米国下院の慰安婦決議をサッカー試合と考えて戦略を考え見よう・・例え話をよく読んでね♪,
ようちゃん、お勧めブログ記事。↓
▼マリーシアと日本人 (外交と安全保障をクロフネが考えてみた)
私はサッカーが好きで、日本のチームが全くからまないカードを含めて
試合をよく観る。
これについて「意外ですね~」と周りから言われることも少なくない。
国際サッカー連盟(FIFA)に加盟している国は、国連加盟国よりも
多いとは良く言われることだが、「11人で、手を使わずに相手より一つでも
多くゴールした方が勝ち」という単純なルールのせいか、サッカーは世
界で最もポピュラーなスポーツであり、 単純なルールゆえに、
各国・各民族ごとのサッカーに対する理想像・価値観・美意識というものが
如実にあらわれて、興味はつきない。
サッカー場の芝生の上で起こっていることは、スタジアムの観客席で
起こっていることと深く関係があり、観客席で起こっていることは、
そのスタジアムがある都市・国の出来事と深く関係しているのである。
これは日本とて例外ではない。
日本のチームがやるサッカーにも、日本人なりの価値観・美意識・文化が
しっかりと反映されている。
日本のサッカーの特徴は、何といっても「技術へのあこがれ」だと思う。
選手が華麗な個人技を見せたとき、観客席が「ウォー!」と沸くし、
得点までのプロセスを重視し、中盤で技術を駆使した細かいパスワークで
攻撃を組み立てていくのも日本の特徴である。
サッカーにおいても「巧みの国・日本」である。
その点、伝統的な韓国・中国のサッカーはプロセスよりも結果重視、
後ろの守備選手からロングボールを前方へドカーンと蹴って、
中盤の攻撃を省略、放り込まれたボールを前線の点取り屋が何とかする
という、おおざっぱなサッカーだった。
日本と、韓・中のサッカー哲学には大きな違いがあって、日本海・東シナ海
には深いミゾがあった。
(現在、サッカーの世界でもグローバル化が進んでいて、かつてほど
文化的・民族的特徴が見られなくなったが)
ところで、日本人のサッカーへの美意識・サッカー哲学にも昔は大きな
問題点があった。 それは「何でも正攻法・バカ正直で、ズル賢さが
決定的に欠けている」ということである。
サッカー大国ブラジルの選手・監督は、しばしばそれを「日本人には
マリーシアが足りない」と言う。
1993年、ワールドカップ(W杯)アメリカ大会のアジア最終予選が
カタールの首都・ドーハで開かれた。
最終予選に勝ち残ったのは、日本・サウジ・イラク・イラン・北朝鮮・韓国の
六カ国。 総当りのリーグ戦で上位2チームがアメリカワールドカップへの
出場権を得ることになっていた。
日本は、サウジと引き分けイランに負けと序盤は苦しんだが、
北朝鮮・韓国を立て続けに撃破、最後のイラク戦を控えた段階で、
2勝1分1敗・勝ち点5・得点から失点を差し引いたもの
(ゴール・ディファレンス)が+3で予選トップにつけていた。
サッカーのリーグ戦は勝ち点で優劣を決める。
93年当時は勝利で勝ち点2、引き分けで勝ち点1、負けで0である。
勝ち点が並んだ場合、ゴール・ディファレンスの数字が上回った方が
上位になる) 2位はサウジで勝ち点5、ゴールディファレンス+1で
日本より下、3位が勝ち点4の韓国だった。
最終戦のイラク戦は点の取り合いとなったが、試合終了まであと数分の
段階で、日本が2-1とリードしていた。
イラクは何としても追いつくべく必死の攻撃を繰り返していた。
ドーハ市内の別のスタジアムで同時キックオフとなった、サウジ対イランと
北朝鮮対韓国は、それぞれサウジと韓国がリードしていた。
この時点で、日本はイラクにそのまま勝てば、史上初のW杯出場が
決まる。 引き分けだと、サウジに勝ち点で抜かれ、韓国には並ばれる。(
日本6 サウジ7 韓国6)
しかも韓国が北朝鮮に3-0とリードしていたから、ゴール・ディファレンスが
+5となり、+3の日本を上回って2位となってしまう。
日本は絶対に勝たなければいけない状況だった。
この状況で、試合終了数秒前で、イラクの同点ゴールが決まってしまう。
有名な”ドーハの悲劇”というやつである。
失点の瞬間、日本の選手たちはバッタリと芝生に倒れ、その直後に
試合終了、日本のワールドカップ初出場の夢は消え去った。
しかし、私は悲劇でも何でも無いと思う。
これは必然であったとさえ思えるのである。
試合終了が近く、日本が2-1とリードしていた状況で、日本はイラクから
ボールを奪い返すと、バカ正直にもイラクゴールへと攻め込んでいた。
試合終了直前に、日本がリスクを冒して攻撃して、3-1で勝とうが
4-1で勝とうが10-1で勝とうが、もらえる勝ち点は2のままである。
リスクを冒した結果、同点ゴールをくらい、引き分けにしてしまうと
勝ち点は1。 こうした状況で日本がリスクを冒してイラクゴールへと
攻め込むのは、せいぜい「相手を攻め立てて気分が良かった」程度の
効果しかない。
だが日本の戦略目標はワールドカップに出ることであり、そのためには
勝ち点が2必要だった。
引き分けでもらえる勝ち点1では戦略目標は達成されないのである。
そして、日本がイラクへ攻め込んだところでボールを奪い返されて
逆襲をくらい、コーナーキックを与えるピンチを招いた。
そのコーナーキックから、日本は痛恨の同点ゴールを浴びたのである。
むかしむかし、まだ日本のサッカー界が、良く言えば純粋でまじめで、
悪く言えばナイーブで国際経験が無かったころのお話である。
これとは対照的に、ブラジルやアルゼンチン、スペインやイタリアと
いったラテン国家には「ずる賢く、要領良くやった者が勝ち」という
文化がある。
前述のように、ブラジル人はポルトガル語でマリーシアと呼ぶ。
ブラジルやスペインといったチームが日本のような状況に置かれたら
どうするか、ご存知だろうか?
試合終了間際で、勝てばワールドカップ、引き分けではダメといった場合、
10点差で勝っても1点差で勝っても勝ち点は変わらないのだから、
彼らは、律儀にバカ正直にリスクを冒して相手ゴールへ向かって
攻めたりはしない。
サッカーの競技規則には、ボールを奪ったら絶対に相手ゴールめがけて
猪突猛進しなければいけない、とは書いていないのである。
ボールは1個しかないのだから、こちらがボールを持っている間は、
相手が攻撃することはできない。
攻撃できなければ、こちらが失点することも無い。
もちろん攻撃してシュートすれば得点する可能性が生まれる。
しかしシュートが外れれば相手ボールとなってこちらが失点する可能性も
ゼロでは無くなる。
だが、こちらがボールを保持している限り、失点する可能性はゼロである。
よって彼らは、相手からボールを奪うと自分のゴールから一番遠いところへ、
特に相手陣地のコーナーフラッグ付近へとボールを持って行く。
ボールを奪い返して早く同点にしたい相手がたまらず寄って行くと、
相手の足にわざとボールをぶつけてコーナーキックを得る。
攻撃するようなことはしない。
彼らは再び、コーナーフラッグ付近へとボールを持っていって、
相手が寄ってくれば相手の足にボールをぶつけてコーナーキックにする。
ひたすらこれを繰り返して、審判が試合終了の笛を吹くまで時間を
浪費させるわけである。
これがラテン的ズル賢さ・マリーシアである。
マリーシアの根底にあるのは、彼らなりの価値観・美意識・文化である。
こうしたズル賢さというのは、ラテン国家に限らず世界に存在するし、
異民族と貿易や戦争を繰り返してきた国、あるいは多民族国家では
身についている。
ヨーロッパではイングランドやドイツといった非ラテン国家でも、
ラテン国ほどでは無いにしても、したたかさがあり、相手のそれに対処する
方法を経験上身につけている。 いろいろな民族が集まって出来たアメリカも
、旧大陸ほどではないかもしれないが、最低限度以上のことは出来る。
イングランドにしろアメリカにしろ、異民族との交流を重ね、そういった
”したたかさ”を身につけてきたからこそ、覇権国家となれたのであろう。
それでもマラドーナの”神の手”事件や、シメオネの挑発で退場させられた
ベッカムのように、イングランドはW杯で過去数回、アルゼンチンの
マリーシアには痛い目にあっていて、2002年大会・札幌ドームの試合で、
イングランドはようやくアルゼンチンにリベンジを果たした。
アジアでも、長いこと異民族と切った貼ったやってきたアラブ国家や
イランのサッカー選手には、やはり”したたかさ”があるし、
中国人・モンゴル人・女真人そして日本人に支配されてきた韓国の選手に
も、いつだったかご紹介したように、プレー中の密集状態のとき審判の目
の届かないところで、日本やイランの選手の太ももを隠し持っていた
ツマヨウジなどで突き刺して相手を動けなくしたり、
ジャンプの高さでかなわない相手選手のヘディングシュートに対しては、
相手より高くジャンプしてそれを防ぐのではなく、相手がジャンプする瞬間に
相手の足を踏んで、ヘディングシュートを打てなくするといった、
韓国特有のズル賢さがあるのである。
韓国特有のズル賢さは、外交や文化・個人の行動様式にも見事に
反映されているように思える。
サッカーの世界では、こういったズル賢さを含めた知恵比べが繰り広げられ、
場合によってはマラドーナの”神の手”事件のような明らかなルール違反でも、
被害者側が抗議しても受け入れられず、誤審によって罰せられないことも
ある。
正しい者の言い分が必ずしも認められず、正義が勝つとは必ずしも
言いきれない不条理な世界である。
それは現実の国際社会と極めて良く似ている。
私はこれについて必ずしも良いこととは思わないが、現実にそうなんだし、
感情的になって腹を立てることも無い。
現実をありのままに受けとめ、対策を考えるだけである。
90年代の初めは、日本でようやくサッカーのプロ化が実現し、
世界と遭遇したばかりのころだった。
それまで日本でサッカーと言えば、限られた人しか見ないスポーツで、
サッカー後進地域であるアジアでさえ、トップクラスとは言えず、
今では信じられないことかもしれないが、北朝鮮やタイ、香港あたりにも平
気で負けたり引き分けたりしていた時代が長かった。
プロリーグが発展したことでドーハ以後の日本は強くなり、
海外のクラブチームと契約し、海外リーグで活躍する選手も複数出てきた。
日本の選手が世界の強豪との対戦で経験を積むチャンスが増えてからは、
日本の選手も”したたか”になり、最低限必要なマリーシアを身に
つけるようになった。
これも日本が国際交流を強化し、他民族・異文化との接触を増やした
おかげである。 サッカーの世界が不条理だから」「自分の正当な抗議が
受け入れられなかったから」といって腹を立て、短気を起こして国際サッカー
連盟を脱退し、日本チームが国内に引きこもっていたら、こうは
ならなかったであろう。
それでも戦術が一本調子で、柔軟さに欠けているとは、良く言われる
ことだが。 強いチームが相手の時には無理して攻めずに我慢して守り、
相手がうかつに前へ出てきて手薄になった守りの裏をついて逆襲から
ゴールするといったカウンター戦術は、東欧諸国やアラブのチームが
本当にうまい。
「何でも正攻法、悪く言えばバカ正直で、ズル賢さと頭脳の柔軟さに欠ける」
という日本人なりの価値観・美意識・文化が生み出した問題点も、
国際交流が進んだサッカーではかなり改善された。
ただ、これは自戒をこめて言うが、外交や安全保障・国際ビジネス面では、
まだまだ経験不足なのではないだろうか。
まだまだ日本人は”したたかさ”そしてマリーシアが足りないのではない
だろうか。
”ドーハの悲劇”を演じてしまった日本代表チームのように。
日本が世界を圧倒する超大国というなら、正攻法一本やりで押し切っても
良いだろうが、事実はそうではない。
だからといって”神の手”のようなルール違反を奨励するわけでもないが、
マリーシアのような柔軟な頭脳・心の余裕を持って、国際問題にあたることは
必要不可欠だと思う。
国際社会が不条理だからといって、いちいち腹を立ててみたり、短気を
起こしてみたところで何も問題は解決しないだろう。
「アングロサクソンはズルくて嫌い」なんて、いちいち腹を立てているよう
では、ズル賢さではそれより数段上手の中国人・南北朝鮮人に、
どうして日本が打ち勝てるだろうか。
いくら経済力があっても、それでは国際社会の大国として切った貼った
やっていく資格は無いと思う。
今一番大切な国益は何か、それを実現するために実行可能な手段は
何かを、冷静になってもう一度よく整理することである。
さてアジアで”ドーハの悲劇”が起こった93年秋、
欧州では”パルク・ド・プランスの悲劇”が起こっていた。
W杯アメリカ大会欧州予選・6組の最終戦フランス対ブルガリアが、
パリのパルク・ド・プランス競技場で行われた。
本拠地でのゲーム、そして引き分けでもフランスがW杯行きという
有利な条件の中、試合が終わるほんの数秒前に決まったブルガリア
・コスタディノフの逆転ゴールで、フランスはW杯行きの希望が
断たれたのである。
この時のブルガリアは、決して弱いチームではなく、 というより、
ストイチコフ・コスタディノフ・ペネフの破壊力抜群のスリートップを
擁する「悪魔のようなチーム」だった。
94年アメリカW杯でも4位になっている。
当時のフランスも強豪と言われながらなかなかW杯で優勝できず、
どこかに、ひ弱さみたいなものがあったような気がする。
94年大会出場を逃したフランスだが、自国開催となった次の98年大会では
見事W杯初優勝をなし遂げ、リベンジに成功している。
2000年の欧州選手権も制し、06年W杯では準優勝している。
さて、日本はリベンジできるだろうか。
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”神の手”事件
1986年サッカーワールドカップ準々決勝アルゼンチン対イングランド戦に
おいて、アルゼンチンのマラドーナ選手がイングランドのゴールキーパーと
交錯しながらルールで禁じられている手で、ボールをゴールへ叩きこんだ
事件。
審判はマラドーナの”ハンド”を確認できず、アルゼンチンの先制ゴールは
認められた。 だがTVカメラによってマラドーナのハンドがバッチリと
映し出されていたが、 当のマラドーナは「あれは神の手と、
自分の頭から生まれたゴールだ」と悪びれもせずコメントした。
試合は2-1でアルゼンチンの勝利に終わり、同大会で二度目のW杯優勝を
勝ち取ることになる。
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ようちゃんの意見。↓
★何時でも米国など潰せる!米国債を売ればよい!
だが世界は同時に「大恐慌」が訪れる.
米国のドルは崩落,直ぐに中国が崩壊
そして世界は大混乱する.
最終は米国のドル機軸通貨体制は崩壊し,WTO,やIMFも崩壊する.
世界が大混乱を起こします.
ソフト・ランディングして ゆっくりと通貨バスケットを 3つ位の
通貨で決済する方向に変化させる方が良いのです.
明暗を分ける名案を戦略的に取らねばならない.
第一歩は日本国内の憲法改正,
国軍のしかっりしたスタンス, 次は物言う外交です.
そして経済で締め上げる!
ゆっくりと確実に米国のユダヤ金融も,じっくりと始末すれば良い.