中国人は絶対に罪を認めない。 | 日本のお姉さん

中国人は絶対に罪を認めない。

【論説】原罪(Original Sin)


 アンディ チャン

アダムとイブが禁断の木の実を食べたため楽園を追放された。二人
の罪は神の言葉に従わなかったことである。この罪は子孫にも累を
及ぼす結果となり
、子々孫々が贖罪しなければならないというのが
原罪(Original Sin)の由縁である。

一部の日本人には戦争に負けた、悪いことをしたから罪を償わなけ
ればいけないという贖罪意識がある。その反対に中国人は絶対に謝
罪をしない。自分の罪は認めないが他人の罪はいつまでも覚えてい
て永久に謝罪、賠償を求める。これを「水火不相容」と言う。悪い
ことをしたと認める正直な民族と、絶対に自分の過ちを認めない民
族、この二つが話し合いをすればどうなるか。

●日本人の原罪意識

十日前に日本の元オランダ大使・東郷和彦氏をサンデェイゴにお招
きして講演したいただいたが、講演後の晩餐会で私が東郷大使に質
問した:「日本人には贖罪意識があるが、戦後すでに67年たったい
ま、日本人がいつまでも祖父の代の罪を背負って生きる必要はある
のでしょうか?」

東郷大使の答えは:「私はこの問題についていろいろ考えたこともあ
り、書いたこともありますが、簡単に言って日本は侵略戦争を起し
た、悪いことをしたのだから、何かしらの償いをしなければならな
いと思っている」。

このあと同席の台湾人たちから侃々諤々、いろいろな意見が出て賑
やかな討論となったが、結論はなかった。

私個人の感想としては、東郷大使の信念はいかにも日本人的で、武
士道精神の潔さに通じるものがあり、人間として尊敬に値する、立
派だと思う。しかしこの信念は日本人なら理解できるが、中国人に
は理解できないばかりか悪用される恐れがある。中国との外交交渉
において「恒久的な弱味」となって対等な立場を維持出来ない。

●原罪と贖罪

中国や韓国の反日思想を綜合してみると、侵略戦争、南京事件、慰
安婦問題、首相の靖国参拝など、いつまでも後を引いて終わるとこ
ろがない。反論すれば更に騒ぎを大きくし、謝罪しても賠償しても
不満足、まさに「没完没了(メイワンメイリャウ)」である。

戦争があり、戦争が終わると勝者が敗者を裁く。戦争はいつでも双
方の利権の争奪戦だろうが、戦争では両方とも「正義は我に有り」
と主張する。戦争が終わると敗者が戦争責任を負うことになるが、
実際に黒白を判断するのは難しく、どちらにもそれだけの理由があ
ってこそ戦争になったのである。勝ったから負けた方の責任を追及
し、責任者の断罪、賠償金を要求すること自体、正義と言えるかど
うか判然としない。

問題はそれだけでなく、戦後に生まれた人たちに戦争責任を追及す
るのは道理に背く。祖父の罪を孫が背負って生きる道理はない。戦
争に参加した人が裁かれる、謝罪、賠償するならともかく、参加し
ていない人に責任を問うのは不合理である。古くから中国人の思想
には「罪は九族に及ぶ」と言うのがあるが、今ではこの道理は通じ
ない。犯罪者の犯した罪で子孫を裁くことは出来ないのである。

ヒットラーは六百万人のユダヤ人を殺したが、今のドイツ人がヒッ
トラーの戦争責任を負う必要はない。同じ道理で日本が韓国や中国
に侵略戦争をしたが、戦争が終わって日本は裁かれ、謝罪し、賠償
責任を果たしたのである。それなのに中国人は追及をやめない。

●罪と罰、道義と政治

慰安婦問題、南京事変などについて反日団体の主張は、「謝罪してい
ない、謝罪が足りない、賠償していない、賠償が足りない」という
もので、つまり自己勝手な「謝罪が不足」という判断で断罪してい
るのである。戦後の日本人が戦争責任を負う理由はないが、戦後の
中国人が自己勝手な理由をつけて戦争責任を追及するのも不合理で
ある。彼らもこのことは充分に承知しているから「慰安婦の生証人」
を作り上げて責任を問うのである。

中国人の反日組織の裏には中国政府がついている。反日組織はいつ
でも発動できる態勢を持っている。中国政府は政権が危なくなると
反日組織を煽動して国民の反感エネルギーを日本に転嫁する。これ
で国内の危機を逸らすと同時に更なる賠償と謝罪を要求する。

日本人の潔い贖罪意識こそ彼らの「金の卵を産む鵞鳥」であり、鵞
鳥を殺さなければ末永く富と優位を保てると思っている。つまり反
日団体は過去のことに対して政治的圧力をかけているのだ。

●原罪意識と時効

戦争に負けたから、責任を追及されるのは仕方がないと思う人は多
い。日本人は正直だから戦争に負けた事実を認め、謝罪、賠償を行
ってきたが、サンフランシスコ平和条約(SFPT)で戦争についての
責任問題は終結したはずである。後に残ったのは個人的な道徳観念
で、日本人がいつまでも外国に悔悟の念を抱くことはないと思う。

もちろん、外交官は常に外国人から日本は戦争に負けた、侵略をし
たなどと圧力をかけられるだろう。しかし戦争責任はSFPTで終わっ
たという立場を堅持するのが当然ではないか。法律の立場からいえ
ば責任問題、処罰問題などには時効がある。たとえば太平洋戦争の
処罰は済んだが、道義的責任をいつまで背負う必要があるのか?こ
の問題を民間で討論してみたらどうだろうか。太平洋戦争で不足な
ら、豊臣秀吉の朝鮮征伐は、神宮皇后の三韓征伐はどうなるか。六
十数年も前のことに今の日本人が疚しさを覚える必要はあるのか。

●外交における原罪意識

外交は真剣勝負である。自国の利益のために最善を尽すのが外交官
の使命である。法理、道義なども対等の立場で臨むべきである。

外交交渉に原罪意識を持ち込めば相手の言いなりになってしまう恐
れがあると思う。相手は自国の利益のためどんなウソでも平気で吐
くような国で道徳など微塵もない。相手がこちらの弱点をついてく
るのはわかっているから、弱点を認めるのはハンデをつけて交渉に
臨むことで、極力避けねばならない。

中国人の反日団体がマイク・ホンダを利用してアメリカで慰安婦問
題を取り上げ、日本政府を譴責しようとした。過去の問題を取り上
げて問題化すると「何をいまさら……」といった感じを覚えるが、
大切なことは「あった、なかった」と言う水掛け論をしないことだ
と思う。

南京事変についてアイリスチャンの「レイプ・オブ・ナンキン」が
出版され、映画化されるというが、虐殺はなかったと主張すれば相
手が納まらず、次々にガセネタを作って攻撃してくると思われる。
南京事件の討論を避けて、アイリスチャンの資料にウソがあったこ
とだけを討論すべきである。

慰安婦問題については安部首相が「過去に問題はあった、謝罪した、
済んだこと」と発表して、アメリカ政府はその後追及を中止した。
阿部首相の処置は賢明だったと思う。

原罪を追求するのは犯罪が継続している状態のみである。イスラエ
ルが現存するナチスの犯罪者を追及する理由はここにある。死んで
しまって既に断罪された者の責任を追及することは出来ない。日本
外交部は過去のことは既に清算したと言う態度を崩さないようにす
べきである。

●「赤信号、みんなで渡れば恐くない」

罪を犯していない人間が悔恨の意を示すのも、被害していない者が
損害意識を言い立てるのはおかしい。罪と罰とは、加害者に対する
処罰のことで「加害者と被害者の関係」である。これに引き換え、
原罪意識とは、加害者でも被害者でもない双方の問題で、これは罪
と罰の関係ではなく道徳観の問題である。

日本人は正直で愛国心があるから、「愛する国」が犯した罪を「個人
が背負っていく」気持ちがある。これに引き換え中国人は罪を犯し
ても罪を認めない民族だから、絶対に何も認めることはしない。双
方が話し合えば日本側が不利である。

この最もよい例が馬英九の汚職事件だろう。馬英九は陳水扁が公金
横領を言い立てて辞職を迫ったが、陳水扁の罪は見つからず、逆に
彼自身の公金横領が明らかになって起訴された。公金を個人の銀行
口座に入金し、収入として税金を納めた、証拠歴然である。

ところが裁判で馬英九は無罪を申し立てたのである。無罪の理由と
は「政府の主任はみんな公金を横領している。公金横領は私だけで
ない、だから無罪だ」というのだ。つまり「赤信号、みんなで渡れ
ば恐くない」、まったくの鉄面皮である。

中国人は絶対に罪を認めない明白な例であるが、こんな人間が厚か
ましくも総統選挙に立候補し、国民党が挙党一致で総統に推挙して
いるのである。彼が総統になれば国民が罪を犯しても無罪を主張で
きる、恐ろしい国になる。

前の記事(No. 205)で台湾人は正義を主張できないと書いたが、馬
英九の罪を問う声はあまり聞こえない。人民が正義を主張できず司
法が馬英九を裁いてくれると思ったら間違いで、裁判官は国民党員
が大多数だから正義が通るとは限らない。司法裁判とは別に、馬英
九を人民裁判で断罪すべきである。

●228は原罪ではない

東郷大使と原罪を討論していた際に、臨席していたある台湾人が「国
民党は228事件は過ぎたことで、これを追求するのは原罪追及であ
ると言う。「外地人」は責任を負う必要がないと言っている」と述べ
た。私はすぐに反論した。

これは違う。228事件は終わっていない。中国人は228の大虐殺の
後、直ちに戒厳令を敷き、白色恐怖と呼ばれる大弾圧に入り、今に
いたるまで謝罪も賠償もしていない。

いまの立法院の横暴を見ればわかるように「外地人」の有形無形の
弾圧は続いている。
228事件の裁判が終わって加害者が処罰され、
「外地人」が悔い改める気持ちを表さなければこの問題は終わるこ
とがない、終わらせてはならない。

228虐殺の証拠は山ほどあるし、証人も被害者も生存している。こ
れを原罪というのは言語道断である。多くの台湾人が大人しく「外
地人」の原罪論を受け入れること自体、台湾人が今でも弾圧されて
いる証拠ではないか。


指摘】原罪( Original Sin )について

標題配信文にいくつかの間違いがあったので指摘しておきます。

香港在住
好田良弘

----- 間違い -----

日本が韓国や中国に侵略戦争をした→大韓帝国あるいは民国と日本が戦火を交え
た歴史的事実は無い

神宮皇后→神功皇后

安部首相→安倍首相

以上


『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html
『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)

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アダムとエバが神さまに逆らったので、罪が人間の心に入った。

だから、この世もその罪によってのろわれてしまった。

罪を持つ人間の子供の心には、罪が受け継がれていく。

人間は生まれながらに罪びとなのだ。

罪びとは、死後に裁かれねばならない。天国には行けない。

罪びとは、心に罪が入ったまま生まれたので、

生きている間に罪を犯す。

罪びとは、自分の力で罪を消すことができない。

罪を赦すことができるのは、神さまだけである。

その原罪という意味を、台湾の中国人(外地人)は、

228事件に使って「原罪だ。」と言って言い逃れをするそうだ。


原罪という意味を取り違えている。


国民党が共産党に負けて、大勢台湾に逃げてきて、そこで

大勢の台湾人を殺した。それは、犯罪であって、原罪ではない。


中国人は、絶対に罪を認めないし謝らない。

そんな民族とは、過去の出来事を話し合っても、

話にならないような気がする。第一、日本と戦ったのは国民党で

共産党じゃないもん。国連ができた後で、共産党の

中華人民共和国ができたんだから、

偉そうに日本に戦勝国面するのもおかしい。