旧利権の中でも潰さず生き残ってる奴が居る!(許永中の亡霊)
ようちゃん、お勧めブログ記事ですよ~。↓
長いから落ち着いて読んでね。
▼金になればなんでもいい(きち@岩根)
「旧利権と新利権の違いの解説ですぞぉ!」
新利権構造とういうのは、結局、権力者が把握できない資本の形成を
許さないってことなんですが
↓
サラ金を規制したらパチンコ屋が潰れました
http://
旧来型の利権構造というのはこういう感じの背景でしょうか。
(在日、同和開放、人権問題で33年間で14兆円、畜産関連、
土木建設談合)
↓
■許永中の亡霊
新利権構造とういうのは結局、権力者が把握できない資本の形成を
許さないってことなんですが(公開株式、三角合併、新株発行)
↓
サラ金を規制したらパチンコ屋が潰れましたhttp://
(ネットゲリラさん)旧来型の利権構造というのはこういう感じの背景でしょうか。
↓
こうなりゃ書いちゃる 反日包囲網
http://
(てっくさん)
こちらには出てこないですが、(許永中というと亀井せんせですが)
元々許の政界の後ろ盾は故渡辺美智雄さん。
ここで出てくるフィクサー、野村周史さんというのは渡辺さんの
大阪後援会代表で、子息を渡辺さんの秘書にしていました。
(許の通名「野村永中」はここから)どちらかというと亀井せんせは
馬鹿正直なところがある・・
「Kファイル」が、 連立与党を崩壊させる!?
http://
(サイゾー)で旧利権構造って言うのはそれこそ、同和、在日、創価が
暗躍する世界なんですが端的に言うと、血税収奪型というか、国庫に
手を突っ込む・・・という世界。
そして今蠢いているのは、間接的に国庫に手をつけ一般国民の自覚の
ないまま、その資産を収奪する.壮大なペテン相場への参加。
つまり、出口を外資などの巨大なファンドにもっていく絵図です。
表裏の巨額なマネーを、政治と情報工作でつくる巨大なペテン金融市場
に投じるわけです。(三角合併なんかも敵は内にあり・・・)こういうのは
政治理念も党派も関係ありません。
で新利権構造というのは、同和であれ、在日であれ、言うことを聞くか
聞かないかという選別なわけです。もちろん創価は別格。
自公連立の膿はここにあります。そして旧来型の構図では、政権中枢から
外れた非主流、野党は利権構造の本筋からはずれていましたが新しい
利権構造は、党派関係ありません。
だから旧利権構造の面々が排除されたというわけではありません。
例えば、許永中グループだった久間防衛大臣。この人は許の中核企業で
あった「大阪国際フェリー」の代表取締役でした。
(元々、赤坂の久間事務所は大阪国際フェリーの事務所内にありましたが)
許永中が硫黄島に行ったとき、自衛隊(当時)のヘリを用立てたのはこの人。
でこの人を加藤紘一議員が色々な面で擁護するのは加藤が許永中の
メンバーであったとき、ある事があって
許から詰められる事件・・・・
(表だっては加藤秘書拉致事件)その時に、仲裁し許を宥めたのが
久間せんせだったわけです。それ以降、加藤は久間せんせに恩を感じて
いるわけです。つまり、どちらも許一派だったわけです。
で久間せんせが平成研で大出世したのは今も根強く残っている、許関連の
利権関係の情報と利権の一部(アングラマネーの管理権含み)を
手土産に、平成研を親小泉に傾かせたからだと言われています。
(一種の脅しも含まれていたわけです)
イトマン事件の時もそうですが連立の構図が不安定になるときに利権の
一端が表に出ます。
つまり、利権政治家の水面下の暗闘です。であと何年かすると、
許受刑者は娑婆に出てきます。これがかなり大きなインパクトを与えます。
その時までに旧利権構造はどのように再構成されるのでしょうか。
統一協会は政治家秘書を多数政界に送り込みましたが
許永中も多数の政治家秘書を送り込みました。
それは与野党関係ありません。
また表面だって事件化した経済事件以外にも決して表に出ない地雷が
そこら中にばら撒かれているといいます。「政治と金」というと「何党」と
攻撃する人がいますがもはや党派は関係ないのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ようちゃんの記事ですよ。↓
★イトマン事件(―じけん)とは、大阪市にあった日本の総合商社・伊藤萬(のちのイトマン)の商法の背任疑惑事件である。伊藤萬は、1883年に創業された個人経営の繊維商を母体とした企業で、かつては東証一部、大証一部に上場していた。1973年のオイルショックで経営環境が悪化したことをきっかけに主力行の住友銀行(現・三井住友銀行)の役員だった河村良彦を社長として起用。繊維商から総合商社への方向転換を図った。その後、協和総合開発研究所の役員だった伊藤寿永光が、彼の融資していたコスモポリタン社の会長に対して200億円を貸し付け融資が焦げ付いてしまったことから、自らが保有していた雅叙園観光を担保に伊藤萬の経営に常務として参加。更に雅叙園観光の債権者の一人でもあった許永中もそれに参加するようになった。
だが、1990年5月の日本経済新聞で伊藤萬が不動産投資による借入金が1兆2000億円に及んだことが明らかになったことから、Bからの紹介を受けた許永中は美術品や貴金属などを投資すれば経営が安定すると話を河村に持ちかけ、伊藤萬から許永中の絡む3つの会社に対し、許永中の所有していた絵画・骨董品などを市価の2~3倍以上という法外な価格で取引するなどして676億円の仕入れを行った。また小規模の地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発(京都放送・内紛と存続問題の項目参照)に多額の資金を投入させ、伊藤萬本体で360億円、全体でも3000億円以上の資金が闇社会に消えていった。1991年7月23日、大阪地方検察庁は特別背任の疑いで上記3人を含む6人の容疑者を逮捕した。しかし、これらの巨額資金の行く末は今もって謎に包まれている。伊藤萬は、1991年に片仮名の「イトマン」に社名変更するも、1993年に、住友金属工業の子会社でこれまで金属・鋼材類の製造・販売のみを行った住金物産に吸収合併され、本体は延べ110年の歴史に幕を下ろした。だが、同社が運営していたイトマンスイミングスクールは現在もその名前を残している。伊藤萬の株式は上場廃止されたが、吸収した住金物産が大証に上場しており、ある意味復活したと言える。なお、住金物産は2006年12月26日に東証1部にも上場を果たした。
一流銀行、上場企業を舞台に暗躍する許永中氏、 企業舎弟、フロント企業ら闇経済の紳士達。 バブル破裂で露呈した一大疑惑を徹底解剖。 = 目次 = 序章 事件の構図第1部 ドキュメント・イトマン事件 明るみに出る乱脈経営一大経済事件へと発展 露呈した .
このイトマン事件に絡んで許永中が経営に関与していたといわれる関西新聞は1991年4月に手形不渡りで倒産し新聞も廃刊。 同じく近畿放送(KBS京都)は社屋や放送機材等が担保に入れられて、一時はそれらの差し押さえ、即ち放送局として存続の危機陥るが.1994年に同社の労働組合員が会社更生法を申請して翌年4月に適用決定に至り、廃局の事態は免れた。その後は京都放送に社名を変更して再建への道を歩む。
戦後最大の経済事件といわれるイトマン事件、中尾栄一元建設相らの逮捕に発展した石橋産業事件、そして竹下登元首相、亀井静香自民党政調会長ら政界奥の院との裏コネクション…。その中心はいつもこの男の姿があった。日本の闇社会の縮図ともいえる許永中
ようちゃんの記事ですよ~。↓
★.許永中(きょ えいちゅう、ホ・ヨンジュン、허영중、1947年2月 - )は、財界のフィクサーといわれた人物である。通名・野村永中(のむら えいちゅう)あるいは藤田永中。大阪市北区中津の在日韓国人地区に生まれる。1965年3月、大阪府立東淀川高等学校卒業。1965年4月、大阪府立大学の入学試験に失敗し、大阪工業大学に入学。柔道部で活躍するも、麻雀とパチンコに熱中し、大学は3年で中退。不動産広告業者の秘書兼運転手として働く傍ら、経営について学ぶ。同じ頃、日本人女性と結婚。藤田とはこの時の結婚相手の姓である。部落解放同盟の幹部と昵懇になり、大阪府の同和対策事業に食い込む。ベンジャミン・フルフォード著『ヤクザ・リセッション』によれば、許自身は在日韓国人であったものの、彼の生まれ育った中津では被差別部落民が強大な権力を握っていたので、彼らと懇意になることによって許は裏社会での出世を実現したという。また、戦後最大のフィクサーの1人といわれた大谷貴義にボディーガード兼運転手として仕え、フィクサー業の修行をした。1975年、休眠会社だった大淀建設を買収し、社長に就任。平成期初期に発覚した日本の戦後最大規模の経済不正経理事件・イトマン事件で、イトマンを利用して絵画やゴルフ場開発などの不正経理を行い、1991年に商法の特別背任、並びに法人税法違反の罪で逮捕された。その後保釈を受けたものの1997年に韓国に失踪し、1999年に保釈取り消しによる身柄拘束まで潜伏を続けていた。2001年上述の容疑による懲役7年6ヶ月・罰金5億円の実刑判決を言い渡されたが、その後上告。しかし、2005年10月にそれが棄却され実刑が確定し、2006年現在服役中である。(許永中に懲役7年6月・罰金5億円の判決が確定した. 2012年に出所します)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本のみんなが、のほほんと暮らしているときに、日本の富を
食い物にしている人々がいる。日本の闇の世界の人々は、
日本を愛してはいない彼らは日本のタブーの世界の人々だから、
何をしても、守られてきたんだ。もう、そういうのは、やめにしようよ。