箴言はおもしろい。
水曜日の夜は教会でお祈り会がある。
聖歌を歌って聖書を読んでお祈りの課題をあげて、みんなで
順番に神さまにお祈りする。昨日の聖書のメッセージは箴言22章13節
だった。なまけ者について書かれている箇所だった。
箴言は旧約聖書にあって、ソロモン王が書いている。
ーーーなまけ者は言う。「獅子が外にいる。わたしはちまたで殺される。」と。
次に、聖書の創世記3章を読んだ。
ーーーさて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾
であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べては
ならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを
食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけな
いからだ。』と仰せになりました。
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが
神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで、女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、
賢くするというその木はいかにも好ましかった。
そこで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、
夫も食べた。
このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸である
ことを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの
腰のおおいを作った。
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。
それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。
それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
すると仰せになった。
「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは食べては
ならない、と命じておいた木から食べたのか。」
人は言った。
「あなたが私の側に置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、
私は食べたのです。」
ここまで読んでからまた、箴言26章13節を読んだ。
ーーーなまけ者は、「道に獅子がいる。ちまたに雄獅子がいる。」という。
それから、少し飛んで16節を読んだ。
ーーーなまけ者は、分別のある答えをする7人の者よりも、自分を
知恵ある者と思う。
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牧師は、なまけ者というのは言い訳ばかりする者だということです。と、言った。
最初の人、アダムも、神さまに「食べてはならない。食べたら必ず死ぬ。」と
言われていた木の実を食べて、神さまにとがめられた時、まるで、それが
神さまが与えてくれた女が悪いから食べたのだ。つまり、神さまが女なんか
くれたから食べることになったのだ。と、神さまに文句を言っている。
わたしたち、人間は、何か気に入らないことが起こった時に、神さまに文句を
言います。最初の人間がしたことは、実は全ての人間がしがちな行動だった
のです。つまり、文句を言うということです。
悪いのは自分ではないと、自分がこれをしないのは、「お前のせいだ。」と、
神さまや他人のせいにします。なまけ者は、つねに言い訳をするのです。
わたしたちは、神さまに与えられた時間や力や心を、神さまのために
使いたいと願い、毎日を大切に生きなければなりません。
なまけ者は、自分の人生を無駄な物に使っています。
そして、自分が何もしないのは、外にライオンがいるからだと言います。
なまける理由は、何でもいいのです。
わたしたちは、聖書から教えられている事を、私たちが陥りがちなこととして
気をつけるべきですね。日々、神さまに感謝しながら、神さまに喜ばれる
生活をしていきたいですね。
牧師は、短いメッセージを語ってくれた。
わたしは、ぼんやりと、日本語を勉強しないで、いい仕事につくチャンスを
逃したのに、「日本政府の責任だ。」と言う残留孤児のことを考えていた。
彼らは、タダの文句を言うなまけ者だったのだろうか。
それとも、日本の社会の弱者で、日本政府が手厚く一生、多額の金を
与えて援助し、幸せな一生を送れるように保護しなければならなかった人々
だったのだろうか。
今日、本屋で買ったSAPIOという雑誌には、小林よしのりのマンガが載って
いて、マンガの最後にはカブキ役者になったマンガ家本人が、ミエを切る。
「今や、右も左も手を取り合って、個人主義になってしまった!」
『国家より民間』『個人の自由と自己責任』を唱える政党、
真面目に働いても
貧困から脱出できない者を放置する政治家が、愛国者のはずがないでは
ないか!」「若者たちはそんな政党に投票するんじゃない!」と、書いて
あった。そんな事を言ったって、自民党以外、どこに理想の政党があるって
言うのよ。小林よしのりは、こう言っている。
「貧しい者を助けるような愛のある政治家にならないと日本は良くならない。
日本は、アメリカのマネをする必要は無い。
日本は、日本式に、みんなで中流になる道があるはずだ。
強い者が弱い者を助けて、みんなで助け合って生きていく、昔からの日本人
の方法で良かったのではないか!?」と。
まじめに働く者が、それなりの実を得て、家族を養える社会にしないといけ
ないと言っているのだ。
それから、末期ガンをわずらっていても、一生懸命、毎日を元気な心で生き
ているブログで知り合った人のことを思った。
一日一日を大切に生きているその人は、なまけ者なんかではない。
誰よりも、充実した日々を生きている。そして、その記録をブログに残して
いる。「わたしもクリスチャンだよ。」と、その人はメールをくれた。
神さまがおられることと、神さまが、人間の全ての過ちを赦してくださるという
事を知り、神さまに感謝して生きる人は、クリスチャンだ。
最初の人間、アダムにも、神さまは、救い主を女の子孫として送るという
約束を与えられた。救い主は、悪魔の遣わした蛇の頭を踏みつぶし、蛇は
救い主のかかとにかみつく。それは、神さまのひとり子のイエス・キリストが、
女の子孫となって、この世に現れ、人の罪の裁きを終わらせるという預言で
あって、そのために、救い主は十字架の上で傷つくということだ。
そのことを信じる者は救われる。罪を赦されて神さまと親しく過ごす場所に
戻るということ。最初の人間は、エデンの園で普通に園を歩きまわられる、
神である主としゃべっていたようだ。しかも、自分たちが裸であることに気が
付かなかった。どうも繁殖する必要が無かったようだ。神さまの言葉を信じな
いで、「食べると必ず死ぬ。」という木の実を食べたとき、人間は神さまに
逆らって生きる罪ある存在になってしまった。繁殖して生きる体になって
しまったために、裸であることが恥ずかしくなり、いちじくの葉をつづって
腰を隠した。
地球も、人間が心に罪を持ったことによって呪われた存在になってしまった。
女は男に支配され、苦しんで子を産み、男は毎日額に汗して食物を得る
ことになった。神さまは、ある動物を犠牲にして皮の衣服を作り、彼らに
着せてくださった。罪のない動物の血が流され、彼らの裸は覆い隠された。
アダムとエバは、神さまがいつか女の子孫としての救い主を送ってくださ
るという約束を信じて、エデンの園の東で生きた。
神さまの約束を信じることが信仰だ。その約束は、イエス・キリストによって
実現した。わたしたちは、神さまの約束を信じて罪を赦され、神さまの元に
帰るのだ。神さまのひとり子が、罪の裁きを身代わりに受けて死んで、墓に
ほおむられ、三日目に聖書の預言のとおりによみがえられたから、それを
自分のためだったと知って、受け入れる者はクリスチャンだ。
生きるというのは、ただ時間が過ぎて年をとっていくことではなくて、
神さまがくださった時間を、神さまに喜ばれることのために、使うことだ。
神さまの愛を、この世の中に現していくことだ。
そして神さまが決められた時が来たら、天の神さまのおられる場所に
帰るのだ。一人の人の命の長さは、短くても、長くても、尊い。
なまけ者は、神さまと人に文句を言うだけで、自分の罪も認めない。
神さまの前に座って罪の赦しを求める気も無く、言い訳をして時間を潰して
いくのだ。
聖書の箴言22章の他の箇所を読んだら、めちゃくちゃおもしろい。
ーーー名声は多くの富よりも望ましい。
愛顧は銀や金にまさる。
富む者と貧しい者とは互いに出会う。
これらすべてを造られたのは主である。(※同じ人間だということ)
利口な者は災いを見て、これを避け、
わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける・
謙遜(けんそん)と、主(神さま)を恐れることの報いは、
富と誉(ほま)れといのちである。
曲がった者の道にはいばらと罠(わな)がある。
たましいを守る者はこれらから遠ざかる。
若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
そうすれば、年老いても、それから離れない。
富む者は貧しい者を支配する。
借りる者は貸す者のしもべとなる。
不正を蒔(ま)く者はわざわいを刈り取る。
彼の怒りの杖(つえ)はすたれる。
善意の人は祝福を受ける。
自分のパンを寄るべのない者に与えるから。
あざける者を追い出せ。
そうすれば、争いも出て行く。
けんかも、悪口(あっこう)もやむ。
心のきよさを愛し、優しく話しをする者は、
王がその友となる。
主(神さま)の目は知識を見守り、
裏切り者のことばをくつがえす。
なまけ者は言う。「獅子が外にいる。
私はちまたで殺される。」と。
他国の女の口車(くちぐるま)は深い穴のようだ。
主(神さま)の憤(いきどお)りに触れた者がそこに落ち込む。
愚かさは子供の心につながれている。
懲(こ)らしめの杖がこれを断ち切る。
自分を富まそうと寄るべのない者をしいたげる人、
富む人に与える者は、必ず乏しくなる。
耳を傾けて、知恵のある者のことばを聞け。
あなたの心を私の知識に向けよ。
これらをあなたのうちに保つなら、楽しいことだ。
これらをみな、あなたのくちびるに備えておけ。
あなたが主(神さま)に寄り頼むことができるように、
私はきょう、特にあなたに教える。
私はあなたのために、
勧告と知恵についての三十句を書いたではないか。
これはあなたに真理のことばの確かさを教え、
あなたを遣わした者に、
真理のことばを持ち帰らせるためである。
貧しい者を、彼が貧しいからといって、
かすめ取るな。
悩む者を門のところで押さえつけるな。
主(神さま)が彼らの訴えを弁護し、
彼らを奪う者のいのちを奪うからだ。
おこりっぽい者と交わるな。
激しやすい者といっしょに行くな。
あなたがそのならわしにならって、
自分自身がわなにかかるといけないから。
あなたは人と誓約(せいやく)をしてはならない。
他人の負債の保証人となってはならない。
あなたに、償(つぐな)うものがないとき、
人があなたの下から
寝床(ねどこ)を奪い取ってもよかろうか。
あなたの先祖が立てた昔からの地境(じざかい)を
移してはならない。
じょうずな仕事をする人を見たことがあるか。
その人は王の前には立つが、
身分の卑しい人の前には立たない。
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箴言は31章あって、どの章もおもしろい。