東ティモールの選挙と苦悩
東ティモールで9日、独立後初めての大統領選挙が実施された。大勢判明には数日かかり、過半数を得た候補者がいない場合には5月8日に決選投票が予定される。国際社会が注視するのは、平穏かつ公正、民主的な過程を経て次の大統領が選ばれるかどうかであり、この国の将来がそこにかかっている。
東ティモールはオーストラリア大陸の北に位置するティモール島の東側を占める。面積は1万4000平方キロメートルでほぼ福島県、人口は94万人で北九州市よりやや少ない。この小さな国が国際的に注目されるのは数奇な歴史的背景からだろう。
宗主国だったポルトガルで1974年にクーデターが起こり、植民地の維持を主張した旧政権が崩壊し、独立の動きが強まる。しかし75年にインドネシア軍が侵攻し、76年に併合された。98年にインドネシアが独立容認に方針を変更し、99年に独立をめぐる投票が実施されたが、賛成、反対両派が衝突し、国連安保理が多国籍軍を派遣する。
多国籍軍は平和維持活動(PKO)に切り替わり、2002年に東ティモール民主共和国が誕生したが、05年にPKO終了とほぼ同時に離脱兵による抗議行動をきっかけに暴力行為が発生し、オーストラリアなどの国際治安部隊が派遣され、06年にPKOが再開せざるを得なくなる。
首都ディリの経済は一時、国際機関や非政府組織(NGO)関係者が使うドルにもっぱら依存した。国連の存在が薄くなれば内紛が起こる悪循環を断ち切れるかどうかは、大統領選挙が混乱なく実施され、新大統領が国連依存を薄めていく政策をとれるかどうかに左右される。
日本は02年から2年間、陸上自衛隊をPKOに派遣し、いまは文民警察官をおくっている。大統領選挙の監視団にも加わっている。
大統領選にはノーベル平和賞受賞者として著名なラモス・ホルタ首相ら8人が立候補している。独立の英雄でカリスマ性の高いグスマン大統領の後継をめぐる戦いである。ポルトガル、インドネシアのどちらの時代に教育を受けたかによる世代間対立も絡むとされる。東ティモールの苦悩は終わりそうもない。
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大変なことがあった島だと聞いていた。
せっかくポルトガルが出ていったのに、
インドネシア軍に入られて、大勢の島の住民が
殺されていたそうだ。とにかく逆らえばいなくなるのだそうだ。
文句を言えば殺されるという状態だったそうだ。
1999年には独立したい派と、インドネシアが送り込んだ
独立をジャマする派に分かれて、ひどい内紛があった。
そういえば、最近も事件があったな。