明智光秀の娘の細川ガラシャ夫人は、どうしてキリシタンになったのか。
本能寺の変が細川玉の人生を狂わせてしまった。
明智光秀の娘だったことから、細川忠興の妻になって
幸せにくらしていたのに、幼い赤ちゃんからも引き離されて
ずっと隔離されていたそうだ。2年後に赦されて呼び戻され
夫の城に戻ったが、それからもずっと幽閉されていて
外にも行けなかったそうだ。
夫には、側室(今の愛人)が大勢できていて、幸せだった時間は
長岡京市の城で過ごしたわずかな時間だけ。
(長岡京市のホームページにあった。長岡京市には、城跡公園がある。)
女としては、最低の人生だった。
そんな中で、身近で世話をする女の子たちから、神さまの話を聞き、
ある日、こっそり軟禁されている城を抜け出して教会に
行って質問してから、神さまを信じたそうだ。
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http://www.hi-ho.ne.jp/luke852/ukon/ukon010.html
「秀吉が死に、夫の細川忠興は苦境に立たされた。
石田三成は、関ヶ原の戦いを目前 に、諸大名の側室を人質に
するため大阪城登城を命じた。(引用)」
本能寺の変が起きてから、
細川玉(ガラシャ)夫人は、夫に城の中に幽閉されて、相手にも
されていなかったのに、妻としての責任を果たして
石田三成の人質になることを拒否した。
キリシタンには、自殺は許されなかったので、部下に自分を刺すように
命じて死んでいった。死を覚悟してよんだ句がすばらしい。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の
花も花なれ人も人なれ」