当時の一般的な考えは最期は潔く死ぬという事であった。
高志さんのコラム 「国民年金の花柳な生活」
2007/06/23は沖縄慰霊の日
沖縄の戦闘が終わった事を大本営が発表したのは25日である。
だが、この時の記憶が私には無い。
ドイツの降伏は校庭で聞いたが、沖縄の時は校庭が塞がっていた
(軍隊で)のか、他の理由があったのか思い出せないのである。
ただ、日本軍は玉砕しても、後に残された数多くの沖縄県民はどう
なったのか気になった。
その内に米軍管理下のキャンプで生活する住民の姿や、働く住民の
写真がB-29の宣伝ビラで日本本土にも伝わる様になった。
そういうビラを拾っても読んではいけないし、人に知らせてもいけない事に
なっていた。しかし、隠しても真実は伝わるものである。
サイパン島も硫黄島も小さい島なので、戦闘の始まる前には殆どの
住民を疎開させ心置きなく戦っている。それに引き換え、沖縄では
至る所に住民が居り、それを巻き添えにしながら戦わなければなら
なかったのである。この様な状況の下で軍の関与が有ったか無かったか
などと議論する余地は無い。
新聞の論調を見ると今日の記念日と教科書検定問題を絡めて3社が
社説に取り上げている。
朝日新聞は3,4日前からこの問題をキャンペーンしていたが、
沖縄県議会の意見書可決に伴って、検定の撤回を要求している。
毎日新聞も朝日に同調しているが一層情緒的である。
これに対し産経新聞は《沖縄戦集団自決 文科省は検定方針を貫け》と
明快だ。
《県議会で与党最大会派の自民党までもが国の検定方針に異を唱えたこと
は残念であり、沖縄県の特異な政治状況をうかがわせる》と続く。
朝日、毎日の主張は教科書検定の撤回が目的で「集団自決」の真相
究明ではない様だ。
《集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。
慶良間諸島だけで犠牲者は700人にのぼる》という朝日が、悲惨な証言
の例として挙げた元沖縄キリスト教短大学長の金城重明さんの話は
《集団自決の現場で、手投げ弾が配られるのを見た。手投げ弾は
自分にまで回ってこず、母と弟妹を自ら手にかけて殺した。
「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語る》と
単純化しているが、曽野氏の著書では金城さんとの会話は
10数ぺ-ジに及ぶ。
事実を単純化し、自分達に都合の良い所だけを取り出す手法は
沖縄戦記ではしばしば見られる。
例えば「この壕を出て行け、と壕から追い出された」という記事は如何にも
非情に聞こえるが、その時の状況によっては断る方が正しい事もあるのだ。
国際法上、軍と一緒の民間人はゲリラと看做されるからである。
却って射殺される危険が増す。
その時、兵士はどんな言葉で言ったのか。「入るな。あっちへ行け」と言う
だけでは住民には真意は伝わらない。
しかし、何故、危ないのかと諭す様な時間があったか如何かも分からない。
赤松隊員の証言では敵弾に追われた住民が、
泣きながら陣地に雪崩れ込んで来てどうしようもなかったという。
その陣地にしても敵の砲撃が始まって、自分達の身を守る1人分の
蛸壺を掘る事から始めている。
しかし、スコップが無くて牛蒡剣(兵士が腰につける短剣)で掘った者も
いたのだ。
頑丈に構築された「砦」ではないのである。
《軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記
「鉄の暴風」に書かれ、大江健三郎氏の「沖縄ノート」などの本に
孫引きされた。多くの教科書もこの軍命令説に基づいて書かれていた。
しかし、作家の曽野綾子さんが「鉄の暴風」の記述に疑問を提起した
ノンフィクション「ある神話の背景」を出したのをはじめ、学者らによる
実証的な研究が進められた結果、軍命令説は信憑性を失った。
また、集団自決当時の女子青年団員や沖縄の元援護担当者らから、
軍命令はなかったという証言が相次いでいる。》(産経)
物事を論ずる時は良く調べ、時代を考証し、先入観を取り払って、
感情に流されない事が大切だ。
それでも、しつこい朝日新聞は先程配達された夕刊のトップに
「集団自決母は拒んだ」と言う見出しで記事を載せている。
今まで何回も語りつくされた話だが、渡嘉敷の村役場に20名程の
村民を集めて兵器係の軍曹が2発ずつ手榴弾を渡し、「1発は敵に、
1発は自決する為に」と命令したと言う。
折角だがこういう記事には「ああ、そうですか」と応えるしかない。
村民の中でも17才以下の男子だけであったらしい。
私でもそうだったが、何らかの役を持たされる。
その上、この話は「又聞き」である。
それに軍曹の訓示は「命令」ではない。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20070623
2007/06/22 (金) NHKの真実
昨夜のNHK「クローズアップ現代」は《沖縄戦「集団自決の真実」は》を放
送していた。この番組は滅多に見ないがテーマが「集団自決」なので
最後まで見た。
問題提起の理由は先頃の高校教科書検定で軍命令による集団自決の部分
が書き改められた事に疑問と危機感を持って製作されたものだ。
現在、沖縄では教科書から軍命令による集団自決の歴史が消される事に
県民の反発が起こり、各地で撤回を求める運動が起きている。
番組には梅沢元少佐も登場したし、渡嘉敷島の整備された「集団自決」の
現場も映し出された。
渡嘉敷島では体験者に事実を聞いて歴史に残そうという運動が行わ
れている。
その一人、生き残った85才の女性は、母親と避難の途中に出合った
兵士に手榴弾を渡され「これで死になさい」と言われたと証言する。
又、別の村人は「男は耳や鼻を削がれ、女は強姦してから殺される。
若し敵に出会ったら潔く死になさい」と言われたという。
手榴弾を手渡されても、それだけで軍の命令だったと言うのは正確で
はない。
生き残った人の話では不発弾が多かったという。
不発ではなく正しい使用法を知らなかった為ではないか。
安全ピンを抜いただけでは破裂しない。
若し「死ね」と言う命令であれば正しい使い方の説明も有った筈である。
結局NHKは何を伝えたかったのか、良く分からない結末だ。現実に起きて
いる事態は教科書の検定を巡って「間違い」を糺す事と、明らかに間違って
いる2名の軍人の汚名を雪ぐ事である。
軍の命令が有ったか如何かについては、少なくとも今までの調査で
ハッキリした証拠は出ていない。皆、憶測であり、風説を積み重ねたものだ。
証言から得られたものは村長や役場の偉い人から発せられた「命令」ばか
りである。
しかし、正式な命令ではなくとも兵隊の口から自決を迫られた事はあるの
かも知れない。又、度々書いている様に当時の一般的な考えは最期は潔く
死ぬという事であった。
宮城恒彦氏の証言。「日本軍の居た所で集団自決が起きた。体験者の
言葉から真実を読み取れ」は何を言わんとしているのか。
国谷キャスターは真文仁の丘の慰霊碑の前で大城将保「沖縄県史
編纂委員」と語り合う。
大城氏は「集団自決を殉国美談に変えるな」と言う。あの様な時代を批判し
再来を防ぐ考え方は正しい。
しかし、その為に実際は無かった軍命令を有ったという様な解決方法は
歴史を歪曲するものだ。
http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=514369&log=20070622
【「国民年金の花柳な生活」より http://www5.diary.ne.jp/user/514369/
】
◎◎◎ 編集雑記 ◎◎◎
毎号コラムを紹介している高志さんのサイト「国民年金の花柳な生活」
( http://www5.diary.ne.jp/user/514369/
)では、継続して取り上げられて
るテーマが幾つかあります。そのひとつが「沖縄戦」です。
高志さんは、問題意識をもってこのテーマに取り組んでおられます。
今回マガジンで紹介したのは、「最新の沖縄戦モノ」といったほうが
正確です。
沖縄戦について戦後社会が伝えてきたことは、映画や本も含め、その
ほとんどが左翼思想に基くプロパガンダだったことが明らかになって
います。
何かヘンだぞ、とは思いながらも当時を知るすべのないわれわれにとり、
高志さんのような、当時の一般国民の雰囲気を知る方が伝える正論は、
なにものにも変えがたい財産と思います。
その価値は、これから時を追うごとに高くなってゆくことでしょう。
(エンリケ航海王子)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
☆ 配信元:おきらく軍事研究会
☆ 発行責任者:エンリケ航海王子
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日本軍が命令したのではなくて、アメりカ軍に強姦されて殺されるより
自決しなさい。その方が辱めを受けずに死ねるからという当時の
一般的な考えがあったから、手榴弾を手渡されたのだろう。
中には日本兵が手榴弾を配った地域もあったのだが、当時の
日本兵や村役場の人間は、善意で手榴弾を配っているはずだ。
今の日本人には考えられないことだけど、昔は、それが当たり前だった
のだ。日本兵や村役場の人が悪いというより、沖縄の人をそこまで
追い詰めたアメリカも悪いのではないか?
日本を戦争に持っていったのはアメリカだし、勝ち目が無いのに
一か八かで戦争を仕掛けたのは日本だ。そういう状況に持っていったのは
チャイナでもある。日本が満洲にいるのが、我慢がならなかったチャイナは
ロシアや共産党の力や、アメリカ、ドイツなどの力を借りて日本を
満洲から追い出しにかかった。満洲はチャイナの持ち物ではなく、
ロシアのものだったし、清国の故郷だった。
そんなことはどうでもよく、チャイナは日本が満洲を独立させることを
許せないと考え、アメリカと組んで日本と戦った。
日本は、自衛の戦争をしたのだ。
そういう時代だったのだから、今さら日本兵や村役場の者が自決のために
手榴弾を配ったことを、「日本軍が命令した。」というのは、おかしいと思う。
日本軍は命令していない。
敵に捕まって強姦されるより、死を選ぶのが当たり前の時代だったのである。
手榴弾を配っておきながら、その日本兵がアメリカの陣地に降伏に行く様を
見た金城重明さんは、その時「騙された!!」と思ったそうだ。
自決しなくても、降伏すれば沖縄の人は強姦もされず、惨殺もされなかった
のだ。しかし、一般人の後ろからアメリカ兵は銃撃を浴びせて、一般人が
日本兵が隠れている場所に行くように仕向けるとはなかなか汚いやり方だと
思う。アメリカ兵は洞窟の中に手榴弾を投げ込んで、大勢の沖縄の人を
蒸し焼きにしたそうだ。日本兵も塹壕になだれ込んでくる一般人に対して
「あっちにいけ!」と言って追い払ったそうだが、戦場でそんな状況に
陥ったらそれぐらい言うかもしれないではないか。
戦争の時は、一般人も日本兵も必死だったのだから、沖縄の人も酷い目に
あったと思うが、沖縄に送られた日本兵も酷い目にあったのだ。
戦争とはそういう悲惨なもので、戦争にならないように日本は外交で戦わね
ばならない。チャイナにうまいことアメリカ人が日本を嫌うようにされて、
外交でうまく戦えなかったから、戦争になったのだ。
だから、普段から外交をしっかりやれと言いたい。
情報を集めて、ちゃんと工作をして、チャイナやアメリカなどの外国に
自国の利益を損なわれないように日頃から活動しないといけないのだ。
最近読んでいる「南京の真実」という本によると、日本人が上海の租界で
20万人のシナ兵に囲まれているのに、日本は情報活動をまったく
行っていなかったのだ。
シナの情報に関わる仕事をしている者がいなくて、一般人の有志に
情報を聞いていたのだ。
情報をつかめていなかったので、シナ軍が待ち構えている場所に上陸して、
酷い目にあっている。
昔から、日本は情報を集める活動には疎かったようだ。
2007年の今でも、日本はアメリカのCIAやFBIやイスラエルのモサドや
英国の女王陛下の007のような機関を持っていないのだ。
スパイも自由に活動しているし、スパイを取り締まる法律すらもないのだ。
どうなっているの?再度、チャイナに工作をされてアメリカが日本を嫌うように
されたら、今度は日本は軍隊が無いから戦争もできずに、チャイナに取り
込まれてしまうかもしれない。歴史に学んで賢くならずに、チャイナに同じ
ことをされているので、なんだか笑える。