故等があったときに救難その他もできるような意味も含
めて万全を期すというような意味でやったんですけれどもね。だから

掃海母艦を出したこと自体は、私はそんなに間違っているとは今で

思いません。

Q: 自衛隊を調査に活用したということ自体、間違いではない・・・。

A: これも民間だけでは対応できないときに早急にやらなければ

ならない
過去の3年程前のいろいろな混乱を見ましたときには、自衛隊も有用な公共財
として使ってもいいのではないかという思いは今でもしております。

Q: 今回イラク特措法が通常国会で延長になりまして、今なお航空自衛官2
00人がクェートやバグダットで活躍していますけれども、彼らに対する撤収
の命令を出せないまま終わると、今なお危険にさらされているというところに
ついては、どのような思いでいらっしゃいますか。

A: 撤収の命令というのは、これは内閣としてどのようにいつ判断するかと
いうは、国際環境あるいはまたイラクにおける治安状況、復興の状況、いろい
ろなことが考えられますから、法律も2年延長したわけですので、私の任期中
に撤収ということについては、そう簡単にいかないんじゃないかと思って期間
も2年にさせてもらっていますから、そういう意味ではそれはあんまり考えて
おりません。

Q: 任期というお話がありましたが、前長官の辞任を受けて就任した時や、
その後、初代防衛相になった時は、任期はどれぐらいというふうに・・・。

A: 全然そんな事は考えておりません。

それはもうやりかけた法律等がたくさんありましたから、

それを仕上げるのに一生懸命でした

イラク特措法が最後に参議院を通過したときには、正直言ってほっとして、

私が去年就任して抱えていた問題については、一応一通り成立したかなと。

沖縄の問題が残っているけれども、この普天間の問題はしばらくかかる

なという、そういう思いでした。

Q: 安倍総理から防衛庁長官をやってくれと言われたときに、特に米軍再編、
沖縄の問題をやって欲しいと言われたと思うのですけれども、その総理の期待
に応えられたとお考えですか。

A: 私はそれが、任命されたときに米軍再編問題をよろしくと言われて、特
に沖縄の問題ですからというと、それは感じましたし、自分としてもやりたい
と思いました。その件については、少なくとも沖縄の県、地元の名護市を始め
とする関係自治体、こういった方々とも意思の疎通、あるいは忌憚無くいろい
ろな意見の交換の出来るような雰囲気も出来たし、私はそれはだいたいうまく
やってきたのではないかなと、自分なりには自負しております。

Q: 「高校生など子供に誤解を与えている。」ということを心配される発言
をされておりましたが・・・。

A: 今度の件でですね。今度の件では被爆地の皆様方は、結構、

署名運動その他高校生がやっているんですよね

そういった方々にまで私が原爆を認めて
いるかのようなそういうような取られ方をしたとすれば、これは残念だなとい
う思いはしております。その可能性はなきにしもあらずで、「原爆投下しょう
がない」という、ああいうような大きな見出しが躍りますと、そういうような
方々にはそういう印象を与えたのではないかなと。私がさも原爆投下を容認し
ているような印象を与えたのではないかなと、そういう気がしていますね。
記事の全体を読まれた方は別ですけど、見出しが躍りますから、

そういう子供さん達が、見出し以外のところまでちゃんと見ようとされるか、

私は記事自体はあながち不正確とは言いません、かなり正確に書いて

頂いたと思っております。

Q: 日本の昭和16年のパールハーバー、開戦ですね。これはやはり終戦は
いわゆる・・・。

A: 本当を言いますと、今度東京都の副知事になった猪瀬君が、「昭和16
年の敗戦」という本を書いておりますけれども、あれが一番正しい判断だった
ろうと今でも思っております。日米が戦ったときにどうなるかということを、
全国の軍人、官僚、財界のエリート、そういった者を集めて日本国政府がシミ
ュレーションをやった。そういったときにどうやっても100%負けるといっ
たときに、東条英機氏が陸軍大臣で「それは日露戦争だってわからないという
のを、やってみて勝ったではないか。やってみなければわからないではないか」
という発言で結局抑え込んだわけですけれども、私は彼の分析の論文というの
は、そういう点では当を得ていたなと、今でも思っておりますから、そういう
点では昭和16年の真珠湾の攻撃に始まりましたが、私はその前の昭和16年
の夏のあの記録を、あれだけ模擬内閣を作って若手の連中が発表した、それを
もう少し受け止められなかったのかなと、あの戦争後に入ってからの進展を見
ておりましたら、とにかく南方を押さえることによって油は確保した、その油
を日本本土にどうやって運ぶのか、

運ぶ船が攻撃されて沈んだらどうなるのか
ということを、そういうところまで分析して結局結論を出したわけですけれど
も、その通りに結局なったわけですね。だからそういうのを考えますと、私は
やはり昭和16年の真珠湾の攻撃というのは、日本はやはりそういうことにつ
いての配慮が足らなかったのではないかという気がします。しかし過去のこと
をあの時ああすれば良かった、こうすれば良かったというのを、私たち戦後の
人間がいろいろ言ってみても、それは始まらないと思います。

お世話になりました。

以上


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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 ☆ 配信元:おきらく軍事研究会
 ☆ 発行責任者:エンリケ航海王子

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