グスマン前大統領の新党、ティモール再生国民会議(CNRT)など3政党・連合は交渉に入った。
【ジャカルタ4日時事】東ティモール議会選挙で躍進したグスマン前大統領の新党、ティモール再生国民会議(CNRT)など3政党・連合は4日、連立政権樹立に向けた交渉に入った。新首相にはグスマン氏が有力視されている。
選管当局によれば、開票率約90%の段階で、旧与党・東ティモール独立革命戦線(フレティリン)が第1党の座を維持したものの過半数割れ。これに対して反フレティリン陣営のCNRT、社会民主党・社会民主連合、民主党の2-4位連合が過半数を制することが確実となった。 7月4日15時0分配信 時事通信 ~~~~~~~~~~~~~~ 東ティモールは小さい島だけど、インドネシアから独立できたのだ。 (全島ではない。西はインドネシア。) グスマン氏は、独立運動でがんばった人。 東ティモールには、悲しい過去があるんだ。 昔の旧宋主国はポルトガル。 次はオランダ。 次はまた、ポルトガル。 その次は西がオランダ。 東はポルトガル。 太平洋戦争中は日本。 日本が敗戦したらオーストラリアが入ってきた。 それから、またポルトガルに。 そこで、マルクス主義の東チモール独立革命戦線という テロリスト集団が出てきたので、共産党が大嫌いな インドネシアのスハルトが我慢できなくて 2番目のリーダーであるシャナナ・グスマンを逮捕して ジャワ島に閉じ込め、西をとってしまった。 スハルトが大統領を罷免させられててハビビに代わり、 旧宋主国ポルトガルと同意書をかわして、東は独立することになった。 その時に、独立をするかどうか人民に問いただす選挙をしたのだが インドネシアは民兵を出して、かなりジャマをして大勢住民を 殺害し、難民が西に流れた。それでも、西洋や日本が選挙の際に 治安維持軍を派遣して選挙の際の治安を守った。 本当は、東ティモールはポルトガルのもので、日本軍が負けて 出て行ったときに、勝手にオーストラリアが入ってきただけで、 正式に日本からポルトガルに返されたわけではない。 台湾も、日本のものだったが、戦争に負けて一時的に誰のものでも ない状態になっていたところ、共産党に負けた国民党が勝手に 乗り込んできて乗っ取った。台湾人が大勢死んだんだ。 だから、台湾は日本が戦争に負けて去ってから、正式にどこかの ものになったわけではない。 台湾は元々台湾人の島なのだ。 勝手に国民党が、中華民国だと言っているが、チュウゴクは 中華民国はチュウゴクの代表では無いから、 台湾はチュウゴクのものだと勝手に国連で言い出した。 本当は正式には何も決まっていないのだ。
だから、ハビビが、旧宗主国ポルトガルと調印を交わしたのは けじめとして正しい行為だと思う。オーストラリアは正式に ティモールをとったわけではない。日本が戦争に負けて ティモールを出ただけなのだから。元々インドネシアの島でもない。 だから、ティモール人が独立したいと思うのは当然の話だ。
独立後、何の産業もない東ティモールは、外国の援助を得ながら 少しずつ国の形を作っていくが、外国の治安維持軍が帰ると 混乱が起きて、去年(2006年4月)は軍人がストライキを起した。 なかなか自立は難しいようだ。住民の90%以上はカトリック。 グスマン氏は、ティモールの独立を助けたカトリックの司祭と 仲が良かった人。南の海には石油が眠っている。 |