イランも香港も内側から臨終を迎えるのでしょうか?必読!!
ようちゃんが選んだニュース。↓
(必読ですよ~。by日本のお姉さん)
▼イラン各地で騒動(反政府組織 便乗か)ガソリン割当制が
生活直撃 し不満高まる(毎日 6月29日 朝刊)
[概要]イラン政府が27日に導入したガソリン割当制は、国民生活を直撃し、国内の不安定要因になってきた。導入に際して各地で起きた騒乱が、今後は反政府組織を巻き込んで拡大する可能性も否定出来ない。イランが最近、核開発問題やイラク情勢を巡る米国との対話に前向きな姿勢の背景には、米英などの経済制裁強化圧力と、ガソリン割当制への国民の不満が共振し、治安情勢に悪影響が出るのを回避したい狙いもある。
イラン政府が26日にガソリン割当制を発表して、首都テヘランで襲撃されたガソリンスタンドは19ヶ所で、80人が警察に拘束された。関係筋によると、若者らは携帯電話で仲間を集め、加勢を呼びかけていた。半政府組織「イスラム人民戦士機構」(MKO)が騒乱に便乗した可能性も指摘されている。今後、政府援助で低く抑えられたガソリンの購入は、自家用車の場合は1ヶ月100リットルに制限され、割当を越えた分の価格は5倍程度と予測されているが、ガソリン購入に必要な電子カードは行き渡っていない。
イランでは国民の移動手段はもっぱら車だ。生活必需品の輸送もトラックに依存し、ガソリン代の高騰はインフレに直結する。割当制導入当日、テヘランのタクシー料金は20~80パーセント上がり、生活必需品の値上がりに拍車をかけている。
イランではガソリン消費の急増に伴い、国家財政はひっ迫し、政府のガソリン補助金は8月までしか予算措置が講じられていない。さらに、「核問題で国連安保理がさらなる経済制裁強化を見越し、ガソリン禁輸に備えるため」という見方もある。その上、大渋滞が日常的なテヘランは「集団自殺的」と形容されるほど大気汚染が広がっている。ガソリン割当制は「待ったなし」の状況だった。
イランは最近、IAEA(国際原子力機関)に代表団のイラン派遣を招請し、疑惑解明への行動計画作成に合意した。イラク情勢では先月に続いて対米協議開催に積極的なシグナルをアメリカに送っている。これはガソリン割当制の導入に伴う国内経済の悪化を想定し、自国を取り巻く国際環境の改善を狙った外交的な動きと見ることが出来る。
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[最新情報のコメント]イランの核カードと弾道ミサイルカードの問題は、これから解決する方向で動きを加速するだろう。しかしイランはイスラエルに届く射程2000キロの弾道ミサイル・ハシャブ3の実験を成功させているという意見があると思う。だがイスラエル軍もテヘランを狙える弾道ミサイル・ジェリコ2を開発・配備しているので簡単に発射はできない。
むしろイランはイラクとアフガンの治安安定化に影響力を誇示して、米英の制裁緩和や国連の制裁解除を強く欲しがると思う。イラン革命防衛隊の戦略はその線で動いている様だ。
アメリカとしてもこのままイランで反政府勢力が活動を活発化させ、保守派との闘争で国内が大混乱(内乱状態)とするのは得策ではない。パレスチナ、レバノン、イラク、アフガンに次いで、イランまでも治安が悪化すれば、シリアやパキスタンの治安も保ててなくなる。地中海のレバノンからインド洋のパキスタンまで、戦火が広がればクルド問題やサウジ王制問題も大火事になる。
だから保守・強硬派のイランであっても、核問題が解決し、米英と関係が修復すれば、国際的には制裁解除や経済支援に向かうことになる。日本はそのつもりでイラン対応を急ぐべきと思う。
しかし世界で第2の産油国がガソリンさえも満足に供給出来ないとは、長期にわたる経済制裁は恐るべしである。同じ経済制裁を受けている北朝鮮は、日本で大使館の役割をしていた土地と建物(朝鮮総連中央本部)がハゲタカにだまし取られる寸前だった。北朝鮮が在日社会から吸い上げていた上納金(集金と送金)も大部分が断たれてしまったことになる。これも効果的な経済制裁の一手段である。
アメリカでは泥沼化したイラク問題が解決すると、これから軍事力よりも長期的な経済制裁の効果が注目されることになると思う。日本が今までのODAで鍛えた得意とする外交である。しかし日本ではアメリカなどの外資ファンドと日本企業との株式戦争が始まった。
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▼民主の臨終 (北京趣聞博)
■7月1日になり、香港が中国に返還されて10周年と
なりました。今、立法会大楼(議員会館みたいなもの)
にいって、帰ってきたところです。
午前零時にあわせて、李柱銘(マーティン・リー)氏
はじめ民主派議員たちが大楼のベランダにでて、1
日午後に予定している民主化要求デモの決起を呼び
かけていました
■ ウィウォントデモクラシー!ウィウォントデモクラシー!
とマイクで音頭をとります。
しかし、シュプレヒコールになりません。
写真でもおわかりのように、人がほとんど集まっていま
せんから。メディアをいれて50人くらいでしょうか。
■1997年7月1日の同時刻、この立法会大楼の
2階ベランダで、同じように李柱銘氏は、臨時立法会
反対の演説を行い「民主の危機」を訴えました。
あの日、土砂降りの雨にもかかわらず、多くの人が
このベランダの下に集まり、香港の自由を奪われること
への危機感にふるえ、李氏の演説に共感したのでした。
■しかし、今、小雨程度なのにもかかわらず、ほとんど
人が集まらず、デモックラシ~の叫びも、民主派の
断末魔にしか思えません。私は雨に濡れながら、ああ、
香港の民主の臨終に立ち会っているのだ、と少し感傷的
になってしまいました。
■産経新聞香港支局を自らの手で閉鎖して、北京に
異動してからまだ5年しかたっていません。
5年前、私が駐在していたあのころは、まだまがりなり
にも、「香港民主の危機」が新聞の記事みだしとして
成り立ちました。しかし、今や、日本の読者も、香港
市民自身も香港の民主運動に関心を持つ人はほとんど
いないみたいです。
■5年ぶりに、香港に取材で訪れた今回、私は、
昔結構気に入っていたホストと、久しぶりにあったとき、
すごくすれて変わってしまったような、がっかりした気持ち
になりました。北京にはたまにいるんです。
地方から出てきて、オレは金持ちになるんだ、
(外国籍などを買って)自由を手にいれて、いつか自分の
会社つくるんだ、って、がんばってホストやっている子。
(ちなみに、私はホスト遊びの趣味はありません。
民情取材ですってば)
■女王様がパトロンだった頃も、ホストは所詮ホストなの
ですが、身体まで売っていなくて、したたかながら前向き
なところも、理想もあったわけで、そういうところは好ましく
思うわけです。ところが、汚職で肥え太った成金で横暴な
独裁者の新しいパトロンに変わってから久しぶりにあうと
、すっかりホストの立場で満足して、いつか独立する、
自由を手に入れるといった夢なんて、もっているだけ
ムダ、それより、おとなしくしてかわいがられたら、
WHOの事務局長の地位も得たし、中国のお気に入り、
という立場で、国際社交界にも出入りが自由、おいしい
思いができるんだ、など言い出している…といったシチュ
エーションでしょうか。
■国際社会から、香港はうまくやっている、高度の自治も
認められている、すばらしいよ、と拍手していたとしても、
それはみんなパトロンと利害関係のある商売仲間だから。
■唯一無二、といわれた不思議な国際都市・香港は、
そうか、もう完全に消滅していたか、と感じました。
今、私が立つ場所は、中国の豊かな1都市・香港。
国際金融センターではなく、中国のオフショアセンター・
香港。唯一無二ではなくて、長期的な将来は上海や
深センも代わりになりうるのです。
■暴風雨で幕明けた1997年7月1日、人々はその雨を
自由を奪われることへの不安にふるえる香港の涙だと
いいました。2007年7月1日未明に降っていた小雨は、
民主の臨終を悼む感傷の涙でしょうか。
でも喪があけるのは意外に早く、日がのぼれば、泣いた
ことも忘れて、ただひたすら豊かさを追求する日常が
淡々とはじまるはずです。
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ようちゃんの意見。↓
★一国2制度は嘘だったようですねー.
まだ選挙が行われていない!!
香港だけで民衆の自治が行われるのは幻想だった
し香港の富はもう上海やアモイに移ってる.
香港人はもう諦めて銭儲けに邁進しますよ!