宮崎正弘のメルマガの(読者の声1)に反論します。 | 日本のお姉さん

宮崎正弘のメルマガの(読者の声1)に反論します。

(読者の声1) 遠藤周作「沈黙」が海外で映画化されます。

日本への誤解がまた拡がる懼れが。

日本軍の南京入城に関しての出鱈目映画や、慰安婦強制連行に関する

出鱈目謝罪要求が話題になっています。しかし私はあまり心配していません。
あまりにも出鱈目な内容であり多少左がかった日本人でも首を傾げざるを

得ない内容です。また当時を知る日本人も生存しており、文書や写真も多数

存在しています。
この問題への関心が深まり実証的な研究が進めば、近い将来「田中上奏文」

と同じ扱いとなることでしょう。

私が心配しているのは、今年、アカデミー監督賞を受賞したスコセッティ氏が

遠藤周作の小説『沈黙』の映画化に取り組んでいるということです。
島原の乱後のキリシタン弾圧に材をとり、棄教用に使われた穴吊りの刑を

クリスチャン世界の欧米に紹介しつつ、話題性をもとめるつもりらしい。
セプルベダとラス・カラスの論争でも明らかなように南米では加害者であった

宣教師が、戦国時代末期から江戸時代の日本では被害者であったという

ことになります。
危険なのは、日本の歴史教育でこのキリシタン問題が、仏教僧との論争、

宗教弾圧、さらに当時の日本を知る情報源としての宣教師の残した文書しか

とりあげていないことです。
なぜキリシタンが弾圧されたかを知っている日本人はほとんどいません。
やはり日本人はこの問題では悪かった。日本人は残酷な人間で責められて

も仕方がいない、ということになってしまう危険性があります。
否、何故弾圧されたかという点から研究した歴史研究者すらほとんどいま

せんでした。今までのキリシタン研究者は、多くが自身キリスト教徒かキリシ

タンに同情的な学徒であり、そういった人しか関心を持たない歴史学における

マイナーな分野であったのではないのでしょうか。

そんな先入観を持ったところから正確かつ実証的な研究が行われるはず

がありません。
幸い、1990年ころから当時新進気鋭の歴史学者であった(現在では大家

か?)藤木久志氏等の学者によって、室町時代末期から江戸時代初期の

それまで等閑に付されていた下級武士や一般庶民の実態に関する研究が

進みました。
その結果、キリシタンが弾圧されるにいたった真相が徐々に明らかになって

いきました。
当時の日本社会も支配階層も宗教に関して非常に寛容であった。

法然上人の専従念仏が弾圧された平安時代末期や、日蓮が弾圧された鎌倉

時代初期とはまったく違う状況であった。

そんな中で何故キリシタンが秀吉の時代になってから弾圧されたのであろう

か。

実は、彼らが弾圧された理由は簡単である。
犯罪行為を行ったのである。
南米で原住民に対して行ったような残虐な犯罪行為が、戦国時代で強力な

武力持った戦国大名のいた当時の日本では行えなかった。
しかし、一旦大名がキリシタンとなった地域では犯罪のやり放題であった。
宇佐八幡宮をはじめ多くの神社仏閣が破壊された。僧侶、神官、一般信徒

が虐殺された。
なかんずく秀吉が一番問題としたのは、戦国大名同士の戦いで捕虜となった

兵士を、宣教師からの要請により、スペイン、ポルトガルの商人に奴隷として

売り渡すキリシタン大名・武将がいたことである。
戦国時代を通じて総数約10万人。日本は16世紀末世界最大の奴隷輸出国

であり、東南アジア一帯に日本人奴隷があふれた。

当時、日本全体の覇者となりつつあった秀吉のとって、これは許しがたきこと

であった。同盟関係にあった大友氏に対しても、捕虜を奴隷として売り渡す

ことを禁じている。
当時のキリシタンたちの倫理観の低きこと、かくの如しである。
神の恩寵により自分だけは救われる。それでよしである。マルクス(乃至、

レーニン・毛沢東)の恩寵により自分だけは救われる。それでよしとする人

たちの如しである。

処刑された「十三聖人」にしろ、彼らが裁かれたのは、彼らが行った犯罪行

為に対してである。
しかも改宗すれば許されるというとてつもなく寛容な裁きを受けながら、改宗

を拒否したのである。
改宗したかどうか外からはわかるわけもない。かれらを赦すためのたんなる

口実であう。
にもかかわらず、彼らは自分の意思で改宗を拒否し自殺したのである。

日本人的生真面目さの極地である。まさに、オーム真理教の信徒の如し。
それを悲劇のように言うのは笑止千万というしかない。
十三人聖人の碑が破壊もされず、観光名所となっていることこそ日本人の

寛容性の証明である。
韓国や中国ならとっくに破壊されていることであろう。

この宗教的寛容性は徳川氏にも継承された。島原の乱までは、表面的に

改宗さえすれば、赦された。島原の乱は徳川氏にとってまさに巨大な軍事

的脅威であった。乱の中核は元秀吉方の小西行長の家臣たちである。
軍事戦術・戦略に強いはずである。この徳川氏の支配の存亡に関わる

事態になった後から、初めて本格的にキリシタン弾圧が始まった。
つまり、最初から最後まで「キリシタン弾圧」は宗教弾圧ではなかった。

さらにひとつ重要な、あるいは驚くべき点を付け加えます。
島原の乱後、徳川氏によって島原藩の藩主が任命された。その藩主に

対して、島原の乱後島原の農民たちが、田畑を鹿が荒らすので、農民から

接収した武器を返還してくれという要求を出しました。
そこで、その藩主は、徳川氏の了解を得た後、三百数十丁の鉄砲を含め、

接収した武器を返還しました。このことを知った上で、あえて「キリシタン

弾圧」を誰が言いうるのであろうか。
キリシタン弾圧とは狂信的な犯罪者に対してやむを得ず行われたものである。
この事実は、これからの日本が正気の社会であるために、歴史教科書に

絶対に書かれるべきものと確信いたします。
これこそ真に、現代日本の「生氣の詩」である。
   (ST生、神奈川)


(宮崎正弘のコメント)マイク・ホンダ連邦下院議員のインチキ議決案は

どうやら消えそうですが、一難去って又一難、今度はハリウッド映画が

新手ですか!
 ところで「島原の乱」の経過を攻める側、護る側から克明に描いた小説に

中村彰彦『知恵伊豆に聞け』があります。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/7/56/71/9784167567118.shtml
 文春文庫になって新登場、これは面白い小説ですよ。
 またキリシタン伴天連を禁教とするに至る最大の理由は、当時のシナ

(明)からもたらされた或る情報、つまりキリスト教軍団の日本への侵略

意図です。秀吉の朝鮮半島進出は日本の防衛戦争でした。
いま米国が得意げにいう“PRE EMPTIVE”(予防先制攻撃)です。

このような正しい歴史認識は、保守陣営のあいだにあってさえ、あまり

真剣に討議されていませんが。。。
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(読者の声1) に反論します。

遠藤周作の小説『沈黙』が、映画化されると、(読者の声)で
知った。
(イエス・キリストを信じているクリスチャンの目で読むと、これは

どうやら神さまを信じていない者が書いたものである。)


たとえ、目の前で自分の子供が殺されても、神さまを信じないと
宣言することは神さまに対してできないことだ。子供を殺されるのは
辛いがやはり、神さまを信じているのに信じていないと言うのは
間違っている。
主人公は、結局神さまを信じる信仰を捨てると迫害する者に
宣言した。

しかし、神さまは、弱い人間の心もご存知で、その罪も赦すために
犠牲の羊であるイエス・キリストをこの世に遣わされた。


神さまは人間の罪を赦すために、ひとり子を
聖書の予言のとおりに送られた。

そのことを知った主人公が本当の意味での悔い改めの気持ちを
持った。そこを伝えたい小説だったのではないかと思う。

キリシタンからすると、踏み絵に何か意味があるわけではなく、
自分は神さまを信じていないと表現すること自体が神さまに対して
失礼なことだと思うので、踏み絵を踏まないのだ。
たとえ殺されても、神さまにウソをつくことはできない。

「改宗すれば許す」とか、「心の中で信じていても踏み絵を踏めば許す」
と言うのは寛容でもなんでもなく、まさしく「本当に神さまを信じている
人間を見つけ出して殺す」ということだ。神さまを信じていても、
信じていないと言うキリシタンは、容易に操ることができるキリシタン
なので生かしておいてもかまわないのだ。


本当に神さまを信じるとは、日本の一般人が考えるようないい加減な
ことではない。

神さまは世界の創造者であり、人間の創造者である。
体を殺せても魂を殺すことができない他者に脅されて、
神さまを信じるのを止めるなどクリスチャンには無理な話なのだ。
日本人的神論で、「踏み絵は寛容な処置だったのに、
自ら信仰を捨てずに自殺した。」と言うのは大きな間違いである。




そういうことを世界に向けて言うと、ますます日本人は
恐ろしい人種だと思われるだけである。
クリスチャンは命をかけて神さまを信じているのだ。信仰とは
そういうもので、神仏に祈れば何かをやってくれるご利益宗教とは
違うのだ。




まず、他人の信仰を捨てるように、迫ること事態が間違っている。
「子供を殺すぞ」と言ったり、「お前を殺すぞ」と言う事が間違っている。

そのように「他人の自由を犯す行為」が世の中で一番卑劣で酷い
行為なのだ


日本人は、キリシタンの信仰の自由を奪って、処刑したのであって、
寛容であったわけでは決してない。

ウソをついて、神さまを信じているのに踏み絵を踏んだり、信仰を捨てる
と言った者もいただろう。それは神さまに対する罪だが、弱い人間の罪を
赦すために、神さまのひとり子は十字架の上で身代わりの罰を
受けられたのだ。ウソをついて生き残った者も、神さまに赦されて
いるのである。

日本人がキリシタンを迫害したのは事実だし、便所の穴に入れて体が
腐るまでほおっておいたのも事実だ。事実は事実として世界に知られても
いいと思う。隠す必要も無い。

大名がキリシタンになれば、自分の領地の神社仏閣を排除するのは
大名の自由だった。当時の大名とはそんな権力がある存在だった。
しかし、僧侶、神官、一般信徒が虐殺された場所では犯罪が行われたのである。
他人の信仰と命を奪うのは犯罪だ。
キリシタンの指導者がちゃんと大名を指導しなかったので、そんな事件が
起きたのならその部分に責任がある。


戦国大名は、捕虜となった兵士を、宣教師からの要請により、
スペイン、ポルトガルの 商人に奴隷として売り渡したのではなく、近代的な
武器が欲しさに奴隷を売り渡したのだ。
宣教師の手紙に、日本人が奴隷を売りたがっていることに非常に驚いている
と書いたものが残っている。
また、キリシタンの指導者が、奴隷を売るのは良くない事で布教に影響するので、
外国人の商人たちに奴隷を買うのを止めさせて欲しいと、他の地区の
キリシタン指導者に懇願する手紙も残っている。
本当に神さまを信じてキリシタンになったのなら、宣教のためにならないことは
しないはずだ。、商人と手を組んで奴隷を売るのを助けた悪い宣教師もいたのは
事実だ。悪い宣教師は、国に手紙を書いて、日本にはめぼしい資源は何も
無いが、軍隊は強い。だからチャイナ(明)を攻めるようなときには、日本軍を
使うのがいいと思うなどと書いている。宣教師と言っても、政府の手先もいて

本当に全員が神さまを信じていたのではない。



「戦国時代を通じて総数約10万人。日本は16世紀末世界最大の奴隷輸出国であり、

東南アジア一帯に日本人奴隷があふれた。」というのは事実である。
中には性の奴隷としてヨーロッパに売られたりアラブ人によってアフリカに売られた
日本人女性も大勢いた。
秀吉は、このことに対して怒り、捕虜を奴隷として売り渡すことを禁じた。
また、当時のチャイナ(明)がキリシタンたちが日本を支配しようとしていると
吹き込んだことも影響している。宣教師のひとりが「スペイン・ポルトガルは先に
宣教師を送り込んで、それからその国を滅ぼすのだ。」と、うっかり語ったので、
秀吉が危機感を持ったという話もある。


処刑された「十三聖人」は、彼ら自身が罪を犯したのではなく、秀吉の政策で
迫害を受けて殺されることになった。
十三人聖人の碑が破壊もされず、観光名所となっているのは、長崎に教会が
多く残っており、地元に理解があるからだろう。また日本人が墓をあばくような
民族ではないからだろう。

「島原の乱までは、表面的に改宗さえすれば、赦された。島原の乱は徳川氏に
とってまさに巨大な軍事的脅威であった。乱の中核は元秀吉方の小西行長の
家臣たちである。軍事戦術・戦略に強いはずである。この徳川氏の支配の存亡に
関わる事態になった後から、初めて本格的にキリシタン弾圧が始まった。」
と、言うのは事実だが、キリシタンは実際に信仰を捨てなかった者が殺された
ので、宗教弾圧である。

個々のキリシタンは個人的に犯罪を犯したわけではない
神さまの前に、ウソをつきたくないと思ったキリシタンが信仰を捨てなかっただけで
日本の政策によって、狂信的として拷問されて殺されていったのだ。

悪い外国人商人と組んで、奴隷を売って近代的な武器を購入した大名がいた

のも事実。
奴隷売買は、実は昔から行われていた。安寿と厨子王の昔話も、子供たちが
人買いに売られそうになった話だ。
秀吉が、明から脅されて外国人宣教師に危機感を持ったのも事実。
徳川氏が政治的に判断を下したのも事実。だが、日本人がキリシタンの信仰の
自由を束縛し、多くのキリシタンを殺したのも紛れも無い事実である。
だから、事実をきちんと教科書にのせるべきだ。秀吉と徳川氏の理由は
ともかく、宗教弾圧はあった。
昔、大勢キリシタンを迫害して殺しておいて、「日本にはキリスト教が根付かな
かった。」と言うのも間違いである。
(日本のお姉さん)