沖縄の集団自決の虚偽の真相を探る日々の記録
ようちゃん、お勧めブログ記事。↓
国民年金の花柳な生活ブログさんより
2007/06/18 (月) 始めは空想
僕が「沖縄ノート」を購入したのは「沖縄集団自決」をより深く理解する為
である。僕にとって「買う」ことは容易くない。
2005年12月以来収入の道を断たれている僕は、この本を如何にして
手に入れるかを考え躊躇した。7
40円の臨時支出は辛い決断であった。
この著者の本を読む事を拒絶する意識が僕の中にはある。「
今、何故、嫌いな人物の本を買うのか」という僕自身の内部の声は拒絶の
意識と重なり合って、つねに僕を引き裂いている・・・。
大江先生の文体を真似て書こうとしたが、矢張り難しい。
私はかつて「沖縄ノート」を読もうと挑戦した事があるが、ヴェトナム戦争下
の基地沖縄と本土日本の関係。太平洋戦争時には唯一戦場となり、その
犠牲の上に復活した本土と日本人が、再び同じ道を進んでいる事実を
問うた本だと思ったから、これが教科書の内容を左右するほどの
インパクトを持った著書であるとは気付かなかった。
恥ずかしながら「沖縄集団自決」の経緯は昨年の8月、産経新聞の記事
を読んで初めて知ったのである。
沖縄防衛軍の悪い評判は戦後あらゆる場所で繰り返し語られている。
実際、戦時下に暮らして、当時の軍隊の横暴を目の当たりにし、同時に
戦後のGHQによる反軍宣伝も体験している私などは、何時でも醒めた
気持ちで話半分に聞いていたのである。
ところが、「沖縄ノート」では特定の人物が名誉を傷付けられ、人間の本質
に係わる人格まで奪われているのだ。
赤松元大尉をアイヒマンに例えた件(くだり)を読むと義憤を感じる。
私を駆り立てるものはそれである。
作家にとって一番大事な基本を怠り、書斎に蹲って書いたものだとしても、
当然の事だが一度や二度は現場に佇み、静かに瞑想したのであろうと私は
思っていた。集団自決の遺跡を訪れ、犠牲者に一掬の涙を捧げるのが普通
の人間の行動である。しかし、彼はそれすらやっていなかった。
現場を見る事は大切だ。
頭で想像していた風景と実際の景観が余りにも違うケースはよくある。
集団自決の現場を彼はどの様に《空想》したのであろうか。
空想に基いて執筆した書物には何の権威も無い。
にも拘らず、これが教科書の「基」になり、個人だけでなく我々の父や
祖父をも傷付けた所に一番の問題がある。
その様子は「従軍慰安婦」問題と酷似している。
これも始まりは「空想」なのだ。
■2007/06/17 (日) 再び 「沖縄ノート」
「沖縄ノート」で集団自決の詳細を見る事は出来ない。
「誰が」「何時」「何処で」という基本の情報に欠けるからである。
具体的な記述は何もなく、作者の怒りだけが顕わである。
《僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみに
されるような気分をあじわう》と作者が言えば、読者もその様な作者の
怒りに同調して怒りのシュプレヒコールを繰り返すだけだ。
《渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、
どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を
陣地内に収容する事を拒否し・・・》という一節などは、この作者の取材が
如何に好い加減であったかという事を如実に物語っている。
2日前の私の日記を見て頂きたい。陣地を守っていた中隊長の言葉である。
《住民の方がなだれ込んでこられたのは14時頃です。
2中隊正面に、泣き叫びながら押し寄せました。阿鼻叫喚というのでしょうか、
確実に弾着を連れながら、近寄ってきました。
つまり、敵の弾を引きつれるようにして来たんです。
「兵隊さん、殺して下さい」口々に言いながら陣地へ入って来るので、
どうしようもありませんでした。まさに生地獄でした》
敵の弾と一緒に半狂乱の状態で転がり込んで来る大勢の住民に
「アー」とも「スー」とも言う間はない。
先祖代々平和に暮らして来た島の年寄りや女子供に、いきなり実弾が
降り注ぎ、目の前で殺されて行くのである。
目を瞑れば、その悲惨な状況は容易に浮んで来る。
陣地を前にして「中に入れてくれ」「いや、入れない」などと押し問答をしてい
る様な場面ではない。若しその場面しか浮んで来ない様なら、大江氏の
想像力は何と貧しいものであろうか。
大江氏は更に「投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑した」
「武装した兵隊が見知らぬ沖縄婦人を無言で犯した」と日本軍の罪悪を
告発する。しかしここでも具体的な記述は無い。
「鉄の暴風」は戦後最も早く世に出た沖縄戦記ではあるが、不確かな証言が
元になっている。それを下敷きにして書いた「沖縄ノート」には教科書の手本
になる様な資格はない。
「集団自決の真実」を読むと初めて納得が行く。曽野氏は出来事を克明に
追って行き、疑問が有れば何度でも関係者に会って確認している。
推論や断定はしない。そして謙虚に言うのである。
《それに決定的に答えられる人は、恐らくどこにもいまい》
■2007/06/16 (土) 積み上げられた署名簿
昨夜、何気なく報道ステーションを見ていたら、沖縄県議会などが集めた
高校教科書検定のやり直しを求める署名簿が文部科学省に持ち込まれ、
山の様に積み上げられた映像が出た。
報ステは朝日新聞の系列だから朝日の思想がそのまま反映している。
署名簿を積み上げ、カメラを接近させて撮ると実際より多く見えるものだ。
自説を通す為なら何でもやる連中である。
「自決命令は間違いなく出た」という説を定着させたいのだ。
何だか「従軍慰安婦」問題に似て来たではないか。
「従軍慰安婦」の究極の問題点は「軍の関与があったかどうか」である
そして現在に至るまでその証拠は見つかっていない。元々架空の話で
始まった事だから見つからないのは当然だが。
「集団自決」は架空の話ではなく、実際に有った出来事であり、遺族や
関係者は未だに苦しみ続けている問題だ。深入りすると当事者の心を傷つ
けたり、或いは援護金の不正受給に突き当たるかも知れない。
もう、その話はそっとして置いてくれと言うのが偽らざる心境であろう。
しかし、そっとして置くと教科書の記述は永久に残り、誤った歴史が定着
する事になる。
今まで見て来た様に「軍の命令」を主張する論説の多くは「鉄の暴風」
のコピーであり、「沖縄ノート」もその範疇を出ないものだった。
「集団自決の真実」の様な作品は何故か人気が無い。結局、読む人の
頭の中に予め一定のシナリオがインプットされていて、それに沿った論説
以外は受け付けない様になっているのではなかろうか。
モトをたどれば大東亜戦争は侵略戦争で、日本軍は悪く、アメリカは正義。
戦前の日本は軍国主義で降伏を許さず、自決を強要した。・・・・という発想
である。
渡嘉敷島と同じ状況は沖縄本島の至る所で実際に起きていた筈だ。
若し私が現地にいたら、武器代わりの鉈を握り締めて、バンザイ突撃を
して果てていたかも知れない。62年前の今頃聞いて忘れられないのは
阿嘉島(渡嘉敷の隣の小さい島)の国民学校(小学校)5,6年生が最期
の突撃をして玉砕したというニュースである。
そういう狂気の時代に我々はいたのだ。
その様な時代が再来しない事を願うのは私とて同じである。
憲法九条を失うと又同じ時代が来ますよ。と主張する護憲派(守旧派)に
とっては将に都合の良い「歴史」なのである。
■2007/06/15 (金) 教科書検定(1)
『太平洋戦争末期の沖縄戦で島民300人以上が集団自決した
沖縄県・渡嘉敷村の議会が14日、日本軍による自決強制の記述を
削除するよう求めた文部科学省の高校教科書検定について「歴史的事実
を直視しない押しつけの教科書であり、到底容認できない」と抗議する
意見書を可決した』
「集団自決」が日本軍による命令・強制・誘導などなしに起こり得なかった
ことは紛れもない事実」と指摘。検定意見の撤回と、来年度の教科書から
削除・修正される記述の復活を求めている。
沖縄県内では13日現在、全41市町村のうち23の議会が同様の意見
書を可決。県議会も意見書を可決する方向で調整中だが、一部
自民党県議から慎重意見も出ている。〔共同〕
自民党の「教育再生に関する特命委員会」が12日開かれ、沖縄戦での
集団自決をめぐり「日本軍に強制された」という趣旨の記述を削除するよう
意見が付いたことに対して、沖縄出身の嘉数知賢、仲村正治両衆院議員
らから問題とする発言が出た。
両氏は「この表現では勝手に死んだと読める」「当時の日本軍を責める
つもりはないが、歴史的事実は事実として後世に伝える必要がある」など
と述べた。{朝日}
新聞記事の羅列になるが、今日の朝日と日経から拾った。なるほど、
戦後レジームからの脱却は難しいな、と思う。沖縄の人達がああ言うん
だから、と読者は皆そう思い込むかも知れない。
しかし、よく考えるとこの事態は長い間ずうっと続いて来たものだ。
何十年もの間通説となって来たものである。そうして、モトを作ったのは
他ならぬ教科書なのだ。
沖縄の人達の中でも、実際に戦闘を体験した人々は確実に減って来て
いる。」後は伝えられた風説を信じるか信じないかの問題なのである。
当時の日本軍に対する評価は極めて低い。
その責任の一端は軍が負わなければならないもので、第一に負けて
しまった事、第二に戦前、特に戦時中は権力を振り回して、横暴な態度を
取った事を国民は身に沁みて記憶しているのである。
これがモトになって根も葉もない噂が独り歩きを始めたのだ。
■2007/06/15 (金) 教科書検定(2)
敗戦後は特に日本の軍隊を悪く言う風潮があった。
その一方でアメリカ軍はヒューマニティ溢れた正義の味方とされたのである。
実態はヴェトナムやイラクに派遣された米軍と変わらない。
やる事も同じである。
曽野綾子さんは「集団自決の真実」の中で言う。
《米軍はこの島に、非戦闘員が住んでいることを充分知っていた。すでに
サイパンで追いつめられた日本人の婦女子がどのような最期を遂げたかも
知らないではなかった。それを知りつつ、米軍は島の山容が変わるほど艦砲
を撃ち込んだのである。誰が悪いかといえば、最も残忍なのは米軍であろう。
彼らは、日本人の非戦闘員がいるなどということに、何ら道義的なものも
感じないでいられたのであろう。なぜならその島にほんの少数の土人がいて
(日本全土には数千万の土人がいる訳だが)そんな連中の生命や家を
ふっとばしたからと言って、何ら心の痛みなどを覚えることはないのである》
もう少し引用を続ける。自決騒ぎの起きた日の事を当時赤松隊の本部に
いた富野元少尉は曽野さんのインタヴューに答えて語っている。
《住民の方がなだれ込んでこられたのは14時頃です。2中隊正面に、
泣き叫びながら押し寄せました。阿鼻叫喚というのでしょうか、確実に弾着
を連れながら、近寄ってきました。つまり、敵の弾を引きつれるようにして
来たんです。「兵隊さん、殺して下さい」口々に言いながら陣地へ入って
来るので、どうしようもありませんでした。まさに生地獄でした》
米軍は面白半分に逃げて行く住民の足元に銃弾を射ち込んだのであろう。
半狂乱になった人々が死に急ぐ事に不思議はない。当時の風潮が生きて
虜囚の辱めを受ける事を許さず、潔く死ぬ事を勧めていたのは事実である。
又、その様に子供の時から教育していた事も事実である。
しかし、その事と特定の個人の責任を同一視してはいけない。
まして濡れ衣を着せてはならない。教科書に誤った記述を残してはならな
いが、個人の名誉を守る事ももっと大切である。