今日のお勧めブログ記事。理由なき支援(国民年金の花柳な生活) 読んでね! | 日本のお姉さん

今日のお勧めブログ記事。理由なき支援(国民年金の花柳な生活) 読んでね!

ようちゃん、お勧めのブログ記事です。↓

▼理由なき支援(国民年金の花柳な生活)
昨夜、テレビのスイッチを入れたら丁度「BS日テレ」の「心の歌」で「

ああ、紅の血は燃ゆる」を歌っていた。この曲を聞く為に私はこの番組を

見ている様なものだが3ヶ月に1度位しか聞けない。

 あの戦乱の中で学徒動員などは取るに足らない小事であったというの

だろうか。動員令は国家の命令であり、それに従って働いた我々は

間違いなく強制された状況の下にいた。

しかし、祖国が危急存亡の淵にある時、全てを擲って生産に従事した事を

「強制労働」とは言わないだろう。

 広辞苑によると「強制」とは『威力・権力で人の自由意志を押さえつけ

無理をさせること』をいう。又、「強制労働」は「労働者の意思を無視し

権力で強圧してさせる労働」を指す。

 強制労働の典型的な例には、戦後ソ連が行ったシベリア抑留がある


国際法に違反したこの蛮行も戦勝国故か、又は日本が大人し過ぎる為

なのか誰も問題にしていない。しかし「強制」とはこの様なケースを指す

のであり、ただ連れて来られただけのものを「強制連行」というのは

疑義がある。
 
 況して甘言であれ詐術であれ、カネに吊られて応募したものを

「強制された」というのはそれ自体詐欺である。

「従軍慰安婦問題」にこの手が使われている事は周知の通りだが、

「サハリン残留韓国人」にも同様な手口が使われている様だ。

 《戦時中、朝鮮半島から企業の募集などでサハリンへ渡った韓国人が、

戦後、ソ連の方針で出国が認められず、数十年間に亘って残留を

余儀なくされた。「人道支援」の名の下に拠出した金は既に70億近い。

だが今夏以降サハリンから韓国への帰国事業を拡大する事になった為、

日本も新たな負担を求められる事になった

 これは産経新聞の記事だが、戦後62年も経って対象者は殆どいなく

なってしまった今も、その2世や戦後北朝鮮から渡った者まで支援して

いるのである。

 こういう理由なき支援の一つに中国で行われている毒ガス弾の処理が

ある。際限もなく次から次に湧いて来るガス弾は一体何処で製造された

ものなのか。

 帝国陸軍は貧乏で携行する弾薬は少なかった。
 姫路砲兵隊に青春を捧げたMさんは最後の戦闘をラバウルで迎えるが

、押し寄せる敵の大軍に対し砲2門、弾丸200発しかなかったそうである。

「あの時弾丸さえあれば敵を上陸させなかった」と生前のMさんは繰り返し

言っていた。
 
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ようちゃんの意見。↓
★麦先生のサハリン朝鮮人への支援金を廃止せよ!
「在サハリン『韓国人』支援」の名目で、今までに政府が70億円近くも

拠 出してきたとは驚きである。

村山内閣は平成7年に支援を決め、ソウル郊外に2000年に建設費

約27億円を日本政府が出して、サハリンからの永住帰国者約1000人の

アパート群を造り、療養院の建設費、ヘルパー代まで負担した。

また、赤十字に拠出する形で、在サハリンの韓国人に対して、韓国への

一時帰国の為の往復渡航費と滞在費を負担、サハリンに「文化センター

建設」(総 工費約5億円)、相手方から求められるままに支援が行われて

いたというのだから、村山内閣の責任は大きいだろう。

「終戦前から引き続きサハ リンに居住している『韓国人』」
との条件のようだが、戦後、北朝鮮からサハリンに渡った 人まで、

支援を受けているというのだから、

外務省は即刻このような無駄な支援は止めるべきだ。

戦時中に朝鮮半島から高い手当てにひかれて、サハリンへ渡った

労働者が多かったが、当時のソ連が国交のない韓国への帰国を

認めなかったというのだから、日本の責任にするのは無理があるように

思える。

昨年、韓国は永住希望者が3000人以上の帰国事業の渡航費などとして、

新たに日本側に支援を求め、平成19年度予算に約3億円が盛り込まれた

という。

日韓基本条約が結ばれていたにもかかわらず、戦後保障をした

村山内閣の罪は深いと思う。

「日本が強 制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」
一部政党・勢力の事実無根のプロパガンダと、村山内閣がいかに日本を

ダメにしたを如実に表すエピソードではないだろうか。

民主党が政権をとったら、またこのような誤った政策をするのだろうか

【深層真相】「在サハリン韓国人」理由なき支援 続く予算拠出 (iza)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/55425/

今春、成立した政府の平成19年度予算に「在サハリン『韓国人』支援」の

名目で約3億円が盛り込まれたことを一体どれだけの国民が知っている

だろうか。


「人道的支援」の名の下、サハリン残留韓国人問題で政府が拠出してきた

金はすでに70億円近い。だが今夏以降、サハリンから韓国への帰国事業を

拡大することになったため、日本も新たな負担を求められることになったの

である。戦後、60年以上が経過し、もはや支援対象者はほとんどいなく

なったはずだ。“理由なき支援”が続く背景は…。(喜多由浩)

 韓国・ソウルから電車で約1時間の安山市に、サハリンからの永住帰国者

約1000人が住む「故郷の村」のアパート群がある。

2000年に日本が建設費約27億円を出して造った

(土地代・維持費は韓国側が負担)施設だ。

 バス・トイレ付きの2LDK。家賃は無料、生活費として1世帯あたり日本円

にして約10万円が韓国側から支給されるから、ぜいたくさえしなければ

生活に心配はない。

 ほかに、病弱者を対象とした療養院もあり、建設費はもちろんヘルパー代

まで日本が出している。これらは平成7年、周辺国への「謝罪」に熱心だった

村山内閣時に決定されたものだ。

 日本の支援はこれだけではない。日韓の赤十字が運営する共同事業体

に拠出する形で、

▽永住帰国はしないが、韓国への一時帰国を希望する人たちのサハリン

からの往復渡航費と滞在費を負担(今年3月までに延べ1万6146人が

一時帰国)

▽サハリンに残る「韓国人」のための文化センター建設

(04年竣工(しゅんこう)、総工費約5億円)-など、相手方から求められるまま、

至れりつくせりの支援が行われてきた。

                  ◆◇◆

 だが昨年秋、韓国側は「まだサハリンには韓国への永住希望者が3000人

以上も残っている。今年夏以降、数百人単位で順次、帰国させたい」として、

日本側に新たな支援を求めてきた。

 日本が建てた永住帰国者用の施設にはもう空きがない。

ついては、別の公営住宅などを借りるからその家賃を日本側で負担して

ほしいという話である。

 さすがにそれは拒んだものの、結局、サハリンからの渡航費などは

日本側で支援することになった。それが冒頭に挙げた約3億円だ。

 そもそも、戦時中に労働者としてサハリンに渡ったのであれば80代、

90代になっているはず。戦後60年以上たっているのにいまだに

「支援対象者」が絶えないのは、支援者の条件が単に、

「終戦前から引き続きサハリンに居住している『韓国人』」など

となっているからだ。

 この条件なら終戦時に1歳の幼児だったとしても支援対象になるし、

日本とのかかわりも問われない。実際、現在の対象者の多くはサハリン

生まれの2世たちである。戦後、北朝鮮から派遣労働者としてサハリンに

渡った人など、「日本とは何の関係もない人」まで、支援を受けていることが

分かっている。

                  ◆◇◆

 戦時中、朝鮮半島からサハリンへ行った労働者は企業の高い外地手当

にひかれて、自ら海を渡った人が多かった。

しかも、彼らが戦後、帰国できなかったのは、当時のソ連が北朝鮮に

配慮して国交のない韓国への帰国を認めなかったからだ。

だから「日本に法的責任がない」という政府の主張は間違っていない。

 百歩譲って、アジアの大国としての「人道的支援」は認めるとしても、

すでに使命は十分に果たしたはずである。

それなのに、支援を打ち切るという話はどこからも聞こえてこない。

 支援事業を行う日赤国際部は、「日本政府としては各事業の効果や

必要性等を入念に精査の上、人道的観点から現実的な支援を策定して

いるものと承知している」とコメント。

外務省関係者からは、「この程度(の額)で済むのなら…」と本音も漏れて

くる。

 だがそういう「事なかれ主義」が歴史問題で日本を苦境に追い込み、

竹島や慰安婦問題で譲歩を余儀なくされたことを忘れてはならない。

                   ◇

【用語解説】サハリン残留韓国人問題
 戦時中、日本統治時代の朝鮮半島から企業の募集などで樺太

(現・ロシア領サハリン)へ渡った韓国人が、戦後にソ連(当時)の方針で

出国が認められず、数十年間にわたってサハリン残留を余儀なくされた。

日本の民間人の運動がきっかけとなって、1980年代半ば以降、日本を

中継地とした一時帰国、さらには韓国への永住帰国が実現した。

日本政府は一貫して「法的責任はない」と主張してきたが、日本の一部政党・

勢力が「日本が強制連行した上、韓国人だけを置き去りにした」などと、

事実無根のプロパガンダを繰り返したために、日本政府は帰国事業などへ

の人道的支援に乗り出さざるを得なくなり、戦後60年以上たった現在も

支援が続いている。