「ブント」というのはドイツ語で同盟」を意味し、、、。 | 日本のお姉さん

「ブント」というのはドイツ語で同盟」を意味し、、、。

ようちゃん、お勧めブログ記事。↓

全共闘とかブントって何?> この説明が「依存症の独り言」に書いてある.

本人が当事者だったので間違いなく教えてくれます.byようちゃん

▼「右」のブントでありたい8依存症の独り言)

私が、かつて「極左」に属していたことは、既に何度も書いた。ただ、「極左」と言うのは日本共産党(日共)が名づけたもの(極左暴力団)で、われわれは「新左翼」とか「革命的左翼」と称していた。
その「新左翼」の中で、私は「ブント(Bund)」という組織の一員だった。「ブント」というのはドイツ語で「同盟」を意味し、「パルタイ(Partei)」である日共とは明確に違う「共産主義者の組織」であることを示していた。
「パルタイ」はドイツ語で「党」を意味し、英語の「Party」に相当する。
つまり、日共から排除された学生党員たちは、マルクスとエンゲルスが史上最初に作った共産主義者の組織・共産主義者「同盟」を名乗ることによって自らの正当性をアッピールしたのである。

私は、今でも「ブント」の一員であったことに「秘かなる誇り」を抱いている。当時の日本を席巻した全共闘運動は「ブント」の存在なくしてはありえなかった。

全共闘のモットーは「別個に立って共にに闘う」だった。つまり、多少の主義主張や立場の違いはあっても目標が一緒であれば手を携えて闘う―これが全共闘だった。
これは「排除の論理」に支配された日共主導の左翼運動に対する強烈なアンチテーゼ(Antithese)だった。
当時の左翼は、大衆運動とか統一戦線とか言いながら、その実際は他組織を侵食する、あるいは大衆を囲い込む便法にすぎなかった。
全共闘は、そのような既成左翼や日共の欺瞞的手法に「No!」を突きつけたのである。

同じ新左翼であっても、革共同両派(革マル派と中核派)の本質は日共と同じだった。少数の前衛(職業的革命家)が無知蒙昧な一般大衆を指導する―これが彼らの考え方である。そこにあるのは自らの絶対的な無謬性、つまり自分以外はすべてが間違っているという思想―独善である。
これが100人近い死者(廃人は数知れず)を出した革マル派と中核派の内ゲバを生み出した。
この「前衛神話」=「党の無謬性」という点においては、革共同両派と日共はまったく同じである。だから、少しの意見の違いで相手を抹殺しようとする。

その点、「ブント」は違った。「ブント」は「同盟」を名乗りながら、主義主張は十人十色。一人一人言うことが違い、「一人一党」と揶揄されていたが、私はそれが「ブント」の良さだと思っていた。
要は、「ブント」自体が統一戦線、「別個に立って共にに闘う」組織だったのである。だから全共闘運動の中で「ブント」はもっとも大きな存在感を発揮した。
東大闘争、中大闘争、明大闘争、京大闘争などはブント主導だった。もちろん日大闘争など、全共闘(ノンセクト)主導のものも多い。が、革共同両派(革マル派と中核派)に主導された学園闘争なんてない。

今の私は、共産主義そのものが間違っていると思っている。だから、振り返れば、当時の「ブント」の主張そのものが「マンガ」だったと自覚している。
ただ、今の私はどちらかと言えば「右」にいるが、「右」の勢力の中にも左翼の裏返しみたいな連中が多い。自らの無謬性を声高に主張し、異なる意見を暴力的に(言論を装いながら)攻撃する。
私は、こんな連中に同調することもないし、ましてや屈服することもない。

「右」であれ「左」であれ、人間存在は自由でなければならない。それは肉体的にはもちろん精神的にも。
それを束縛する勢力―宗教、あるいは政党にもそういう連中が跋扈している。
私は、そういう勢力と命を賭して闘う。

※「ブント」から日本赤軍や連合赤軍の「一部」が生じたことに深い反省の念を抱いています。