怪しい日系3世のマイク・ホンダ議員 | 日本のお姉さん

怪しい日系3世のマイク・ホンダ議員

オヤジは、英語の名前。妹はNAOMI。母親はHUSAKO。オバはYURI.

オバは、マイク・ホンダ議員より10歳以上も年上なのに、

やけに「ハイカラ」な名前だなあ。

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http://ameblo.jp/uhauhookwww/entry-10029545351.html


読者はご存知の通り、マイク・ホンダの経歴にあった「ベトナム戦争に従軍」「JFKの「平和部隊」に所属」はすでに虚偽であり、軍隊経験は無かったことが産経新聞によって指摘されている。また、現時点までの筆者の関係の調査では、同議員が親とともに収容されていたというコロラド(アマチ: Amache)の 収容所の記録にも名前は確認できていない。

 同収容所の開設期間は、1942年8月27日から同45年10月31日まである。ピーク時は、7,318人の日系人が収容されたとの記録があるが、「マイク・ホンダ(Michael Makoto Honda)」の名前、または幼子を連れた「ホンダ(Honda)」の家族名を未だに確認できていないのである。もう一度だけ、再調査の依頼を出しているが、そこに「存在しなかった」とすれば、この収容所の経験も虚偽になる。関係者によれば、詐称の可能性は90%以上とのことだ。

 また、「カリフォルニアに戻った」のが1953年と自記しているが、収容所の閉鎖はそれよりおよそ8年前の1945年10月31日である。収容所出所の時期も明確ではないが、実際に収容所に存在していたとすれば、45年10月31日かそれ以前に出所していたことになるが、それまでの約「8年間」は何処で何をしていたのか、空白であり、同議員の「存在」の証拠も確認できていない。

 先稿で述べたが、同議員は米国生まれではなかった可能性が濃厚。勝手な推測は慎むべきだが、およそ1953年(この年で同議員は11~12歳)の時分以前に、母国語が英語ではなかったとすれば、あのネイティブとは思い難い東洋系のアクセントや、両親の名前を明かさない、子供の頃の写真も披露しない、幼馴染が1人もいないという「理由」が理解できる。

 本物の米国生まれであれば、まして「三世」であれば、言葉(英語)はやはり流暢なネイティブであり、1つのカルチャーとして、幼い頃の写真や思い出、エピソードや幼馴染などを披露する傾向が米社会にはあるが、ホンダ議員はその逆である。

 あくまで、マイク・ホンダ議員は私人ではなく「公人」である。第三者が、「公人」出自を明らかにすることは、同議員の言動の根拠を理解するための必要である。

 一部にあるような、それは「差別」、「個人攻撃」である、との批判論理には、この場合に当てはまらない。まして、マイク・ホンダ議員はその立場を濫用し、特定国策動のエージェントとして、世界中に、これだけの侮日宣伝を振りまいている。日本国民に多大な苦痛をおよぼしているのである。 その公的責任は問われるべきである。
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