今日のお勧めの記事 byようちゃん
▼「アメーバ赤痢」の感染者急増、7割が国内で感染(読売新聞)
寄生虫病の一つ、「アメーバ赤痢」の患者が大幅に増え、2003年から4年間に届け出のあった患者のうち、70%が国内で感染し、10人が死亡していたことが、国の感染症発生動向調査でわかった。06年の感染者数は700人以上と、00年の約2倍。性的接触でも感染し、男女間の感染が急増している。アメーバ赤痢は、赤痢菌が引き起こす感染症とは異なり、原因となる原虫「赤痢アメーバ」が口から入って発症。患者は細菌性の赤痢のように、腹痛や下痢などの症状に苦しみ、死に至ることもある。1970年代までは、海外の流行地で赤痢アメーバに汚染された飲食物が輸入されたか、摂取した旅行者が帰国して発症する場合が多いとみられていた。しかし、80年ごろから感染者が増え始め、99年4月の感染症法施行により、アメーバ赤痢について医師の届け出が義務づけられたことから、2000年に377人、06年には747人に上った。国立感染症研究所の分析では、感染地は、同法が施行された99年4月から02年までは国内が981人、国外が264人だったが、03年から06年までは国内が1802人、国外は394人と、国内での感染が急増した。感染経路としては、男女間の性的接触が129人(99年4月~02年)から300人(03年~06年)に大幅に増えた。(2007年5月13日3時3分 読売新聞)
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▼成人の麻疹、大阪でも30人の集団発生 大阪狭山市の専門学校休校
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▼露、中央アジア資源をまたも“手中” カザフの石油・トルクメンの天然ガス(iza)
【モスクワ=内藤泰朗】中央アジア諸国を訪問中のロシアのプーチン大統領は12日までに、エネルギー資源が豊富なカザフスタンの石油輸出やウラン濃縮で優先権を獲得するなど中央アジアの資源への支配力を着々と強めている。ロシアは天然ガス大国、トルクメニスタンとも協力を拡大することで合意した。欧米諸国や中国が火花を散らす中央アジアのエネルギー争奪戦におけるロシア優位は欧米などに暗い影を投げかけている。
ロシアでの報道によると、プーチン大統領は10日、カザフスタンの首都アスタナで同国のナザルバエフ大統領と会談し、カザフが欧米諸国向け石油のほぼ全量をロシアのパイプライン経由で輸出することで合意した。欧米諸国は、産出量が急増するカザフの石油をロシア経由ではなく、カスピ海海底とアゼルバイジャンを通って欧州に運ぶ計画を立てていた。ナザルバエフ大統領は11、12の両日、ポーランドのクラクフで行われたエネルギー首脳会議に出席し、この計画などについて協議するはずだった。しかし、プーチン大統領が急遽(きゅうきょ)カザフ訪問を決めたため、同首脳会議への出席をキャンセルした。同首脳会議には、主催国ポーランドのほかウクライナやリトアニア、グルジア、アゼルバイジャンの各国首脳が出席した。ロシアでは「反ロシア・エネルギー・サミットを失敗させたプーチン」(経済紙コメルサント)と報じられるなど、中央アジアのエネルギー資源争奪戦の熾烈(しれつ)さをうかがわせている。
ロシアとカザフの両国は、ロシアのアンガルスクに建設予定の国際ウラン濃縮センターでカザフ産ウランの濃縮を行うことや、対立していたカザフのバイコヌール宇宙基地の共同運営問題など、原子力・宇宙分野でも協力することで合意した。プーチン大統領はバイコヌール問題についてロシア側がカザフ側に譲歩した可能性を示唆した。
カザフ側はすでに中国との石油パイプラインを開通させており、当面は隣接する中露両国との関係を重視する姿勢を示したとみられている。
さらに、ロシアに次ぐ旧ソ連圏の天然ガス大国トルクメニスタンでは12日、カスピ海沿岸のトルクメンバシで、同国のベルドイムハメドフ、プーチン、ナザルバエフの3大統領が集い、中央アジアのエネルギー・サミットを開催した。3首脳はトルクメニスタンからカザフ、ウズベキスタンを経由してロシアへ向かうカスピ海沿岸の天然ガスパイプライン建設で合意する共同宣言に調印した。ロシアはこれにより、中央アジアから膨大な量の天然ガスの長期供給ルートを新たに確保することになり、さらに強気のエネルギー外交を展開する懸念が出てきた。
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▼急接近する北朝鮮とイラン「悪の枢軸」同盟に調印~サダムのイラク消滅後ブッシュの「悪の枢軸」が両国核保有で現実化(米流時評)
イラン国内の核燃料施設では、核爆弾に必要な純度のウラン濃縮過程にまではまだいたっていないと見られるが、今回はすでに昨年核爆発実験に成功している北朝鮮と同盟を締結する事によって、核兵器あるいはそのマニュアルをイランが入手。その見返りとして、北はイランから原油等エネルギー資源を受領する、という構図がありありと見て取れる。イラク戦争の泥沼に足をすくわれている間に、アメリカは一番怖れていた「核を保有する悪の枢軸」同盟を、イランと北朝鮮の間にみすみす結ばせてしまった。
この件に関して、日本のメディアが騒がないのが不思議でならない。これでは北の経済的困窮を解決するルートがついてしまったも同然で、このピボタルな条約締結は、今後東アジアでの北の立場を増長させる以外の何者でもない。早急に国連安保理事会に、この条約の内容公開要求・監査委員会の視察など、速攻の打開案を提出しなければ、世界は彼らの思うツボに振り回されるのは目に見えている。イランは日本にとって、直接かかわり合いのない遠い異国ではないのだ。早い時点で骨なしの条約にしなければ、最初に狙われるのは日本である。なぜなら、日本は政治的・軍事的に、彼らの共通の敵アメリカの一番近くに立っているのだから。
【2007年5月11日 米流時評 ysbee記】
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▼【中国を読む】海を越える羊頭狗肉式ペテン 福島香織(iza)
夕暮れどきの路地に、くず石炭を赤くたいて、羊肉串(シシカバブ)の屋台がでている。香ばしいクミンのかおりにあらがえず、買って一口食べると、あれ? ヘンな味。「これ、本当に羊肉?」と、にやにやする売り子をにらみつけた。北京の羊肉串の屋台は、豚肉を使用している場合がある。理由は単純。豚肉の方がずっと安い。豚肉を羊の脂と香辛料につけ込み焼くと、食べ慣れた人でないと区別がつかない。「羊頭狗肉」(見かけだおし)ならぬ「羊頭豚肉」。私がムスリムだったら、毒を食わされたのと同じくらいのショックで卒倒していただろう。
看板に羊の頭を掲げて安い犬肉を売るという「羊頭狗肉」の出典は宋代の禅書だから、中国ではこの種のペテン、ニセモノはおよそ1000年の歴史があることになる。ある意味、伝統文化といっていい。だが、金のためなら本当に有毒物すら食わせることをためらわない危険なペテン文化が、今のグローバル化時代、海を越えて、実際に人をあやめているとなれば、伝統だなんて言っていられない。
■発覚後も責任のがれ
昨年9月、パナマ市の病院に呼吸困難などの中毒症状を訴える子供が相次いで担ぎこまれた。ニューヨーク・タイムズ紙によれば365人が死亡。その後の調査で、子供たちの飲んだせき止めシロップに、毒性のある化学工業原料ジエチレングリコールが含まれていることが判明、死者のうち100人がジエチレングリコール中毒死と断定されている。
シロップになぜ、そんな毒が含まれていたのか。このジエチレングリコールは医療用グリセリンとして中国から輸入されたものだった。理由は単純、値段の安いジエチレングリコールを高価なグリセリンとして売ればよりもうかる。いずれも甘い味がし、判別がつきにくい。
製造したのは江蘇省泰興市にあるグリセリン工場で、国営大手の貿易会社を通じて輸出されていた。しかし、この事実を中国当局が公式に認めたのは、米国報道で隠しきれなくなった5月8日。事件発生から8カ月もたっていた。しかも発表は「泰興市のグリセリン工場も貿易会社も医薬関連企業ではなく、国家食品薬品監督管理局の監督範囲内にない」と、責任のがれの言葉ばかりがならぶ。
■国内でもニセ薬被害
振り返れば2006年春、中国広東省で13人の死者を出したチチハル第二製薬製造のニセ注射液事件も、原因物質がプロピレングリコールと偽って納入された泰興市の化学工場製造のジエチレングリコールだった。この直後に、ほとんど同じ構造で発生した事件を防ぐどころか、海外にまで波及させてしまったことへの痛恨や反省はない。
米国では江蘇省や山東省の工場がタンパク質量含有量を見かけ上増やしてみせる有機窒素化合物メラミンをこっそり添加して製造した小麦グルテンが輸入され、それを原料にしたペットフードがペットの中毒死事件を引き起こした。これも当初、中国は関与を否定し、米国の調査依頼に非協力的だった。まさか大国崛起の証である五輪開催を来年に控えた中国で、いまだ政府までが「だまされる方が悪い」という感覚なのだろうか。
こういう中国の姿勢をみると、中国は確かに頼りになる世界の工場だが、この国に台所を預けている日本としては、ニセモノと健康被害を輸出する危険な「羊頭狗肉国家」であるとの警るわけにはいかないだろう。文化大革命ですら破壊することのできなかったこの伝統的ペテン文化が、容易に変わるはずはないのだ。
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▼中・韓―その「反日」の本質(依存症の独り言)
小泉内閣のころ、よく「日本はアジアで孤立している」と言われた。が、これは親中派や左翼、あるいは朝日新聞に代表される左派メディアのプロパガンダでしかなかった。
実際のところアジアで、いや世界中で日本の首相の靖国神社参拝を非難していた国は中国と韓国、それに北朝鮮くらいしかない。このためネット上では、この3国を明確に区分するために「特定アジア」とか「特ア3国」とか呼ぶようになった。では、なぜこの3国は日本の首相の靖国神社参拝を非難するのか?なぜ「反日」なのか?
今日はこのあたりに言及したい。ただ、北朝鮮はカルト国家なので今回は対象にしない。
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実は中国と韓国の「反日」は本質的に違うのである。中国は1972年の「国交正常化」以来、80年代後半までは間違いなく「親日」だった。毛沢東は日米安保条約ですら容認していた。もちろん日本の首相の靖国神社参拝を非難することもなかった、“A級戦犯”が合祀された後も。 80年代の中国で、もっとも人気のあった女優は日本の山口百恵であり、男優は高倉健。百恵が主演した「赤い疑惑」は中国で空前のヒットを記録した。つまり、中共指導部も中国社会の空気もけっして「反日」ではなかったのである。もちろんこれには事情があった。
一つは、ソ連が中国にとって大きな脅威になっていたということ。それから当時の中国は世界で孤立していたということ。そのころの中国にとって「友好国」と呼べるのは、アルバニアとルーマニアくらいしかなかった。
ところが80年代後半から状況は一変する。1989年に起きた天安門事件は中国共産党(中共)の威信を一気に低下させた。なぜなら人民の軍隊(人民解放軍)が人民を虐殺したからである。しかも、改革開放に伴なう市場経済の導入により、共産主義イデオロギーは社会的規範としての役割を喪失した。 中共の威信低下と共産主義イデオロギーの崩壊―つまり、80年代後半から共産党一党独裁の正統性に疑問符がつき始めたのである。一方、対外的環境を見ると、1991年には中国にとって最大の脅威だったソ連が崩壊した。これにより、反ソ戦略の一環としての「親日」が不要になった。ここにおいて中共指導部は「反日」に大きく舵を切ることになるのである。
「中国共産党は抗日戦争において中心的役割を担い、これに勝利した」
中共独裁を正当化するにはこれを強調するしかなくなった。
そして「抗日戦争」における共産党の役割をたたえるプロパガンダは、同時に中国を侵略した日本軍がいかに残虐だったかを強調するプロパガンダにつながっていった。つまり中国の「反日」は、中共体制が抱える内部矛盾の外部転化なのである。
共産党支配の正統性を合理化し、その求心力を維持するために抗日戦争の勝利と「反日」を強調する。90年代に入って強化された愛国・民族主義教育は「反日」教育でもあったのだ。
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以上を読めば、中国の「反日」が政治的な動機によるものであることがおわかりいただけたと思う。では、韓国はどうか?
韓国の「反日」は、言うなれば歴史的怨念、民族的怨念の発露である。その起源を私は、1637年の「丙子胡乱」にあると見る。14世紀末に建国された李氏朝鮮は明(中国)の朝貢国であった。
その朝鮮にとって満州(中国東北部)にある女真族は北狄
(ほくてき=野蛮人)であり、軽蔑の対象でしかなかった。ところが17世紀に
入ると、満州で女真族が建てた後金が勃興し国号を清と変更すると、
朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を求めてきた。
華夷思想に染まっていた時の朝鮮王・仁祖は当然のことながら清の要求を
拒絶する。すると、怒った清の皇帝・太宗は10万の兵力を率いて朝鮮に
侵攻した。で、清の圧倒的な兵力の朝鮮軍はなすすべもなく惨敗を重ね、
わずか45日で降伏。これが「丙子胡乱」である。
このとき江華島に逃げた仁祖は清軍に捕らえられ、三田渡で降伏の儀式
が行われた。この儀式は屈辱的なもので、仁祖は太宗に対し
三跪九叩頭の礼(三度ひざまずき、九度頭を地にこすりつける)をもって
清皇帝を公認する誓いをさせられた。
そして三田渡の地には、後にこれを記念した大清皇帝功徳碑(三田渡碑)が
建てられることになる。韓国では、この碑を「恥辱碑」と呼ぶ。
それは、この碑に以下のような内容の文が刻まれているからだ。
愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆った。清国皇帝は、愚かな朝鮮王を
窘め、この大罪を諭してやった。 良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさ
を猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った
愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。(要約)
この屈辱の儀式のあと朝鮮は、「三田渡条約」と呼ばれる、これまた屈辱的
な条約を清に呑まされる。 この写真のレリーフは韓国政府が作ったもので、
「大清皇帝功徳碑」のそばにある。清の太宗の陣地があった三田渡の
受降壇で、仁祖が太宗に対して三跪九叩頭の礼を行い、清皇帝を公認する
誓いをさせられるという場面を描いたものである。
「受難の歴史が渦巻くこの場所で、我々はこのような汚濁の歴史が再び繰り
返されないよう、民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなけれ
ばならない」レリーフの文末には、このように書かれている。
これは、1982年当時の全斗煥・軍事政権のころに書かれたものだ。
「受難の歴史」「汚濁の歴史」、この言葉に韓国・朝鮮の歴史的、
民族的無念が示されている。誇り高き韓国・朝鮮人にとっては受け入れが
たい歴史だが、これが事実であることがさらに彼らの自尊心を傷つける。
参照:よみがえる?「対中/屈辱の碑」 (毎日新聞)この清によってもたらされた「受難」「汚濁」から韓国を解き放ったのは「自主、自強の意志」ではなかった。屈辱的な「三田渡条約」を破棄し、晴れて独立の身になれたのは清が日本に敗北したからである。つまり、日本のおかげで「受難の歴史」「汚濁の歴史」を断ち切ることができた。 が、これまた韓国・朝鮮にとっては屈辱だった。北狄(野蛮人)から受けた恥辱を東夷(とうい=未開人)の力を借りて晴らすことになったからである。で、結局、韓国・朝鮮はこの後も「自主、自強の意志」を固めることはできず、日本の統治下に組み込まれることになる。そして、この日本による統治から解放されたのが米国のおかげ。ここでも「自主、自強の意志」とは無縁のまま独立を果たすことになる。で、独立後は今度、南北に分かれて同じ民族同士で無残な戦争を引き起こしてしまう。片方はソ連、もう一方は米国の後押しを受けて。つまり、韓国・朝鮮は中世から近世~近代にかけて一度も「自主、自強の意志」を貫いたことがない。この屈辱が「民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなければならない」という言葉になって表れるのだ。狂気じみた「反日」も、盧武鉉という低脳な政治家を「反米」主義者というだけで大統領に選んだのもこのためだ。このあたりは、拙著『韓国が世界に誇る ノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録』をお読みいただければ、よくわかると思う。
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中国の「反日」は政治的に作られたものだ。
一方、韓国のそれは歴史的、民族的な理由による。
したがって、中国の「反日」は中共の都合次第でどうにでもなる。
今、中国では自らが蒔いた「反日」の種が大きくなりすぎて、逆に中共体制を
脅かすまでになっている。だから中共は「親日」宣伝に努めている。
「赤い疑惑」を再放送したり、米倉涼子主演の「女系家族」や「黒革の手帖」
を放映したりしているのもそのためだ。
もちろん、中国進出にブレーキがかかりつつある日本から、より一層の資本
と技術を引き出すことも狙いの一つである。
一方の韓国は、盧武鉉政権がハンナラ党(保守)政権に代わっても、その
「反日」は本質的には変わらない。おそらく経済的に、文化的に「日本に
追いつき追い越す」までは、「反日」は今のままだろう。
そして韓国が日本に追いつくことは、この先100年間はありえない。結論と
して言えることは、狡猾な中国も愚かな韓国もわが日本国の友好国には
なりえないということだ。
「敬して遠ざける」という態度を貫くべきである。【注】
“A級戦犯”が靖国神社に合祀されたのは1978年、中国がわが国首相の
靖国神社参拝を非難し始めたのが1985年。
が、この時も、胡耀邦政権は自制的で、むしろ日本の野党(社会党)が
煽り立てている感じだった。