チュゴク人の残虐性を感じさせるニュースだった。
ようちゃんが、教えてくれたブログです。↓
このニュースは、わたしも観ました。古舘伊知郎の変なコメントも
聞いた!びっくりした。日本人がいつ、観客に残虐なショーを
見せたのか。狭いオリの中で、動物を飼って、外国人に非難はされた
かもしれないが、生きたままの牛やヒツジや鳥を動物園の
動物に買って与えて、食い殺す様子をショーを楽しむように
あんなに楽しそうに観るのは、中国人だからでしょう。
日本人だったら、あまりの残虐な様子に吐いてしまうかもしれない。
鶏なんか、女の人が、金網ごしにトラに見せびらかしていた。、鶏にしたら、
長い間恐怖を感じたあげくに食い殺されるわけだから、あんまりな話ですよ。
しかも、動物園の動物たちは、めちゃめちゃ
腹をすかせているじゃないか。
普段、エサをやってないのか!
清掃車みたいな車が、トラの集団の中にきて荷台を傾けると、
中から、生きた牛が落ちてくる。
トラたちは、牛に襲い掛かって、食い殺す。
その様子を、本当に楽しそうにキラキラした目で見ている中国人たちが、
心底、恐いと思いました。
朝のニュースでは、コメンテーターの作家が、
「中国では、なんでも国営でやっていけた所が、経済だけ開放されて
急に自分の力で経営をやっていけと国に言われたので、
各自工夫して経営をしているんです。
そこで、客にエサを買わせて、動物が食う場面を見せて儲けようと
しているわけだから、なんでも批判するんではなくて、どうしてそう
なっているか考えねばならない。」なんて、言っていたけど、
考えすぎでしょう!エサをやるのは飼育係の仕事だ。
客に残虐なショーを楽しませてはいかんだろう。
その様子を撮影した西洋人らしき人は、ショックを受けているようだった。
ウンチだらけの狭くて汚いオリの中でぐるぐる廻るトラ。
頭がおかしくなっていて、自分の顔を叩きつづけるオランウータン。
みんなの目の前で食われる牛。喜ぶ中国人。
ローマ時代のコロセウムで、剣闘士が殺しあうのを興奮して見ている
ローマ人も、こんな感じだったのかな。そういうのは、今の時代では
アウトです。by日本のお姉さん
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
先っちょマンブログ「残虐な中国人と古舘伊知郎」
今日放送の「報道ステーション」を見て驚いた。
中国の黒竜江省ハルビン市にある黒竜江東北虎林園という虎のサファリパークのようなところで、恐ろしい動物虐待が行われているとイギリスのテレビが告発したニュースを報道していた。そのイギリスのテレビの映像によると、入園料800円を払って入園した中国人らが何台ものバスに乗り込み、虎が放し飼いにされているところへ行く。そして、そこにトラックが1台やってくる。トラックが荷台を傾けると、そこからは生きた牛が転がり出てくる。何匹もいる虎は一斉にその牛に襲いかかり、観客の前でなぶり殺しにして牛を食べるのである。
その様子を中国人らは嬉しそうに眺めていた。親子連れも多く、父親が目を輝かせて虎について息子に語っていた。バスの中にいる中国人たちは、いずれも目の前で食われる牛を見てニヤついていた。中国人の残虐性をよく表すVTRである。生きた牛が虎に食われるシーンを見てニヤついていられるとは尋常ではない。黒竜江東北虎林園で行われている動物虐待は、弱肉強食という現実を人々に教えるものではない。悪趣味な残虐ショー以外の何ものでもない。日本人には到底ついて行けない見せ物である。誰もが気分が悪くなるだろう。だが、中国人は平気なのである。しかも金を払って喜んでそれを見に行く。
先の大戦について、中国人は日本兵が中国人の生皮を剥いだり、人肉を餃子にして食べたと主張するが、そんな日本人はいない。そのような残虐性は、中国人にあるものである。
多くの虎の前に放り出された牛をニヤつきながらみる中国人を見て、中国人の残虐性にぞっとした。
だが、それ以上にぞっとしたことがある。VTR明けに古舘伊知郎が垂れたコメントだ。「昔の日本でも同じようなことがあったかも知れませんね」
古舘はこのコメントだけ言った。何なんだそれは!私はテレビの前で思わず声を出してしまった。中国人の動物虐待を責めず、実例も挙げずに日本も似たようなことをしていたとのたまったのである。いつ日本が中国で行われているような悪趣味で残虐な動物のなぶり殺しをしたのか。そして古舘は、日本もやったであろうから、中国が何だと言わんばかりのしたり顔を見せた。これがニュースキャスターか。このような低能がキャスターとして仕事ができる日本のテレビ局が情けない。恥ずかしくて仕方がない。古舘伊知郎は黒竜江東北虎林園で虎の前に放り出されて体をちぎられながら食われればいい。反日親中の日本人キャスターでも、中国人は誰も可哀相とは思わないだろう。古舘は、自分が好きな中国人にニヤニヤ見られながら死ぬがいい。そうすれば、他の日本人反日キャスターが言うだろう。「昔の日本でも同じようなことがあったかも知れませんね」と。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■唸声韓国/ブタ屠殺パフォーマンスに非難ブゥーブゥー
生きた子豚の八つ裂きショーに非難の声が高まり、軍部隊移転計画反対デモ指導部は利川市庁HPに謝罪文を載せた。また、哀れな子豚の死体を捜して葬儀もする予定だとか。
この話(写真も)はたくさんのサイトにあるので詳しいことは↓日本アンチキムチ団殿のサイトへ
http://
軍部移転と豚の屠殺に何の関係があるのか分からないが、自分達の覚悟を示したものらしい。八つ裂き刑は最も惨たらしい処刑、上海で暗殺された金玉均の遺体を(八つ裂き刑(凌遅処斬)にしている。覚悟は分かったが、世界中にこの映像が流れている。損得勘定は得意な国民性の筈だが・・・。
豚を何に見立てたのか?単なるパフォーマンスではあるまい。一番恐ろしいのは、この光景を興奮して喜んでいる人間である。人間の心の奥底にはこうした残虐性が潜んでいるのだろう。ただ、我々は隣人の残虐性を知っておくべきである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★もう何をか言わんや! 驚愕しました!
中国の内戦時代の凄惨な民衆の殺戮、天安門事件のデモを戦車で
生きたままひき殺す。臓器狩、・・
流石 残虐な本性丸出しですねー。韓国軍のヴェトバム戦争の時の
残虐性は中国と良い勝負!私の村は地獄になった
----ベトナム戦争、もうひとつの戦争犯罪(韓国軍による虐殺)
http://
私の村は地獄になった 韓国軍がベトナムで行った残虐行為の被害者
たちが真実を語りはじめた ロン・モロー(バンコク支局長)
今から33年前の1967年4月1日。グエン・バン・トイはびくびくしながら、ベトナム中部フーイェン省の水田で働いていた。当時、この地域では韓国軍が大規模な作戦を進めていた。韓国兵は農民を力ずくで追い立て、南ベトナム政権の支配下にあった沿岸部に無理やり移住させていた。だが、多くの村人は移住を嫌がった。トイのビンスアン村を含む5カ村からなるアンリン郡の農民も、先祖代々の土地を捨てるのは気が進まなかった。トイが農作業を続けていると、いきなり機関銃の銃声と手榴弾の爆発音が響いた。音がしたのはビンスアン村の方角。トイはあわてて身を隠し、あたりが暗くなるまで動かなかった。村に戻ったトイが目にしたのは、身の毛もよだつ光景だった。家は黒焦げになり、少なくとも15人の村人が血の海に倒れていた。多くの遺体は銃剣で腹を切り裂かれていたと、トイ(71)は言う。そのなかには、トイの妻と3人の子供の遺体もあった。生後4日の末の子は母親に抱かれたまま、背中を撃ち抜かれていた。4歳の娘ディエムは銃弾を5発受けていたが、奇跡的に命をとりとめた。トイは遺体を近くの防空壕に運び、入り口を泥で覆った。ここが、そのまま墓になった。トイも他の村人も、「あまりに悲しすぎて」犠牲者を改葬する気にはなれなかったからだ。
理由なき無差別の殺戮
韓国軍がベトナムに派兵されていたのは1965~73年。こうした残虐行為のねらいは、ベトナム中部の3省(ビンディン、クアンガイ、フーイェン)から農民を移住させて人口を減らし、ベトコン(共産ゲリラ)の勢力伸張を阻止することにあったようだ。現地の自治体当局者によると、立ち退きを拒否した人々は、韓国軍の手で組織的に惨殺されたという。しかも犠牲者の多くは、老人や女性、子供だった。
歴史の闇に葬り去られていた虐殺の事実に再び光が当てられたのは、勇気ある韓国人研究者、具秀ジョン(ク・スジョン)が行った調査のおかげだ。彼女は韓国軍による大量虐殺の詳細を記録したベトナム政府の文書を発見した。生存者の証言によると、虐殺は理由なき無差別殺人であり、多くはベトコンとの戦闘が行われていない時期の出来事だった。グエン・フン・トアイ(46)もビンスアン村の虐殺と同じころ、アンリン郡の別の村で危うく殺されかけた。
当時13歳だったトアイは、韓国軍が家に近づいて来るのを見てすぐに逃げた。近くの畑に隠れて見ていると、韓国兵は村の家に次々と火をつけ、母親と祖父母、弟と妹、そして近所の人々に暴行を加えたという。韓国軍は、トアイの家族を含む11人ほどの村人に銃剣を突きつけ、防空壕に追い込んだ。残りの12人ほどは、穴の外に立たされた。次の瞬間、何の前ぶれもなく銃声がとどろき、手榴弾の爆発音が空気を引き裂いた。トアイはとっさに頭を隠した。硝煙が消えたとき、すでに韓国軍の姿はなかった。トアイは急いで家族がいた場所へ行った。防空壕の前には、穴だらけになった血まみれの死体が並んでいた。防空壕の中も、誰かが生きている気配はまったくなかった。トアイは恐怖に駆られて逃げ出した。戦が終わった後も、ここへ戻ることはできなかったという。
見つかったのは肉片だけ 「みんな、村を離れたくなかった。私たちにとって、家や土地や水田はかけがえのないものだ」。トアイはそう言って泣きだした。「でも、立ち去るのを渋った人間はみんな殺された。連中は村をめちゃくちゃに破壊してしまった」こうした残虐行為の結果、多くの人々がベトコンの陣営に加わった。67年、16歳のときに父親を韓国軍に殺されたブイ・タイン・チャムもその1人だ。
チャムは数人の韓国軍がアンリン郡の家に押し入る直前、裏口から脱出した。韓国兵は70歳の年老いた父親を捕らえ、防空壕に押し込むと、すぐに手榴弾を投げ入れた。チャムは日が暮れてから村にこっそり戻り、崩れた避難壕を掘り返したが、「肉片しか見つからなかった」という。それから数週間、物ごいをしながらさまよったチャムは、山岳部にこもっていた共産ゲリラに加わる決意を固めた。「父を殺した奴らに復讐したかった。韓国兵が村でやったことを見た以上、そうせずにはいられなかった」グエン・ゴク・チャウは83歳になった今も、憎しみを忘れていない。67年5月22日、フーイェン省ホアドン郡のミトゥアン村で農業をしていたチャウは、たまたま親戚のいる近くの村に出かけていた。そこへ前夜、韓国軍が村を攻撃したという知らせが届いた。大急ぎで帰ったチャウが目にしたのは、村人が井戸からバラバラになった遺体を引き揚げている光景だった。犠牲者のなかには、妊娠中の妻と4人の子供も含まれていた。
首を切り落としてやる」 虐殺を隠れて見ていた老人の話では、韓国兵は女性や子供を井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだという。チャウは、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。「殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」と、チャウは言う。「韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から海岸沿いに北へ向かえば、68年に米軍部隊が500人以上の村人を虐殺したクアンガイ省ソンミ村がある。それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は必ずしも悪くない。地方公務員のファム・トゥ・サン(47)は66年のテト(旧正月)のとき、米兵と一緒に遊んだりチューインガムやキャンディーをもらったことを今も覚えている。
だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。それから「67年のテトを迎えるまで、韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった」と、今は地元の退役軍人会の会長を務めているチャムも言う。
アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから、殺すケースが多かったからだ。こうした残残残虐行為が明るみに出てきたことに、ベトナム政府は神経をとがらせている。虐殺があったこと自体は、政府首脳も承知している。だがベトナム当局は、虐殺事件の報告書が国内で発表されることは望んでいない。友好関係にある韓国政府はもちろん、ベトナムに莫大な投資を行っている大宇や現代、三星といった韓国財閥の不興を買うことを心配しているからだ。
補償より謝罪の言葉を
さらに政府当局には、観光客としてベトナムを再訪する韓国の元兵士が増えている状況に水を差したくないという思いもある。だが、韓国軍の残虐行為を目の当たりにした地元の当局者は、観光や経済発展のために真実を隠すべきではないと考えている。地元が望んでいるのは、韓国政府の公的な釈明だ。たとえば韓国側から謝罪や罪を認める発言があれば、両国の絆はむしろ強まると、地元の人々は考えている。韓国軍は、この地域にかつてない災厄をもたらした。犠牲者は銃を持てない老人や女性、子供たちだ」と、フーイェン省のある当局者は言う。「私たちが望んでいるのは、物質的な補償ではない。それよりも共感と友好の姿勢を示してほしい。犠牲者が過去を忘れられるように」韓国軍のために流された罪なきベトナム人の血の量を考えれば、なんとささやかな要求だろう。