オハラ・こんにゃくからカリスマ洋菓子へ・
ようちゃんが、おもしろい記事を紹介してくれました。
わたしも、オハラのお菓子を食べてみたいなあ!
by日本のおねえさん
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▼こんにゃくからカリスマ洋菓子へ・つらい要求に耐えて新ビジネスモデル構築(日経)
石川県河北郡の国道8号線に面した小さな工場から、毎日、日本中の有名な洋菓子店に高級なプリンやスイーツがトラックで出荷されていく。辛党の男性はともかく、甘いものが大好きな女性なら誰でも知っている超人気ブランドの洋菓子である。 出荷しているのは、金沢市に本社を置くオハラ。かつてはこんにゃくの専門メーカーだったが、今やこんにゃくの製造を続ける一方で、ブランド洋菓子の製造で急成長している石川県期待の中小企業だ。
東京や京都、大阪、神戸といった大都市にある有名洋菓子店へ商品を卸すだけでなく、最近は自社ブランド、なかんずく石川県の特産品である米やサツマイモなどを洋菓子にした商品が人気を呼び、そちらの売り上げも急速に伸ばしている。 2006年2月期の売上高は8億4400万円、利益が2090万円(東京商工リサーチ調べ)。新しい市場を次々と開拓しているためにまだ利益率は低いものの、大手スーパーやコンビニエンスストアと共同で独自ブランド商品を次々と発表するなど成長性は高い。
中国に進出するも暴動で逃げ帰る
低成長どころか市場が収縮しているこんにゃくから女性が列をなして買いに来る高級洋菓子へ。業態を時代に合わせてうまく変化させたことが成長の秘密、と言えばかっこいいのだが、ここまで来るには何度も大きな試練に直面してきた。 例えば、中国からの撤退。「いやぁ、大変な経験をさせてもらい、勉強料もたくさん払いました」と小原繁社長は苦笑いしながら話す。「何しろ工場長は中国人社員たちに監禁されたような状態になり、暴動の中を逃げ帰ってきたのですから」。 こんにゃくは産地がほぼ群馬県に集中し、こんにゃくの製造機械も2社しか作っていない。商品の特徴が出しにくい産業にあって、市場が減っているとなれば、競争力を決めるのは価格しかなくなる。 安い労働力を求めて中国での生産を始めたのだが、「中国人のビジネスのやり方は日本人とは全く異なります。文化もよく調査しないで中国進出を決めたのは大失敗でした」と小原社長。1億円近い負債を出して撤退を決めた。まだ4年前のことだ。
売り上げ3億円なのに3億円を新規借り入れ
中国へ進出する前には、石川県、富山県、福井県の北陸3県にまたがる山々にコンニャク芋を植えるという事業を始めたこともある。少しでも安く原料を仕入れるためだった。中山間地域を活性化させるという名目で、売り上げが3億円の時代にもかかわらず中小企業金融公庫から3億円もの融資を受けることができた。 「机の上での計算では合理的な判断だったのです。低い金利で資金も借りられましたから。工場も近代化させようと現在の工場を建設しました。しかし、実際のビジネスは違いました。計算通りの利益が出ることはありませんでした」
こんにゃくは冬場には鍋の材料として量が出る。しかし、夏場は全く動きが止まってしまう。季節性の激しい商品で工場の稼働率がどうしても低くなる。借金して新工場を建てたものの、結局、利益を稼ぐどころか借金の返済というさらなる重荷を担ってしまった。 「もうこんにゃくだけでは生きていけない。夏場に何としても工場を動かさなければ借金も返せないということで、全く手詰まりの状態でした」
「これからは菓子だよ」の一言に目が覚める
苦境に陥っていた小原社長を救ったのが、中小企業アドバイザーの次の一言だった。「これからはお菓子の時代ですよ。夏に売れるお菓子を作ったらどうです」。 後から考えれば、簡単に思いつきそうなアイデアだが、その時の小原社長には青天の霹靂のような一言だった。こんにゃくでいっぱいだった頭の中が、今度はお菓子のことでいっぱいになった。 夏のお菓子で、自分たちが作り慣れたこんにゃくに近いもの。「くずきり」を作って売り出してみようということになった。それも伝統的な黒蜜に加え、ゆずレモン味や梅味など清涼感のある味つけをした商品を開発した。 その商品が大手スーパーのバイヤーの目にとまり、ヒット商品となった。
有名洋菓子店から次々と舞い込む注文。しかし…
すると、今度は歯車が一気に逆方向に回転し始めたように、次から次へと注文が飛び込んできた。「当店のこんなお菓子を作ってくれないか」と。 「洋菓子屋さんは、私たちとは全く逆の立場で、夏場の商品に困っていたのです。夏にはフルーツとゼリーを使った商品の需要がものすごく高まるのですが、夏場だけしか売れませんから、そのための生産ラインを作りたくない。しかも、ゼリーは作るのに手間がかかってしまうので、できれば外注したかったようです」
お互いのニーズが一致したわけだ。1社の商品を作ると、それが評判になってテレビで頻繁に紹介される有名な洋菓子店から依頼が芋づる式にいくつも舞い込んできた。 しかし、それはオハラにとって手放しで喜べるというありがたい話とはかなり違ったものだった。要求の水準が高すぎたのだ。 「相手は、名前を言えばお菓子好きの人なら誰でも名前を知っている超有名なパティシエ(洋菓子職人)です。とにかくこだわりが強い。味はもちろん、ちょっと見かけが気に食わなくても全部作り直しを言われました」
「ぷるるん感」が足りないと全品が返品に
例えば、ぷるるんとした感触のゼリーに強いこだわりを持つパティシエがいた。最初はそのパティシエが満足できる商品を提供できていたのに、数カ月後に出した商品は全品が返品されてしまった。「ぷるるん感」が足りないと言うのだ。 普通の人ではほとんど気づかないようなわずかな舌触りの違いにパティシエは満足しなかった。オハラでは生産工程を徹底的に点検したが、なかなか原因がつかめない。 ある時、職人の1人が「原因は水かもしれない」と言い出した。オハラのある石川県は水のおいしいところだが、水道水の硬度が季節によってわずかに異なる。井戸水を配合する割合が違っているからだった。 水を変えて作ってみたら、確かにぷるるん感のあるゼリーに戻った。
少量生産と大量生産ではレシピが全く違う
「パティシエとのつき合いは本当に大変です。そもそも、彼らが作るレシピは2~3個、多くても10個程度のものです。そのレシピを使って一度に1000個、2000個作ると、量が多いというだけで味が相当違ってしまうのです。大量生産と少量生産では、どうしても微妙な差が出てしまうようです」 その結果、パティシエと呼ばれる人たちは、オハラで商品を作る場合、何日も滞在して自らのレシピに少しずつ手を加えて大量生産でも少量生産と同じ味が出るようにレシピを変えていく。
「全くゼロからの共同作業と言ってもいいかもしれません。非常に手間がかかる。ほかの会社がやってこなかったのはなるほどと思いました」。小原社長は感慨深げに振り返る。 こんにゃくで苦しみ、どうしても夏用の菓子を成功させなければならないという背に腹は代えられない事情がなければ、オハラはこのような面倒なお菓子には挑戦しなかったかもしれない。また、北陸人特有の辛抱強さもあったのだろう。 「確かに大変なのですが、見方を変えれば、すごい先生たちに私たちが鍛えられているということでもあるのです。超一流のノウハウを私たちに教えてくれ、また一緒に考えてくれているのですから」
叩かれて強くなり自社商品開発へ
苦労は多く、時には利益が得られないこともある。しかし、企業でも人間でも鍛えられれば強くなる。 オハラは次のステップとして、自社ブランドのお菓子を商品化する。自社ブランドで販売できれば、有名店へのOEM(相手先ブランドによる生産)供給より利幅がぐんと増すからだ。それができたのも、日本中のパティシエに鍛えられたからである。 オハラは今、石川県など北陸3県で取れる農産物を使ったお菓子作りに力を入れている。独創性のあるパティシエが作るお菓子もブランドなら、そういうパティシエがいなくても、北陸の誇る農産物を利用すればオリジナリティーのある、しかも品質の非常に高いお菓子が作れると判断したからだ。
その1つが「五郎島金時」を使ったスイートポテト。五郎島金時はブランド力の高いサツマイモで、市場では高値で取引されているが、ブランド力が高いだけに、形に対する品質管理が厳しい。曲がりが大きかったり少し細かったりといった、味には全く影響がないが、形が悪いというだけで、廃棄処分される五郎島金時はけっこう多い。 廃棄するのはもったいないと思うが、五郎島金時のブランドを守るためには市場に出せないという。超一流のアパレルではたとえ売れ残っても商品をアウトレットに流さないのと同じ考えである。
捨てられていた農作物を使ってブランド品作り
しかし、加工食品としてしまえば形は全く関係ない。もともと丹精込めて作られたサツマイモだけに味は保証つき。これまで廃棄されていたサツマイモがブランドを毀損せずに売れるとなれば農家も喜ぶ。 五郎島金時と同じように、「能登大納言」ブランドの小豆、「加賀水稲」ブランドのお米を使った商品も開発している。例えば、加賀水稲では、精米の過程で割れたり欠けたりしたお米や、少し小さいか大きい規格外のお米は、はやはり家畜のエサにしかならなかったが、これをパンに加工して「ごぱん」として販売している。 農家と加工業者がスクラムを組んだ、新しいビジネスモデルと言えるだろう。
コンビニも参加し、新しいビジネスモデルを展開
こうした活動に、流通も加わり始めた。コンビニエンスストアの「サンクス」と「サークルK」を展開しているサークルKサンクスが今年2月、「HOKURIKU MOT PROJECT」と銘打って生産者と消費者を結ぶ活動を始めたのだ。 流通が加わることで、一層、消費者のニーズに合った商品が作れるようになる。小原社長は「農産物の生産者と加工メーカー、流通が一緒になって考え工夫して商品を作って売ることで、商品の品質が高くかつ値段も安い商品を消費者に提供できる。日本の商品は品質は高いけど値段も高いという思い込みも変わるでしょう」と話す。 こんにゃく一筋から脱し、著名なパティシエに鍛えられた食品メーカーは、新しいビジネスモデルを開花させようとしている。中国の食品に対する品質面での問題が表面化している中で、注目すべき取り組みと言えるのではないだろうか。
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ようちゃんの意見。↓
★バブル経済崩壊後の長く暗いトンネルを抜けて、大企業の財務体質や収益基盤は大きく改善し、過去最高益を稼ぎ出す企業が増えている。一方で、しわ寄せが中小企業に来ているのも事実。大幅なコストダウンを要求されたり、中国などへ製造拠点のシフトで取引を減らされたりしているからだ。しかし、そんな悪環境の中でもたくましく成長している中小企業がある。小ぶりな企業の特徴を生かして時代の変化を先取りし、創造的な新機軸は意外と足元に有った. 日本の伝統の中にあるモノを見直して生まれ返る程の発想転換が出来た企業は、大企業では無い.大企業は組織が大きくて、倒れたら立ち上がりが容易ではないが、小回りが効いて、直ぐアイデアも実行できる中小企業は、実に発想転換が生きる実例ですね.