北京五輪に虐殺の影 | 日本のお姉さん

北京五輪に虐殺の影

北京五輪に虐殺の影

産経新聞 2007年6月9日

ワシントン・古森義久 



 政治とスポーツは別なのか。この古くて新しい命題がまた米国議会で熱っぽく論じられ出した。北京オリンピック開催と主催国の中国政府の倫理と、その相関関係をどう考えるべきか。

 日本では安倍晋三首相が早々と「政治とスポーツは別だと思う」と述べて、中国政府がいかに非人道的な行為に関与し、許容しても、2008年の北京オリンピックはボイコットすべきではない、という姿勢をみせてしまった。

 ところが米国ではちょうど逆の現象が起きてきた。北京五輪をボイコットするかもしれないという姿勢を見せることで中国政府に政治面での圧力をかけるという動きである。

 その一端として米国議会下院では7日、「ダルフールとオリンピック=国際的行動の呼びかけ」と題する公聴会が開かれた。下院監督・政府改革委員会の国家安全保障・外交問題小委員会の主催だった。

 ダルフールとはいうまでもなくスーダン国内の西部、スーダン政府に支援されたイスラム系部族の民兵たちが非イスラム系黒人住民を絶滅が目的であるかのように居住区から放逐し、集団殺害を図っている地域である。ダルフールのジェノサイド(大量虐殺)としていまや全世界に知られる。

 アフリカ各国でも最大の面積を誇るスーダンのこの地域でなぜ大量虐殺が起きるのか。異なった部族の異なった利害がぶつかり合い、紛争の歴史は長く複雑である。だが2003年ごろからの紛争の激化で黒人住民約40万が殺され、250万が住居を失い、いまこの瞬間もその大量虐殺が続いていることは国際的にも認められている。

 同様に国際的に認められ、批判されているのは中国が虐殺をする側のスーダン政府やその支配下の民兵を多方面から援助している事実である。中国はまずスーダンが輸出する石油の70%を買い、スーダン政府には総額100億ドル近くの援助を与えてきた。軍事面での協力も顕著で、ダルフールでの民兵組織が使う戦闘機、各種の砲、小火器類などはみな中国製である。

 外交面でも中国は国連安保理常任理事国の立場を利用して、スーダン政府の大量虐殺支援の継続を結果的に可能にしてきた。国連による経済制裁や平和維持軍派遣にブレーキをかけてきたのだ。

 さてこうした事実関係は国際情勢の知識として知ってはいても、やはりはるか遠方の実感の薄い出来事だった。だが7日の公聴会ではその距離感が縮まった。現地の惨状に触れてきた当事者が多数、出ての証言だったからだ。とくにダルフールのザガワという部族のダウド・イブラヒム・ハリ氏という34歳の青年の報告は強烈だった。

 「2003年のある日、私の村はスーダン政府軍の軍用機に爆撃され、地上からは砲撃を受け、あっという間に、自宅は壊滅した。村全体が跡形もなくなった。弟と妹2人が死に、あとは一家すべて難民となった。私はやがてスーダン政府に捕まり、連日、拷問を受けた。スーダン政府は中国からの援助なしにはすぐ壊滅するだろう」

 この公聴会のもう一つの特徴は、ダルフール救済活動にかかわる多数の組織の中から元オリンピック選手たちが登場し、意見を述べていたことだった。昨年のトリノ五輪のスピードスケートで米国代表として金メダルを取ったジョーイ・チーク氏は「平和や調和を象徴するオリンピックの主催国が大量虐殺を阻止しないことは理解できない」として、中国がダルフールに対しこのままの態度であれば、北京五輪の国際的ボイコットもあるべきだと論じた。

 シドニー五輪で活躍した女子マラソンの伝説的ランナーのケニアのテグラ・ロルーペ氏も証言し、「中国当局が北京五輪で平和を祈願するならば、いまダルフールの平和のために行動すべきだ」と訴えた。

 ダルフール大量虐殺と北京五輪をリンクさせるこうした動きの背後にはすでに「ダルフールのためのオリンピックの夢キャンペーン」という名の国際組織が結成されており、その代表のジル・サビット氏もこの公聴会で証言した。同氏の証言も「北京で実現されるはずのオリンピックの平和の夢をいますぐダルフールに」というアピールだった。

 こうした一連の証言に共通するのは政治とスポーツとの明確な連結であり、中国政府の対応次第では最悪の事態として北京五輪のボイコットもありうるという圧力のようだった。