アメリカにいる台湾人が裁判長に意見を書いている。
【光華寮裁判】藤田宙靖裁判長に一言申す
陳辰光
CA. 95131 , USA
京都最高裁、第三小法廷、藤田宙靖裁判長に一言申す。
所謂「光華寮」の所有権をめぐる裁判、2007年3月27日の裁判で:、
{この日の最高裁判決は、訴訟の前提として「原告は国家としての中国」と
判断。「日中共同声明で台湾の代表権は消滅し、訴訟手続きは中断したのに、
下級審がその手続きを行わなかったのは違法」として、72年時点に戻って
訴訟手続きをやり直すべきだとした。}(読売新聞)
日本の最高裁が台湾の帰属問題で、1972年の日中共同声明に基ずくのは
不合理である。又、この共同声明に準じても、台湾が中華人民共和国の
所属と証明できない。
2007年の時点で、法的効果を1972年に遡らせるのは、可也の無理があり、
又勇気のある問題でも有る。幾つかの疑点を挙げてみよう。
1. 日本は2007年の時点では「中華民国」を認めていない。
ならば、国(?)と台湾人の区別も必要であろう。
2. 中国が中国の代表である事に異議は無いが、中華民国が台湾を領有
しているという証拠、法律、国際法、国際条令は皆無である。
最高裁は何を根拠として、中国が中華民国を承継し、台湾の財産所有権
まで、侵そうとするのか?
3. その前に、中華民国が台湾人の財産を領有出来るのかを、検討す
べきであろう!
4. 台湾人の財産は中華民国の領有で無ければ、中国は自ずと「非中華
民国の領有物;光華寮を乗っ取る理由は、成立しない筈。」
5. 1972年の共同声明は事台湾の領有に関しては、1952年4月28日から
有効と成った「サンフランシスコ平和条約」の枠を超え無い上、
抵触違反の場合は、無効である。
6. シナ大陸の財産なら、いかようにもされるが、中華民国の台湾における、
国際法的な地位は、単なる、米国の軍事占領代行者に留まり、事実上、
命からがら台湾に逃走亡命してきた亡命政府である。
赤貧の亡命政府に財産は無い。
7. 中国がその軍事クーデータに成功し、中華民国は領土と民の無い、
正真正銘の亡命政府、よって、1972年の財産は台湾人の財産であり、
中華民国の財産ではない。中国は其れを承継する理由も権利も無い。
8. 最高裁の1972年への下級審理の差し戻しは、寧ろ、国際法に基ずき、
中華民国の財産でなく、台湾人民の財産と判決すべきであろう
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関係報道:
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070327i211.htm
「光華寮」訴訟、最高裁が差し戻し…台湾が実質敗訴
台湾が、京都市の中国人留学生寮「光華寮」の寮生8人に建物明け渡しを求めた訴訟の上告審判決が27日、最高裁第3小法廷であった。
藤田宙靖(ときやす)裁判長は「訴訟は中華民国(台湾)が中国国家を代表して起こしたが、1972年の日中共同声明で中華人民共和国が中国国家となり、台湾の代表権は消滅した」と判断、台湾を原告としたこれまでの訴訟手続きを違法・無効として4件の下級審判決をすべて取り消し、審理を1審・京都地裁に差し戻した。
最高裁が台湾を訴訟当事者として認めなかったことで、提訴から40年続いた訴訟は事実上の台湾敗訴となった。今後、京都地裁が原告を台湾から中国に切り替える手続きをとるが、中国が訴訟継続を望まなければ、取り下げで決着することになる。ただ、この日の判決は、「中華民国」名義になっている寮の所有権の帰属を判断していないため、所有権を巡る新たな訴訟になる可能性もある。
この訴訟では、台湾勝訴とした87年の大阪高裁判決に、中国政府が「二つの中国を認めたもの」と反発するなど政治問題化。上告審は棚上げ状態のまま20年に及び、最高裁に係属中の民事訴訟では最も古いものとなっていた。
台湾は戦後まもない52年、寮を購入したが、その管理を巡るトラブルを理由に、67年、寮生に明け渡しを求めて提訴。1審の審理中、日中共同声明で日本が中国を「唯一の合法政府」として承認したため、〈1〉台湾が訴訟当事者になれるか〈2〉寮の所有権は台湾から中国に移るかが争点となった。
この日の最高裁判決は、訴訟の前提として「原告は国家としての中国」と判断。「日中共同声明で台湾の代表権は消滅し、訴訟手続きは中断したのに、下級審がその手続きを行わなかったのは違法」として、72年時点に戻って訴訟手続きをやり直すべきだとした。
京都地裁は77年、「声明で寮の所有権は台湾から中国に移った」として台湾敗訴を言い渡したが、2審・大阪高裁が同地裁に差し戻し、差し戻し後の1、2審は、「政府承認が切り替わっても寮の所有権は中国には移らない」と、台湾勝訴としていた。
(2007年3月27日23時46分 読売新聞)
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html