「道州制」は潰せるか」(明日への道標)
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地方自治体を破産させ、外資に安く売る」ニュービジネス=
(別名 地方分権推進)という事が 国民はよくわかっていないの
ではないでしょうか。 byようちゃん
▼「道州制」は潰せるか」(明日への道標)
>道州制移行、8―10年で・自民調査会が中間報告
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自民党の道州制調査会(杉浦正健会長)は13日、今後8―10年後をめどに現行の都道府県制度を廃止して道州制に完全移行することを柱とする中間報告をまとめた。国の役割を安全保障や外交などに絞り込み、より身近な住民サービスを道州や基礎自治体(市町村)に移す。税源移譲を進めた上で、最終的には中央からの補助金なしに各道州が税収で財政需要を賄う姿を想定している。 ただ、権限を奪われかねない都道府県議会などの反発を懸念する声も多く、7月の参院選を控え制度の詳細は明記せず、先送りした例も目立つ。 道州制については安倍晋三首相が3年以内のビジョンづくりを表明。自民党調査会も1月に5つの小委員会を設置、道州制の基本方針や国・道州・基礎自治体の役割分担、税財政制度の見直しなどの議論を進めてきた。中間報告はこれらの議論を集約したもので、今から6―8年後をメドに道州制推進のための基本法や詳細設計を含む実施計画を策定。さらに2年程度の準備期間をおいて、2015年にも道州制が実現する段取りを描いた。
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■私が道州制に反対なのは前から書いている通り。
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もう、いいからやめろよ。「道州制」とやらの中身の無い議論には本当に辟易する。
これについては前にも書いたけど再掲しておこうか。
>[政治] 中二階を30センチ...
>昔の大前研一じゃないけど、なんか、道州制の好きな奴っているんだよな。でも、しょせんは中二階を30センチ上に上げるだけみたいな話だろ。国から州に多少は権限が移るにしても、その分県よりは集中度が増えるわけだから、本質的に何かが変わる訳ではない。
単に霞ヶ関はダメで地方公務員は善良だみたいなー.根拠のないステレオタイプのなれの果てって感じだろうな。
昔はやった首都移転論と似てるよね。なんか話は大きそうなんで、マスコミあたりは喜んで取り上げるんだけど、
じゃあ、その効果はっていうと、結局、具体的なものは何もない。それよりも、最小単位の市町村を減らして、すなわち合併を進めさせて行政全般を効率化していく方がよっぽど本質的な議論のはずだけどね。
>March 1, 2004 22:12 そういえば、最近あちこちの本屋で大前研一が、平積みされてるけど、なんかあったの?もう、終わった人だろう。
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しかし、自民党は道州制に持ち込む手続きをどうやって進めるつもりなんだろうか?
本来、本質的な行政のリストラになるはずたった市町村合併においては、合併を各自治体の判断に委ねてしまったために、あちらこちらで合併が破談になってしまい、十分な成果が上げられなかった。これに対し、道州制の場合は、各都道府県の判断に任せず、国が強制的に全都道府県を廃して「道」を作ってしまうことを想定しているのだろうか?
ここで思うのは、そんなことができるのならば、何で市町村合併でそれをやらなかったのか、ということだ。
中二階の高さを30センチ動かすに等しい道州制でそんな強権を発動する覚悟があるのならば、市町村合併でこそ、その強権を発動すべきじゃなかったのか。一つ想像すると、市町村合併の場合は矢祭村の村長のように地方交付税に依存しながら、自立だ独立だとほざく国賊のような奴が存在し、かつ、一方で国賊のような奴ほど応援する習性を持ったマスコミが存在するため、マスコミを恐れて強攻策が取れなかったということなのだろうか?そう考えると、都道府県というのはマスコミ的なツボには入りそうな要素もなく、道州制反対の立場からすれば、結構、厳しい戦いが想定されるようにも思う。
一方で、そうは言っても都道府県知事や都道府県議会にはそれなりに国会議員に対して力を持っている人達もいるだろうから、道州制がもう少し具体性を帯びてくれば、必死になって潰してくれるだろうという期待もある。ということで、一時期、一世を風靡した「首都機能移転」と同様に、さんざん大風呂敷だけ広げて、具体化しようとした途端にボツ、という末路を、希望的観測を込めて書いておきます。
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■■■ 日本国の研究・不安との訣別/再生のカルテ ■■■
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緑資源機構は、かつて森林開発公団の名称だった。10年前に『日本国の研究』(文春文庫)を書いたが、クルマが一台も走らない大規模林道を冒頭のシーンとした。急勾配の幅4メートルあるかないかの未舗装の狭い林道を一時間かけ登った。峠に着くと、忽然と幅7メートルのアスファルトの道路が走っている。ガードレールに白いセンターラインまである。誰も使わない道路が稜線に沿い途中まで完成していた。
クルマが見当たらないのは、両端が途中で切れていて入口と出口がないからだ。林道は伐採した木を降ろすために必要だが、いま示した例は目的のない工事を繰り返すために行われている。天下りのため、地元の工事業者のため、計画し、投資し、回収する林野ファミリーの世界は、大がかりな税金の着服の装置といえよう。その頂点に誰がいたか。松岡利勝・農林水産大臣自殺の報を耳にしたとき、このシステムに終わりが訪れるかどうか、かつて僕が見た風景を思い出していたのである。
先日、小倉の松本清張記念館に立ち寄った。想像以上に大きな建物で小倉城の石垣に接しており、展示内容も充実している。考えてみたら松本清張は43歳までの半生を小倉で過ごしたのだ。「16歳頃からは家計の補助に、30歳近くからは家庭と両親の世話で身動きできなかった。──私には面白い青春があるわけではなかった。濁った暗い半生だった」僕は『半生の記』を若いときに読み、ほんとうに暗いと驚き、また読み返しては圧倒された。地元の会社の給仕や印刷屋の見習いを経て朝日新聞九州支社(現、西部本社)で広告の版下を請け負い仕事でやり、そのうちに広告部嘱託、広告部雇員と常雇いのかたちにしてもらい、33歳でようやく正社員となり収入が安定した。翌年、軍隊に召集されるが、正社員なので両親と妻に子供3人の留守家族に給料を渡すことができる、とほっとする。
敗戦を朝鮮半島の全羅北道で迎えた。35歳である。広告部意匠係とはいえ、与えられる原稿通りに描くだけで独創や工夫を加える余地はない。昭和25年12月、たまたま「週刊朝日」の懸賞小説に応募した「西郷札」が三等に入選する。特選は賞金30万円で当時としては破格だが、三等でも10万円もらった。41歳である。
朝日の社員を特選にするわけにいかない、という判断もあったようで、「西郷札」は翌年の直木賞候補作品に推された。選考委員の木々高太郎は、つぎの作品を「三田文学」に載せると約束し、励ましてくれた。それが芥川賞を受賞する「或る『小倉日記』伝」だった。
三田文学」昭和27年9月号を開くと、松本情張と誤植のまま載っている。手にした当人はさぞ落胆しただろう。今回、松本清張記念館の展示で初めて知ったことである。昭和28年、芥川賞をもらうが話題にならない。新聞はベタ記事だった。芥川賞が有名になるのは昭和30年に、23歳の石原慎太郎が「太陽の季節」で華々しくデビューして以降だ。43歳の清張は迷った。注文がぽつぽつくるだけ、「松本君も地方名士になったな」という声が聞こえてくる。どうしよう、思い切って上京するか……。東京本社広告部部長宛てに手紙を書いた。展示室にその手紙の一枚目が置かれている。この手紙、全文、読みたいですね、と学芸員の小野芳美さんにお願いしたら、写しをお送りします、と快諾してくれた。
○知られざる苦悩の手紙●
切々とした心情と突き上げる野心が社用箋のていねいな筆跡の行間にあふれている。率直に小生の心を申上げますと、文学の方でも成長し度いのです。ご承知のようにヂャーナリズムというものは浮気なもので、東京を離れた地方に居ると、どうしても忘られ勝ちで、次々と新しい受賞者や新人が出てくると完全に抹殺されます。田舎で立ち腐らぬ前に、何とか今のうちに早く東京に出たいと思います」
昭和28年の歳暮、転勤することができた。注文はそこそこあったが、ほとんど無名である。2年ほど過ぎて朝日新聞を退社。腹をくくった。日本交通公社から依頼を受け、「点と線」の連載を「旅」昭和32年2月号で開始した。「旅」編集部の一人がふだん横須賀線を利用していた。東京駅は絶えず列車が発着し、ひとつ向こうのホームでさえ見えない。その話がヒントになった。犯人というより清張が着目したのは「九州行の列車を待っている時刻で、しかも13番線から(15番線に停車している)その列車が見えるのは、一日のうち17時57分から18時01分の間の、たった4分間しかない」ことだった。
官僚と業界との癒着、そのなかでの口封じの殺人事件を描く。殺されたのは末端の課長補佐だった。官僚システムがつくり出す悪の世界が、時刻表のような無機的な数字と絡み合って動いている。連載中はまったく評判にならず読者からの反応もほとんどなかった。ところが昭和33年、光文社から単行本になると爆発的に売れた。4分間の空白というトリックの発見は衝撃をともなって受け入れられた。清張は初めて青空を見た。48歳だった。遅まきの流行作家の誕生である。
つい先ごろまでは自殺者が政治家の秘書や役所の課長補佐で捜査がストップするというケースが、まあ一般的な相場だったと思う。時代は変わりつつある。(『週刊文春』 07年6月14日号)
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ようちゃんの意見。↓
★地方自治体を破産させ、外資に安く売る」ニュービジネス=
(別名 地方分権推進)という事が 国民はよくわかっていないのでは
ないでしょうか。
この時に起きる、 全国規模で網羅されてる社会資本の一つ、交通
インフラの高速自動車道路とか JRの列車路線、などの地方自治体
による、権限委譲での分断工作が起きてくる.
又教育の均等な質の保障が出来なくなるし、 医療、などにも
地域格差が一層酷くなる.
特に重大なのは国民の安全保障と治安です.
離島や山間僻地でのこれらの対策が 空疎になり文字通り空洞化します.
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▼国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン
石原都知事が猪瀬を副知事に起用するかもしれないなどと
まったく不見識なことを述べている。
たぶん、影でのぶてるが助言をしたりしてその影響があるのかもしれないが。
猪瀬を副知事に起用するなど言語道断である。
http://
<過去に猪瀬が地方分権推進委員に選ばれたときの記事>
猪瀬を選ぶなど、もってのほかである。
イノセを外すべきである。日本人は、この「地方自治体を破産させ、
外資に安く売る」ニュービジネス(別名 地方分権推進)がよくわかって
いない。
<高速道路を外資に売り渡すため>
日本道路公団改革では、結局、外資から「とても人には言えないもの」をそっともらっている イノセが、中心になっていった。だから、イノセは、実は黒字な」日本道路公団を「赤字だ」「第二の国鉄だ」とさんざん嘘をついていったのだった。なんとか東名、名神の高速道路の利益を外資の株主に利益分配金として流れ込む形にしたいために、「北海道の無駄な道路を作らない」という口実で、全国から「中日本高速道路」として切り離してしまった。そして日本の高速道路は、その利益分(約一兆円の黒字分)を、新たな建設に使うのではなく、単に、「外資の株主」に差し出される方向でいるという。
つまり、株さえ取得してしまえば、外資の株主は、この高速道路から出る毎年1兆円余りの収益分を、すべて、自分たちのものにできるのである。それに比べたら、お金を今現在なんに使うのも「無駄」と外資がいっていたのもわかる。この恐ろしい仕組みを作り上げたのが、外資から「人には言えないもの」をそっともらっているイノセと、同じく「人には言えないもの」を外資からもらいまくっている首相官邸の主である。コイズミ政権のときの官邸サイドの「主」である。お馬鹿な一般大衆は、「がんばれイノセ 官僚に負けるな」と応援していたが、その結果、「恐ろしい渋滞の朝の高速道路」と民営化の結果、コスト削減のためのまず~いお茶」「一斉無料開放が確実だったのを、だまされて、永久有料化に知らないうちにされてしまった」ことで、ことのほか喜んでいるのだろうか。「不況を解消するために、大規模に、5兆円もの規模で仕事をやる」ことも、できなくなって、以前「がんばって~イノセさ~ん、とかコイズミさ~ん」と声を掛けていた主婦の方たちは、おそらく、とんでもない不況に直面していて「一体どうして?」と思っているだろう。
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