君が代は、恋の歌だった。byようちゃん | 日本のお姉さん

君が代は、恋の歌だった。byようちゃん

★【参考・中華人民共和国国歌歌詞】
起て! 奴隷となることを望まぬ人々よ!
我らが血肉で新たな長城を築こう!
中華民族に最大の危機せまる
一人びとりが最後の雄叫びをあげる時だ
起て! 起て! 起て!
敵の砲火をついて進め! 敵の砲火をついて進め!
進め! 進め! 進め!

★日本の国歌の歌詞「君が世」を頭の中に浮かべて比較しましょう。(ルーツは民族歌を聞き書きで収集した歌謡なのですよ!)

「君が代は 千代にやち世に さざれ石の 岩ほと成りて 苔むすまで」(高三隆達)(隆達唱歌)

十六世紀、自由都市であった泉州堺の国際貿易商人、高三隆達が町に流行していた唱歌を収集し、歌と歌との情緒の連関をはかって編集した『隆達唱歌』の第一歌である。
 ちなみに、つづく第二歌は、

  思い切れとは、身のま丶か、誰かは切らん、恋の道。

と、なかなか色っぽい。玄人の女性が客と恋に落ちてなやましい。そんな歌曲とともに、君が世は、日本各地やアジア諸国、あるいはポルトガルやスペインからの遠来の客をもてなす宴会で、綺麗どころをあげて謡われていた。

隆達が、君が世の歌を唱歌集の第一歌としたのは、宴会に招かれた客人をことほぐ、もっともポピュラーな歌謡だったからだろう
その類歌は、遅くとも『古今集』に“読み人知らず”として記載されてから幕末まで、ずっと宴席の歌謡だった。古歌集の“読み人知らず”の多くは共同体に伝わる四季や山川、採物(とりもの)などの祝歌(ほぎうた)である。自由都市が出現するまでの宴会は、結婚や成人の儀礼をふくむ神事の宴会か、貴族や武家、町や村など組織の上役を祝う宴会がほとんどで、前者では「君が世は」、後者では「我が君は」を初句に歌ったというのが歌意にあっている。

「君が世」あるいは「君が代」とは「年寿」(生きて重ねた年)のことで、その歌の源流は、神事の宴席に長老をことほぎ、ともに生きる時代の安寧を願った神歌にあった。だからこそ、この歌は巫女(みこ)筋と関連する芸者衆や遊女衆に歌いつがれ、花町の宴席で女が男に、男が女に共有する時を祝福して、流行する曲調に合わせて謡う賀詞にもなり、謡曲や浄瑠璃、長唄などの一節にもなった。

明治維新のとき、‘ぽっと出’の大山巌が、欧米諸国にある国歌を日本でも制定するから貴賎を問わず親しまれる歌謡を選んでおくようにといわれて、田舎にせよ都市にせよ、宴席でだれもが謡う「君が代」を採録した。
これは砲弾飛び交うアメリカ国歌や女王陛下万歳のイギリス国歌などより、乙な選択だったかもしれず、近代イデオロギーにまみれたしかめっ面の議論に左右されるのも、あまり荘重に歌うのも野暮であろう。
十世紀いらい謡いつがれたこの歌詞の魅力は、決まり文句の「岩ほと成て、苔のむすまで」にある。細かい石が水底にたまり、それが神霊を宿す岩となって苔がむす。その苔に言いしれぬ時間を感じる。
それは欧米の直線時間やヒンドゥーの円環時間、中国の壷中時間などとはちがい、生命がむす(産す)時間である。
その苔には、いのちになりつづける時間が堆積している。しかも、苔むした岩の全景は、昔も今も一挙に重層する「現在」でもある。このような時間感覚にぴったりの時間論が、はるばるインドから中国をこえて到来した。それは大乗仏教の精華を極めた“過去も未来も実体がなく、現在を形成し現在が創出する「只今」(ただいま)があるのみ”とする「過未無体の時間」であった。その極上の創出的時間論が、この歌謡をすっぽりと包んでいる。
本当の「君が世」の歌詞を 1番、2番まで全詩、全要を知ってる人が少なくなってるが、きちんと2番目まで歌えば、君が天皇を指してるのでは無い事が理解できる。

1番   「君が代は    千代にやち世に さざれ石の 岩ほと成りて 苔むすまで」
2番    「思い切れとは、 身のま丶か、 誰かは切らん、(あーあーあー)恋の道。」 (あーあーあー)という合いの手が入る、「イヤー」「それ、それ」とか
気分に合わせて入れてたらしい。酔狂で歌っていたんだから。民謡には訳の分からん合いの手は多い。「そーらん、そーらん」「よい、よい」「どこいしょ、どこいしょ」など
早いサンバ。リズムで 合いの手を 自分の気分のままに挿入して歌うと、全く一変するから、宴会用に、改変して昔風に歌ってみようと思いませんか?

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ここからは日本のお姉さんの意見。↓

チャイナの国歌って、物騒な内容ですね。

この国歌の戦いの敵とは、どこの国のことでしょうか。

チャイナの戦争やる気満々の国歌に比べて、日本の国家は

のんびりしていますね。

宴会で歌われる歌だったんですね。

コケのむすまで、あなたが長生きしますように、という

愛情を表現しているわけですね。わたしが子供の時の学校の先生は

「これは、天皇のことだ。」と、言っていましたが、

本当は、別に天皇のことではなかったんですね。
「神霊を宿す岩となって苔がむす」という部分は、わたしはクリスチャン

なので、岩に神霊が宿るとは思わないけど、岩に苔がむした様子は、

苔という命がまといついて岩よりも、もっと優しくやわらかい別なもの

に変化するというイメージがある。細かい石が合わさって大きな塊となって、

そこに苔がむして雄大な自然の一部となるまで、長生きして繁栄して

くださいという愛情を歌った歌なのだ。歌の相手が誰のことかなど考えないで

日本に昔からある有名な曲だったから、国歌になったというのなら納得

できる。国家を歌いたくない人は、天皇に捧げる歌だと勘違いしているから

反対しているのかな。わたしは、天皇の命が長く続きますようにという

意味の歌詞なんだと、今日まで思っていたよ。