ようちゃんの「邪教は遊園地のジェットコースター」説
ようちゃんから来たメールを、ようちゃんの許可をもらったので紹介します。
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わたしは、湾岸戦争が10年位前に起きた時から イスラム教に注目した。
最も、1995年のオーム真理教の地下鉄での猛毒サリン噴霧事件も起きたり、
カルト教団の集団自殺も米国で起きたり、そして益々事態は悪化して行く。
イスラム過激派の自爆、2001年の米国ツィンタワー崩壊から始まるイラク
戦争、その間に起きた 統一教会の集団結婚や壷売り詐欺など
足の裏占いでの詐欺、家出や集団共同生活をするカルト教団から、
信者をレイプするキリスト教系の韓国のカルト宗教など・・・。
日々、大人気の占いブーム、幸運・開運商品、 風水を使う数々の販売
企画商品が 氾濫する。
占いや易に人生委ねたり、加持祈祷に依存したり、簡単に勧誘の巧妙な
宗教に騙される人が増えて行く時代になった。
封建時代は戸主が 先祖より引き継がれた宗教を代々、一族郎党が全員
総参加して時代から、 核家族になり信教の自由が
保障された現代は、 各個人と言う小単位が、ターゲットになり、
金銭主義と、不安、ストレス時代が加わり、宗教は一大ブームを 迎えてる。
宗教(しゅうきょう)は一般に、神・超越的存在・聖なるものなどについての
信念や信仰、信念や信仰と結びついた 個人の態度
(超越的なものとの関係)・活動(礼拝など)・制度(寺社、教会など)・
信者の形成する社会などを表す。 ...
特に その中でも 安易なお任せシリーズの邪教、詐欺集団に、多くの人が
引き寄せられたり、逆に、自由な時代に 不安と反発を感じて、 一層
体感的に宗教を感じたい人達が、 イスラム教やら山法師の滝勤行やら
極端な宗教にと 二極分解して 広がってるように思います。
今問題になってる遊園地のジエット・コースター と同じなのが、
占い、風水、お守り札、
◇ 事故の原因は金属疲労によるものと、専門家が推定(断定に近似)してい
ます。スタート地点でのスイッチで「onとoff」が決まる。
後は機械任せで、レールの上を高速で走る。事態の状況変化にも運転手の
操作で減速・停止など 行えない。全く受身の乗り物です。
だから、その安全性と点検は普通の乗り物以上に厳しいのが当然と考えるが
大違い!
車検という厳しい点検義務が無い。
遊園地の自主管理で15年も、部品交換していない。
安易な考えで宗教も開運商品も考えてるから被害が大きくなるし、減らないし
増えるばかりです。
自分で考え、自分で暮らしの中に取り入れて行動の規範にして、精神を
安定させるためにあるのが 宗教なのですが、非常に気楽に善意に満ちて、
簡単に幸運気分が味わえるから、高額な開運商品や お墓の建立に
金を取られる。
受動的な手法で得られるレジャーや宗教的な似非宗教は 拒否する事も
大事だと教えたいです。
能動的な、(自分から行動できる) 積極的な具体的には、自然
(野山・海浜)の中で、サバイバル(自活能力の鍛錬) ~アドベンチャー精神
(冒険心)を発揮するようなレジャーへ転換する事が大事になる。
宗教も普遍的で、寛容的で、自由裁量度が広い、又精神性が多角的配分
されて階級的に奥が深まるモノを 求める事が大きな違いが出来ると
思います。
ストレスを精神医に相談したり、通院したりで治療してても、薬を大量に
処方する場合は十分に気をつける事も 大事になる。
精神病の治療薬の中の鬱病の薬には、覚せい剤に類似の化学式を持つ
ものが多い。
是に依存し過ぎると、薬の服用の遅れのある時に、急激な精神バランスの
乱れが起きて自殺へと走る事が起きている。
この頃は日本人が、日常の生活からの開放をレジャーとして、取り入れて
から定着して、連休になると海外ツアーや 遊園地、
特にジエット・コースターは大人気。
ディズニーランドの賑わいなど、ありふれてるくらい普通になったが、
この事故は、大きな警鐘です。
如何に安易な お手軽レジャーで刺激の強い受身の運転手すら居ない、
全くの機械次第、 スイッチの「オンとオフ」で決まるデジタル時代の先端を
行く、機械だと考えさせれた。
そして個人という社会の最小単位に向けて、あらゆる攻撃が仕掛けられ
てきてる時代です。
家族の大枠の中で、不自由ではあっても、安全だった頃と社会環境は
変化してる。その代表的なものが 宗教だと私は考えていたのですが、
邪教のカルトとは 遊園地の乗り物と同義語だったと大発見をしました。
見かけは、明るく、楽しげで簡単に少額のお金で乗れて、絶叫して、
瞬間の浮遊と高速スピード感覚の幻想的というより 幻惑される感覚が、
短時間で体験出来るのだから、 若者や子供にも人気絶頂だったのは
当然です。
しかし、車検のような点検が杜撰で業者の気分次第、 金儲け主義で、
監督官庁にも捏造報告、全くの野放しの無法地帯。
カルト宗教も無法地帯なのです。
形而上のモノだから、形の無い精神性を どう扱えば良いか考えるという
より、騙して 貶めて、苦しめるだけの結果になるのだから、モット性質が
悪い!
無知蒙昧というけれど、今日ほど、日常生活に、普通に落とし穴やら危険が
溢れてる時代は無いと思います。
急激な気温の上昇で、 いきなり半袖がちょうど良くなるとは、オドロキの
気候です。 オーアストラリアが凄い旱魃で 水の節水規制出て、
シャワーは厳禁だそうです。
毎日、たっぷりとお湯を使って入浴してる日本人は、余りにも不用心、
水にも感謝して、毎日食べる食事の 安全が、きちんと見張られてる日本に、
感謝しないと駄目ですね。中国の恐怖の食品は常軌を逸してます。
これを書くと、紙面が不足します。
http://
(北京趣聞博客 (ぺきんこねたぶろぐ))福島香織さんが執筆している。
福島香織さん(産経新聞中国総局記者。平成13年に香港支局(
すでに閉局)勤務、14年から北京駐在。北京の銀座と呼ばれる
王府井近くに一人暮らし。趣味は美食、読書、旅行、観劇。目下、
中国の人口、女性、貧困、環境、ネット、言論問題などが取材上の
関心事。好きな言葉。「逃げない、はればれと立ち向かう」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここで中国の恐怖の食品シリーズで掲載しています。
今日は「食品の安全学・番外編」です。
一度是非行って見てください。広く日本の人々が読んで、
北京オリンピックに出かけないようにして欲しい。
では・・ 又書きます。
ここまでが、日本のお姉さんに来たようちゃんのメールです。
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ここからが、日本のお姉さんの返事です。
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まさに、邪教は乗ったら止まらない遊園地のジェットコースターですね。
中には、命を落としたり、性的にもてあそばれたりする被害者も出る。
ある人が書いた本や、新聞広告が気にいらないからと言って、外国人に
対しても、遠く、イランやエジプトから死刑宣告を下す。日本人の大学
助教授も、大学の構内でナイフで刺されて殺されましたね。
聖書では、正しい宗教とは、弱いものに手を差し伸べて世話をする
集まりのことで、宗教者があがめられたり、金を集めて威張ったりすること
ではないと書いてあります。
イエス・キリストがこの世界に人として来られた時代は、
ローマが世界を支配していて、世界の人々は、ほぼひとつだった。
ローマ皇帝を神として拝めば、勝手に好きな物を拝んでよかった。
でも、ユダヤ人だけは、絶対にローマの皇帝を拝まなかった。
死んで拝まなかった。そこで、ローマの皇帝は仕方なく、
「ユダヤ人だけは、特別にユダヤの神を拝んでもよろしい。(皇帝を
拝まなくても殺さない。)」と、ユダヤ人に約束していました。
その代わり、ちゃんと、ローマの総督がエルサレムにいて、
ローマの法律で、人々を裁き、治安を維持していた。
ローマは、厳しかったけれど、ユダヤには融通を利かせたのです。
ユダヤ人の取税人が、町の門に立って、ローマの税金を集めていた。
取税人は、好きなだけ税金を取っても良かった。
一定の額だけ、ローマに納めれば、後は、好きなだけ自分のモノにして
良かったのです。それで、ユダヤ人の取税人は、ローマの犬だということで
嫌われていた。また、売春婦たちも、嫌われ者だった。
ユダヤの宗教家は、聖書からズレて、勝手にユダヤ教を作り、
変な規則をいっぱい作っていた。
●親には、「あなたにささげるプレゼントは、神殿でささげるいけにえに
なりました。」と言えば、親に生活費を渡さなくてもよろしい。
●卑しい人(外国人・取税人・売春婦・サマリヤ人などの
ユダヤ人と外国人との混血)が、川に落ちて溺れていても、助けなくて
よろしい。触ると穢(けが)れるから。
●旅行に行く時に持っていくものは、これこれの品物である。
(全部持つとすごい大荷物になった。)
●神さまを礼拝する神殿では、ローマのコインを使ってはならない。
カナラズ、神殿が発行するユダヤのコインと交換してから献金しなければ
ならない。そのレートは、ユダヤ教の聖職者が決めて、
差額を儲けても良い。
●神さまを礼拝する時に、神殿でささげる犠牲のヤギや羊は、自分でキズの
無い動物を選んで連れて来なくてもよろしい。神殿の前で、買いなさい。
(商売人たちが、キズがある動物や、病気の動物を高く売った。
聖職者たちは、マージンを商売人から取った。)
などなど、どう考えても変な規則ばかりで、聖書の教える神さまの愛から
外れている教えだった。
律法学者やパリサイ人たちは、一般市民をバカにしていたし、
十字路などの目立つ場所で、立ち止まって祈ったりした。
人に見せるために、宗教的な行為をした。
そんな宗教家たちに、イエス・キリストは、聖書に書いてある神さまの
願いは、そんな宗教的な事をして、自分に栄光をきだせることではない。
神さまに栄光をきせるのが、本当。
自分たちは、罪が無いと言うが、神さま(わたしの父と、イエス・キリストは
言われた。)が喜ばれるのは、罪びとが罪を悔い改めて、神殿で神さまの
前にひざまずいて祈る人の心だし、
貧乏なやもめが、わずかなお金を心から神さまに感謝しながら
ささげる心だと、教えられた。
神さまが聖書で教えることは、人間が宗教をすることではない。
ひとりの人間が神さまの前にひざまずき、神さまに感謝し、
神さまを喜ぶ心なのだと教えられた。
そして、聖書に書いてあるいろいろな儀式は、世の終わりに救い主が
くることを予言したもので、人間の罪の裁きを終わらせるのは、
人間が持ってきてささげる羊ではなくて、神さまが用意した
罪の無い完全な羊、つまり、父である神のひとり子であるわたしが、
世の罪を取り除く、子羊なのですよと、教えられた。
聖書の予言である、「メシヤ(救い主)は、わたしなのです。」と宣言された
のです。そして、神殿で商売人を蹴散らし、両替人の台を蹴り、
「わたしの父の家を商売人の家にするな!」と、怒鳴られた。
多くの奇跡を行ったので、当時のユダヤの10人にひとりはイエス・
キリストを見に行ったり、奇跡を見たり、話を聞きに行ったりした。
当時のユダヤの支配者である宗教家たちにとっては、イエス・キリストは
邪魔者であったので、イエス・キリストを捕まえて、ローマの総督の家に
夜中に押しかけて、急遽、リンチ(私的な裁判)を開かせた。
ローマの総督は、これはユダヤ人の宗教家たちの宗教の問題で
犯罪でもなんでもないことを知っていたから、イエス・キリストを助けて
強盗、殺人犯で有名なバラバをつれてきて、どちらを赦したいかと
ユダヤ人に問いかけた。
すると、ユダヤ人たちは、ローマの総督の中庭で、
「バラバを赦せ!イエスを十字架につけろ!」と、大騒ぎした。
しまいには、ローマの提督に、「イエスを十字架につけなければ、
反逆罪であなたをローマに訴える。」とまで、言ったのです。
ローマが許しているのは、ユダヤ教で、イエス・キリストの語る聖書の言葉
ではないと、言いたかったのかもしれない。
おまけに、イエス・キリストが、常日頃から「死んでも三日目に聖書にある
とおりによみがえります。」と言っておられたので、ローマの兵隊に
墓の番までさせています。十字架は当時の一番ひどい刑で、
小高い丘で十字架につけられたので、多くの人が見学した刑だそうです。
罪の無い神さまのひとり子が、大勢の人の前で十字架にかかって、
裁かれる。その流した血をもって、神さまが人類の罪を赦すという
聖書の予言のとおりになった。
そのために来たと、イエス・キリストが普段から大勢の人の前で語って
おられたので、その後、多くの人がよみがえったイエス・キリストを見たと
言い、聖書の予言にある救い主は、イエス・キリストだったと伝えだしたのは
歴史的な事実です。当時、よみがえったイエス・キリストを見たと言う人
は500人以上いたし、奇跡を見た人も、実際にイエス・キリストに会った人も
大勢いる時代だった。その時代に、大勢の人がイエス・キリストを
聖書の予言にある救い主だと信じて世界中に伝えはじめた。
弟子たちが、「救い主が、人間の罪を赦して、救うために来られたのは
事実です。」と伝えだした。
キリスト信者を迫害して石で撃ち殺していた集団の中からも、
イエス・キリストを信じる者が出た。その人は、この救いはユダヤ人だけの
ものではないと知り、世界に向かって宣教しだした。
聖書が伝える信仰とは、ひとりひとりが、罪を救い主に赦されることで、
直接、神さまと親しい関係になることです。
どこか、神殿や山にいかなくても、人がいるその場所から、神さまのおられる
天国に直接つながっている。
神さまは、どこにでもおられ、どこの時代でもおなじ神さまです。
神さまは偶像ではない。人間の目に見えない霊的な存在です。
また、世界とその中の全ての創造物を創られた方です。
人間と同じように、心がある方です。
聖書には、「わたしは山に向かって目を上げる。
わたしの助けはどこからくるのだろうか。
わたしの助けは、天地を創られた主(神さまを親しく呼ぶ名前)から来る。」
と、書いてあります。山を拝むのではなく、宇宙や、自然界を創られ、
人間を作られた神さまを拝むのです。
そういう神さまを敬うので、罪を犯すと、神さまを悲しませることになる。
神さまに喜んでいただくために、神さまを信じる人は、自分から善を
行いたいと願うし、失敗しても軌道修正をする。
習慣的な罪から離れようとする。だから、神さまを信じている人は、
道徳的なことを、良いこと、人殺しなどの罪を悪いことだとします。
正しい良心に従って、自分の生き方をコントロールします。
そうしていない人は、神さまを敬っていない。神さまを喜ばそうなんて
考えていない。神さまを信じていない。神さまの存在を認めることなら
悪の霊や悪魔でも認めています。
神さまを信じるとは、神さまが人間を愛して罪と罪の結果である死後の
裁きから救うために、救い主を送ったと、聖書の予言どおりに
人間の罪の罰を、罪の無い完璧な神さまのひとり子が、目立つ方法で
裁かれてくれたことを、自分のためだと認めることです。
ようするに、神さまが、自分を愛しているから、そういうことをされたと
いう事実を受け入れることです。だから、神さまを愛するし、神さまが
愛された人を愛する。
それが、正しい宗教です。
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人間は罪がある。
自己中心的である。だから話合いで解決できずに戦争になる。
人間は、努力している。しかし、今のところ、世界に平和は同時には
現れていない。人間は常に戦争をしている。
人間には、世界をまとめる能力は無いということでしょう。
聖書の予言では、最後の日には、イエス・キリストがもう一度天から
イスラエルに降りてこられて、神さまのひとり子が直接、イスラエル人を
中心として千年間の間、地球を支配し、その後、反対する民族、国を
自由にさせて、神さまの側につく民族と、つかない民族とにわけて、
一気に、世界を作りかえると書いてあります。古い天と地が巻物のように
巻かれて、新しい天と地が、天から降りてくると書いてあります。
それは、まだ先の予言ですが、イエス・キリストがもう一度天から
イスラエルに降りてこられる日は、世界中がハルマゲドンに集まって
イスラエルを攻撃する日だと書いてあります。
そういう日が来る前には、ひどい災害が7年間起こるのですが、
その7年間の艱難の時代は、特別にイスラエル人の救いのためにあるので、
それ以前にイエス・キリストを信じた人には、関係ありません。
世界の創造主を信じない人生もまたジェットコースターに乗ったようなもので、
政治家やメディアや外国の影響にふりまわされて年を取るだけの毎日です。
その中で、自分の頭で考え、自分で真実を見つけ出し、自分の道を決める
のが正しい生き方でしょう。日本人は、日本の伝統や家の規則から
縛られること無く、自由に生き方を選べる時代になりました。
戦争に負けて、嫌でも西洋の考え方である個人主義の時代になったのです。
その中で、金儲けやオカルトなどの邪教に惹かれて人生を台無しにする人が
増えてきている。自分の造り主である神さまを信じないで、
カリスマ教祖に惹かれて、人殺しも正しいと思い込む愛の無い邪教は、
乗ったら最後のジェットコースターです。
長くてごめんなさい。
追加しておくと、あくまでも、他人の心の中の自由を侵す宗教の弾圧は
よくなくて、犯罪を犯した人が犯罪者として裁かれるべきだし、
犯罪を犯すように勧める宗教は、邪教だとわたしは思っています。
盲目的な信者に地下鉄でサリンをまくように勧めたオウム真理教の教祖は、
信者が起した犯罪の責任があります。死刑になって当然だと思います。