アメリカが日本による歴史の見直しの動きを不安に思うのは後ろめたいから?
下院決議は、アメリカが日本による歴史の見直しの動きを不安に思い、
感情的な反応をしてしまう理由は、後ろめたい部分があるからです。
(tora)より
◆慰安婦決議 米議会の「誤解」の根元を絶て(6月28日付・読売社説)
(前略)
事実をきちんと確かめることもせず、低水準のレトリックに終始した
決議案だ。米議会人の見識を疑わせる。
安倍首相は4月、米大統領や議会首脳らとの会談で、元慰安婦へ
の「心からの同情」と「申し訳ない思い」を表明した。
「20世紀は人権侵害の多い世紀で、日本も無関係でなかった」とも
述べた。
だが、こうした首相の発言も、決議案の採択見送りにつながらな
かった。
米議会で採択される数多くの決議の一つにすぎない。
法的な拘束力もない。従って、重く受け止める必要はない、という
指摘もある。
これは間違っている。反論することを控えれば、この誤った
「歴史」を独り歩きさせるだけだろう。
戦前、親やブローカーの手で、自らの意思に反して、慰安婦にさせ
られた女性は多数いた。しかし、これと、日本軍による、いわゆる
「強制連行」とは、明らかに意味が違う。
「軍や官憲による強制連行」を直接示す資料は、これまでの調査で
何も見つかっていない。政府は、今年3月の答弁書でも、この点を
明確にしている。
一体、対日決議案は、何を論拠にしているのか。
大きな拠(よ)り所とされているのが、1993年に出された河野官房
長官談話だ。そこには「官憲等が直接加担した」などと、
「強制連行」があったと誤って受け止められる記述がある。
当時、慰安婦問題での韓国側の圧力をかわすために考えられた
政治的文言が、その後、誤解を広げた根元にある。
安倍首相は、「河野談話」を継承すると言う。外交的配慮からだろう
が、その立場をとる限り、「強制連行」という誤解は消えない。
談話に誤りがあるなら、見直しを躊躇(ちゅうちょ)するべきではない。
麻生外相は3月、決議案をめぐる動きについて、「日米を離間
させる工作」と指摘した。背後で、中国・韓国系の反日団体など
が影響力をふるっている。
このままでは、謝罪要求が繰り返されることになりかねない。
筋道を立てて歴史の事実を明らかにしていくべきだ。
(2007年6月28日1時46分 読売新聞)
◆アメリカ下院慰安婦決議案 6月27日 KNブログ2
アメリカ下院の外交委員会で慰安婦問題での日本非難決議案が採択
されました。この決議案は以下の点で非常に問題のあるものだと
思います。
・日本を非難する根拠として「慰安婦狩り」のような事実誤認が含ま
れている点
・戦場売春婦についてはアメリカも設置していたことがあるのに
日本の場合のみ非難するというのはダブルスタンダードである点
・日本政府が既に自称被害者に対しては謝罪し補償も行っている
ことを無視しているという点
(もっとも、この謝罪自体が不要であったとは思うが)
・60年以上も昔の件で現在の日本政府の謝罪を求めている点
・アメリカはこの件は部外者であり、しかも対日要求があまりに内政
干渉的である点
まぁこんな決議は、仮に下院本会議を通ったところで無視しておけば
いいので、どうってことはないのであり、拘束力が無いからこそア
メリカ下院も平気でこんなバカげた決議を通すことが出来るのですか
ら、いちいち過剰反応する必要は無いでしょう。
また、慰安婦問題の真相についても、既に議論は尽くされていますの
で、今更コメントするつもりもありません。だいたい「歴史事実委員会」
がワシントンポスト紙に掲載した広告の内容において真相は言い尽く
されているでしょう。
ただ、今回のアメリカ議会のかなり感情的な対応を見ると、少し日米
関係が心配になってきます。
「歴史事実委員会」のような、単に「事実」を突きつけていくような手法
でアメリカの良識の発動を期待するというようなやり方は、どうも
アメリカを過大評価して、多くを期待し過ぎているのではないかと危惧
しています。
シナや韓国などとは違い、曲がりなりにもアメリカは日本にとって
同盟国ですから、もっと同盟国に対する愛情があってもいいのでは
ないかと思ってしまいます。アメリカには言論の自由もあり、個々の
アメリカ人は話せば分かる人達ですから、もっと粘り強く説得のための
話し合いを継続していくべきでしょう。
「説得」というのは単に「事実」を突きつけておしまいというものではあり
ません。例えば拳銃を持って人質を取って立て篭もっている犯人に
「お前の行為は刑法に違反している」とだけ告げても、こういうのは説得
とは言いません。違法行為であるという大前提は維持しつつも、犯行に
至る犯人の事情を聞き、犯人の感情を和らげる要素を見つけ出して、
そこを突いて懐柔や交渉を行って、犯人に自ら非を認めさせるまでに
持っていくのが説得というものです。
アメリカ下院の今回の暴走に対しても、「アンタらは間違ってるよ」という
「事実」だけを告げても、それを説得とは言わないのであって、逆に
下院議員たちは何か小馬鹿にされたような気になって、余計にムキに
なるというものでしょう。だいたい下院議員なんてものは田舎のボスの
ような連中で、妙に気位が高いものですから、あのような広告を見たら
カチンとくるのだと思います。まぁ今回はあの広告が掲載された時点で
は可決することは既定路線であったとは思いますが。
かといって、今まで誰も「事実」を主張しなかったからこそ今回のような
事態を引き起こしたのですから、「事実」を主張すること自体は必要な
ことではあったと思います。
しかしこれはあくまで長い目で見ての話です。
今回の決議案の採択を阻止するという点ではほとんど無意味、いやむ
しろ逆効果であったでしょう。ただまぁ、採択されても無視すればいい
だけの決議案なので、逆効果でもなんでも、長い目で見て「事実」の主
張を優先するというのも1つの見識であるとは思います。
ただ、私はやはり、そういうやり方というのはアメリカを突き放したよう
な印象、あるいはアメリカの良識に甘えているような印象も受けます。
本当に親身で対等なパートナーであるならば、このように「事実」だけ
告げて「後は自分で考えろ」と言わんばかりの態度ではなく、相手の
立場に立って濃密な話し合いをすべきだと思います。
今回のアメリカ下院の暴走の背景には、アメリカの知識人層における
「日本が過去の歴史を書き換えようとしている」という漠たる不安感が
存在しています。
例えば先日、日本において硫黄島の名称を「いおうとう」という本来の
読み方に改めるという動きがあった時に、アメリカでは「イオウジマ」と
いう海兵隊にとって馴染みのある名称が無くなってしまうことへの
反発が起き、アメリカ人は音読みとか訓読みという概念が分からない
のでこのような馬鹿げた騒ぎになったわけですが、こんな馬鹿
ニュースでも「日本が過去の歴史を書き換えようとしている動きの
一環ではないか」と怪しむ声が出てきたそうで、つまり日本人の想像
以上に、今のアメリカ知識人層では現在の日本社会における歴史の
見直し作業に対するアレルギー反応が強いということです。
現在のアメリカ社会をよく観察しているシナの工作員たちが、こうした
アメリカ知識人層の不安感を煽って、それを上手く利用して、今回の
決議を通そうとしているのが実情なのでしょう。
いや、むしろ決議を通すことそのものよりも、そのための運動を通じて、
アメリカ知識人層に対日不信感を根付かせることが狙いでありま
しょうし、またそうやって対日不信感を持つようになったアメリカ知識人
や政治家による圧力で、実際に日本における歴史見直しの動きを牽
制させることも大きな狙いでありましょうし、究極的にはそうやって
日米の間がギクシャクするようになることが狙いでありましょう。
このように書くと、まるで今回の「歴史事実委員会」の動きそのものが
シナ工作員の思う壷に嵌ったものであるかのように思われるかもしれ
ませんが、そのような深読みをして「事実」を表明することをひたすら
避けてきたのが日本外務省であり、戦後日本であったのであり、
結果的にそれこそが最もシナの思う壷であったということは今回に
至って明らかとなったわけですから、今回はこれで良かったのです。
やはり、いくら苦くても「事実」はアメリカ社会も重く受け止めなければ
ならないのであり、「事実」さえ明らかにしておけば長い目で見て敗れ
るということはないのです。ただ、その勝利というのは、今のような愚直
に「事実」のみを言いっぱなしにしておくだけという安易な手法では、
100年後や200年後になるかもしれません。まぁそれでも「事実」を隠し
続ける限り、永遠に勝利は得られないのですから、まだマシとはいう
ものですが、しかし出来るだけ早く決着をつけたいものです。
そのためには、今のアメリカの知識人層はいったい何をそんなに不安
に思っているのかについて知る必要があるでしょう。そのためには、
まず彼らとじっくり話し合うことが必要ですが、まぁだいたい察しがつく
部分を書きます。
おそらく、シナの工作員はアメリカの知識人層に「日本が過去の
歴史を書き換えようとしている」と吹き込んでいるのでしょう。
そのこと自体は別に嘘ではないのでいいのですが、おそらく
「第二次大戦の真の悪役はアメリカであるという歴史の書き換えを
しようとしている」と吹き込んでいるのでしょう。
実際、そのように主張する日本人もいますし、私自身、アメリカの行った
悪は確かに多く存在するとも思っています。ネット上などではそうした
意見のほうが多数派のようにも見受けられます。
おそらく、シナ工作員はそうした意見ばかりを抽出して、そういう
ものばかりを「日本人の大勢の意見」としてアメリカ知識人に
誇大に伝えて不安感を煽っているのでしょう。
日本でマスコミ報道などに接していても、例えば朝日新聞やNHKなど
が「アメリカの意見」という触れ込みで、やたらと偏った意見ばかりを
紹介したがるのをよく目にしますが、それと同じようなことをアメリカで
シナ工作員がやっていると思えば理解しやすいと思います。
アメリカは今、イラク戦争の泥沼に嵌っており、その正義は揺らぎまくっ
ています。このような状況で国民を結束させるためには過去の戦争
の栄光に縋るしかない状況です。
第二次大戦で世界に正義と平和をもたらしたという栄光にケチがつく
ことは許されないのです。ですから、日本における歴史の見直しの
動きには神経過敏にならざるを得ないのです。
今回の慰安婦決議案についても、「歴史事実委員会」などの日本側は
事実関係の間違いを指摘しているだけなのですが、シナ工作員がこう
した動きについても「ほら、また日本が過去の歴史を書き換えてアメリ
カを悪役にしようとしているよ」と吹き込めば、アメリカの知識人や政治
家は不安に思い、感情的な反応をしてしまうのです。
こういった誤解を解くためには、アメリカの現在の状況を理解した上で、
それでも日本の立場や主張を粘り強く主張し、じっくり話し合うことが
大事です。
そういった場が十分に足りているとはいえない状況です。
アメリカが日本による歴史の見直しの動きを不安に思い、感情的な
反応をしてしまう理由は、後ろめたい部分があるからです。
アメリカは日本に原爆を投下し、都市を無差別爆撃して、多くの
民間人を殺傷しました。また戦場では日本兵や日本の民間人に対し
て国際法を無視したような残虐な取り扱いをしました。
これらを全て正当化できなければ、アメリカが第二次大戦の悪役と
いうことにもなりかねません。しかし、例えば「アメリカ兵の犠牲を少な
くするためであった」などという戦略的理由ではこれらの残虐行為を
完全に正当化することは出来ません。
やはり「より大きな残虐行為を日本が遂行中であったので、それを止め
るために原爆投下などは必要だったのであり、もし原爆を投下しなけれ
ば、むしろ日本の残虐行為の犠牲者のほうが多くなったはずだ」
という理屈が必要なのです。
そのためには戦時中の日本が極めて野蛮で残虐な国家であったと
いうことにしなければいけないのであり、そのために南京大虐殺や
731部隊など、「日本軍がシナ大陸や朝鮮半島でとにかく酷いこと
ばかりしていた」という様々な物語が作られたのですが、どれもこれ
も作り話なので、検証不可能なものばかりで、そうなると細かな事実
認定などどうでもよくて、とにかく日本軍は残虐であるという
イメージが重視されるようになり、そうしたイメージを損なう事実は
全て忌むべきものとして排斥され、ヒステリックな反応を生むように
なってしまったのです。
だからアメリカの知識人にとっては「日本軍が慰安婦狩りをした」と
いう話は、その事実検証がいかに杜撰なものであっても、それは
好ましい話のように聞こえ、それを否定する意見は、それが客観的
事実に基づいたものであったとしても、排斥すべき好ましからざる話と
して受け取られるのです。
日本からの事実に基づいた反論が、アメリカを悪役に貶めようとする
陰謀を背景とした意見であるというふうに、アメリカの知識人に吹き込
んでいる者がいるのであろうし、そうした讒言を心地よく思う心性、
負い目が元来アメリカ知識人層にはあるのです。
では、どうすればいいのか。
まずはアメリカ人を安心させてあげることから始めるべきでしょう。
日本人は決してアメリカを断罪するために歴史を見直そうとしている
わけではないということを明確に伝えるべきでしょう。
まず、現在の日本が第二次大戦をどのように捉えているのかについ
て整理する必要があります。これが十分になされていないから、
アメリカ人とちゃんとした議論が出来ないのです。
第二次大戦については、極端な自虐史観が長らくスタンダードであり
ましたが、これは客観的事実をあまりにも無視した部分が多く、一種の
宗教のようなもので、まともに信じられるようなものではないし、もしま
ともにこんなものを信じてしまえば思考は硬直化してしまい、深まった
議論など不可能になってしまいます。
ですから自虐史観を口にする者には2種類あり、1つはコチコチの反日
主義者で、これはカルトの信者のようにお題目を繰り返すのみで議論
そのものが不可能であり、もう1つは政府関係者のように、とりあえず
口先だけ自虐史観を尊重しているように見せて、上辺だけの謝罪や
反省をしてトラブルを避けることばかり考えている連中で、全く魂がこ
もっていないわけですから議論をする気持ちすらありません。
そうした自虐史観があまりにも酷いものであったために、それに対する
強烈な反動が生じて、自虐史観の否定している価値観を全て肯定して
やろうというような、これもまた多分に感情的な史観が生じてきました。
これは第二次大戦が日本によるアジア解放の聖戦であったかのような、
まさに戦時中のプロパガンダそのもののような史観で、これも客観的事
実を無視した部分が多く、これを信じる者はカルト信者のようになりがち
です。
この聖戦史観の側の主張がシナ工作員によってアメリカ知識人に
伝えられ、アメリカ人の精神を不安定にさせているのです。
もちろん、今の日本がそんな極論主義者ばかりの集まりというわけはな
く、例えば今回の件については最も多数派であるのは「強制連行など
していないのに謝罪する必要は無いんじゃないの?」という程度の素朴
な疑問を抱いている人達でしょう。
ただ、こういう穏健な人達の拠って立つべき史観が存在しないのが
問題なのです。存在しているのは極端な自虐史観か、極端な聖戦
史観であり、どちらも極論なのです。
だから、いざ歴史観の絡んだ論争になると、結局はどちらかの極論に
収斂されていってしまうのです。もちろん、これらの極論のどちらにも
与しない冷静な歴史研究をなさっている学者や歴史家の方達は存在
しますが、これという決め手となるものがありません。
それはやはり第二次大戦について国民的議論が深まっていないから
でしょう。何故深まらないのかというと、この話題について議論が始ま
ると、必ず先述の2つの極論主義者が割って入ってきて、議論を
グチャグチャにしてしまうからです。
しかし、これからアメリカ人とじっくり議論をしていこうということになれ
ば、こうした極論は排して、もっと穏健で冷静な歴史観を国民が広く
共有しておく必要があります。そのための土壌作りから始めることが
今は喫緊に求められているといえるでしょう。