ようちゃん、お勧めのブログ | 日本のお姉さん

ようちゃん、お勧めのブログ

■『憲法九条は諸悪の根源』かーー注目の新刊書から
憲法9条の「負」の部分を鋭く指摘した新刊書があります。
憲法九条は諸悪の根源』 著者は気鋭の論客の潮匡人氏です。出版社はPHP研究所です。価格: ¥ 1,470 (税込)

国家の視座を忘れた近年の憲法論議の偽善を一刀両断! 「美しい日本」にふさわしい新憲法の姿を、具体的かつ明確に提示する一冊。

解説 相次ぐ「いじめ自殺」、IT長者の逮捕起訴、マスコミによる情報捏造、閣僚のスキャンダル……。日本は、なぜこんな国になってしまったのか。その根本が問われている。

 国外に目を転じると、北朝鮮は弾道ミサイルを連射し、核実験を強行したにもかかわらず、その見返りを求めている。軍拡を続ける中国は衛星破壊実験に成功し、衛星の破片を放置しながら、平然と「宇宙の平和利用」を唱えている。護憲論者が崇める憲法九条は、周辺国からの軍事的脅威に晒されているわけだが、日本国内では依然として「戦争に巻き込まれないために憲法九条を守ろう」という能天気なスローガンが叫ばれ、『憲法九条を世界遺産に』なる書名の本がベストセラーになっている。

 本書では、元自衛官である著者が、護憲論議の偽善を暴きながら、こう訴える。中沢新一サン、太田光サン、井上ひさしサン、森永卓郎サン、吉永小百合サン、井筒和幸監督……あなたたちこそ「平和の敵」です!


憲法第9条の主旨は突き詰めれば、人間はたとえ正義のため、人道主義のため、親や子を救うためでも、絶対に他者と物理的な戦いをしてはならない、ということでしょう。そのうえに憲法の前文は、この世界にはそういう「絶対非戦」の考え方をとる国家や国民たちが多数、存在するかのような幻想を投げかけているように思えます。このような人間の現実、世界の現実とは反する「教え」を絶対の真理であるかのように保持するためには、膨大な規模の虚妄、偽善、糊塗が不可欠となります。そんなごまかしが受け入れられる社会に深刻な弊害が出てくるのは当然でしょう。
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■戦後日本のごまかしと嘘
日本の常識は世界の非常識」と20年以上も前に竹村健一氏が言って、多くの日本人も外国人もそう思った。では戦前の日本についてはどうだったか。明治開国以後の日本においては「日本の常識は世界の常識」になっていた。いな、「世界の常識」が「日本の常識」になるように努力してきたのが明治以後の日本だったのである。それが昭和20年代から、「日本の常識」は世界の常識からずれてしまった。なぜか。
それはいわゆる新憲法と呼ばれる占領軍制作の占領基本法を日本人が「憲法」であると考えるようになったからである。主権の発動である憲法制定が、主権が奪われた状態でできるわけがないという明白な事実を、当時の日本人はごまかしたのであり、そのごまかしは今まで続いている。中でもそのごまかしが特に顕著に現れているのが「憲法九条」に関する護憲論者たちのへ理屈なのである。この点につき、すべて実名をあげて名指ししながら説き明かした痛快な書物が現れた。

戦後の日本が、いかにひどいごまかしだらけの国になっているかを潮氏は名調理人の包丁さばきさながらに切り開いてみせてくれる。軍事と法律の両方を専攻した貴重な書き手である。新憲法制定にかかわった枢密院副議長の子孫であるという血も、著者に憲法問題に関心を持たせることに関係があったのではないだろうか。

戦後の日本の平和が日米安保条約のおかげでなく、憲法九条のおかげだと言うのは誰にも分かる嘘(うそ)である。こういう嘘に学問的装いを与えてきたのは東大の憲法学教授たちである。この人たちは敗戦利得学者の利得を引き継ぎ、現存する憲法の解釈、つまりこじつけを生計の道としてきたのだから仕方がないが、司法試験や公務員試験にかかわる人たちだからその罪は深い。その嘘を直視することのできる本書の出版を喜びたい。(PHP研究所・1470円)上智大学名誉教授 渡部昇一氏書評。

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【プロフィル】潮匡人 うしお・まさと 昭和35年生まれ。早稲田大学卒。航空自衛隊を3佐で退官し軍事ジャーナリストとして活躍。著書に『常識としての軍事学』など。

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■先っちょマンブログ「宝くじの1等当選確率と殺人に遭う確率はほぼ同じ 」

日垣隆氏の著書「世間のウソ」(新潮親書)によると、ドリームジャンボ宝くじの1等に当選する確率は1000万分の1だという。つまり、0.00001%だ。ものすごく低い確率である。その上、別の統計によると、日本の宝くじは1万円の投資で負ける平均額が5200円と、ほかのバクチに比べて突出している。アメリカのスロットマシンでも420円、日本の競馬でも2500円らしい。
「宝くじは夢を買うようなものだ」と言う人がいるが、夢を買うにはずいぶんと金がかかるらしい。
また、新潮社事件取材班による「黒のトリビア」(新潮文庫)によると、日本に住んでいてる人が1年で交通事故や殺人、放火など他人によって殺される確率は0.00008%であるとか。宝くじを1年に1枚だけ買うより8倍も可能性が高い。殺人に限った確率で言うと、1年で誰かに殺される確率は0.000011%。宝くじを1年に1枚だけ買うのと殆ど同じ確率である。

私はよく会社の先輩と「宝くじで3億当たったらどうするか」なんてアホな話をしているが、宝くじを買っていない。何て不毛な話だと思うが、金をかけずにそれなりに楽しむことはできる。
買わないと1等に当選しないのは当たり前の話だが、殆ど元も取れないことを考えると買っても無駄なような気がしてならないのが宝くじだ。確率だけで言うと、他のバクチの方がよほど効率がいい。
私は宝くじを買う分、貯蓄でもしておいた方がいいと思うのだが、そうは思わない人がこの世の中に多くいるのだろう。宝くじを管轄する総務省やみずほ銀行はウハウハに違いない。
サッカーくじに限っては文部科学省が管轄しているが、多分宝くじと似たようなものなんだろう。日本の公営バクチなど、胴元の取り分が多すぎて、博徒が儲けられないのが世の常である。

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■「中央調査報(No.536)」より日本の”ギャンブル型レジャー”の市場分析

<ギャンブル化の方向で好調な宝くじ>
宝くじは、いわゆる“ギャンブル型レジャー”の範疇に含められるかどうか議論の分かれるところである。宝くじを買う人は競輪や競馬、パチンコをやる人とはタイプが大きく異なる。当たれば1億円だとか3億円だとかいう宣伝文句に踊らされて、巨額を投じる人もいる。しかし、現実的にはほとんど当たらないのであり、ギャンブルではないという人もいる。近年、ナンバーズやロト6など手軽でインスタントな宝くじが登場し、当たる確率も拡大してきたことから、ここでは“ギャンブル型レジャー”の範疇に含めて考えたい。前述のように、平成3年以来、宝くじは堅調な推移を見せており、他の産業規模に比べれば規模こそ小さいものの、平成12年まで着実にプラス成長を続けている。宝くじの還元率は45.6%、経費・手数料が14.6%であるから、収益率は39.8%となる。ほとんどの宝くじが自治体主催であるから、上げの4割は自治体の収入になる。他の公営競技は還元率が75%であるから、宝くじよりは相当に高い。公営5競技の還元率も一定の範囲内で施行者が決定できれば収支バランスが取れる所も多いだろう。いずれにしても宝くじは好調で、最近特に好調なのは平成13年6月に登場した「インスタントくじ(スクラッチ)」や、平成6年10月に登場した「ナンバーズ」、平成11年4月に登場した「ミニロト」、平成12年10月に登場した「ロト6」などの「数字選択式宝くじ」である。従来の宝くじにはない数字選択式宝くじの魅力は、購入者自らが数字を選択できる点、当選金額が発売額と当選口数によって変動する点、売り切れがなくいつでも好きなだけ買えることができる点、などである。このことは、宝くじがギャンブル性(射幸心)をくすぐるような施策を打ち出してきたことで、他の公営5競技と同様のいわゆる“ギャンブル”に近づいてきたことを意味している。ただ、市場としては平成12年で9,500億円と他競技と比べるとやや少なく、アメリカでは約4兆円、イギリス、スペイン、ドイツなどでは約1兆円で、世界的にみるとまだ市場が拡大する可能性がある。平成10年5月に「スポーツ振興投票の実施等に関する法律」が公布、同年11月に同法及び関係政省令が施行され、「スポーツ振興くじ(toto)」がスタートした。還元率は50%以下。当面は47%とされた。当初マスコミの予測では、売上額は2,000億円などといわれていたが、実際には平成13年の売上げで604億円にとどまった。理由は様々であるが、販売店が7,000カ所しかなかったり(イタリアでは18,000店)、払戻金融機関が信用金庫だったり、などである。本場イタリアではバール(大衆パブ)やたばこ店などで発売・払戻しができる。日本では差詰めコンビニなどで発払いができれば状況が一変したに違いない。また、最初の頃こそ1等で1億円が出ていたが、そのうち1等でも1万円を切る低配当が出たりと配当にバラつきがあり、配当の興味を失ってしまった。そこで最近になって、延長Vゴールを入れずに90分で引き分けの場合、これを引き分けとカウントすることで、当選確率を低めて高配当が出やすいよう改正がなされた。公営5競技も宝くじもそうであるがどこも不景気で、適度な射幸心を煽って売上げを伸ばそうと必死で努力しているのである。しかし、世界的にみるとサッカーくじは不振であり、本場イタリアでは世界一の売上規模を誇り、3~4年前には3,000億円を超えていた売上げが、今は2,000億円ぐらいとあまり良くないようである。今は日本同様に「数字選択式くじ」が人気のようである。

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<パチンコは世界最大のギャンブル産業>
最後に、パチンコである。世界に類をみないこのパチンコ産業が実は大きな市場を形成している。パチンコは法律的にはあくまでメダルゲームということになっており、風俗営業法の第1章総則第2条第7号に定められた営業である。パチンコ屋では貸し玉、貸しメダルと呼び、玉1個4円、メダル1枚20円で客に貸してゲームをさせる。その結果、勝てば景品に交換するという営業なのである。ほんの昔は、大衆娯楽として待ち合わせの時間つぶしにとか、サラリーマンの会社帰りに駅前でなど、軍艦マーチの流れる煙草臭い空間でストレスを解消する。こうした身近なレジャーであった。
しかし、近年のパチンコは違う。大きなきっかけは昭和56年に「フィーバー機」と呼ばれる機械が登場してからである。その頃から売上げは10兆~15兆円と一桁上がってしまった。その後「CR機」といってカードでやる機械が登場して、全国全台がカードでやるようになれば業界の売上げが捕捉できるというわけで、導入推進のために射幸性がますます高くなった。今のパチンコは、何万円もお金を持って行って3~4時間ほど我慢しないとドッとは出ない構造になっている。すでに、少額で短い時間楽しめるレジャーではなくなっているのである。市場規模でみると、平成3年には23兆円程度だったのが、一番ピークの平成7年には約31兆円にもなった。平成12年でも約29兆円ぐらいあり、日本の産業構造全体でみても巨大なマーケットである。あらためて、パチンコがなぜ実態的にギャンブルなのかというと、パチンコ店で特殊景品と呼ばれる景品と交換し、これを景品交換所で現金に換えることから一連の流れでそう考えられている。景品交換所は古物取引商であり、客が勝手に現金化しているだけのことである。しかし、現実的には違法行為であり警察のお目こぼしがあるとしか言いようがない。このいわゆる“3店方式”が業界の常識となっており、客が景品を現金化する確率は90%を超えるといわれている。
このような巨大な市場を形成する業界を、統計データとして捕捉することは実際相当に難しい。しかし、市場規模でいうところの数字は再投資額を含めた金額であり、実際にパチンコ店の粗利益は13~14%だといわれている。全国の店舗数は約16,000店、雇用者数は34万人にも上るといわれている。ただ、参加人口は年々減少してきており、パチンコよりもギャンブル性が高いパチスロが隆盛となってきており、客単価の上昇が考えられる。このように、射幸心を煽ってギャンブル性が高くなり、景品交換の仕組みによって、日本には世界最大のギャンブルが存在しているのである。



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<世界一のギャンブル大国日本>
以上みてきたように、いわゆるギャンブルと考えられている競輪や競馬、競艇などの公営5競技の他に、宝くじやパチンコなどのレジャーを含めて“ギャンブル型レジャー”と称してきた。この市場規模たるや、世界を見渡してもこれを上回る国はおそらくないだろう。平成12年でみても、公営5競技の売上合計が約6兆8,000億円、宝くじが9,500億円、パチンコが約28兆7,000億円であるから、これらの合計は約36兆4,500億円にも上る。これは平成12年余暇市場全体(85兆570億円)の約43%を占めている
これを日本国民1人当たりで計算すると年間約30万円で、月に2万5千円はこれらのギャンブルに費やしていることになる。これは相当な金額である。おそらく世界一の金額ではなかろうか。もっとも、このうちパチンコが約8割を占めているため、公にはこの8割はカウントされない。しかし、現実的にはパチンコはギャンブルとなっており、暗黙の了解の元に粛々と社会に存在しているのである。 世界のギャンブル市場を把握する正式な統計は存在しないが、くじが世界一盛んで人口も多いアメリカの例がある。米州くじ協会によると、平成12年の総売上額は377億6,000万ドル(日本円で約4兆7,000億円)で、住民1人当たりの年平均購入額は152.97ドル(日本円で約19,000円)である。この他にカジノやスポーツブッキング、競馬などの売上があるが、それぞれの売上を合算しても約8兆円弱であると推測される。それぞれが「くじ」の売上を上回る市場ではないと考えられているからである。以上から推測すると、日本は世界最大のギャンブル大国であることは間違いないといえよう。▲
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ようちゃんの意見。↓
★日本のくじって一般に外国のくじと比較すると大当たりの金額が低いですよね.なんでも「射幸心を煽るのが悪い」から制限があるそうです.宝くじなんかじゃなくて,真面目に働いてお金を貯めなさい,ってことですか?でも宝くじで身を持ち崩す人は少ないと思います.競馬やパチンコでは沢山いると思いますし、そして株の方がよっぽど射幸心を煽る様な気がします.
しかし、ギャンブル化(射幸心を煽る)方向へ変換してたのですねー。当選したお金は非課税と言うのにも惹かれるのでしょうね。罪悪感が少ないし、夢を買うなどと言う文句がくすぐるのですが宝くじはその中でも1兆円を占めてるのですねー。女性に参加者が多いと言われてる。買えばじっと「果報は寝て待て」と言う受身的な所もあるのでしょうが・・。しかし、この総務省の
中央調査局によると「世界一のギャンブル大国日本」とは驚きました。この宝くじについて、面白い論文を見つけましたので次に紹介します。私はギャンブル一切しないし、宝くじも買わないし、株もしないから、心理は分かりませんが、短期決戦型やゲーム感覚の好きな、刹那主義と言う、厄介な退廃的な趣味の流行は、滅亡期の文明と思います。
凡そ(おおよそ)刹那主義と言う計画性の正反対事象を 求めるのが趣味と言うのは物事をコツコツ積み重ねて努力する態度とは別物です。むしろそういう事を嫌うようになる。
これが青少年時期から、電子ゲームで熱中し、中毒になるし、我慢強い忍耐力が無い、切れやすい子供を作ると元凶と言われてる。ギャンブルが隆盛な時は文明の崩壊への一里塚です。坂の上の雲から、下降するその時でしょうか?軍隊を拒否する国民と国家に明日は無い!
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■イスラエル秘密操作事件の真相 「ギャンブルの衰退と格差社会」
格差社会が進むに連れて庶民の娯楽にも影響が出ているようである。お金と時間がかかる競馬や競輪のような公営ギャンブルが影の薄いものになったのは時代の流れかもしれないが、パチンコのような庶民性の高い娯楽も最近は売り上げが半分にまで落ち込んだと言われている。ギャンブルの世界にも格差社会の歪が広がっているようである。その反面で宝くじだけは売り上げが伸び続けており、所得の低い人達が時間潰しを楽しむギャンブルよりも手っ取り早くお金が入るギャンブルに関心を持っていることを示している。同時に、高額のお金をかけて時間潰しを楽しむギャンブルは所得の多い人達の娯楽になってしまったようである。私は賭け事には詳しくないし、ギャンブルは苦手な人間だが、新聞で最近のギャンブルの異変を知って驚いている。格差社会が拡大する中で、本当に時間とお金が無い人が急増している現実が垣間見えるからである。同時に、それは、ギャンブルの世界も情報社会の進展に流されていることを意味しており、トランプやサイコロ、ルーレットなどを使ったギャンブルは全てテレビゲームとして実現されていて、子供時代から遊んだ経験を持つ人が大半だろう。もちろん、競輪や競馬、パチンコ、パチスロなどもテレビゲームになっており、多くの人は飽きているのかもしれない。テレビゲームとして作られていないのは宝くじぐらいであり、それが宝くじにのめり込む人が増える原因になっているのだろうか。

必ずしもそう言えないのではないかと思う。むしろ、4億円や6億円といった高額の配当を狙う射幸心の強いギャンブルに対して関心を持つ人が多くなったことを意味しているのではないだろうか。これも格差社会がもたらす傾向であり、庶民の夢なのかもしれない。ギャンブルはその良し悪しは別として、お金を賭けて娯楽の時間を楽しむことが醍醐味なのであり、その為に中毒状態に陥る人が出て来るのだが、宝くじ以外のギャンブルは中毒性が高いものが多く、パチンコでさえ全財産を注ぎ込んで借金まで作る人が出たり、子供を車の中に放置して熱射病で死なせたりする夫婦が出るなど、事件報道のニュースが多くなって敬遠する人が出ていることもあるのかもしれない。宝くじは、その点、抽選日まで待つ時間があるので、短時間に多額のお金を注ぎ込む危険が少ないということなのだろうが、そのことよりも、宝くじが昔に比べて種類が非常に多くなっていることが庶民の射幸心を煽っている理由だと思う。確かに、宝くじ売り場に行ってみると、こんなに多くの宝くじがあるのかと驚くほどの宝くじがある。昔のようなジャンボ宝くじぐらいしかなかった頃とは比較にならない。1枚100円で買える宝くじもあれば、10円玉で擦って見るもの、数字を選んで当てるものなど、さまざまである。宝くじ事業団の努力の成果かもしれない。