1000年息づく挑戦者のDNA“挑む心”が弱くなっていませんか?
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□1000年息づく挑戦者のDNA“挑む心”が弱くなっていませんか?
2007年6月29日 金曜日 宮田 秀明 (日経)
30年近く前の古い本だが、世界文化社が出した『美しい日本』の第10巻「瀬戸内の美」に作家の村上護さんが書いた面白い話が載っている。タイトルは「宇和海 ―― 段々畑と密航 ――」。一部を引用して紹介するとこんな具合だ。
~~~~~~~「昨夏、わたしが会った八幡浜の田淵朝秋さんは全長10メートル前後の帆船でアメリカに渡った1人である。その帆船は底引き漁の打瀬船という3本マストの和船で、それも廃船になったのを修理して使ったのだという。その話はおもしろい」 「明治以後、この宇和海一帯からアメリカに出稼ぎに行った人は多かった。けれど日米関係の悪化によって、やがて日本人の出稼ぎが禁止された。それでも行くとなれば密航するしか方法がなく、田淵さんたちも小船を仕立ててアメリカへ向けて出航したのだという。大正4(1915)年のことだ」 裏山の段々畑に芋ヅルをかついで登り、それを植えてから、アメリカへ出かけたんですよ。ちょうど46日ぶりに、アメリカに着きました。でもそれは無人島で、28日間もさまよい。そうしてようやく本土についたところを捕まえられて、日本へ強制送還されました。八幡浜のわが家にたどりついたとき、アメリカに発つ前に植えた芋を家人がちょうど掘っていましてね。ありゃあ、わしのアメリカ行きも芋一代じゃったなと言って笑ったものですよ」 (『美しい日本』第10巻(世界文化社)より)
もっと昔の江戸時代には、土佐の国出身の有名なジョン万次郎がいる。四国地方には、米国への密航者がほかにも多くいたようだ。以前、このコラムで日本人は海洋民族ではないと書いたことがあるが、南西地方の一部の人々は違うらしい。元寇で功績の大きかった河野一族は、当時の日本の海軍の主要な一部を担っていた。本拠地だったのは愛媛県松山市道後である。数年前発掘され再現された河野氏の城は、珍しい中世の城郭である。湯築城という。
1000年間受け継いできた海運ベンチャービジネスの魂
四国の海洋民族のDNAは今も健在だ。現在日本の船舶の25~30%は、松山から北へ40キロに位置する今治市とその周辺の中小企業が所有している。ある時代までは、内航船や近海船(アジア航路)が中心だったのだが、内航船の需要が低迷し、近海輸送を韓国や中国に奪われ始めた頃、国際原燃料輸送のための船主業へ進出したのだ。 2000~1万トン程度の船を所有していた中小企業が、8万トンのパナマックス船(パナマ運河を通航できる最大船)を2隻発注するといった投資を始めた。2隻で約100億円の投資だ。もちろん、大手海運会社による積荷保証や大手地銀によるファイナンスの支えがあるのだが、リスクを取って、日本の国際物流の重要な部分を担うのは彼らである。 今治周辺の船主が、中世に瀬戸内海で活動した村上水軍や河野水軍の末裔なのかどうかは分からない。しかし、約1000年の歴史を通して、海洋民族のDNAが続いているのではないかと思う。このDNAがなかったら、中世の水軍ビジネスモデルを1000年がかりで、海運ベンチャービジネスに発展させることはできなかったかもしれない。海運の世界は、大航海時代からの伝統を引き継ぐ欧州の船主と、ギリシャ、香港、台湾などの投機的な船主、そして原燃料輸送を得意とする日本の海運会社が、ほかの国際ビジネスと同じように、複雑な構図を作り、複雑なビジネス競争を繰り広げている。その日本グループの重要な一部を中世の水軍のDNAを受け継いだ人々が支えている。
日本が初めて世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ」に参戦した時、最初にレース艇を設計したのは、当時大阪大学の教授だったヨット界の重鎮、野本謙作先生だった。それからしばらくして、私が設計を引き継ぐことになったのだが、奇しくも野本先生と私のルーツは共通して愛媛県大洲市だった。水軍の本拠地に近いのには、何か見えない糸で結ばれた関係があったのかもしれない。
世界で一番厳しい海を1周する過酷なレース
ヨットレースにはたくさんの種類がある。アメリカズカップは、自動車レースの「F1」と同じように定められたコースで行われる。その対極にあるのが、コースを定めない外洋レースで、その極限が世界一周単独レースである。「アラウンドアローンレース(Around Alone Race)」とも言われる、たった1人で世界を1周する過酷なレースだ。 世界一周の定義は経度360度をクリアすることで、赤道の周辺をグルリと1周するというイメージとは違う。昨年から今年にかけて、白石康次郎さんが参加した「ベルックス5オーシャンズ」は、スペインのビルバオをスタートし、インド洋に面したオーストラリアのフリーマントルと米国東海岸のノーフォークに寄港して、ビルバオに帰る。つまり、インド洋や太平洋の代わりに南氷洋を航走して世界一周するのだ。航程にして約3万マイル(4万8000キロ)のレースである。 世界一厳しい海は、北太平洋と北大西洋、そして南氷洋である。ハワイ付近よりも南の太平洋は台風にさえ当たらなければ、結構穏やかな海だ。だから最新のヨットならば、平均時速50キロくらいで駆け抜けることができる。
しかし、世界一周レースの舞台になる南氷洋では、そんなことはできない。しかも、1人で航海するのだ。現代では、GPS(全地球測位システム)も通信も整っているので、昔のような孤独感は弱まっているだろうけれど、寝ているうちに氷山に激突したら、すべてが終わりである。普通は15人くらいが乗る長さ60フィート(18メートル)の大型船を1人で操船する。大型なので艇速も速く、米国からスペインまでの大西洋横断であれば10日くらいしかかからない。単独無寄港での世界一周最年少記録を持つ白石さんは、昨年から2度目のアラウンドアローンレースに挑戦し、この5月にゴールした。参加した7人中、完走したのは4人で、彼は見事2位に輝いた。所要時間は118日と1時間42分だ。 白石さんが初めて世界一周レースに参戦した時、壮行会に出席した。 「生きて帰ってこいよ」 参加者の気持ちを集約すれば、それにつきていた。太平洋プカプカ一人旅だけではなく、こうした挑戦者をぜひ応援してほしいと思う。 壮行会の前に、私の研究室に白石さんが訪ねてきて、こう言った。
「いつか将来は、僕の世界一周レース用のヨットを設計してください」 大変申し訳なかったのだが、私もアメリカズカップへの参戦を決めたばかりだったのでこれは叶わぬ夢だ。それどころか、アメリカズカップの反作用で、白石さんのキャンペーンの邪魔をする結果になってしまったこともあった。ヨットを応援してくれるスポンサーの数は限られていて、アメリカズカップの方を向いてしまうこともあったからである。
挑戦者を激励し、サポートせよもっと挑戦者を激励してサポートしてほしいと思う。これはヨットレースのようなスポーツの世界だけのことではない。芸術の世界だけのことでもない。ビジネスの世界でも同じである。
私たち日本人は、挑戦者を激励してサポートすることが苦手なのだと思う。ホリエモンやムラカミのケースは、確かにビジネスモデルはあまり高級ではなかったし、米国から借りてきたビジネスモデルを称賛するのはいかがなものかとも思う。ルール違反も、とがめなければならない。だが、彼らは挑戦者の側面も持っていた。挑戦する心まで指弾するようなことをしてはならないのではないか。 長い日本の歴史の中で、挑戦心が一番弱まっているのが、今の日本であるような気がしている。挑戦する人材を育てなければならない。挑戦する人を称えなければならない。挑戦の対象は、ビジネスの世界ならば、新しい商品モデルやビジネスモデルの創造であってほしい。 創造への挑戦を実行する人を称える。今、これが一番大切なことなのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 宮田 秀明 (みやた ひであき)1948年生まれ。1972年東京大学大学院工学系研究科船舶工学専門課程修士修了。同年石川島播磨重工業に入社、77年に東京大学に移り、94年より同大教授。専門は船舶工学、計算流体力学、システムデザイン、技術マネジメント、経営システム工学。世界最高峰のヨットレース「アメリカズ・カップ」の日本チーム「ニッポンチャレンジ」でテクニカルディレクターを務めた。著書に「アメリカズ・カップ―レーシングヨットの先端技術―」(岩波科学ライブラリー)、「プロジェクト・マネジメントで克つ」(日経BP社)、「理系の経営学」(日経BP社)など
ようちゃんの意見。↓
★海運ベンチャー1000年魂は3つの民族にしか流れなかった.
どれも内海に面した場所に恵まれて育った.四国瀬戸内海
(村上水軍の中でも四国松山市道後温泉本拠地の河野水軍)
香港・澳門のダウ船による中東までの海岸航路,鄭和海軍,
地中海のギリシア海軍この3つの海軍が千年の海軍が世界史の
最初から現代まで継続されてる脅威の海軍.
今も日本の海軍は瀬戸内海の江田島の自衛隊,大三島
(海の守り神・大三島神社)大三島商船学校,瀬戸内海には造船所
など集中してる.
1000年の都は世界で4つしか無い.
千年も都として現代まで継続してるのは,イスタンブール(オスマン帝国
のあったトルコ),ローマ(イタリアにあったローマ帝国),パリ,
(フランスのフランク王国)京都(天皇がいた帝都)です.
中国は易姓改革で遷都を繰り返してるから帝都と言う千年継続して
いる都市が無い!
イギリス,アメリカ,ドイツもロシアも1000年以上都市であり,
最高権力者が居続けてきた都市は存在しない!!
千年も続いてる古い歴史が今も在り続けてるモノと言うのは地球上でも
稀な出来事なのです.
日本の五重塔など,有形・無形で総合して都市機能を果たし,
時代変遷してもその国の最高権力者がいて政治の中心地を千年以上
も継続した都市を単一民族に近い形で,今日まで
残ってるのは日本だけです!皆が協力し合う精神と,
勇気或る挑戦者を応援し,支援する心がこの奇跡を成し遂げてきた
のです.今一度挑戦者を応援すると忘れた心を取り戻したいですねー.
足の引っ張り合いは競争社会でも,やはり可笑しいのです.