バービー人形。中国工場の付加価値は……国際派時事コラム「商社マンに技あり!」
ようちゃん、お勧めブログ記事。↓
▼バービー人形。中国工場の付加価値は……
国際派時事コラム「商社マンに技あり!」
中国製のバービー人形(リカちゃん人形の元祖)。
米国企業が中国の工場で仕上げさせる。
アメリカでの小売価格が9.99ドルだ。 そのうち中国の取り分は、
何ドルでしょう。
■ 完成品価格の65%は輸入部品の価額分 ■
正解は、0.35ドルなのだそうだ。 35セントである。
ラベルは Made in China なのに、中国による付加価値は全体のわずか
3.5%なり。極端な例なのだろうけど。
広東省(カントンしょう)東莞(とうかん)市で取材した Nicholas D. Kristof 氏
が5月24日付『ニューヨーク・タイムズ』紙に書いていた。
このテのものはアイデア勝負、ブランド勝負だ。
米国メーカーは企画料・ブランド料で稼ぐ。
米国の広告業者の広告料。
米国の流通業者の流通マージン。
米国の運送業者の運送料、保険料。
それに加えて、バービー人形の部品も中国国外から持ち込まれる。
そういう部品代も削ぎ落として、いくらのお金が中国に落ちるか計算したもの。
≪中国は部品を輸入し、低賃金で組み立て、完成品を米国へ輸出する。
そういう完成品価格が、米中貿易における中国側の黒字の計算根拠に
なるわけだが、じつは平均すると完成品価格の65%相当は、中国が
輸入する部品相当額なのだ。≫
■ 1980年代の日本、かネ? ■
米国 TUMI ブランドの革鞄(かわかばん)。コラム子、週末にちょっと気が
大きくなって買ってしまったのだけど、もちろん Made in China である。
けっして会うことのない中国人の女工さんのみごとな仕上げ。苦心して
磨いた技だろう。それに見合う報酬など得ていないはずだ。
そう思うと、鞄の手触りを確かめつつ、10ドル札のチップをはずんでもいい
気持ちにさせられるのだけど、このみごとな仕上がりのために、米国人の企画力とマネッジメント能力と、Made in China のラベルの向こうにあるさまざまの部品・材料供給国があるのに違いない。そして突然生れる、すばらしい Made in China.そして突然の Made in China に翻弄されるフリをする米国。この突然の栄誉と9.99ドル中の35セントという屈辱とが、同時存在するという、そんな瞬間を、日本が経験したことがあったろうか。[ ない。}
「中国部分は35セント」の話を紹介してくれたニコラス・クリストフ氏も、いまの中国を1980年代の日本に例えることに対して警鐘を鳴らしている。
≪ここで念押ししておきたいのだが、中国は1980年代の日本ではない。当時の日本は、国という国に対してほとんど例外なく巨額の黒字を計上していた。中国の世界貿易における黒字は、ここ5年間に急増したけれど、長いスパンで見れば中国の貿易ポジションは均衡に近く、今でも多くの国々との間で赤字貿易となっている。≫
■ 例え話のいい加減 ■
さいきん、中国を20~40年前の日本にたとえて、かつそれを“論拠”(?)にし, 「日本だって、同じような時期を経て今に至ったのだから、中国だって同じようにうまくいくさ」という議論を展開する能天気な論者たちに出会って仰天した。 「ちょっと違うんじゃないの?」と、5月15日にブログに書いた。
◆◆現代中国を昭和後期の日本に引き比べる愚◆◆
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いまの中国を、日本の昭和30年代後半からの高度成長期にたとえて、その延長線で楽観論を展開する論者が比率的に高いことを知って愕然とした。
他国の状況を日本のある時期に引き比べるのは、一般大衆向けの導入としては確かに分かりやすい。
しかし、そういう「客引き」のために書いたフレーズによって、論理そのものが引きずられてしまっているのを見ると、失笑を禁じえない。
問題の作は、村上龍事務所発行の Japan Mail Media 5月7日号の中国論。
<中国経済は今後も勢いを持続できるか?>という設問に、レギュラーメンバーが答えている。
◎ 懐かしく…… ◎
ワイドショー向きのなんでも評論家の皆さんだが、なかでもあきれたのが、杉岡秋美さん(生命保険関連会社勤務)の所論。
≪中国のかかえる様々な状況をみれば、昭和に日本が直面した問題が懐かしく思い出されます。≫
という一文で、まず“引いた”。現代中国の惨状は、「懐かしく思い出す」レベルとは程遠いが、ね。
このひとにとっての「昭和」とは、≪日本の60年代や70年代の輸出ドライブとそれに続く消費の時代≫ということらしい。
このひとの結びはすさまじい。≪中国経済が、今後も「勢い」を維持できるかどうかについては、
内部要因を列挙すると否定的になりますが、昭和の経験との類推からは十分可能なことであるように思われます。≫
そもそも日本の昭和後期の体験と引き比べるという前提が間違っているのだ。
強いて比べるなら、昭和「前」期の高度成長期に似ているのが、現代中国だがね。
社会福祉政策の不在。
階級間の格差はあって当然という社会構造。
農村の疲弊。
軍の政治介入。
幻のオリンピックの直前。これに加えて、昭和の日本が体験しなかった
地獄のような環境汚染とその報道や住民運動を暴力で抑圧する、
地元業者とつるんだ町役場。それが現代中国だ。
日本のある時期にたとえることから始めるという論法そのものが間違って
いるが、どうしても例えたいなら、例える時期をちゃんと選んでほしいね。
◎ 牽強付会の楽観材料 ◎
この杉岡秋美さんだけでなく、真壁昭夫さん(信州大学経済学部教授)は、現代中国を≪1960年代以降のわが国≫に例えているし、
津田栄さん(経済評論家)は、≪どこか日本の80年代後半のバブル時代に似ていなくもありません≫。
5名の論者ちゅうの3名が、現代中国を日本のある時代にたとえて、楽観材料につかっている。「これだから素人さんは困る」と、おもわず言いたくなっちゃうのよね。
それ以上に笑止千万なのが、山崎 元さん(経済評論家)で、≪将来的には、中国は、軍事に加えて経済的にも圧倒的に大きな存在になるでしょうから、中国が合州国的な体制になって台湾が米国に於ける州のような形で併合されるような状況も考えられるのではないでしょうか。≫
(「合州国」は山崎さんの原文のまま。)こういう論者が多いから言うのだが、こと「台湾問題」になると、「およそ、国と国のあいだでは貿易をするものだ」という、小学生でも知っていることが忽然と頭から消えるらしい。中国が「経済的に圧倒的に大きな存在」になったら、中国と経済活動をするには単なる国際貿易では済まなくて、「併合」されなきゃいけないわけ?
もし仮にそれが正なら、世界数十カ国が米国に併合されているはずだがね。東欧諸国はドイツに併合だよ。韓国も東南アジア諸国も昭和後期に日本に(再)併合されていたよ。
もちろん、そんなことはなかった。だって、貿易と投資が行われれば、それでいいわけだから。 経済は、「併合」の原因にはなりません。(ブログ転載終了)
◆ ◆ ◆
昭和「前」期の高度成長期、と言われて驚いたひともいるかもしれないから、注釈しよう。
「昭和前期」というと、とかくひたすら 不景気の延長戦の延長線の暗い冥い時代と思っている向きがあるけれど、そう考えているうちは勉強不足なんじゃないかねとコラム子は思うね。
今日ただいまの経済成長を論じるときに「善悪」の議論がないように、善悪判断を抜きにして素直に考えれば、昭和前期というのは満州への投資が炸裂し、朝鮮が安定開花し、台湾も実りはじめたころ。この連結決算でみた日本の高度成長は、半端でなかった。
もちろん、米国には及ぶべくもない「薄っぺら」だったのだが。現在の中国こそ、もっと「薄っぺら」だよ、という意味で。)
この高度成長があったから、対米開戦という無謀をやってしまったわけで、当時の日本人の心象は、右肩あがりの10年後の日本を心象に描きながら米国と勝負を挑んだのだと思う。
昭和前期を(括弧つきの)“高度成長期”として描かない日本史を、コラム子は まがいものだと思っている。その当時の人々の心象を反映しない歴史は まがいものだと思うから。
■ おだて論者こそ、歴史の教訓知らず ■
歴史の教訓を生かして、すこしでも戦争の可能性を減じたければ、中国人に対しては「あなたがたの体験しているこの時代は、けっして“中国経済高度成長の時代”ではない」と、事実を語りつづけることなのだ。なぜなら、中国の軍事政権が「自分らは高度成長のなかにある」と錯覚すればするほど、戦争の可能性が高まってしまうからだ。それこそ歴史の教訓ではないのかね。
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▲ 後記 ▼
中国関連のブログ書き込みから ――
「お笑い中国、またまた。メーデー7連休の小売売上高速報」
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5月1~7日の中国全土の小売売上高を、中国・商務部が5月8日に発表し、
それを日経の中国人スタッフが記事にし、日経本社の整理部が2段抜きの見出しをつけて報じたという、まことにさびしいお笑い。
中国の統計というのが、いかに信用ならないかという生きた証拠として、コラム子は勤務先で若手社員にこのブログを教材として読ませておるのですな。(冗談)
「中国貨物激増に対応できない米西海岸の港」
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中国リスクには、米国西海岸への輸送確保も含まれる時代がくるぞ、という話。
政治一般 ――
「<憲法運用枠組みの変更>と呼んだほうがいい」
http://
集団的自衛権の議論を交通整理してみました。