どうでもいいかもしれないけど面白い記事
ようちゃん、お勧め気になる記事。↓
▼ワシントンDC:共産主義の犠牲者追悼記念碑完成
ボランティアが脱党ブームに注目するよう呼びかける
(明慧日本)
2007年6月12日午前、米国ワシントンDCで共産主義の犠牲者
追悼記念碑の完成式が行われた。
米国ブッシュ大統領は演説で「共産主義は20世紀の間世界中で
一億もの罪なき命を奪い、中国だけでも数千万の犠牲者が出た。
この記念碑は後代の人々に20世紀の共産主義の行った罪を伝え、
二度と繰り返すことのないようにするためである」と述べた。
ブッシュ大統領はまた、共産主義はいまだに地球上に存在して
いることを忘れてはならないと話した。
ブッシュ大統領は中国、ソ連、北朝鮮などの共産主義国家で共産党
の暴政によって数億もの命が奪われたことにふれ、数千万人の命を
奪った邪悪と憎しみがいまだにこの地球上に存在する今日、これらの
教訓を胸に刻むのは非常に重要だと話した。
米下院議員のDana Rohrabacher氏は、「私たちは、共産主義が邪悪
な勢力であるということを忘れてはならない。この記念碑を見て人々は、
中国、ベトナム、キューバなどの国ではいまだに数え切れないほど
多くの人々が共産党の暴政の統治下で苦しんでいるということを
改めて認識するだろう」と話した。
記念碑は米国首都ワシントンDC、ユニオン駅から2ブロックの
マサチューセッツ通りとニュージャージー通りの交差点の北西側に
立てられ、国会議事堂からとても近い。
米国の国会議員やほかの国の駐米大使、前共産国家の議員、
そして中国やほかの国家から、共産党の暴政を幸いにもくぐりぬけ
てきた人たちの代表らが記念の儀式に参加した。
米国のTom Lantos議員は「この地球上でさらに多くの共産主義の
被害者が出ないことを願っている。
世界は絶対に共産主義の思い通りにはならないだろう」と話した。
ギリシャのGoran Lindblad議員は「この記念碑は非常に大切なものだ。
人々は何もしないでただ傍観するのではなく、いまだに存在する
中国やキューバ、北朝鮮などの共産主義国家のことを考えて
ほしい」と話した。
Lantos氏はまた、「中共から脱党した前外交官の陈用林氏とカナダで
お話しすることが出来た。そこで中国ではすでに2千万以上の人が
中共から離脱したことを知った。
これは非常に素晴らしいことである」とも話した。
記念碑の完成式典会場に向かう途中、ワシントン地区の脱党サービス
センターのボランティアらが横断幕を掲げ、中国で2200万人あまりの
人が中共と関連する全ての組織から抜け出したことを声援し、各界
の人々がこの中国の脱党の波に注目するよう呼びかけているのが
見られた。
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欧州南東部で熱波、イタリア南部で気温45℃ 死者も(CNNJapan)
アテネ──欧州南東部で25日、各地を熱波が襲い、イタリア南部
バーリで最高気温が45℃に達するなど、記録的な暑さとなった。
この熱波で、ギリシャやキプロス、ルーマニアなどの各国で死者が
出ているほか、イタリアやギリシャ、キプロスの各地で火災が
発生している。
イタリアではバーリの45℃を筆頭に、シチリア島のパレルモで
42℃を記録するなど、気温が上昇。シチリア島やサルデーニャ島、
本国南部の25カ所で、自然に火災が発生した。
また、強い陽射しにより、シチリア島では特産品レモンの収穫に
影響が出ている。 ギリシャでは気温が41.6℃に達し、
76歳と84歳、103歳のお年寄りが暑さのために体調を崩し、
死亡。消費電力は25日、1万メガワットを超え、首都アテネを
中心に電気使用に制限がかけられた。
キプロスでも気温が41℃になり、72歳女性が日射病で亡くなった。
このほか、ルーマニアやセルビア、アルバニアで25日までに、
約30人近い死者が確認されている。
気象当局によれば、27日までに熱波は収束する見込みとなっている。
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▼植物にも家族意識=英国学士院機関誌【大紀元日本6月26日】
【大紀元日本6月26日】ここ数十年来、多くの科学者が、植物は
感覚を持っているだけではなく、感情・記憶・社交、さらに自己の
独特な言語を持っていることを実験で証明し明らかにした。
6月12日に発行された英国学士院の生物科学誌
「バイオロジー・レターズ(Biology Letters)」で、植物は動物と同様に、
複雑な環境の中で自己の親類を識別することができるという
研究が発表された。
また、植物を別の種類の植物と一緒に植えた場合、それぞれの植物
は永遠に水と栄養分を奪い争う一方、直系の兄弟と一緒にいるとき
に、互いに譲り合うという。
研究発表したカナダ・マックマスター大学(McMaster University)の
植物進化生態学者のスーザン・デュドリー氏は、「動物には家族を
識別する能力があることは一般的に認められているが、今回実験で、
初めて植物も同様な能力を有することが分かった」と語った。
デュドリー氏は、植物は土壌に植えられてから、根っこの中心部から
多くの新しい根が生じ、水分と栄養分を吸収する
。同じ種類の植物を同じ場所にたくさん植えると、それぞれの植物は
根を伸ばし、貴重な水分と栄養分を取ろうとする。
しかし、同じ親から成長した植物の場合、争うことはなく、互いの根が
十分な成長空間ができるように、非常に平和的で譲り合うと
分析した。
植物は、親類を識別する行為は、同じ鉢植えに植えられたときにの
み発生する。
すなわち、限られている空間で根の部分は交互作用および識別
機制と関係していることを示唆する。
デュドリー氏は学生と共に、北米五大湖に自生するオニハマダイコン
を使用した研究を行った。
デュドリー氏たちは、親類関係の株または、まったく無関係の
オニハマダイコンを4株ずつ鉢植えに植え、オニハマダイコンが
開花する8週間後に、根っこを含めて植物を丸ごと抜き取り、
根、幹、葉および芽の発育状況を調べた。
デュドリー氏は、まったく無関係のものと同じ鉢植えに植えられた
オニハマダイコンは、同族同士の鉢植えのものより、根が発達
しており、競争力がより強いことが分かったと結果を発表した。
1966年、米中央情報局でポリグラフの専門家バクスター氏は、
ポリグラフの両極を牛舌蘭に繋げて行った実験で、植物の
感情における研究の先駆者となった。
1973年、ピーター・トムジンス氏およびクリストフ・ボード氏の著作「
植物の神秘なる生命」では、バクスター氏の実験を繰り返し研究し、
植物は言語、思惟、祈りに対して反応を示した結果が得られた。
これら研究は後、植物心理学という新しい学問分野を形成すること
になる。科学者は植物の生命における多くの神秘を明らかにすると
きに、中国の古人が「万物にはすべて魂がある」の言葉が思い出さ
れる。我々のいる環境、山・川・大地、あらゆる天体には生命が
潜んでいないものはないのであろう。古人は天地を仰ぎ敬い、
宇宙万物に対して畏敬の念を抱いていた理由は、こうしたところに
あるのかもしれない。。
ようちゃんの意見。↓
★米国ワシントン大学のデービッド・ロツ氏は、柳が毛虫に襲撃された
ときに、自身は抵抗物質を生じるだけではなく、3メートル離れた
別の柳の木も抵抗物質が生じたことを発見した。
このことは、植物は互いに情報交換していると言える
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<金谷 武洋の日本語ものがたり>-4
葉と歯って元々同じだったと思う(1)金谷 武洋
海外で日本語を教えていて一番有難いのは、学生の素朴な質問に
触発されて日本語や日本人に関して教師の我々自身が思いも
かけない発見をすることである。
今回はそういった経験から特に心に残ったもの一件をご紹介したい。
正に日本語教師の「役得」と言うべき喜びを読者の皆さんとも
分かち合えればと思う。
あれは5年ほど前のことだったろうか。3年生のクラスが終わった後、
よく出来る女子学生が「質問があるんですが」と言って残った。
どうぞ、と言うと「先生、feuilleは日本語で「葉」でしょう。
これとdentの「歯」。発音が同じ「は」ですね。形もよく似てます
から、和語では元々同じ言葉だったんじゃないかしら」と聞く。
急にこんな質問をされて絶句。
「うーん」と唸っていると、「それにfleurは「花」でnezも「鼻」でしょう。
これも偶然じゃないと思います」と畳みかけてくる。
(そう言えば「顔の真ん中で咲いている」鼻もよく見るなあ)と思いな
がら「面白いことに気が付いたね。
先生も考えてみるから」と答えて、自分への宿題にして帰ってきた。こ
れは面白いことになったぞ。調べてみるのが楽しみだ。
帰って辞書類をあれこれ開いてみる。しかし「鼻と花は同根」というよ
うな記述はどこにもない。「歯」と「葉」に関しても同じである。
東アジア研究所の図書館にも足を運んだがどうにも埒があかない。
彼女の指摘を支持するような記事はない様だ。
岩波古語辞典に「鼻と端(はな)は先端の意味)で同根」と
書いてあった程度。
ふうむ。だめか。次のクラスで彼女に「面白いけど偶然の一致
みたいだよ」と言うしかないか、と辞典を綴じかけた時である。
ふと頭に「目」という単語が閃いた。そして、その時の胸の鼓動を
今もかすかに覚えている。
待てよ!「目」なら「芽」があるじゃないか!
おまけに形も似ているぞ。
古語辞典を慌てて再び繰ってみると、果たしてこっちは明快に
「「目」と「芽」は同根」とあった。さて、こうまで対応項目が並ぶと、
ちょっと異常ではないか。
一方に顔の部位としても「歯・鼻・目」があり、もう一方には植物の
部位としての「葉・花・芽」がある訳だ。
これらに形の上での共通性があって、しかも発音が同じというの
だから、これはすごい。和語は漢字導入以前から存在していた
ものである。
教え子の女子学生が言う様に、今は漢字で「書き分け」ている
(から共通性は感じにくい)ものの、和語としてはこの3つのペアは
本来それぞれ同じものであったのではないか。
いやそうなのに違いない。
何かこの件に関して書いたものがないか、と引き続きあれこれ
当ってみたら、やっと一冊見つかった。
荒木博之の『日本語が見えると英語も見える』(中公新書・1994年)
という本である。驚くなかれ、対応はこの3組だけではないことを
知る。ぶら下がっている「耳(mimi)」と「実(mi)」、
ふくらむ「頬(hoho)」と「穂(ho)」も、音の繰り返しはあるが
同じではないかと著者は言う。
5つもペアを挙げられると、白旗を挙げるしかない。
圧倒的な説得力である。
さらに著者の指摘で注目すべきことがあった。
前者三組に関して言えば、お隣の朝鮮語でも同じか、よく似ていると
いうのである。目と芽はヌン、鼻はコで花はコツ、歯はイで葉はイップ
だが、時代が遡ればさらに近くなるという。
英語など西洋語でこれらの語に音の対応が見られないこともあって、
日本の国語学者や言語学者は「は・はな・め・ほ(ほ)・み(み)」の
語形が顔と植物の語彙にパラレルに見られる状況を単なる偶然、
民間語源説と決めつけて無視してきた、と著者が憤慨している。
もしそうなら誠に由々しき事態で、日本語の研究に東アジアからの
視点が欠如していることを嘆かなければならない。
私はと言えばこれらはとても偶然とは言えないと思う。
それどころか、古代から綿々として受け継がれて来た
東アジアの自然観が窺える言語上の好例ではないかと思うの
である。それは取りもなおさず「人間を自然の一部として捉え
ようとする世界観」である。
人間の顔の部位を植物の部位に「見立てた」のであって、決して
偶然の産物ではあるまい。
文化的に極めて必然的な隠喩(メタファー)として捉えてこそ、日本と
朝鮮半島に住む人々の自然観なり美意識が読み取れると思うので
ある。以下、別な例を挙げながら私の印象の傍証を重ねていくこと
にしたい。