日本語はなぜ美しいのか | 日本のお姉さん

日本語はなぜ美しいのか

株式日記と経済展望「◆『日本語はなぜ美しいのか』 黒川伊保子(著)」
言語脳が完成する八歳までは、パブリック(公共、社会)で使うことばと、ドメスティック(内的世界、家庭)で使うことばは、同じ言語であることが強く望ましい。理由は二つある。
一つは、母語獲得の最終段階ば、言語の社会性を身につけることだからだ。母語を、公共の場で仕上げる必要があるのだ。そして、その母語の仕上げには、臨界期という問題がある。

脳には、ある能力を身につけるにあたり、一定の年齢を超えると、その後その能力を獲得しようとしてどんなに努力しても、けっして同じ質では獲得できないという特徴がある。その年齢を臨界期という。言語脳は八歳の誕生日までにほぽ確立してしまうので、母語獲得の臨界期は八歳である。七歳までのうちに、さっさと仕上げておかないと、未完成な母語で生きていくことになる。母語獲得の最終工程に必要なのは、文字や書きことばの習得、音読、読書、作文や口頭で感じたことを人に伝える体験である。小学校低学年で、音読と作文を繰り返すわが国の国語教育は、脳科学的に、非常によくできていると思う。加えて、先生との会話、友達同士の会話、学級での発表など、さまざまなスタイルの会話体験を増やさなくてはならない。
母語以外のことばを使う小学校に子どもを預ける場合、この母語獲得の最終工程がないがしろになってしまうことが多いのである。海外生活のためにやむなくそうなる場合は、もっと早い段階から、現地語の人たちと触れ合って混合母語というかたちで育てるか、家庭での日本語のフォローが不可欠である。

◆母語喪失
そして、最近、教育の現場で指摘されだした、もう一つの理由が、「母語喪失」である。それは、学校で使われることばが、両親ともに堪能でなかった場合に起こる、深刻な問題である。実は、パブリックという意識の場を確立する学童期に、外で使う言語が両親とも堪能でない場合、母語喪失という恐ろしい事態が起こりうるのだ。
学童期、パブリックで起こることのさまざまな喜怒哀楽や情感を、心の中で反芻したり・親に話して解説してもらったりすることで、子どもは自我を確立し、社会性を身につけ、コミュニケーション能力を上げていく。この時期、子どもにとって親とは、内的世界(心の世界)の一部でもあり、心と外界をつなぐ、重要な案内人となる。

それなのに、パブリックで使うことばを親がわからないとなると、パブリックでの出来事の微妙なニュァンスを、子どもは親に伝えられない。
これは、単に、親との没交渉などという簡単な事件ではないのである。心の世界ができ上がらないので、子どもは自問自答しながら、目の前の事象に対処することができないままになるのだ。すなわち、「○○したい!とはいっても、いきなり、それは問題だろう。その前に、こっちを片づけなきゃなあ」のような心の中のひとり言が言えない、”気持ちの逡巡”という感情コントロール機能を獲得しないまま、次の発達段階に向かうことになる。極端な場合、コミュニケーション障害をきたし、一人前の社会人として機能することが難しくなることもある。

発達途上の子どもの脳にとって、ことばは、意味上の語彙を増やしてやればいいというものではないのである。ことばの情感と社会性を、親(近しいおとな)という「案内人」を介して、複合的に獲得していかなければならない。ここにおいて、ことばの表層の意味なんて、たいして意味がないのである。
このように、いったんドメスティックな環境で母語を確立したのに、社会性獲得の段階(学童期)で、心を表現する言語である母語を失うことを母語喪失と呼ぶ。
この母語喪失は、元は、外国からの出稼ぎ家族たちに起こった間題である。親は日本語の能力が低いまま、朝早くから夜遅くまで働いている。学童期の子供は、親とほとんど触れ合えない環境で、学校で使う日本語に馴染んでいくうちに、ほんとうにふるさとのことばを忘れてしまうのである。

気づいたときには、親と子の会話が通じない。子ども自身もさることながら、こういう子どもを抱えた、現場の教師たちのストレスは計り知れない。このため、外国人労働者が増えたパブル期以降の教育現場の問題提起として、母語喪失ということばがあった。
しかし、母語喪失は対岸の火事ではない。親と子のことばが通じないという極端なケースでなくても、心を表現することばを失い、後にコミュニケーション障害を抱えてしまうケースは、帰国子女の中にも見られるのである。そして、今後は、日本に生まれ育ち、日本人の親に育てられているにもかかわらず、早期の外国語教育によって母語喪失を引き起こすケースが増えることも予測されている。

統計的には、この母語喪失の増加が顕著であるかどうかはわからないが、「子どもを国際人にしたい」がために、外国語の小学校に通わせる親たちが増えているどいうニュースは、最近よく目にする。両親のどちらかがその言語を母語としているか、両親のどちらかあるいは本人が七歳以下で三年以上の現地体験があるか、今現在、家族で現地に住んでいて、両親のどちらかが高い言語能力で現地の仕事をこなしているか。そのいずれでもない場合で、やむなく外国語学校に通わせるときは、学校以外の場所でのいっそうの日本語教育をお勧めしたい。
心を表現することばを失った子どもたちが、おとなになる社会を考えると、現在の二ート現象どころの騒ぎではないような気がする。脳は、ひとりでおとなになることはできない。母語は、脳の基本機能に深く関与している。親と子どもの母語関係をしっかりと築くことが、人間形成の基礎なのではないだろうか。(P55~P60)

◆日本人の識字率はなぜ高いのか
音韻と文字との関係も、各国でさまざまだ。日本語は、音声認識の一単位にカナ一文字を与えている。したがって、意味がわからなくても、聴き取れれば、書き取れる。
中国語は、音声認識の一単位であるピンインに、複数の漢字がリンクしている。したがって、聴き取れても、意味を理解した上で漢字を駆使しないと書き取れない。つまり、日本人は数十のカナを覚えればなんとかなるが、中国人は、四〇〇を超えるピンインに何千という漢字がぶら下がっていて、その体系を知らなければ、識字できないのである。

アルファペット文化の人たちは、音韻単位と表記単位が一致していないので、聴いたように記載しても文字記号にならない。また、文字を見たように発音しても、それが正しい発音だとは限らない。中国語と同じく、ある一定数の単語(文字列)を知らなければ、識字できないのである。
日本人の識字率が高いのは、幼い頃に、まず音韻と一致したカナ文字によって、気軽に文字に親しめるからだといわれている。やがて、発達段階に合わせてゆっくりと漢字を増やしていく。この方式だと、ほとんど落ちこぼれを作らない。

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(トラ)★日本の場合、古代の昔から日本語を使い続けてきた。英国のように古代はケルト語を話していたが大陸から次々と侵略されて現代の英語が形成されたがそれは16世紀ごろの事で英語はフランス語などの外来語が多い。島国である英国ですらそうなのだからヨーロッパ大陸諸国はラテン語すら廃れてしまった。だから大なり小なり外来語が母国語となっている。

アメリカ人の場合はイギリスからの移民を除けば英語は先祖伝来の言葉ではなく、韓国から移民してきたチョ・スンヒのように両親は母国語を話し、子供達から英語を使い始めている。だからアメリカ人にとっては英語は母国語になりきってはおらず、アメリカの風土と英語とは何の関係もない。

英語と風土とが一番馴染んでいるのは、やはり英国であろう。500年余り使い続ければ風土や意識や身体感覚に結びついた言葉になる。英語がファンタジー大国であり数々の童話が作られているのは母国語として英語が体にしみこんでいるからだ。

日本はそのような英国を上回るファンタジー大国であり、日本ほど古くからの昔話や童話が残っている国はないだろう。それは昔から日本人は日本語を使い続けてきたからであり、ほとんどの国は国家の興亡と共に国語も昔話も童話も消え去ってしまった。

このように見ればアメリカの英語は単なる記号言語であり、僅かな言葉で「暗黙のニュアンスを伝える」といった文化レベルには達していない。だから同じ英語を話すイギリス人とアメリカ人とでは発音に関して意識が異なるのであり、アメリカ人にとっては英語は意味が伝わればいいのであり、イギリス人にとっての英語は情念まで伝える言葉であり、だから発音にも厳格だ。

日本においてもビジネスでは標準語を使っている人が家庭に戻ればお国の言葉を使うように、気持ちを伝えるには標準語ではなくお国言葉でないと伝わらない。だから英語を標準語に例えれば母国語はお国言葉なのだ。宮崎県知事選挙でそのまんま東が宮崎弁で演説したのに、官僚出身の候補者が標準語では選挙民の心はつかめない。

アメリカ人の英語が風土に結びついた母国語となるためにはあと数百年の年月が必要だろう。アメリカ国内でもテキサスやボストンなど言葉が違ってきている。ヨーロッパでラテン語がスペイン語やイタリア語やフランス語に変化していったように、アメリカ英語が母国語となる頃は様々なお国言葉に変化しているはずだ。

アメリカ在住の日本人家庭では子供に英語を身に付けさせる為に家庭でも英語で親子が話をしている例もあるようですが、ばかげている。日本人である限り母国語である日本語が話せなければ無国籍人となってしまうのであり、単なる記号言語しか話せないロボットのような人間が出来上がることになる。アメリカ人が歴史感覚が無いのも歴史が浅い国であると同時に、言葉も短なる記号としての言語しか使えないせいもあるのだ。

テレビでも時代劇が好まれるのも、日本語の歴史的連続性があるからだろう。言葉もその時代風に変えてあるし外来語は出てこない。ハリウッド映画が違和感のあるのはドイツの軍人もナポレオンもみんな英語を話しているからだ。ドイツの軍人はドイツ語でなければ「らしくない」しナポレオンもフランス語でないと「らしくない」。英語では風土や生活習慣に結びつく情報が極端に少ない。だからアメリカでは優れた文学作品が少ないのだ。

グローバル化した時代では英語が出来たほうが確かにいいだろう。しかしそれはビジネスに限られた記号言語であり、情感を伝える言葉としては向いていない。チョ・スンヒが狂ってしまったのも母国語を失ってしまったからであり、日本の親達が小学生のうちから英語を学ばせるのは間違っている。

日本人ほど英語が下手な国民はいないといわれますが、それは英語が出来なくても生活に不自由しないからだ。日本では大学でも日本語で授業が行なわれているからですが、韓国では欧米に留学しないと高度な教育は出来ないようだ。韓国の異常な数の留学生の多さは韓国文化の悲劇の象徴でもある。

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(ようちゃん)★ 日本語の美しいのは 和歌のリズムにあるし、(5.7.5.7.7.)の31文字の完結する文章は、見事に完成している。
そして母音と子音の配列の規則性にある。 また古代語を 音で読むと 音の一音ずつが階調を持つ。「五線占い」と言う音での聞き分けでの占いもある。
長くなるし簡単に説明する事が出来ないから省略する。 一つ重要な事例が在る。
神(か み) は (火 と 水)です。 方位盤で 火は南、天を指し高い明るい場所を。色は赤。  水は北、暗い低い地下を指す。色は黒。
神は高い宇宙から 地下の場所まで 全てを統治してる事を この1文字で示してる。

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ようちゃんのブログから拾ってきた。


チョ・スンヒは、コミュニケーション不足で心が腐ったのだと思う。

クラスメートが話しかけても、返事もしなかったというし、

常にサングラスをかけて、他人との係りを拒否していたらしい。

寮で2人殺した後、教室に出向いて32人殺すまでの

間にポストに投函した自ら作成したビデオや写真も、内容が支離滅裂。

意味が無い。憎しみと恨みの心を、クリスチャンでもないのに、

自分とイエス・キリストを重ねて表現しただけ。

ものすごく心が捻じ曲がっていたということだ。


チョ・スンヒは、アメリカで生きるには、財力も、学力も、どこかに秀でた

能力もなくて、自分は最低な場所にいて

みんなに虐められていると思い込んだのだろう。


被害妄想気味だし、自己憐憫と、自己卑下がすごかった。

金持ちのぼっちゃんを憎んでいたということは、チョ・スンヒは貧乏で

あることが耐えられない屈辱だと感じたのだろう。

つまり、金があることが幸せだと勘違いしていたということだ。


こんな俺を作ったのはお前らだなどと、他人のせいにして、俺に

殺されるのは、お前らのせいだと責任を転嫁している。

一人も友達がおらず、ルームメートに、僕には創造上のガールフレンドが

いて、スーパーモデルなんだと言うなど、普段から妄想をしていた

人だったようだ。つまり、精神が病んだ人だったのだ。

8歳からアメリカにいたので、韓国人の事件というよりも、

アメリカ移民の子供の起した事件という風にアメリカ人は捕らえて

いるようだ。キムチに毒が入っているから韓国人は怒りっぽいのだと

言う過激な若者もインターネット上にはいるようだが、特に

韓国人がアメリカで攻撃されるという状態ではないらしい。

聞いた話によると、アメリカという国は、友達がいなけれな生活しにくい場所の

ような気がする。

自ら、みんなと溶け込んで、仲良く会話するような性格でないと、

どんどん孤立するような国なのかもしれない。


日本では、みんながおとなしいから、引っ込み思案でみんなと

溶け込めなくても、目立たない。アメリカよりは楽かな。

そのかわり、イジメがひどいらしいから、アメリカよりも問題だ。


コミュニケーションをとるのがヘタクソだというのは、社会でストレスが多いと

いうことだ。誤解されたり、自分の気持ちをうまく表現できないのだから、

ずっと、もやもやした気分でいないといけない。

その状態で自分の受けたストレスを解消する方法を持っていないと、

どんどん心が腐っていくのだと思う。


生きていたら、楽しいことも多いけど、思い通りにいかないことだって、

多いんだから。


そんな時に、話を聞いてくれたり、意見を言ってくれたり、ただ同情してくれ

たりする友達がいたらストレスも消えるし、自然の中をゆっくり歩けば、

気が晴れる。ちょっとした旅行に行ったり、音楽を聞いたり、ライブに

行ったり、美術館に行ってアートを見たり、気分を変える努力も

するべきだ。


わたしの場合、聖書を読んで、教会に行って聖書のメッセージを聞けば

答えが与えられるし、家に帰れば、年を取っているし病気がちだけれど

いつもご機嫌な猫ちゃんたちが、甘えてきたりして和(なご)める。

ストレス解消法は、いろいろある。


むしゃくしゃしたら、一駅早く降りて歩けばいい。スポーツクラブで

どんどん運動したらいい。

本屋で本を買って読んだり、温かくておいしいものを食べたり、

街に出て、ブラブラいろんな物を見て歩いたり、友達に電話したり、待ち合わせ

したり、手紙を書いたり、ブログを書いたり、、。


いろんなストレス解消の方法があるんだから、頑張るべきなのだ。

自分が不機嫌なのは、他人のせいだと思っていたら、

いつか他人を殺さねば気がすまなくなるんじゃない?


大人はみんな、いろんな腹が立つことや、気落ちするような出来事に耐えて

サバイバルしてきて大人になったり、年寄りになったりするんだ。

みんないろんな問題を抱えながら、それに対処していく方法をみつけて、

生きてきているんだ。


たまに信じられないような、意地悪で偉そうで、嫌な事ばかり言う

おばあさんがいるけど、それはそれで、気にくわない人を虐めて排斥しながら

生きてきた人だから、強い人なんだろう。でも、よく見ればそんなおばあさんは

友達もいないし、家族にも嫌がられている。そんな人の顔は、楽しそうには

見えない。強ければ楽しい人生でもないようだ。


チョ・スンヒは、金持ちで、賢くて、クラスの人たちみたいに明るくなれな

かったら不幸でダメなんだと思ったんだろう。

貧乏でも、頭が悪くても、性格がおとなしくても、幸せな人は一杯いるのに。

それを誰も、教えてあげれなかったのかな。チョ・スンヒのお姉さんは

めちゃめちゃ優秀で、アメリカでも有名な政府関係の仕事についているらしい。

姉と自分を比較して、自分のことを普段から卑下しまくっていたのかも。

そういう自分をダメな人間だと思いこむクセがついていたんだ、きっと!


基準が間違っている。せっかく母親が、コミュニケーシをとるのがヘタな

チョ・スンヒを心配して教会に行くように勧めたのに、チョ・スンヒは、何も

学ばなかった。


イエス・キリストが神さまのひとり子で、

神さまは、人間を愛しておられて、

罪びとを救うために、ひとり子を遣わして

くれたということを信じなかった。

イエス・キリストが虐められたとしか受け止められなかったようだ。


イエス・キリストが、神さまのひとり子なのに、この世に人間として来られたの

は、罪の無い人間というものがそもそもいないから、罪の無い神さまが

天国から人間になりにきて、十字架にかかって、

人間が地獄で裁かれる罪の罰を

身代わりに受けてくれたのだ。


罪がある人間の代わりに、人間の代表として、父である神さまから

人間が受けるはずの罰を受けたから、


神さまの人間に対する裁きは終わっている。

あとは、それを人間が信じればいいだけになっている。

神さまが人間を愛しているという証拠があるので、それを信じれば

いいだけになっている。


チョ・スンヒには、自分は神さまが創られた、世界でただひとりの人間だと、

気が付いて欲しかった。

神さまは、罪のある弱い人間の罪を赦すために、イエス・キリストを十字架に

つけてくださった。そのことを知って欲しかった。


せっかく教会にいったのに、それを知らないで、

イエス・キリストと自分を重ねてビデオを録画するなんて、、、。

チョ・スンヒは、生きる意味が見いだせなくて心を腐らせて自殺した。

どうせ自殺するんだから、ついでに日ごろの恨みを晴らしたかったんだろう。

そういう人間が、増えないように金や学歴や仕事が人生のすべてだなんて

子供に思わせないように、アメリカにいる韓国の親は気を付けたほうがいい。

チョ・スンヒの親はサウジアラビアで建築関係の仕事をしていた。

サウジアラビアで貯めたお金でアメリカに移って、ランドリーを営んで

子供には高等教育を受けさせたのだろう。アメリカの学校は入学するのは

簡単で、卒業するのは大変なのだそうだから、チョ・スンヒは、いい大学で

金持ちの子供に囲まれていじけていたわけだ。

韓国から来た留学生たちとも、コミュニケーションがとれていなかったようだ。


32人も殺してしまう人間になる前に、いろんな兆候があったのだろうけど、

大学の中に銃を持ち込んだところから殺人を犯す気でいた人なのだから、

同情することはない。

普通の人間の感覚では犯罪者の心理など分かるわけがない。世の中には、

犯罪を犯す人がいるということを忘れないようにして、

同じ事件を予防するためには、どうしたらいいかを考えるしかない。

殺された32人と怪我をしたみなさんは、何も悪くない。


親はせめて自分の子供には、コミュニケーションがうまくとれなくて、人生の

基準が狂っていて自己評価が低いいじけた子になって、最後には犯罪者に

ならないように、褒めてハグしてキスして、可愛がってあげたらどうだろう?

愛して戒めて一生懸命教育しても、それでも、脳の具合で犯罪者になる

タイプもいる。でも、大人になるまでは子供の教育は親の責任だから、

頑張ってほしいと思います。チョ・スンヒの親も頑張っていたのだろうけど、

残念でした。殺された人たちも、怪我した人たちも、残念でした。

ひどい事件でした。