唸声ロシア/バルト・北欧諸国と語る対ロ外交シンポジウムにて | 日本のお姉さん

唸声ロシア/バルト・北欧諸国と語る対ロ外交シンポジウムにて

ようちゃん、お勧めブログ記事です。↓

▼唸声ロシア/バルト・北欧諸国と語る対ロ外交シンポジウムにて
河野太郎議員よ、親父は中国に、祖父はロシアに国を売った。

三代目、おまえもか?

6/9に開かれたこのシンポジウムで、太郎君はバルト三国の代表を前に

「40年進歩のない北方領土問題の手を打つべく、フィフティー・フィフティー論」を

ぶち上げた。そして、「これは麻生外務大臣も同じ考えであるし、国民も

ほぼ同じである」と続けた。これは三島返還論か?

驚くことに拍手が沸いた・・・?

なんと勝手で無責任な発言だろう。これじゃ「島を売って、魚を買った」

一郎爺さんと同じじゃないか?

そこでシンポジウムに参加されていた兵藤長雄元欧亜局長より二つの杭

が打たれた。

1. 国会議員である河野太郎氏の断定型発言は外国人に誤解を与える

2. 麻生外務大臣の考え方を推量しかつ断定するのは誤りである

まさに兵藤氏の意見は正論である。このシンポジウムを発案した

日本の国会議員がこうした発言をすれば、日本の代表意見となる。

ましてや麻生外務大臣の名前まで出せば、何をか言わんや。

「日本は領土問題を譲歩した」との結論のみが世界に一人歩きをする。

あらら、太郎君やっちまったと思ったら、何と昨年の10月にモスクワ

-資料③-でもぶち上げている。こんなのが国会議員じゃ情けない。

国民は四島返還を求めているぞ!

あの親にしてこの子あり。太郎君は一島売って、何を得るのかな???

蟹か票か?


資料①【河野太郎ブログ6/9-バルト・北欧諸国と語る対ロ外交シンポ

ジウム】

http://www.taro.org/blog/index.php/archives/681

Posted by 河野 太郎 on 2007/6/9 土曜日

昨年の十月、モスクワで日ソ共同宣言五十周年のイベントがあり、

当時共同宣言に署名した鳩山首相と河野農相の孫ということで、

民主党の鳩山幹事長と二人で招待された。その席上、そろそろ

領土問題を解決し、日ロ関係を前に動かす必要があるのではないかと

申し上げた。その後、エストニアから筑波大学の博士課程に留学しな

がらうちの事務所でインターンをしているモニカが、エストニアをはじめ

とするバルト諸国とロシアとの領土問題の解決の過程が北方領土問題

の参考になるのではないかとのアイデアを出し、バルト諸国とノルウェー、

フィンランドとロシアとの領土問題をテーマにしたシンポジウムを開催

できないだろうかということになった。

在京の各国大使館を回り、シンポジウムの内容を説明し、協力を要請した

ところ、各国から大変に前向きな反応があった。
エストニアからは元首相、ラトビアからは現職の外相、他の三カ国からも

要人が参加するとの返事が来た。

が、さすがに我が事務所も五月の連休にはJALNをヨルダンで開催し、

七月には参議院選挙という状況の中、これだけのメンバーがそろうシンポ

ジウムを独力で開催する力はない。

そこで、テーマと参加者リストをもとに東京財団にお願いしたところ、こころ

よくシンポジウムの開催を引き受けてくださった。ということで、六月八日の

基調講演とレセプションに続き、六月九日、日本財団ビルにおいて、

東京財団、笹川平和財団、エストニア外交政策研究所の主催により

(さらにこの事業に関してエストニア外交政策研究所に対して国際交流基

金からの助成をいただいております)、

「バルト・北欧諸国と語る対ロ外交シンポジウム」が開催された。

参加者は
エストニアからマルト・ラール元首相、アラル・ユクス司法長官、

マルコ・ミヒケルソン国会議員、カドリ・リーク国際防衛研究センター所長、

ラウリ・マルクソー タルト大学助教授、マルグス・ツァハックナ国会議員

ラトピアからアルティス・パブリクス外務大臣

リトアニアからチェスロヴァス・スタンケヴィチュス外務大臣顧問と

ダイニュス・ジャリマス防衛大臣顧問

フィンランドからマルク・キビネン ヘルシンキ大学アレキサンテリ研究所

所長とペカ・ステラ フィンランド銀行移行経済研究所所長

ノルウェーからアーリル・モー フリチョフ・ナンセン研究所副所長と

外交ジャーナリストのニルス・モルテン・ウドゴール氏

日本からは町村信孝元外相、畔蒜泰助東京財団研究員、

伊藤庄一環日本海経済研究所調査研究主任、

河東哲夫元ウズベクスタン大使、小泉直美防大准教授、

斉藤元秀杏林大学教授、下斗米伸夫法政大学教授、平田竹男早大教授、

渡部恒雄CSIS非常勤研究員、渡邉啓貴東京外大教授と河野太郎

六月九日は朝九時半から午後五時半まで午前中は経済とエネルギーを

テーマに、午後は外交と安全保障をテーマにして活発に議論が行われた。
しかも大勢の方にご出席をいただいた。東京財団のおかけで当初の領土

問題だけでなく、非常に幅広いテーマのシンポジウムになった。
参加者および関係者の皆様すべてに感謝!

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資料②【BalticNet6/9-「バルトと北欧諸国と語る対ロ外交」

シンポジウム開かる】

http://balticnet.jrchives/2007/5-6/symposium.html

6月8日、9日、河野太郎衆議院議員の発案で、エストニア外交政策研究所

主催の国際シンポジウムが東京財団、笹川平和財団の協力で開催された

。8日の開会に先立ってエストニアのマルト・ラール元首相と町村元外相が

講演、バルト北欧諸国と日本は大国ロシアを隣国として両端に位置して

いる。この位置は永遠に変わらない。

そして、バルト北欧の領土侵犯、侵略などと同じように、日本も北方領土を

取られたまま50年が経っているが、何の進展もない。同じ境遇を持つ国々と

してお互いに協力していこう、と述べた。
9日のシンポジウムでは、エストニアからは、マルコ・ミヒケルソン国会議員

やカドリ・リーク国際防衛研究センター所長など、ラトビアからは

アルティス・パフリクス外務大臣、リトアニアからはチェスロヴァス・スタンケ

ヴィチュス外務大臣顧問、ダイリュス・ジャリマス防衛大臣顧問、さらに

ノルウェー、フィンランドから計13名が参加、

また日本側からは河東哲夫元ウズベキスタン大使はじめ東京財団研究員

を中心としたロシアに精通した専門家がディスカッサンとして参加し、そ

れぞれの立場から各国とロシアとの歴史、経済、エネルギー、外交、

安全保障などを主題に語り、意見交換をした。
共通の悩みを抱える国々として、歴史を鏡とするも虜にならないよう、

双方のバランスを優位にしながら、参加各国自身が真の民主主義の

魅力を回復して見せ、ロシア側の選択肢を形作ってあげることを共通の

認識とすることで合意、今後もこのような有意義なディスカッションを

継続させていこうということで閉会した。


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資料③【朝日2006/11/27-北方領土「50年周期」で決着できぬか】

http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200611270140.html

大きく広がった赤い壁から白い石の暖炉が浮き出ていた。シャンデリアの

下には長い樫(かし)の木のテーブル……。 フルシチョフ共産党第1書記

やブルガーニン首相ら、ソ連側の首脳陣がこの席につく。

向かいに座ったのはホストの鳩山一郎首相、河野一郎農相ら日本の

訪ソ団一行だった。 1

956年10月17日、日本側が主催したこの答礼昼食会は、鳩山一行が

泊まった迎賓館の一室で開かれた。

いまもロシア外務省別館として使われる宮廷風のこの建物を、先月、

モスクワで見学させてもらった。

昼食会の2日後、両国首脳は日ソ共同宣言に調印した。

こうして戦後11年途絶えていた国交が回復し、日本は念願の国連加盟も

約束されたのだが、北方領土については厳しい交渉がまとまらず、

平和条約の締結を将来に持ち越したのだった。

それから満50年。先月19日、モスクワで開かれた記念の

「日ロ・フォーラム」に参加してみると、日本側参加者の中心は鳩山氏の孫

・由紀夫氏(民主党)と河野氏の孫・太郎氏(自民党)である。

なるほど半世紀もたてば三世の時代になるのだなと、過ぎた歳月を

実感したのだった。

    ◇

そういえば、日ロ関係はほぼ50年ごとに大きな節目を迎えてきた。

そんなことを思ったのは、フォーラムで静岡県下田市の代表が

1855年の日露和親条約を話題にしたときだった。

徳川幕府は下田に来航したプチャーチン提督と交渉したのだが、折しも

安政の大地震による大津波で下田は壊滅し、ロシア艦船もやがて沈没する。

このとき日ロが救助し合い、ついには日本の大工の手でロシア船を造った

という美談だ。

この条約で国境が決まり、北方四島が日本領と認められた。

一転、日ロが戦火を交え、ポーツマス条約が結ばれたのは、それから

ちょうど50年後の1905年。サハリンの南半分が日本に割譲された。

さらに、51年後に迎えたのが日ソ共同宣言による国交正常化だった。

この間にはロシア革命があり、2度の世界大戦もあって、北方四島は

ソ連の占領するところになっていた。

そして、また50年――。鳩山一行の願いむなしく、島の問題はまだ何も

変わらぬままだ。鳩山由紀夫氏はフォーラムの開会あいさつでそれに触れ、

祖父は「天の上から、いたく嘆いているに違いない」と語った。


あのときソ連は、歯舞、色丹の二島返還でけりをつけようとした

フルシチョフ氏の決断だったのだが、日本が応じなかったのは、米国が

「二島で妥協したら沖縄を還さない」と強く圧力をかけたためだ。

米ソ冷戦のもと、日ソの接近を警戒していた。

もうひとつ、日ソ交渉に「四島」の枠をはめたのは、保守合同から間もない

自民党内だった。鳩山氏に政権を奪われた吉田茂氏に連なる旧自由党

系の議員らが、米国に呼応して二島返還に猛反対していた。


鳩山訪ソを控え、そんな日本の内部事情や鳩山、河野両氏の人物像を

ソ連外務省情報局が分析していた。そ

の秘密報告書の訳文を法政大学の下斗米伸夫教授が最近、学内で発表した。

それによると、領土問題で妥協しての国交正常化は「無条件降伏を意味

する」と、吉田氏が厳しい書簡を鳩山氏に送っていた


報告の中身はリアルで詳細。

さすがソ連の情報能力をうかがわせる。 そこには安倍首相の祖父、

岸信介氏も登場する。反吉田、かつ反共の人だったせいか

「日ソ関係には原則として動揺した見方をもっている」との分析だが、

「政治は生き物」と語るなど、自民党幹事長として鳩山氏の交渉を支え

ていることを特筆していた。

    ◇

ソ連崩壊後、一時は歩み寄りの気配を見せたロシアも、いまは再び

かたくなだ。「このままだと、この先50年たっても解決しない」とフォーラム

で言い切ったのは河野太郎氏だった。

「二と四の間をとることを、そろそろ考えよう」との提案だ。 日本の学者たち

からも「二島プラスアルファ」や「主権の共同化」による決着論が次々に飛び

出した。四島返還を主張する限り、筋は通っても島は還らない。

それでいいのか、と。 ルシコフ・モスクワ市長らロシア側は話に乗ってこな

かったが、もしや日ロの将来を見すえて大胆な戦略判断ができるとすれば、

プーチン大統領をおいていまい。

最近は「中ロ」の国境紛争を「フィフティー・フィフティー」方式で解決した

実績もある。 さて、日本はどうか。安倍政権の発足後、麻生外相が

毎日新聞のインタビューで「三島返還」論に触れるなど、ちらり政治決着に

意欲をのぞかせた。あの吉田茂氏の孫にして、である。

一方、野党の大幹部に鳩山氏とくれば、これはなかなか絶妙の組み合わ

せではないか。 プーチン大統領の任期はあと1年余りしかない。

もし安倍首相が思い切って仕掛けるなら、この1年が勝負どころだろう。

それは、「50年周期」の法則にかなうことでもある。
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外国は、2島返したら、残りの2島は絶対に返さない。

それでいいのか。

2島でいいと日本が妥協してもどうせ、すんなりとは返してくれないと

思う。はじめから4島を返せと言う方がいいのではないかと、、、。